一
「――……そう、だったんですか」
すぐ近くで聞こえた落胆と驚愕の声に、シエラは覚醒しきれていない意識を無理矢理たたき起こした。視線をゆっくりと下に向けて首をもたげれば、そこには憔悴した顔のウエーバーが壁に凭れかかっていた。
「随分と、意地の悪いことをするんですね」
力なく笑う姿が、下げた目尻が、何だかひどく哀しげで、シエラは頭を擦りながら身体を起こす。辺りを見回せば、ランプで照らされた部屋は柔らかな橙色に染まっており、手触りの良い高級感溢れるベッドや鏡台やカーテンが目に付いた。そのベッドにはラミーナやクラウド、ユファ、バイソンが横たわっており、穏やかな寝息を立てている。シエラが今まで寝かされていたベッドも同様に高級で、仲間の姿を見て安堵すると共に慌ててベッドから飛び降りた。
「シエラ? 起きたんですか。良かった」
柔らかな声に弾かれて視線をウエーバーに戻せば、彼はふわりと可憐に微笑む。
「……ウエーバー、ここって?」
シエラがそれだけ訊ねると、ウエーバーはふいと視線を逸らし窓際まで歩いていくと、遮光していたカーテンを勢いよく開けた。
「ここはフランズ。ディアナの王城です」
「うっそ!?」
シエラはウエーバーのいる窓際までふらつきながらも駆け寄る。外の景色は、確かにフランズに入る前に見たものと酷似している。活気に溢れている街並みと、どこまでも高く広がっている空は紛れもない本物だ。
「二日間、シエラは眠っていたんですよ。僕も目覚めたのはついさっきで……」
「二日も!? ていうか、なんでここに!?」
「フランズに入る前に、僕達は気を失ったみたいです。ですが幸運なことに、門番の方々が僕を知っていたらしくここまで運んでくれたんですよ」
シエラはへにゃりと床に座り込む。全く状況が整理できない。寝起きで上手く頭が働かないのもあるが、それよりもルイスの事やクラウド達のことが気になって仕方がないのだ。
「そういえば、女王様への謁見は!?」
「大丈夫です。全員目覚めてから、またゆっくりと。それよりもシエラ、身体は大丈夫ですか?」
「う、うん。別にどこも問題ないっぽい。ウエーバーは?」
「僕も大丈夫です。薬も即効性ですぐに消えるものだったみたいです。薬師の方が仰ってました」
シエラは安堵の溜め息を吐くと、ゆっくりと立ち上がって窓の外へと視線を向ける。太陽の位置をみれば丁度南中している頃で、隣にいるウエーバーも今は穏やかだ。
「……そういえば、さっき何か言ってたみたいだけど?」
首を傾げてみれば、ウエーバーは「聞いてたんですか」と苦笑いを漏らす。小さく謝罪すれば彼は大きな愛らしい双眸をすっと細めて、窓の外へと視線をはしらせた。
「皆さんが起きたらきちんと話します。それより、ここに最後の適合者はいるんでしょうか」
「分かんない。けど、ユファの話を聞く限りだと、あの女の人が動いてるみたいだし。それに……」
シエラはそっと自分の胸に手を当てた。とくん、とくん、と静かに脈打つ自分の心臓と共に感じるのは、温かな宝玉の鼓動だ。宝玉は絆の象徴だと、神の使いである女性が言っていた。宝玉によって集い、適合者という繋がりを持つ。
「信じてみようよ」
そう、信じるしかないのだ。シエラがにっと笑ってみせると、ウエーバーも「そうですね」と微笑んだ。
ウエーバーと暫く景色を眺めていたシエラだったが、後ろから聞こえた唸り声に振り向いた。クラウドとラミーナがベッドから身体を起こして、唖然とした表情でこちらを見ている。
「クラウド! ラミーナ!」
シエラは二人の姿を確認すると、ウエーバーと顔を見合わせる。
「……んだよ、起き抜けに騒ぐんじゃねー」
「ふあぁあ。ちょっと、あんまりジロジロ見ないでよね。特にウエーバー」
いつも通りの二人に思わずシエラとウエーバーは笑みを漏らす。ウエーバーとラミーナのぎくしゃくした雰囲気もいつの間にか無くなっていた。
「……ん」
ラミーナの隣で眠っていたユファも意識が浮上してきたのか、小さく声を漏らして、ぱっちりと目を開けた。
「おはようございます。って、今はお昼ですけどね」
ウエーバーがぺこりと一礼すると、それにつられてユファもゆっくりと頭を下げる。まだ頭が働かないのか、目がとろんとしているユファからはいつものキレの良さが窺えない。その普段とのギャップに思わず笑みが漏れた。
また暫くすれば最後にバイソンが目を覚まし、これでやっと次のステップに進める。シエラ達は部屋に備え付けであったバスルームでそれぞれ順番に身支度を整えると――勿論一番最初に使ったのはラミーナだ――、ウエーバーから話しを聞くことになった。
「……まず、魔法陣で移動した僕達は、フランズの入り口に辿り着きました。そこで僕達は全員意識を飛ばしたようです」
「我ながら情けないわね」
「……右に同じく」
ラミーナとユファも眉間に皺を寄せている。いくら疲れてたとはいえ、今まで宿に着く前に気絶するなんてことは一度もなかった。今回のことは、色々な意味で心に刻まれる事だろう。
「それで、ですね。さっきシエラには言ったんですけど、門番の方が僕を知っていたみたいでここまで運んでくださったんです」
しかし心なしかウエーバーの顔は暗い。恐らく、ここから本題が始まる。ゆっくりと息を吸い込んだウエーバーは、真剣な眼差しで全員の顔を見回す。
「……落ち着いて、聞いて下さい。今回のルイスさんや盗賊団のことは全て、女王様の戯れだったんです」
その瞬間、空気が固まった。シエラは口を半開きに、クラウドは眉間に深い皺を刻み、ラミーナは顔を引きつらせ、バイソンは大きく目を見開き、ユファは口を真一文字に引き結んだ。
「どういう事よ、それ」
ラミーナの非難するような声音に、ウエーバーは申し訳なさそうに続きを語る。
「盗賊団に偽の情報を流したんですよ。だからあんな昼間から僕達は遭遇したってわけです」
「それでは、国は盗賊団の存在を黙認していたのか?」
ユファの鋭い指摘に、ウエーバーは悔しそうに、苦しそうに顔をを歪めてから首を横に振る。
「居場所や詳細はつい最近分かったらしいんですけどね。狡猾な計画的犯行には警察隊も手を焼いていたそうで。……それで、陛下は一計をめぐらせたわけです」
シエラはだからウエーバーが「意地の悪いことを」とぼやいていたのか、と納得してしまった。しかし、まだ今の説明では不十分だ。
「……でも、私たちがあそこにいるって分かってないと出来ないじゃん。国は私たちの旅に干渉できないんでしょ?」
シエラの言葉に反応したのはウエーバーではなく、ユファだった。
「それは違う。私たちは常に監視されている。何せ私たちが死ねば世界は確実に滅ぶのだからな。……干渉しないというのは、旅そのものではなく、日々の積み重ねへだ」
「もっと噛み砕いて言うと?」
「私たちは、私たちだけで旅をしているわけではない、ということだ」
それはつまり責任であり、自由の剥奪ともいえる。シエラはウエーバーに視線を送り、とにかく全て話しを聞くことにした。
「それで、ですね。陛下のお考えは僕にも図りかねますが、とにかく盗賊団を僕達に任せたというわけです。警察隊の方々も、上層部だけですが作戦として話は聞いていたそうです。空間転移の魔法陣を盗賊団が使うことも知ったうえで、陛下は計画をお立てになったわけです」
どこか諦めたように話すウエーバーに、シエラは沸々と湧いてくる怒りのようなものを抑え込むのに精一杯だった。決してウエーバーに怒っているわけではない。けれど上手く言葉に表現できない何かを、シエラは強く強く感じている。
「……つまり、俺たちははめられたって事だろ」
やっと口を開いたバイソンからは、擦れたような言葉と共にやるせない感情がありありと伝わってくる。クラウドはクラウドで何かを考え込んでおり、空気がどんどん重くなっていく。これは理不尽な権力の暴力なのか。シエラはやるせなさと込めた拳を握ったまますっと立ち上がった。
「ウエーバー。謁見しよう。女王様に会って確かめようよ。一体何の意図があったのか。だって王様でしょ。ちゃんと考えがあったからそうしたんでしょ。本当に戯れだけでこんな事、するわけないでしょ」
シエラはディアナ女王の事は良く知らないし、王様という地位の人間の気持ちも分からない。ウエーバーよりもクラウドよりもラミーナもよりもユファよりもバイソンよりも世の中を知らない。
知らないからこそ、知りたいと強く思えるのだ。シエラの突然の行動にウエーバー達は目を剥いたが、それぞれすぐに笑みを漏らした。そしてシエラ同様立ち上がると、力強い表情でシエラに真っ直ぐ向き合ってくれる。
「やってみる価値はあるな」
「まぁ、謁見は面倒だけどね」
「やっぱシエラっておもしれぇよな」
「悲観するにはまだ早いという事か」
仲間の言葉に、シエラは胸の奥が温かくなるのを感じた。本当に頼もしい。きっと一人ではできない事だ。けれど、傍にいてくれるというのはこれほどまで力強く、そして安らげる。
「分かりました。……行きましょう」
「いいのか? いきなり行っても謁見なんて……」
「出来ますよ。これでも、僕は“忠犬”で通ってますから」
自嘲的に笑ったウエーバーとその言葉の真意に首を傾げながら、シエラ達は部屋を後にした。昼間だというのに城の廊下は薄暗く、窓一つないためか息苦しさを感じてしまう。カーブしている廊下を暫く進むと、大きなホールのような場所に辿り着く。天井には巨大なシャンデリアが輝きを放ちながらその存在を誇示していた。そのホールの奥にある二つの螺旋階段のうち、右側にある方へとウエーバーは歩み寄っていく。
「皆さん、ここから見たものは絶対に口外しないで下さいね」
螺旋階段を上りながら神妙な顔つきでそう言ったウエーバーに深く頷く。階段は思いのほか長く、上りきった頃には息が上がっていた。開けた場所に出ると、そこには重々しい扉が一つあるだけだった。そこを開ければ外に繋がっており、塔と塔を繋ぐ幅が数メートルある石橋がある。
「一気に渡りますよ。さぁ、走って!」
弾かれるように走り出すが、そこは上空何十、何百メートルという場所だ。シエラは極力ウエーバーの背中と前方以外は見ないようにしながら、全力疾走で橋を渡りきる。
「こ、怖かったぁ……」
シエラは僅かに震えている身体をきつく抱き締め、ほっと息を吐く。風が容赦なく吹きつけているため、一歩でも間違えばいくら石橋とはいえ真っ逆さまに落ちてしまう。そして分厚い鉄の扉を開きその中に入ると、そこは何もない真っ暗な空間だった。
「ウエーバー?」
ここからどう女王のいる場所へと行くのだろう。シエラが視線を向けると、彼は部屋の中央に移動してから大きく手を振り翳した。
「少し、離れていて下さい」
そう言うとウエーバーは深く息を吸い込んで、小さな声で詠唱を始める。歌うように言霊を紡ぐその姿は、とても若干十四歳の少年には見えない。シエラ達は黙ってウエーバーの詠唱を聞いている。
「……これって」
ラミーナの呟きに、シエラは辺りの異変に気づく。ぐにゃりと空間が歪んでいくと思ったら、物凄い強い力に引っ張られた。床に縫い付けられたように身体が動かず、一瞬だが呼吸が出来なくなった。一体何が起こったのか、シエラは全く理解できない。ただ目の前の景色が大きく変貌していた、という事だけは分かる。真っ暗な空間ではなく、煌びやかなシャンデリアがそこには存在しており、視線を上に向ければ、口元に微笑を湛えた美女が座していた。
「女王陛下、突然失礼致しました」
「構わぬ。それより、もっとそなた達の顔が見たい。近う寄れ」
呆気に取られているシエラ達を他所に、ウエーバーとその美女は会話を繰り広げている。しかも今ウエーバーは何と言ったのか。
「ちょ、ちょっと待ってよウエーバー……」
幾分か唐突ではないだろうか。シエラは戸惑いを隠せない。もう少し言っておいてくれれば心の準備も出来る。ついそう文句を言いたくなったシエラだったが、流石にこの空気でそれは言えない。すると、部屋の奥、豪奢な椅子に座しているディアナ女王陛下その人は実に楽しそうに笑い声を上げた。
「そなたがロベルティーナの適合者か! なるほどなるほど。ウエーバー、本当にそなたは愉快な面々に出会ったな」
女王に恭しく一礼したウエーバーに、疑問符を浮かべるシエラ達だったが、すぐにぱっと顔を上げてディアナ女王を見つめた。
「女王陛下。この度は……」
「よいよい。堅苦しいのは無しじゃ。それよりも、そなた達、わらわに聞きたい事があるのじゃろう?」
ラミーナが挨拶しようとしたところで、女王はあっけらかんとそう言い放ち、にやりと双眸を細める。緩やかに波打つ紫紺の髪と、紅い唇がその表情と合わさってとても妖艶だ。シエラ達は顔を見合わせ、暫し逡巡する。確かに言いたい事はある。しかし幾らなんでも不躾ではないか、非礼ではないか、そう言う一般的思考が頭を痛めた。ウエーバーさえ言い淀んでいるが、その時クラウドが口火を切った。
「今回の盗賊団の一件に関して、陛下の真意をお教え願いたい」
ディアナ女王も、シエラ達も、まさかクラウドが先陣を切るとは思っていなかったため大きく目を見張った。
「ふむ、ナルダンの適合者か。……真意と言うならばただそなた達の実力が知りたかっただけじゃ。今や世界は危機的状況に陥っているが、それでも犯罪は増加の一途を辿っておる。そんな中、英雄となるそなた達の絆が、今やどれほどのものか、わらわはそれを推し量りたかった」
至極まっとうな意見に、思わずシエラ達は緊張の糸を緩める。戯れなどとウエーバーが言うものだから、もしかしたら笑い飛ばされてしまうかもしれないと思っていた。やはり王となる器を持っていたのだ。そうシエラが安心したのも束の間。
「……ただ、やはりやるからには面白い方が良かろう。少しぐらいのハプニングというものは旅にはつきものじゃからな」
――はい……?
その一言に、シエラは目の前で笑う美女に何ともいえない憤りを感じた。あんたが面白くても苦労するのはこっちなんだけど。そう言えたらよかったが、何しろ相手は女王陛下だ。ここで無礼なことをしたらきっと後で首が飛ぶ。けれど表情に出てしまっていたのか、ディアナ女王はシエラを見て愉快そうに「不満そうじゃな」と口元を歪めた。
「そ、そんな事は……」
あははと無理矢理乾いた笑いを漏らす。
「ふむ。ではそんなそなた達に、機会を一つ与えようか」
「機会、と仰いますと?」
「ウエーバーよ、そこにある鏡を持って参れ」
首を傾げたウエーバーに、女王は彼のすぐ後ろにある少し大きな丸い鏡を指差した。壁にかけられたそれは人の顔ほどの大きさがあり、縁は金で装飾されている。ウエーバーは鏡をゆっくりと壁から取ると、慎重に女王の元へとそれを運んだ。
「なぁに、少しばかりの戯れじゃ」
シエラ達は互いに顔を見合わせる。一体あれで何をしようというのだろうか。先ほどからディアナ女王の意図は全く読み取れない。しかし彼女はお構いなしに鏡に詠唱すると、くるりとそれをシエラ達に見せてきた。鏡の中に映っていたのはシエラ達ではなく、あのルイスだった。
「これは一体……」
薄暗い部屋――恐らく牢屋だろう――で、ルイスは全身に白い布を巻かれて地べたに座っていた。布には無数の魔法陣と魔術式が描かれており、その隙間から見える目と口が、その不気味さを際立たせている。ルイスは虚ろな瞳を上向かせると、にぃと微笑む。シエラは全身に鳥肌が立つのを感じながら、震えそうな唇を噛み締めた。
「……こやつの名はルイス=デイサ。数年前から八大国で盗賊団の頭として、非道の限りを尽くしてきたのじゃ」
ディアナ女王は恨めしそうに鏡を持つ手に力を込める。そしてシエラ達に視線を向けて「ほれ、言いたい事があるなら言うてみぃ」と不敵に笑った。シエラが戸惑っていると、ユファが一歩前に出ておもむろに短刀を取り出した。
「では、恐れながら失礼します。……あんた、この短刀はどういう事だ」
そう言ってくるりと柄の部分を裏返す。ユファが見せたのは護身用の魔法陣が描かれていた、あの短刀だった。ルイスはそれを一瞥すると、心底どうでも良さそうに溜め息を吐いてから口角を上げる。
「どうしたもこうしたも、余興でやっただけですよ。おっかしいですよね? 護身のためのナイフなのに、なーんの役にも立ちはしないんですから。ほんっとあれは傑作だったなぁ。泣きながら殺さないでくれと頼んできて」
「……ふざけるな」
ルイスの言葉に、クラウドとユファの口から静かな怒りが溢れ出てきた。鋭い二つの眼光に睨みつけられても、ルイスのその歪んだ口元だけはそのままだ。
「あんたが奪った命がどれほど重かったのか。……あんたは考えた事があるのか」
ユファの言葉にルイスは少し考える素振りを見せてから、あっけらかんと「あるわけないでしょう」と言い放った。
「大体、そんな事考えてたら盗賊なんてやりませんよ。生きることにこっちだって精一杯なんですから」
確かにそれはその通りなのかもしれないが。
――それでも、許せない。
シエラは人間として目の前にいる男の頭を疑った。頭というよりは精神状態の方だったけれど、何にしてもおかしな話だ。 奪われた側の心はどうなる。報われないまま消えて言った命と、その心はどこに行けばいい。できることならばあの男を一発殴ってやりたい。シエラが拳を握っていると、ルイスは視線をゆらりと動かしてからぽつりと呟いた。
「あなたは、魔力を疎んでいましたね」
「……うん、大嫌いだよ」
「私もね、自分の有り余る魔力が疎ましくて仕方ありませんでしたよ。……ロディーラにおいて、魔力ほど疎ましいものはないと、そう思っていました」
その気持ちは、シエラにとっては痛いほどよく分かる。ロディーラという世界が魔法を中心にすればするほど、魔力というものは重要視されまた疎まれる。それは魔法を使う上で魔力が必要な限り、シエラに、膨大な魔力を有する者に、常に付き纏う問題だ。
「だから私はね、この大嫌いな魔力で大嫌いな奴らを消してやったんです。八大国という恵まれた場所で育った奴らになど、私たちは虐げられるべき存在ではない」
深い怨嗟の念が吐き出されていく。しかしに反応したのはラミーナだった。
「どういう意味よ」
きつめに問い返せば、ルイスは口角を吊り上げたまま「私たち盗賊団は、元は皆小国の生まれなんですよ。身寄りのない孤児だった私たちは闇市場で売られ、商人によって八大国に連れてこられた」そう、自身の出自について語った。シエラからは想像もできないような世界が、そこには広がっていた。闇市場というものがどういったところか、知らないわけではない。しかしそんな世界とは無縁な場所で生きてきたのは事実で、開いた口が塞がらずに荒い呼吸が木霊する。
「魔力が強かった私はね、両親に売られたんですよ。馬鹿らしいですよねぇ。ほんの少し他人よりも魔力が強かった程度で。……あなたは、違うみたいですが」
「ッ!」
ルイスのシエラを見る目は、羨望というよりも怨みに近い。なんでお前は。そんな無言の圧力と攻撃には慣れていたはずだったのに、シエラは心が痛むのを感じた。今までの人生はシエラにとって本当に辛かった。ただ魔力が強く上手く魔法が扱えないだけで周りからは遠ざけられ、仲の良い友人もいない。ルイスの半生に比べたらなんてこと無いのかもしれない。けれど、そこにいたシエラは確かに痛みを感じていた。シエラが黙り込むと、ルイスは更に彼女を追い詰めようと全身を舐めるように見つめる。
「……その髪ゴムも。あなたは愛されてる証拠だ。私とは違う。魔力を抑える術式なんて、そんな超高等技術、私には施されなかった」
「え……?」
そう言われて、シエラは自分の髪を結んでいるバンドに近い髪ゴムに触れた。これは幼い頃からずっと肌身離さずに見につけてきたものだった。一体いつから持っているのか、誰に貰ったのか、それさえも忘れてしまうほどに、ずっと昔から持っている。ただこれは常に身に着けていなければいけない事だけは覚えている。
「他の誰もが気づかなくても、私には分かりますよ……ッ! 魔力に関することなら、魔法に関することなら、私は人一倍……ッ!!」
息巻くルイスに、シエラはある事に気がつく。
――あぁそうか。あなたは悲しかったのか。
親に見捨てられ、たった一人で寂しい思いを経験した。だから誰かに認められたくて、哀しくて悔しくて、人一倍努力して。シエラにはない強さがそこにはあった。ひどく歪んでしまっていたけれど、そこには確かに彼の強い思いがある。クラウド達も言葉が出ないのか、ずっと黙り込んでいる。
「……うるさいのぉ」
しかし、ただ一人ディアナ女王だけは違った。凍て付いた、冷淡な瞳で鏡の中にいるルイスを見下ろす。
「さっきから黙って聞いておればぎゃぁぎゃぁと。煩わしい。……そなたの行いは如何な理由とて許されはせん。そなたを極刑に処すこともわらわはいとわぬ」
それだけ言うと、ディアナ女王は思い切り鏡を床に叩きつけた。破片が飛び散り、鏡はもう何も映せない。
「……ウエーバー、今日はもう下がれ。そなた達も疲れを癒し、旅の支度をするが良い。部屋は既に用意しておる」
ディアナ女王はそれだけ言うと、殺気だった空気を纏ったまま奥へと引っ込んでしまった。その勢いでルイスを殺してしまわないかと、シエラはあまりの豹変に冷や汗を掻いた。結局その後シエラ達は部屋に戻り、謁見は唐突にはじまり唐突に終了した。
割り振られた部屋はシエラ達の女部屋と、クラウド達の男部屋の二部屋だった。先ほど寝かされていた部屋よりもどちらかといえば華美な装飾が多く、ベッドの質感も随分と心地よい。
「にしても、あんまりよく分かんなかったね」
「そうね。女王陛下も、噂通りに感情に起伏のある方だったし。……あのルイスって男も」
枕に顔を埋めながらシエラが呟くと、ラミーナが珍しく固い声音で返事を寄越す。
「……いずれにせよ、私たちは最後の適合者を見つけなければ」
窓の外の景色を眺めていたユファが、こちらを振り向く。もう外は真っ暗で月が空に昇っている。あまり長い時間謁見していたわけではないはずなのに、想いの他時間の進みというものは早いらしい。
シエラは枕から顔を上げると、神妙な面持ちのラミーナの横顔を見つめた。なんだか今になって、自分の周りは哀しみや寂しさで溢れてしまっているような気がしてくる。それは物事の一つの側面であるだけなのかもしれないが、今のシエラにはそれしか見えない。そっと髪ゴムに触れてみると、そこには確かな温もりがあったように思えて、シエラは枕に顔を埋める。
私は愛されている。
改めて実感したそれは何だかむず痒くて、それでいて胸の奥が切なくなるものだった。
「……どうした?」
シエラが黙り込んでいると、上からユファの優しい声が降ってくる。シエラは枕から顔を上げると、彼女の美しく澄んだ碧眼を見つめた。
「なんて、言うのかな。……複雑なんだよね」
ルイスという自分と同じ人間と出会い、けれど本質は全く違うという事実に打ちのめされた。自分に注がれている愛と憎悪と、今まで生きてきた世界がいかに幸福なものであったか。それを思い知らされた。上手い表現が見つからずに言葉を濁していたシエラに、ユファはベッドに腰を下ろすと優しく微笑んだ。
「無理に言葉にする必要はない。……シエラが、その経験から何かを学び、何かを掴んだのなら、それでいいのではないか?」
「ユファ……」
「思ったこと、感じたことはシエラだけのものだ。答えを見つけるのも、シエラだ」
すとん、とユファの言葉はシエラの中にしっかりとはまり、そして染み込んでいく。これほど楽な言葉に、シエラは今まで出会っただろうか。シエラの中にこれほど優しく馴染み、浸透していった言葉は、もしかしたら始めてなのかもしれない。シエラがユファの言葉を内心で反芻していると、そんな二人を見て、ラミーナが穏やかに微笑んでいた。
「なんだかんだで、あんた達は馬が合うのね」
シエラとユファは目を瞬かせてから、互いの顔を見合わせる。
「今のが馬が合う、という事なのか?」
「馬が合うってこういう事なの!?」
そして二人同時に、言葉こそ違えど同じ意味の事を言っていた。ラミーナは意表を突かれたようで、お腹を押さえてケラケラと笑っている。シエラとユファはぽかんと口を開けたまま、笑いこけているラミーナを凝視している。
「あんた達、面白いこと言うわねぇ」
「そう、かな? 寧ろラミーナの方が面白いと思うけど」
目尻を押さえているラミーナにシエラがきょとんとした表情のまま言うと、ユファも真面目な顔で大きく頷いた。
「ま、あんた達もまだ子供って事ね」
「えー、ラミーナだってまだ十九でしょ。私は十六だけどさ」
「そういえばユファって何歳?」
シエラがラミーナから視線を戻すと、彼女は穏やかな表情で「十八だ」と呟く。
「ラミーナと一つしか違わないんだ! ほら、一つしか違わないのにユファがラミーナより子供な訳ないじゃん」
シエラが笑ってそう指摘するものの、ラミーナは肩を竦めて呆れた表情を浮かべただけだった。
「きゅーん!」
そしてどこからかイヴの鳴き声が聞こえる。シエラ達は部屋を見回して、その姿を窓際に置いてある花瓶の陰に見つけると、顔を綻ばせた。
「ほら、イヴもその通りだって言ってるよ」
「あら、いつの間にあんたはイヴの言葉が分かるようになったのかしら?」
三人で笑い合っていると、イヴが身軽な動きでシエラ達のいるベッドまで駆けて来る。シエラの膝の上に一跳びすると、また愛くるしい鳴き声と共にシエラへと身を摺り寄せてきた。
「イヴは一番シエラに懐いているな」
「んー、そうかな」
シエラが頭を撫でてやると、イヴは嬉しそうに尻尾を大きく振る。
「さ、明日は図書館行くんだからね! もう寝なさいよ!」
「えー、まだご飯食べてないよ! お腹空いたし」
シエラが不満の声を上げると、ラミーナはぎこちない表情になった。まさか今まで自分たちがまだ何も食していない事を忘れていたわけではあるまい。シエラが怪訝そうな顔をすると、突然ぐぅ、と盛大な音が鳴り響く。
「あ、私か」
シエラは自分の腹に視線を向けると、少し頬を赤らめて頭を掻く。目覚めたのは昼頃だったがその後すぐに話し合いやら謁見やらで食べるものをまだ一口も胃に入れていない。するとタイミングよく部屋の扉がノック音の後に開かれ、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
「お食事をお持ちしました」
カートに乗った銀皿の数々にはどれも本当に美味しそうな料理ばかりがあり、シエラは目を輝かせる。
「ごゆっくりどうぞ」
支度をしてくれた給仕の女性が下がると、シエラ達は手を合わせて料理を口に運ぶ。テーブルの上に並べられた料理は見た目も美しいが、肉もとろけるように柔らかく、野菜は新鮮で歯ごたえがあって本当に美味しい。食事を堪能したシエラ達は寝る支度を整えると、心地よいベッドに潜り込んだ。明日からはいよいよ最後の適合者を探すために動かなければならない。一体どんな人物なのか。シエラは朧な意識で思考をめぐらせながら、ゆっくりと深い眠りへと落ちていった。




