二
翌日、シエラ達はフランズの王城のすぐ近くにある国立図書館へと向かって歩いていた。ラミーナからの要望で前々からフランズに着いたら立ち寄る予定でもあったし、何より一番頼んできたのがユファだった。現在時刻はおよそ午前十時。風も穏やかな晴天である。
「図書館とか久しぶりだな」
「俺なんか一回も行った事ねぇよ」
「え、それほんとバイソン? なんかこないだの遺跡のときもそうだったよねー」
「ははっ、俺たち気が合うんだな!」
「……あんた達は」
シエラとバイソンがハイタッチをしていると、後ろからラミーナが呆れたように溜め息を漏らした。クラウドとウエーバーも呆れているらしく、眉間に皺と苦笑いがそこにはある。
「……あれか」
ユファの呟きにシエラは顔を上げる。王城と並ぶように立派な建物が聳え立っている。外壁はレンガで造られており、相当な高さがあった。王城よりかは些か小さめではあるものの、フランズにある建造物の中では群を抜いている。入り口は少し小高い場所にあり、坂を上らなければならないらしい。
「わくわくする」
見知らぬ土地の見知らぬ場所。少し胸が躍る。勇んで坂道を登ると、肩に乗っているイヴが楽しそうに鳴く。
「イヴも?」
「きゅーん!」
その様子を見ていたクラウド達が、後ろで微笑んでいたがシエラは気づかない。坂を上りきり、ガラスで出来た扉を開けると、図書館独特の本の香りが吹き抜けた。
「うっわぁ……」
そこにはまだ朝だというのに多くの利用者がいた。シエラが声を漏らすと、人の良さそうな老人が歩み寄ってきた。
「お嬢さん、如何しましたかな?」
白い髭に丸い眼鏡。それとびしっと着こなしたスーツが彼の柔和な表情と合わさって、シエラの中で紳士、という印象に結びつく。
「え、ええと……」
シエラが言葉に詰まっていると、
「すみません。少し調べものをしにきたんです」
後ろからウエーバーがフォローを入れてくれた。いつの間に追いついたのか、クラウド達もそこにおりシエラは慌ててウエーバーの後ろに引っ込む。
「そうですか。では、どうぞごゆっくり」
老人はそう言うとゆっくりとした足取りで奥へと消えて行ってしまう。
「……なんだったんだろう」
シエラが首を傾げていると、クラウドが眉間に皺を寄せたまま軽くシエラの頭をはたく。
「ったく、勝手に一人で行くからだ」
「だからって叩かないでよ」
シエラはむっとして言い返すものの、何だか最近あまりクラウドの表情が険しいとは思わなくなっていた。そのせいか、今彼がどういう気持ちなのか読み取れるようになり始めた。今はどちらかといえば心配してくれているのだ。シエラは歩き始めたウエーバーとラミーナの背中を追いながら、クラウドの隣に並んで歩く。
「ねぇクラウド。なんかさ、あっという間だったよね」
シエラがそう呟くと、クラウドは「何がだ」というような視線を投げかけてくる。
「私たちが出会ってから。……だってもう旅が始まって三週間以上経ったじゃん」
「……もうそんなに経つのか。そう思うと、俺たちの旅は早いのかもしれないな」
シエラとクラウドはそれぞれ今までのことを回顧する。二人は適合者同士で始めて出会い、そして一番長い時間を共にしている。と、いってもウエーバーとラミーナとの出会いとたった二日三日しか違わないだけだが。
「ほんと、あっという間の三週間だった。……でもさ、なんか未だに世界が滅んでないってのも変な感じだよね」
危機感が全くないわけではない。それでも漠然と“世界の終わり”などと言われても実感が沸かない。世界を救うための旅をしているはずなのに、シエラにはまるで現実味がないのだ。クラウドは眉根を寄せたままでいる。
「……聖玉の封印が解け掛かってるって言っても、それがどの程度か分からないし。私たちのことなのに、私たちは全然知らないんだよね」
自嘲的に笑ったシエラに、クラウドは今度は思い切り拳骨を落とした。痛みに声を上げると、不機嫌な雰囲気を纏ったクラウドがこちらを睨んでいる。
「ウジウジ言ってんじゃねぇよ。お前らしくねぇ。大体、今俺たちは“知る”ためにここにいるんだろ」
その一言に、シエラは目を見開く。そうだ、そうだった。その為に今ここにいるのだ。本質を見失っていたシエラは、クラウドに小さく笑いかける。ぎょっとされたけれど、この際それは目を瞑っておいてやる。
「ありがと」
小さく礼を述べると、クラウドは頬を赤く染めて顔を逸らしてしまった。そんな反応をされると何だかシエラまで気恥ずかしい。けれど、不思議と嫌悪感はしない。
「シエラ、クラウドさん」
「え?」
「これから館長にお会いして、特別に資料を見てもらうんですから。しゃきっとして下さいね」
二人だけで会話してせいか全く回りが見えていなかった。いつの間にかカウンター前にいたシエラ達は、司書の一人であるらしい女性に誘導されて奥の部屋へと進んでいく。狭い廊下に入る扉には「関係者以外立ち入り禁止」の立て札があり、シエラは少しばかり緊張する。あまりこういう裏方だけの場所に入ったことがないせいか、余計に好奇心や興味がそそられてしまう。
暫く廊下を真っ直ぐに進んでいくと、一番奥にある「館長室」と書かれた部屋へと通された。中に入ると、きちんと整理された戸棚にびっしりと詰まったファイルや書類が目に付いた。
「ようこそお越し下さいました」
部屋の上座にいた男性はシエラ達を見ると椅子から立ち上がり、腰を折る。それに倣って答礼すると、シエラは思わず声を上げた。
「さっきの……ッ!」
そこにいたのは、図書館に入ったシエラに最初に声をかけてきたあの老人だった。
「そうでしたか。お嬢さんは適合者の一人でしたか」
「そうですけど。え、なんで知って……」
「女王陛下直々のご命令ですから」
「……?」
館長の話によれば先ほど城から適合者が来るから、求められた資料は如何なるものであろうと開示せよ。との達しがあったらしい。確かに城を出るときに行く場所を使用人に伝えたし、あまりおかしな話ではない。
「申し遅れました。私は館長のドルイドと申します」
老人は改めて頭を下げると、シエラ達にソファに腰を下ろすように勧めてきた。むこうもこちらの目的は分かっているのだから、あまり長い説明はいらないだろう。ウエーバーが手短に用件を話すと、ドルイドは困ったように髭を撫でた。
「……実は、ですね。資料庫の鍵が先日から見当たらないのです。ずっとこちらで探してはいるのですが」
「はぁ!?」
鍵がないとなると、中にある資料を見ることができない。シエラが声を上げると、ドルイドは申し訳なさそうにへこへこと頭を下げる。別に絶対資料を見なければいけないわけではないが、それでもできるだけ多くの情報が欲しい。一体どうしようかと頭を悩ませていると、バイソンが手を打った。
「ならよ、俺たちも探すのを手伝えばいいじゃねぇか」
そう言うと、ドルイドは酷く慌てる。
「いくら適合者様といえば、関係者ではない方にうろつかれるのはちょっと……。他にも大事な資料が幾つもありますし、もしもの事を考えると……」
言っている事は最もだが、こちらにだって都合というものはある。すると、ドルイドは眉根を寄せたまま「では皆様が他の本を閲覧している間に、こちらで探します。申し訳ありませんが、それで見つからなければ、本日は諦めていただきたい」とそう言った。おかしな対応だとは思ったのもの、誰もそれを口にはしない。シエラ達は渋々館長室を後にすると、閲覧コーナーへと足を運ぶ。
「……妙だな」
「妙ですね」
そしてユファとウエーバーは口を揃えてそう呟くと、怪訝そうな顔で後ろを振り返った。
「鍵をなくすだなんて、どうにもきな臭いですね」
「それ以前に、今の対応。……なってないな」
「え、えーと二人とも?」
シエラは二人に苦笑いを漏らす。確かにそれは思ったことだから間違ってはいないのだが、どうにも何かが違うような気がしてしまう。
――なんていうのかなぁ。あ、言葉のチョイス?
一人で納得していると、他の五人はシエラを置いて閲覧コーナーに散ろうとしていた。
「うわ酷い」
その展開おかしくない? 思わず呟いていたが、誰もそれに反応してくれない。
「きゅーん」
「ありがとねイヴ」
シエラが頭を撫でてやると、イヴは嬉しそうに頭を摺り寄せてくる。やはりイヴには癒しの効果がある。柔らかく手触りのいい毛並みはそれだけで心を潤してくれる。シエラは適当に通路を歩きながら本を眺める。元々あまり本を読んだりする事をしないからか、ここは少々息苦しい。びっしりと詰まった棚を眺めていると、ふとある本が目に付いた。思わず手にとってしまったシエラは、改めてその本の題名を見る。『各国独自の法律』と描かれた何の変哲もない茶色い表紙を眺めてから、シエラはぱらぱらとページを捲る。
――ふーん。こんな本あるんだ。
何の気なしに捲っていると、ナルダンの章と書かれたページに辿り着く。
――ナルダン。……クラウドか。ちょっと読んでみよう。
面白半分でページを捲る。最初にあったのは魔物に関しての法律だった。八大国の中で最もマヨクワードゥに近いため、頻繁に魔物が沿岸部にやってくる騎士の国ナルダン。ナルダンでは「召還鏡」と呼ばれる特別な魔道具を、全ての国民が持つ事を義務付けられている。
――そういえばクラウドからも聞いたな。
一般国民は魔物を殺処分することは許可されておらず、召還鏡でマヨクワードゥへと召還する事のみ可能である。また、国家構成員も一部の特例を除き魔物を殺処分する事はできない。
――え、でもクラウド最初の時に、一体倒してたような気が……。
最初にシエラとクラウドが出会ったとき、魔物が魔物を召喚して戦っていた。そしてクラウドは確かに主人である方の魔物は殺しはせずに召還鏡で送り還したものの、僕の魔物は切り伏せていた。
――じゃぁ、あの魔物は特例に入るって事?
シエラは首を傾げながらも、とりあえず後でクラウドに聞いてみようと他に何かないかとページを捲った。次いで開いたのはガイバーの章。ラミーナの母国だ。早速読んでみると、そこに書いてあったのは寒気のするような法律だった。身内から国賊が出た場合、その家族及び親戚の誰かの手によりその者を捕縛しなければならない。シエラはこの一文に衝撃を受けた。恐る恐る続きを読む。捕縛が叶わない場合はその場で対象人物を殺める事。また十年以内に捕縛及び実刑を完了しなかった場合、その親族は全ておとり潰しとなる。
――何よ、これ。ようするに自分の家族を殺せっていうこと?
シエラは恐ろしくなってその本を勢いよく閉じると、元あった場所にすぐさま戻した。ラミーナもあんな法律の中で生きているという事なのか。別にラミーナが国賊になりえるかどうかの問題ではなく、ただ単純に怖いのだ。ロベルティーナにはナルダンのような法律もなければ、ガイバーのような法律もない。
ただ勿論罪を犯せば警察隊によって逮捕されるし、その後検察隊と司法部署によって裁判にかけられる。どちらかといえば八大国の中でも犯罪は少ない方でもあるし、自然も多い。ロベルティーナは色彩の国とも呼ばれ、本当に今更ながら良い国なのだ。決してナルダンやガイバーが悪い国と思っているわけではないし、今までに一度も行った事がないから判断のしようもない。
――だけど、あんまりだよ。
家族が家族を殺す。そんな事想像もできないし、本当なら想像さえもしたくない事だ。重苦しい気持ちを払おうとシエラは別の棚へと移動する。もっと何か楽しい本はないのだろうか。
「きゅーん……」
するとイヴが小さく鳴いてから、シエラの肩からぴょんっと飛び降りる。通路を走って行ってしまい、シエラは慌てて後を追う。
「イヴ!?」
周りにも一応一般の利用者がいるため小さく名を呼ぶものの、イヴは縦横無尽に棚の間の通路を駆け回っている。一体どうしたというのだろうか。普段のイヴとは違い今は何だか落ち着きがない。
「あ……」
シエラが視線をイヴから持ち上げると、目の前にはクラウドがいた。彼はシエラとイヴの事を怪訝そうな目で見ており、シエラは少しばかり引け目を感じる。
「えと、その」
「はぁ」
シエラが言い訳を言う前に溜め息を吐かれてしまい、思わず頭にきた。クラウドの頬を思い切りつねってやると、彼は不機嫌そうに眉間に深い皺を刻み、そしてお返しとばかりにシエラの頭を叩く。
「いたっ」
シエラがびっくりして手を離すと、クラウドはそっぽを向いて本へと視線を戻してしまう。その反応がつまらなくて、シエラはまたクラウドへと手を伸ばしたが、今度は頬をつねる前に叩き落とされてしまった。
――ていうか、なんで私はこんな構って欲しいみたいな事をしてんだ!?
シエラは改めて状況を振り返って恥ずかしくなる。別にクラウドに構って欲しい訳ではないし、自分は生憎そんな可愛らしい一面など持っていないはずだ。
「おい」
すると、なんとクラウドからシエラに声をかけてきた。渋々視線を持ち上げて彼の顔を見ると、相変わらずの仏頂面がそこにはある。
「いいのか?」
「は?」
「だから、あいつの事だよ」
「げっ!」
クラウドが指差した先には、未だに駆け回っているイヴがいた。しかも何だか他の利用者――特にシエラと同じ若い女性――に囲まれて可愛がられている。困った。こういう時の対処法を残念ながらシエラは持ち合わせていない。ウエーバーいないかな、と思いながら辺りを見回してみるが、見えるのは女性に囲まれたイヴと仏頂面のクラウドだけだった。
「……はぁ」
「今俺の顔見て溜め息吐いただろ」
「自意識過剰なんじゃない?」
「おいこらそう言いつつ目を逸らすな」
シエラはもう一度溜め息を吐くと、話しを逸らすように先ほどの法律の事をクラウドに訊ねた。案の定、「なんだ急に」と驚きと哀れみの目――きっと頭大丈夫か、とかそんな事なんだろう――で見てきたので、シエラは今度こそ本当に本気で頬をつねってやった。
「私は今真面目に聞いてるの」
「ったく、悪かった。……それで、召喚についてだったな。簡単にいえば契約獣の場合は殺処分しても構わないって事だ」
クラウドは赤くなった頬を軽く擦りながら答える。だがしかしここにきてまた新たな知らぬ単語が飛び出してきた。クラウドもそれを察してくれたのか、すぐに「契約獣ってのは、魔物なのに魔物に使役されちまってる魔物のことだ」と補足説明を入れてくれる。
「契約獣は自分よりも格上の魔物の魔力と血を与えられるから、すぐに自我が無くなる。だから仕方なしの殺処分が許可されているんだ」
「そうなんだ。じゃぁ、その使役の契約を解いても自我は戻らないってこと?」
聞き返せば、クラウドは哀しげな表情で頷いた。何だかとても可哀相な話だ。人間も一部の魔物と契約したりする事がある為、あまり一方的に悪く言えないけれど、魔物の中にも色々と複雑な事情がありそうだ。シエラが考え込んでいると、クラウドが優しく肩を叩いてきた。表情はいつも通りの眉間に皺の寄った仏頂面だったけれど。
「あんまりお前が深く考えても、仕方ねぇんだぞ」
それはそうだけれど。でも、何だか知ってしまえば思うところの一つや二つはあるわけで。シエラが言い募ろうとすると、クラウドは拳骨――ラミーナのものに比べれば多少は優しい――を一発、脳天に叩き落した。
「ったぁぁ!!」
痛みに思わず大きな声を上げてしまい、シエラはすぐさま口を塞ぐ。じろりとクラウドを睨みつけたが鼻で笑われてしまった。
「ったく、無い脳味噌使って考える事じゃねぇんだよ」
「うっさいなぁもう! 分かったよ、考えません! はい、これでいいでしょ」
シエラが肩から力を抜くと、クラウドは険しい表情を少しだけ緩める。最近どうにも感傷的になりやすい。そういう時期なのか、とも思って流されるまま感傷的になっていたが、どうやらそれではいけないらしい。いけないというよりは、考えても仕方ないから考えるな、といったところだろうか。散々らしくないらしくない、と自覚していたはずなのに、改めてクラウドに釘を刺されると少し気落ちする。
「だから、下らない事に脳味噌使うんじゃねぇよ」
一体どこが下らないのか。そう思ってクラウドの事を睨みつけると、彼は大仰に溜め息を吐いてシエラの事を睨み返してきた。
「……ちょっと。基礎眼力が違うんだからそんなに睨まないでよ」
「基礎眼力って何だ。……ったく、一々考えて気にしてたって前に進めないだろ」
ぶっきらぼうな言葉だったけれど、最後の方は彼なりの優しさが滲んでいた。クラウドからの素直な優しい言葉など今までに聞いた事がない。こうも優しいと何だか調子が狂ってしまいそうだ。それに。
「なんかさ、今日のクラウドってよく喋るね」
「あ?」
幾分か、普段の彼よりも饒舌な気がする。今度はクラウドがシエラに問いかけようと口を開いたが、「お、クラウドこんなとこにいたのか」
とひょっこりと顔を出したバイソンに邪魔されてしまった。
「なぁちょっとこっちこいよ」
「ちょ、おい……ッ!」
抵抗むなしく、クラウドはバイソンに引きずられてどこかへと消えて行った。置いていかれたシエラは暫くぽかんと口を開けていたが、はっと我に返り頭をすっきりさせようと大きく息を吸う。ふと視線を本棚に向けると、そこには先ほどまでクラウドが目を通していたであろう本が置いてあった。
「円卓の騎士たち」と書かれた本は随分と古いものだからか、表紙もボロボロでページも幾つか破れてしまっていた。適当に流し読みしていると、どうやらこの本に書かれているのは抜きん出て功績を納めたナルダンの騎士達らしく、使用していた剣の絵なんかも載っている。剣士として誇りを持っているクラウドの事だから、きっと彼にとってこの本に載っている人物たちは憧れなんだろう。
――向上心とか凄そうだしなぁ。
いつも暇さえあれば剣の手入れをし、人知れず鍛錬を積み重ねているのが彼だ。本を戻してから何か他に面白そうなものは無いか視線を彷徨わせる。すると、右の棚に「世界の混浴事情」と書かれた少し大きめの本が置いてあり、シエラはあのマフィオの宿屋を思い出した。
――世界って事は他にもあぁいう宿があるってこと、だよね……。
今後の旅でもうあんな体験だけは御免だ。シエラは情報を仕入れる意味で、と自分を納得させてから本に手を伸ばす。どうやら近年では男女の出会いの場として、小国を中心に混浴が流行っているらしい。シエラとしてはそんな事をしたら羞恥心で死ねる気がするので、絶対に遠慮したい。そしてその小国での風潮が少しずつ大国にも入ってきているとのこと。シエラは小さく「入ってくんな」と呟いてしまい、脱力してから本を戻した。
それからまた視線を彷徨わせると、今度は向かいの棚に「男尊女卑~忘れてはいけない歴史~」という本を見つけた。男尊女卑。シエラはページを捲った。男尊女卑というものは昔、今から約五百年ほど前。ロディーラにおいて魔法がまだ完全に普及していなかった時代。魔法を使用できるのが、女性よりも男性の方が圧倒的に多かったため生まれた格差である。社会的地位では絶対に男性に勝てない女性は、その残り少ない椅子を争って女性同士での揉め事が増えたそうな。男性の前では媚びへつらい、相手が同性となれば蹴落とし辱めた。
尚今現在も名残としてこれは全国各地に残っており、今後我々は性的にも社会的にも格差を無くしていかなければならない。本の内容は要約するとこんな感じだった。実例などが載っていたがあえて飛ばし飛ばしにして読まなかった。読んでしまったら、またきっと感傷的に考えてしまう。
シエラは本を戻してから、覚束ない足取りで先ほどまでイヴがいた辺りに向かって歩き出す。しかしそこにイヴの姿は無く、代わりに近くの椅子に金髪の青年が座っていた。さらさらの腰まで辺りある髪に、二重の碧眼、透き通るような白い肌。まるで女性のようで、シエラは暫しの間見惚れてしまう。サーモンピンクのロングコートに、首元と手首には真っ白なファーがついており、耳には赤いピアスをしている。すると、その青年が顔を上げてシエラの事を見てきた。
「っ!」
驚いて反応できなかったが、しっかりと目が合ってしまった。彼はにこりと微笑むと椅子から立ち上がり、シエラの元へと歩み寄ってくる。背も高くスタイルも良い。背丈はほぼクラウドと同じぐらいなので、少し見上げる形になった。
「あの子、もしかして君のペット?」
「え?」
そう言って青年が先ほどまで座っていた椅子を指差した。シエラはそれを目で追いかけると、そこにはすやすやと眠ったイヴがいた。
「イヴ!」
思わず駆け寄ると、イヴの耳がぴくんと反応しぱっちりと目があいた。
「きゅーん」
イヴは飛び起きると思い切りシエラの肩にまでジャンプしてきた。シエラはそれを受け止めると、その心地の良い毛並みに顔を埋める。
「いなくなったかと思ったぁ……」
実際今まで何度もいなくなっていて、その度に無事に戻ってきているのでさほど心配はいらないのだが。流石に公共の場でいなくなったとなると心配になる。
「良かったね」
「あの、ありがとうございます」
シエラが頭を下げると、青年は優しく笑って「少しでもお役に立てたなら何よりだよ」とイヴの頭を優しく撫でた。何だか軟派な雰囲気を持つ青年だが、悪い人ではないらしい。イヴも大人しく撫でられている。
青年が両耳につけている、きらりと光る赤いピアスをシエラが眺めていると、彼は髪を耳にかけて悪戯っぽく笑った。
「気になった?」
「その、綺麗だなぁって」
ピアスなど今まで一度もつけた事のないシエラは、不躾だと分かりつつも凝視してしまった。
――ていうか、痛くないのかな。
ピアスはたいてい耳に穴を開けるものが多いと聞いた。傍目ではあまりそうは感じないけれど、なんとなく開けた時の事を想像してみる。
――あー、無理だな。痛い、絶対痛い。
ていうかどうやって耳に穴開けるんだ。シエラが一人で云々と唸っていると、青年は困ったようにイヴから手を離しシエラから距離を取る。
「それじゃ、俺はこれで」
「あ、あぁ。ありがとうございました」
改めてシエラが頭を下げると、青年は手を振って差って行った。
――なんか、変な人だったなぁ。
なんというか掴み所がない。初対面の相手に対して失礼な事を考えながら、シエラはイヴを抱っこしながらクラウド達を探してまたふらふらと歩き出す。
「あ」
棚を七つほど移動したところ、丁度図書館の入り口から直線上にある椅子にクラウド立ちはいた。なにやらバイソンと話し込んでいる。
――珍しい組み合わせだな。
邪魔をするのも悪いと思いシエラが逡巡していると、視界の端をあるものが過ぎり、怪訝そうに目を顰めるのだった。




