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リディア―世界の中で―  作者: 知佳
第五章:警
42/159

幕間

****


 くたばればいい、こんな世界。

 グレイは興趣の尽きない世界に深い深い恨みの言葉はぶつけた。窓の外から見える景色はどれもこれも取るに足らないものばかりで、眼下に映るちっぽけな人の群れが鬱陶しくてたまらない。

「あれから二千年が経つなんて、おかしな話だよ」

 誰に言うわけでもなく漏れた嘲笑と呟きに、グレイは重厚なカーペットの上で大きく身体を仰け反らす。視界に映ったシャンデリアに、豪奢な扉に椅子にベッドに調度品。

「くだらないな」

 煌びやかなそれらを睥睨する。その灰色の瞳にはどこまでも深い怨嗟の念が篭っていた。

「君のいない世界は退屈で鬱屈だよ。ねぇ、どうしたら俺は君にこの世界を見せてあげられる?」

 傍から見れば狂っていると想われるだろう。しかしグレイは口の端を吊り上げたまま語り続けていく。

「君の後悔に歪んだ顔を想像するとね、俺は嬉しくてたまらないんだ。ごめん、そんな事言ったら君は怒るよね。でもそれでもいいんだ。俺はこの世界を否定する為ならなんだってしてみせるから」

 全ては愛しい君の為に。

 グレイは何故自分が今更こんな事を口にしているのか全く理解できなかった。それでも今は語り続けずにはいられない。心の奥底の渇きを満たせる唯一の手段は、ただ貪欲に求め、喰らい、破壊することだ。

「頼むから泣いて縋って追いかけて。……あぁ、あの時に戻れたらどんなに幸せなんだろうね」

 矛盾している感情がとぐろを巻く。泣いて縋って追いかけたいのは自分の方なのに、臆病風に吹かれたみたいに身体は動かない。縛られたわけでもないのに身体は固まって、次第に心も麻痺していった。

 苦しいと、誰かが遠くの方で泣いていた。けれど誰も手を差し伸べてはくれなくて、素知らぬ振りして通り過ぎていく。そうだ、世界はいつだって酷かった。光の差さぬ常闇ならば、永遠にそうであれば、苦しみにも気づかない。

「忌々しいよ、本当に」

 それなのに気がつけば温もりが傍にあって。

「でも誰であろうと、邪魔はさせない」

 その温もりは掴もうとすれば遠く離れ行く。ならば追いかけるのは止めよう。向こうに追いかけてもらうしかない。そうだ、それがいい。だから壊して常闇を作ろう。

「そうだろう、アレン?」

 グレイが視線を部屋の隅に向ければ、そこには哀しげな顔のアレンがいた。

「……グレイ様が、そう望むのなら」

 か細い声でアレンはそれだけ言うと顔を俯かせる。その様子にグレイは肩を竦めると、ゆっくりと彼の元へと歩み寄っていく。

「アレンに、面白い話をしてあげよう」

「?」

 優しく微笑んだグレイに、アレンは控えめに顔を上げて彼を見つめた。グレイは椅子を引き寄せるとそこにどっかりと腰を下ろす。アレンは突っ立ったまま自分の主が語りだすのをじっと待つ。

「……このロディーラにはね、大昔、とっても綺麗な花が沢山あったんだよ」

「花、ですか?」

「そう、花。でも残念ながらその殆どが絶滅してしまったんだ。二千年前と、五百年前に起きた惨事のせいで」

 かつてのロディーラは今よりも遙かに自然に満ちた世界だった。花は常に咲き乱れ、草原に風は吹き渡り、水は澄み切っている、本当に美しい環境に囲まれていた。

「その絶滅した花の中にね“アレン草”っていうのがあったんだ。アレンの名前はね、そのアレン草からとったんだよ」

 グレイが嬉しそうに語る姿をアレンはただじっと見つめている。グレイの綻んでいく口元に、純粋な笑顔。滅多に見ることができないその表情を、アレンはただじっと見つめていた。

「あれ、反応が薄いなぁ。まぁいいや。それでね、そのアレン草ってのは、実はリディアが一番好きだった花なんだよ。夕方になると花弁が何故か真っ黒になって、朝になるとまた元の白色に戻る。不思議だろう?」

「えぇ、本当に」

 アレンはふっと口元に笑みを浮かべた。グレイはそれが何故だか嬉しくてたまらなくて、目の前にいる少年の頭を撫でていた。

「アレンは正直な子だね。俺はね、最初に君を見た時、君のその漆黒の髪が気に入ったんだ」

 ごみの掃き溜めに横たわっていた少年を見つけたのは、嵐が来る晩の前だった。鋭い荒んだ瞳と、べったりと顔に張り付いた漆黒の髪が目を惹いたのを覚えている。みすぼらしい格好をした少年だったが、その瞳の輝きはグレイに昔の自分を彷彿させた。

 ――こういうのを惹き付けられた、っていうのかな。

 グレイは心の中で独り言ちる。アレンが困惑した表情で俯いていると、それに気づいたグレイは笑顔を作った。

「大丈夫だよ、アレン。さっきから何をそんなに思案しているのかは知らないけど、俺はここにちゃんといるから」

 安心させるつもりで口にした言葉だったが、アレンは益々困惑した表情を濃厚にする。眉間に皺を寄せて何かを伝えようと口を開いては、またすぐに閉じてしまう。

「……アレン?」

 いつもと明らかに様子が違う。言いたい事があればいつも彼は素直に伝えてくる。それに殆どの場合、グレイは彼が何を言わんとしているか分かる。けれど今だけはさっぱりだった。

「……あの、グレイ様」

「ん?」

 出来るだけ優しい声で顔を覗きこんでやると、アレンは身体を震わしながらじっとこちらを見つめ返した来た。

「……どうして、ですか? どうして、今日はそんなに俺に優しいんですか?」

 ――……どうして? 俺はいつも君に優しいだろう。

 アレンの言った言葉に今度はグレイが困惑した。いつもアレンには優しくしてきたつもりだったし、今だってそうだ。それなのに当の本人は何故と問い掛けて来る。全くもって理解できない。

「そ、その……。べ、別に嫌ってわけじゃないんです。ただ、その、俺……慣れて、ないから」

 頬を紅く染めたアレンを見た瞬間、グレイの中で何かドス黒い感情が沸き起こった。止められない。グレイは直感的にそう悟ると、すぐさまアレンから離れて窓へと向かう。バリン。弾けるような高音と共に窓ガラスが下へと落下していく。

「ッ!?」

 後ろでアレンが震えたのが分かった。けれど、グレイは己の感情を止める術を知らない。手が苦痛を伴って染まっていくのを感じながらも、何度も何度も叩きつける。

「はぁ、はぁ……」

 昂りが静まった頃には、部屋の全ての窓ガラスが割れていた。後ろでアレンは顔を真っ青にしながら震えている。大丈夫だよ。その意味を込めてグレイが笑みを浮かべてると、彼は益々怯え出した。

「……も、申し訳ありません。俺が……」

 違うそうじゃない。そんな目で俺を見るな。

 グレイは怯えるアレンに、また心の奥がざわつき始めたのを感じた。深い部分から湧いてくるのは負の感情ばかりで、どこかで分かっているのに止まることはない。何とか落ち着こうと大きく息を吸った瞬間、脳裏を最悪の思い出が駆け抜けた。自分の大切で、手に入れたいと心から願ったものが全て奪われていく。

 ――……止めろ。

 忌々しいと想う人物の顔は消える事なく、過去の映像が次々に再生されていく。

「や、めろ……」

 グレイはおぼつかない足取りで扉へと向かう。その瞳は虚ろで何を見ているのか傍からでは分からない。

 アレンはただ呆然と、狂っていく主人を見つめることしか出来なかった。グレイは扉に辿り着くと、へなへなと座り込んで大きな声で笑い出す。一体彼の身に何が起きているのか、それは誰にも分からない。ただ一ついえることは、彼が狂っているということだ。

 忌々しい消えてしまえ俺の大切なものを返せ。

 子供のような稚拙な感情を剥き出しに、グレイは感情のままに破壊行動を実行しようと魔力を収束させる。

「あぁぁ……駄目です、グレイ様」

 アレンの声を遠い意識で聞きながらも、グレイは魔力を収束させていく。その高密度になった魔力は次第に可視の力となって、空間を歪める。グレイの身体を包み込むように真っ黒な魔力が空間に漂い出し、アレンは壁際まで逃げていく。もう魔力が爆発する。そんな限界ギリギリの状態。アレンはぎゅっと目を瞑ったが、段々と魔力が消えていくのを感じてゆっくりと目を開けた。

「グレイ……様?」

 もう発作に近い今の現象が起きた時は、爆発するほか止まる手段がなかった。グレイは自分の両手をまじまじと見つめ、ゆっくりと自分の記憶を辿っていく。

 ――……シエラ? 

 紛れもなく、爆発寸前に脳裏を過ぎったのはあの他愛も無い適合者だった。けれどグレイは、ゆっくりと口角を吊り上げていく。

 ――そうだ、そうだったね。君がいたね。ゲームを最高にしてくれる、紛れもない、君が。

 忌々しい記憶は、今は忘れよう。グレイはすっと立ち上がると、アレンに微笑みかけた。それはいつもの何かを孕んだ怪しい微笑。それを見たアレンは顔を輝かせた。

「アレン、行こうか。俺たちの……盤上へ」

「はいっ!」

 アレンは嬉しそうに、歩き出したグレイの後ろ追いかける。

 ――……ナルダン。もう俺はお前に惑わされないよ。

 大嫌いな男に、グレイは内心で不敵に笑った。



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