五
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翌朝、シエラたちは昨日訪れた遺跡の前にいた。時刻は間もなく八時四十五分になろうとしている。ツアー開始は九時から。シエラたちの他に、参加者はざっと二十人ほどだ。
「ふわぁ、ねみぃ……」
バイソンが大きく伸びをする。
なんだか昨日の浴場でのことがあったせいか、シエラはクラウドと目もあわせられない。
「皆様、おはよう御座います!」
やたら高い声に視線を向ければ、そこには桃色のジャケットにタイトなスカートを着た中年の女性がいた。お世辞にも似合っているとはいえない。中肉中背というよりは、大肉小背といった感じだ。
「わたくし、今回のツアーでガイドを勤めさせていただきます……」
何故だか語尾が右上がりなのも気になる。金縁フレームの眼鏡に奥には、やや釣りあがった目がある。
「まず、皆様に注意事項を連絡しますわ。遺跡内のものには、絶対に!! 絶対にですわよ、お手を触れてはいけません! 貴重な文化財ですので、お気をつけ下さいまし」
ガイドの高い声を耳にしながら、シエラは何か違和感を感じた。何だろうか。前にもよく似た感覚を肌で感じたことがあるような気がするのだ。よくよく神経を研ぎ澄ませてみる。
――これは……宝玉?
辺りを見回してみるが、今この場にはツアーの参加者以外人はいない。そうなると、この中に新たな適合者がいることになる。
「ラミーナ……」
「そこのお嬢さん!! 私語は厳禁で御座いましてよ! 遺跡は本当に貴重な文化財。あなたのような無作法者が、注意事項を無視して遺跡を哀しませるのですわ。お気をつけ遊ばせ!!」
明らかにシエラに向かって投げられた、善意に包まれた罵倒。しかし、シエラは怒りを堪え黙り込んだ。ここで「すみません」と一言でも言えれば大人だったが、生憎自分はそんなに人間ができていない。
幸い、ガイドの女性もシエラを無視して話しを進めてくれた。とりあえず、あとでラミーナやクラウドに言わなければ。
シエラは宝玉の気配を探りながら、じっと堪えた。そして長かったガイドの話も終わり、いよいよ遺跡内部に入ることになった。
入り口は思ったほど狭くなく、地下へと続く階段がある。蝋燭の炎が揺らめき、辺りを仄かに照らしている。石の床と壁の空間に硬質な足音が響く。シエラは一歩一歩慎重に進みながら、ゆっくりと壁に視線を向ける。
――変な文字に変な絵だな。
壁には文字や絵が彫られていた。しかし、それらはどれもがこの現代の文化とは異なっている。長い年月のせいかところどころ掠れており、益々理解できない。
「この壁に描かれているものは、今からおよそ二千年前に刻まれたとされています」
ガイドの甲高い声が不気味に響く。狭い空間のせいか余計に響いて聞こえるので、シエラは耳が痛い。
「主には神と魔物、そして人が当時どのように生きていたかが描かれており、当時の様子を知れる大変貴重なものとなっております」
ガイドの言葉を耳にしながら、シエラはじっと壁を見つめた。今でこそ神、魔物、人は領土を分けて生活している。しかし、昔はどうだったのだろうか。
もし、かつてこの三つの種族が本当の意味で共生していたのなら――。
そこまで考えてシエラは頭を振った。確かにそれは今後の世界には必要なことかもしれない。けれど、今自分に必要なことではない。
――さっさとこの旅を終わらせるんだ。
両親に、ファウナ王女。自分が大切だと想っているもののために、今はただ只管に進むしかないのだ。
ふと、シエラの頭の中で考えが過ぎる。
この旅が終わったら、自分はまた元の生活に戻るのだろうか。そんなのは嫌だ。直感的にそう想った。またあの苦痛な日々に戻ることだけは、絶対に嫌だった。
「シエラ、シエラ」
「……え?」
そんな事を考えていたからか、シエラはラミーナの声に遅れて反応した。怪訝そうにこちらを見ているラミーナだったが、すぐに相好を崩した。
「もうすぐで大きな場所に出るんですって。適合者のこと、調べましょ」
「あ、そっか」
シエラはすっかり忘れていたが、本当の目的は自分達のことを調べることだった。二千年前に一体何があったのか、試練とは一体どんなことをするのか。それを知る為にここにきたのだ。
「ガイドの人に聞けば、もう少し掘り下げられるかもしれないしね」
「そうね。とりあえず、二千年前のことを少しでも知れれば儲けもんってとこよ」
ラミーナは口元に弧を描くと、再び視線を壁に戻した。シエラも視線を戻す。この遺跡が二千年もの間ここにずっとあったのだと想うと、とても不思議だ。一体これは何の目的で作られ、当時人々はどのように生活していたのか。それを考えると、シエラはほんの少しだけわくわくした。
「皆様、それではここからは自由行動とさせていただきます。一時間しましたら、またここに集まって下さいませ。尚、立ち入り禁止区域には絶対に入らないようお願い申し上げます」
開けた場所につくと、ラミーナの言うとおり自由行動となった。すれ違うのがやっとだった狭い通路に比べ、ここは本当に広い。天井に向かって六本の巨大な柱が伸びており、ガラスケースには二千年前の書物や生活用品のようなものが入っている。
「すごっ……」
遺跡に初めて入ったシエラは思わず声を上げてしまった。遺跡はただの昔の建築物だとばかり想っていたが、こうしてきちんと資料も揃えられていた。
「でもラミーナ、こっからどうやって……」
後ろを振り返り、シエラは言葉が止まってしまった。ラミーナの真剣な眼差しと、纏っている険しい雰囲気に気圧されたのだ。
メモ帳に何かを書き込んでいるようだが、その手の動きがあまりにも早いため、シエラは固唾を呑んで見守る。最初からラミーナ一人でも十分なのではないか。そう想ったが、やはりラミーナ一人にやらせるわけにもいかない。
――私もやるか。
ぐっと拳を作ってから、シエラはガラスケースの中の資料とにらめっこを始めた。一応解説のようなものがケースの台に貼られているので、シエラでも理解はできる。
しかし、適合者に関係するようなことは未だ見つからない。当時の人々の生活がどうだとか、食べ物はどうだとか、村同士の争いで用いられた武器がどうだとか、そんなものばかりだ。
「……はぁ」
シエラが軽く溜め息を吐いていると、どんっと背中に軽い衝撃がはしった。驚いて振り向くと、そこには右目を眼帯で覆い、白のマフラーで口元を隠した少女がいた。
「す、すまない……」
しかしその少女はシエラを見ることもなく、小さく謝罪するとすぐにどこかへ行ってしまった。まるでシエラに怯えてたような態度だった。
――えー、私何かしたかなぁ……。
首を傾げつつも、シエラは再び資料とにらめっこをはじめた。きっとクラウドたちもそれぞれ情報を集めているだろう。
ふと、ある資料に目が留まった。そこにはかつての魔物と神について書かれていた。シエラは引き込まれるようにその資料を読み始める。
そこには、こう書かれていた。
『今から遙か昔、異形なる者達が衝突した。海は荒れ、天は割け、雷鳴は轟き、作物が死に絶えた。我々とその異形なる者達は、かつては共に眠り、起き、働き、同じ釜の飯を食べていた。それから間もなく、異形なる者達は異形なる者達を排除し、また異形なる者達はこの地を去った』
それ以上は翻訳されておらず、また資料の方も破られてしまっている。シエラは脳内で言葉を整理しようとするが、どうにも上手くいかない。
――えーっと、異形なる者達は神と魔物のことで……。二種族間で争いがあって、どっちかが負けてどっちかが勝ったってことでしょ!? でも、どっちもこの土地からいなくなった?
意味が分からない。
シエラはぐったりと疲弊した表情になる。もっと分かりやすく書けなかったのか、とこの書き手に文句を言ってやりたい。
「はぁ」
首をもたげると、ふいにあるものに目がいった。
天井に伸びている柱の模様だ。六本あるうちの一本、その下部の一部分が他と違うのだ。シエラは気になってそちらに足を向ける。ガイドに触れてはいけないと言われていたのを思い出して、手を伸ばしかけ、止めた。ここで何かが起きてクラウドたちに迷惑をかけるわけにはいかない。それに何かあればまたクラウドに嫌味を言われるはずだ。
シエラは柱の前で立ち尽くすと、高くそびえるそれを見上げた。何だか不思議な気持ちだ。心が落ち着いているとでも言うのだろうか。シエラは模様の一部分を見つめる。二本の線が螺旋を描き、その上部に半月に掛かった十字架が彫られている。
――あれ、この模様どっかで見たことあるよーな……?
シエラがもう一度目を凝らした瞬間、突然六本の柱から眩い光が発した。目を焼き尽くすほどのそれに、シエラは反射的に目を閉じる。他の観光客やガイドも驚いたのか、所々から悲鳴のような声が聞こえた。
そして次の瞬間、けたたましい破壊音が空間に響き渡った。
シエラは慌てて視線を走らせると、そこには何処から出現したのか、雄々しい獣が毅然たる佇まいでこちらを睨んでいた。頭部から頸部までたてがみがたっぷりと生えており、針金の様なひげが口元についている。毛の色は黄褐色で、耳もぴんと立っている。太く大きな犬歯が口の端から覗いており、その瞳は敵意に満ちていた。
「……何あれ」
シエラの呟きと共に、獣が咆哮を上げる。今まで見たことのない獣に、シエラは体中に鳥肌が立った。
まさかあれも魔物の一種なのだろうか。しかし、あの獣からは清らかな魔力とオーラを感じる。感覚に疎いシエラでも分かるほどの神々しさに、辺りも異様な空気に満たされていく。しかし、ただ一人その場に似合わぬ声を漏らすものがいた。
「全く、一体何が起きたというのです!?」
あのガイドだった。一体何が起きたかなどあれを見れば一目瞭然だろう。そして今自分たちが置かれている状況も。シエラは思わずガイドに向かって怒鳴っていた。
「見て分からないの!? あれよ、あれ!!」
「は? あれとは? 寝ぼけているのですか?」
シエラがいくら獣を指差しても、ガイドは怪訝そうな顔をしている。まさかあれが見えていないとでもいうのか。シエラは獣を凝視した。しかし他の観光客には見えているらしく、パニック寸前だ。
「シエラ、大丈夫ですか」
聞きなれた声に視線を向けると、ウエーバーがこちらに近寄ってきていた。
「ウエーバー! うん、私は。それより、あれって……」
「僕にも分かりません。ただ、こんなところで戦いにでもなったら……」
ウエーバーの言葉に、シエラもはっとした。
確かに屋内で、しかも遺跡で戦うなど無理が過ぎる。万一天井が落ちてくれば、他の観光客も危険に晒してしまう。それに戦えば目立ってしまう。それだけは避けたいところだ。
「どうすれば……」
ウエーバーが思考を働かせようとしたとき、一人の若い男性が突然大きな声を出した。それと同時に、何と獣に向かって魔法を発動してしまった。
「よせ!」
誰かの制止の声も虚しく、彼の放った魔法は獣に直撃してしまった。獣は更に咆哮を轟かせ、魔法を放った男性目掛けて突進してきた。
「くっ……」
ウエーバーが走り出すが、男性とは距離がある。間に合うかどうか。周りの人は男性から離れるか腰を抜かして動けないかで、あてにはならない。
男性に獣がぶつかる。そう想った瞬間、男性と獣の間に影が差した。獣は動きを止め、男性は悲鳴を漏らす。シエラは驚きで言葉が出なかった。ウエーバーもぴたりと動きを止め、影の主を見つめている。
「……お止め」
影の主は、先ほどシエラとぶつかったあの少女だった。獣の額に手をあて、片手で牽制している。獣は少女にも敵意を向けているものの、一向に襲い掛かる気配がない。
「……この中にはいない。安心しろ」
少女はゆっくりと、静かな声で獣にそう語りかける。シエラには全く意味の分からないものであったが、獣は納得したのか、少女に頭を摺り寄せてきた。
「よしよし、大丈夫だ」
穏やかな少女と獣はまるで一枚の絵のようだった。少女の金髪と獣の黄褐色の毛並みに、シエラは一瞬だけ見惚れていた。しかしそんな時間も束の間、甲高い声が響く。
「ど、ど、どういう事でしょうか!?」
全く状況を理解できていないガイドが、少女を指差し睨みつける。観光客は唖然としたまま二人を見つめており、シエラたちは様子を見守る。
「い、い、いいい一体何があったのです!? さっきの閃光はあなたの仕業ですか!?」
興奮しているのか焦っているのか、ガイドの声は上擦っており呂律も上手く回っていない。すると、少女は切れ長の目を更に鋭くさせた。
「……ガイドのくせに、守護霊獣もしらないのか」
その声には静かな怒りが込められていた。ガイドはその言葉が気に食わなかったのか、少女にズカズカと大股で歩み寄る。
「“ガイドのくせに”ですって!? あなたみたいな小娘に一体何が分かると……」
「少なくとも、あんたよりも多くのことを」
ガイドの言葉を遮り、少女は毅然とした態度でそう答えた。少女は獣の頭を撫でながら、視線を向けることなくガイドに言葉を続ける。
「通路での説明もお粗末過ぎる。大体、あんた全くガイドの役目を果たしていないじゃないか」
少女の辛辣な言葉に、ガイドはふるふると肩を震わしている。
「それに、守護霊獣が見えないとなると……。あんた、さては無免許だな」
「人を馬鹿にするのも大概におしよ小娘!!」
ついにガイドも我慢の限界がきたのか、少女に向かって怒鳴りつけた。しかし彼女は動じるどころか、寧ろもっと冷ややかな目になっていく。
シエラは二人のやり取りを見ながら、内心で溜め息を吐いていた。このまま放置されるこちら側の身にもなってほしい。他の観光客も困り果てている。
「……では、あとで覚悟しておけよ」
冷たい一言に、しんとその場が沈黙する。
先ほどシエラに怯えていた少女とは思えない。凛とした態度と物言いに、シエラは清々しささえ覚えた。
少女が獣から手を放すと、獣は煙のようにすぅっと消えてしまった。そして少女はそのまま出口に向かってツカツカと歩いていく。もうツアーどころではなくなってしまった。シエラは力の抜けた体で緩々と息を吐き出す。
「何なのよ、もう」
シエラが呟くと、いつの間にか隣にいたラミーナも深く頷いた。そして棘のある声で非難した。
「ガイドが無免許とか、霊獣がどうとか、なんでそんなことが今ここで起きるのよ」
それは確かに。
この旅がはじまってからまともな事が一度でも起きただろうか。いつも何か事件に巻き込まれているような気がする。せめて少しの間だけでもいいから、まともな時間が欲しい。
それにしても気になるのは先ほどの少女。年齢はシエラとそう変わらない風に見えた。シエラとぶつかった時は挙動不審だったのにも関わらず、あの獣を止める勇ましさを持っている。謎だ。
「とりあえず、ツアーはこれで終わりね」
ラミーナの言葉に、シエラは周りの観光客の顔を窺った。誰も彼もが呆気にとられ、放心している。それはガイドの方も同じで、口を魚のように何度もパクパクさせている。
「それにしても、守護霊獣って何かしらね」
「さぁ。でも、遺跡を守ってるってことかなぁ?」
シエラとラミーナが互いに首を傾げていると、クラウドとバイソンが歩み寄ってきた。二人の表情は曇っており、バイソンは納得がいかないといった感じだ。
「なんだよ、楽しみにしてたのに……」
ぽつりと漏らした呟きにシエラから苦笑いが漏れる。そんな能天気なことを言えるなんて。バイソンの肝っ玉には恐れ入る。
「……しかし、ガイドが無免許の疑惑とは」
クラウドは双眸を細め、腰を抜かしている中年女性のガイドを見やる。そしてゆっくりと彼女に歩み寄っていくと、鋭いその眼で容赦なく射抜いた。
「ひぃっ……。な、何のようで……」
「あんた、本当に無免許なのか?」
「ま、まぁ!! あなたまで先ほどの戯言を信じていると!? 馬鹿にするのも大概にして頂戴!!」
クラウドに向かって甲高い声で怒鳴りつけると、勢いよく立ち上がる。そして何とツアーの参加客を放ったらかしで出口に消えてしまった。
「……うっそー。ありえない」
シエラはガイドの消えた中で、不快感を露わにした。こんな放置の仕方があっていのだろうか。こちらは一応れっきとした客だ。それをあの態度で、しかも自分勝手すぎる。
「あとで役場に問い合わせるか」
クラウドの提案に、ラミーナが深く頷いた。そして黙り込んでいたウエーバーが、つと面を上げる。
「最近、なんだか国内が妙ですね。少し警戒を強めた方が良さそうです。……嫌な予感がします」
神妙な顔つきに、シエラは思わず喉を鳴らした。ラミーナも考え込むように顎に手を当てる。
「確かに、嫌な感じはするわ。まだフランズにも着いてないっていうのにね」
一刻も早くフランズで適合者を揃え、ルダロッタへ向かわなければならない。そんな焦りも生まれてきているのだろうか。
それにシエラには一つ気がかりな事がある。先ほどの守護霊獣という獣が、何故突然現れたのか。シエラが見ていた柱の模様と何か関係があるのだろうか。
――えー、でもそれって私が悪いみたいじゃん。
一応今回は迷惑をかけないように配慮したつもりだ。全く、これではクラウドにまたトラブルメーカーのレッテルを貼られてしまう。――実際にはもう貼られているのだが。
「ま、一回宿に戻って考えねぇか?」
「……それもそうね。バイソンにしたらまともね」
「俺がいつもまともじゃないみたいだな」
「あら、違ったかしら?」
バイソンと軽口を叩きあいながらラミーナがくすりと笑う。
その様子に、シエラは口元が緩んだ。この旅は一人ではない、だから大丈夫だ。そう思えた。皆のやり取りを見ていると、それだけで心が落ち着くのを感じる。
「……どうした?」
「ううん、何でもない」
そんなシエラを見てクラウドが怪訝そうな顔をしたが、シエラはにっこりと笑って答えた。
――あ、私ってちゃんと笑えてるんだ。
今、表情筋が物凄く自然に笑顔を作っていた。そんな感じがするのだ。シエラは自分の頬を触りながら、ラミーナたちの後を追う。
他の参加客もシエラ達と共に遺跡を後にし、殆どの人が参加費を返して欲しいと役所に詰め掛けていた。
シエラ達はそのまま真っ直ぐに宿に向かった。まだ脳裏には少女のあの眼光が残っている。吸い込まれそうな蒼い瞳をしていた。右目は眼帯でよく分からないが、きっと同じ蒼い瞳に違いない。顔を隠すようなマフラーと、それから少女には不釣合いな大きすぎるキャスケットを被っていた。
――うーん、なんでこんなに気になるんだろう。
いくらあんな事があったからとはいえ、普段の自分ならばこんなに相手に興味を持っていただろうか。分からない。最近、自分の価値観やものの捉え方が変化しているような気がする。
――これも旅の影響、ていうかお陰なのかな。……って、前にもこれって考えたような。
シエラは軽く溜め息を吐く。前を歩いているラミーナの背中に視線を向けると、突然彼女は立ち止まった。
「どうしたの?」
後ろから声をかけると、ラミーナは困ったように顔を歪ませた。そして「ごめん、ちょっと先に行ってて」と言い残し、何処かへと走って去ってしまった。
「なんだ?」
バイソンも首を傾げたが、あまり余計な詮索はするべきではないと判断したのか、再び歩き出す。
暫く歩いていると、突然誰かの悲鳴が聞こえた。一体何が、そう思い視線を巡らせると、シエラたちの進行方向からどっと沢山の人が走ってくる。
「えぇ!?」
「な、なんだよこれ……」
あまりにも沢山の群集に、シエラたちは目を剥き慌てて逆方向に走り出した。
「ていうか、路地に行った方がいいんじゃ……!」
「なら早く曲がれ!!」
「うっわ何その横柄な言い方! クラウドのばー」
「分かりましたから早く!」
ばーかと言おうとしたがウエーバーにかき消されてしまった。
シエラは慌てて自分の左手にある路地に駆け込んだ。クラウドたちも同じように曲がり、何とか人の群れから脱する事ができた。
「にしても、何が起きたってんだ」
バイソンは路地から窺うように視線を彷徨わせる。しかし、これと言って何もない。シエラも辺りを見回してみたが、目立つものは何もない。
しかし人々は未だに逃げ惑っており、大通りは人で埋め尽くされている。しかも皆シエラたちの宿の方向、つまりは街の入り口から中に向かって走っているのだ。
「……様子を見てくる」
クラウドが剣を握り締め通りに出ようとしたが、それをウエーバーとバイソンが止める。
「何すんだよ」
「まだダメですよ。これだけ人がいる中で戦闘になんてなったら……」
「ウエーバーの言う通りだ。危険だろ?」
二人に諭されクラウドも大人しく引き下がった。シエラにでも反対されれば押し切っていたのだろうが、今回はこの二人だ。クラウドも引き際が分かるのだろう。
「けど、急にどうしたってんだ」
確かにそれは気になる。本当に突然悲鳴が聞こえたと想ったら、逃げる群衆から逃げているような形になっていた。
「僕が空から見てきます」
ウエーバーは言うが早いか、既に魔法で宙に浮いていた。そしてそのまま壁伝いに上空へと上っていく。建物の影から出ると、慎重に辺りの様子を窺う。けれどやはり目立ったものや、建物の倒壊などもない。
本当に、どうしたと言うのだろうか。
ウエーバーは首を傾げる。
逃げてくる方向によく目を凝らしてみる。しかし、丁度建物が死角となっていて見えない。ウエーバーは身を低くしたまま、ゆっくりと移動する。
「あれは……?」
思わず呟いていた。視線の先は街の入り口の広場だ。そこから土煙がゆらゆらと立ち昇っている。微かにだが魔力も感じる。しかも、途轍もなく強い魔力だ。
「……魔物、でしょうか」
こんなに頻繁に魔物が国内にいるなど、守衛は何をしているというのだ。ウエーバーは怒りを抑えながら、視線を逸らす事無くもっと近づこうと移動する。
すっかり群集は何処かへと消え失せ、街の中は閑散としている。ウエーバーは一定の距離を保ったまま広場の上空に停滞した。
「ッ!!」
しかしその瞬間、土煙から一陣の光が真っ直ぐにウエーバーに向かう。間一髪でそれを避けたが、頬を僅かに掠めた。
「確かに、危険ですね」
攻撃の気配を悟らせない辺り、魔物であれば相当厄介な相手となるだろう。ウエーバーは未だ姿を見せない相手に、不敵に微笑んで見せた。
「分かりました。それならその正体、晒してもらいましょう」
そして右手を構えると、魔力を集中させる。
「……翳した刃よ、巻き起こせ――」
右手に風の膜が幾重にも集まり、ウエーバーはそれを勢いよく目標に向かって振り翳す。
「ストームランス!」
一直線に風は向かう。それは空中で迸りながら槍の姿となって突風を伴った。辺りを覆っていた土煙はすっかり晴れ、そしてウエーバーの前にそれは姿を現す。
「え……?」
しかし、予想もしていなかったそれに、ウエーバーはただただ目を瞠るのだった。




