幕間
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「ふさけるな!!」
エリーザは怒号を飛ばしてきた男性に冷ややかな視線を送る。彼はその殺気の篭った視線に、僅かにだが身体を震わせた。
何がふざけるな、だ。と、エリーザは心の中で呪詛を吐く。
ふざけているのはお前達だ。真にこの国の為に働いているのは一体誰だと、問うてやりたい。そんな苛立った感情を心の奥にしまいこみながら、エリーザはにこやかな雰囲気を漂わせる。
「我らが主からの忠告、もう一度お耳に入れて差し上げましょうか?」
張り付いた笑顔に、円卓に座っている初老の男達は冷や汗を掻いている。エリーザがその気になればここにいる男達など、一瞬にして絶命する事が出来るのだ。
「しかし、だ。そちらが些事と思うても、こちらは違うのだ。良いか、民の為と思うのならば一刻の猶予もお前達にはないのだ」
「それは百も承知。……ただ、それとこれは違うでしょう?」
エリーザが殺気を見せた瞬間、一瞬にして彼女の周りを黒装束に身を包んだ人間が取り囲んだ。手には刀やナイフなどが握られており、エリーザに切っ先を突きつけている。
「あら、三下が私に何の用かしら?」
エリーザは微笑を湛え、円卓に座る男達を見やる。
「我らに賛成か反対か、それはこの際抜きにして言わせて頂きますわ。我らが主は、無用な殺戮は望んでおりません。そう、それが例えあなた方のような下種であっても」
その一言に、最初に怒号を飛ばした男が激昂した。勢いよく立ち上がると、椅子が後ろに倒れる。それと共に男は手を下に大きく振り下ろす。エリーザの周りを囲っていた者達が、その獲物でエリーザを斬ろうと腕を振り下ろした。しかし、既にエリーザは姿を消していた。否、そう錯覚を起こさせた。
「……残念だわ」
冷え切った呟きが部屋に響く。次いで鈍い炸裂音と物体が地面に転がる音が、円卓の男達の耳朶に触れる。エリーザは上体を捻り相手の急所に容赦なく拳を叩き込み、そのうちの一人が円卓の上にまで飛んでいく。
「ひぃっ……!!」
男達から悲鳴が漏れる。普段の偏屈で傲慢で威張り散らしている面影はどこにもなく、ただ怯えた目でエリーザの事を見ている。
「魔法を使うまでもないわね」
エリーザは多人数を一気に、しかも素手で倒してしまった。しかも息の乱れなどは一切無い。ただ普通に、そこに佇んでいるだけのようである。
「……もう一度申しますわ。これ以上、民を苦しめるような真似をすれば、次に飛ぶのは……」
エリーザは足元に倒れている人間の首根っこを掴む。そして次の瞬間、血飛沫が飛び散った。ゴロッ、という音と共に地面に転がったそれに、円卓の男達の視線は釘付けだ。
「……あなた方の首ですわ」
エリーザは極上の笑みを浮かべ、手に持っていた人間を円卓に向かって放る。
「うわぁあぁぁあ!!」
情けない男達の悲鳴が部屋に木霊し、エリーザは踵を返して部屋を出ると、扉を閉めた。
これでいい、これで。
エリーザは頬についた返り血を魔法で拭い取ると、そのまま何事もなかったかのように廊下を歩き出す。
まさか先ほどまで血生臭い事を行っていたとは露知らず、すれ違う人々は彼女に見惚れている。エリーザは傍から見ればそれはもう、大層な美女である。彼女の事を何も知らない者であれば、すぐにその華のある容姿に目を引かれるだろう。
――でも、幾ら脅しの為とはいえ……少々やりすぎたかしら。
しかし当の本人は呑気に恐ろしい事を考えている。
今、エリーザはアンの命令で王城に来ている。エリーザは今回の宝玉奪取の任務につく前は、ずっと此処にいた為もう慣れたが、すれ違うのは貴族や臣下ばかり。この場所の重たく張り詰め、私欲に満ちた空気はエリーザが嫌悪するものであり、故にあまりここは好きではない。
――あぁ、それにしても予想外だったわ。まさか暗殺部隊を使ってくるなんて。
あの黒装束はエリーザにも馴染みのものだが、まさかあんな場面で出くわすとは思ってもみなかった。
――これは、アン様に報告する必要があるわね。
そんな事を思案していると、後ろから「エリーザさん」と声を掛けられた。久しく聞いていなかったその声に、エリーザは後ろを振り返り、声の主を見て微笑を浮かべる。そして恭しく一礼してから、言葉を発した。
「お久しぶりです、マイセン様」
「久しぶりだね。元気そうで良かった、安心したよ」
「勿体無いお言葉です。……それより、私に声をかけるなど、如何したのでしょうか?」
エリーザが首を傾げると、マイセンと呼ばれた青年は照れたように頭を掻く仕草を見せる。癖のある金髪が揺れ、エリーザと同じ翡翠の瞳が僅かに細められた。
「その……。ショコラ、どうしてるかなって」
そう言って更に頬を赤らめたマイセンに、エリーザは優しい笑みを浮かべる。
そういえばそうだったな、とショコラとマイセンの関係を思い出し、エリーザは微笑ましい気持ちになる。
「ショコラなら元気ですし、今のところは怪我一つしていませんわ」
「そっか、良かった」
マイセンは胸を撫で下ろすと、真剣な眼差しをエリーザに向けた。
「正直なところ、毎日心配でたまらないんだ。あの子にもしもの事あったらと思うと……」
柔和な眼差しは彼の優しさを表しているが、その瞳の奥には得体の知れない怪しさが見え隠れしている。
その怪しさを感じながらも、エリーザは笑みを崩すことはない。それどころか、マイセンの気持ちが痛いほど分かり同情してしまう。
もし自分がマイセンと同じ状況に――大切な人を危険な場所へと晒す事に――なったら、心配で心配でたまらないはずだ。
「エリーザさん、もしショコラに何かあったら教えて欲しいんだ」
しかしエリーザは、そのマイセンに言葉に顔を曇らせた。そして深々と頭を下げる。
「……申し訳ありません。私はアン様の命以外で、ここを訪れることは出来ないのです。それが例えマイセン様であっても」
ひどい事を、残酷な事を言っているという自覚はある。しかしこればかりはどうしようもないのだ。いくら同情しようと、痛いほどに気持ちが分かったとしても、今のエリーザにその願いを叶える事はできない。
マイセンの表情も心なしか哀しげではあったが、すぐにそれは微笑みへと変わった。
「今言った事は、忘れてくれるといいな。……無理を言って悪かったね。それじゃ」
そう言うと、彼は足早にその場を立ち去ってしまった。エリーザはその背中に向けて、もう一度深々と頭を下げると、踵を返して廊下を歩き出す。
――でも、ショコラに言ったら喜ぶでしょうね。
エリーザは口の悪い同僚の顔を思い浮かべ、小さく口角を上げた。




