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リディア―世界の中で―  作者: 知佳
第四章:然
31/159

「うっわぁ、デッケェ」

 あれから五日経ち、シエラたちは今マフィオの町並みを見下ろしている。

 マフィオは標高マイナス四十メートルという窪んだ土地に拓かれた、ディアナは勿論世界でも有数の遺跡都市である。

 ウエーバーに案内されながら、シエラたちはマフィオに向かって道を下っていく。

 聖玉の第二波が来たこともあり、一刻も早く適合者を揃えなければならない。いつ世界崩壊の危機に直面するか、時期が全く分からない。悠長に旅などしていて良いのか、とも想ったが、今更言ってもどうにもならない。結局、それで話しが落ち着いた。

「にしても、凄い眺めだったな」

「バイソンさんは遺跡ははじめてですか?」

「あぁ。今までそういうの一切興味なかったしな!」

「あ、実は私もー」

 シエラもバイソンの言葉に同調して笑う。普通学校の授業で博物館には行った事があるが、遺跡ははじめてだった。

 和やかに話していると、目の前に木造の不思議な紋様の刻まれた柱が見え始めた。段々と近づくにつれ、それが人の姿を表しているのだと気づく。しかし、何故か身体はボロボロに崩れたように描かれている。しかも描かれている人は複数いるのだが、中央の二人は顔が同じだった。

「不思議ね」

 ラミーナも興味深げに柱をじっと見つめている。人々の表情は、長い年月のせいでもう読み解くことが出来ない。

「きゅーん」

「イブ? どうしたの」

 シエラの足元に、気がつけばイヴがいた。イヴも興味深げに柱の紋様を見つめている。シエラはイヴを抱きかかえてやると、よく見える位置まで持ち上げた。

「きゅーん」

 イヴの美しい白銀の毛並みは心地よい。しかし、何だかいつものイヴとは何かが違うような気がするのだ。それが一体何か、は全く分からないのだが。

「さぁ、早くマフィオに行きましょう」

 前を歩くウエーバーとバイソン、クラウドがこちらを振り返った。シエラとラミーナは駆け足で三人の元に向かう。

「あーあ、うっかり適合者見つかってくんないかしらね」

「うっかりって……。でも、確かに早く見つかって欲しいよね」

 シエラとラミーナでそんな会話をしていると、もうマフィオの入り口だった。

 マフィオの入り口には大きな柱が二本聳えており、先ほどとは違った紋様が刻み込まれていた。人ではなく、何かの形でもなく、抽象的な曲線が刻まれている。

「……ま、とにかくやるべきことは沢山あるわね」

 ラミーナは大きく伸びをすると、躊躇い無くマフィオへと足を踏み入れた。それにクラウド、ウエーバー、バイソン、シエラも続く。

 先に宿をとってから、シエラたちは遺跡のある街の中心部へと向かった。見れば、街のいたるところに入り口の柱と同じ紋様が刻まれていた。

 この街の象徴なのだろうか。シエラは首を傾げながら、クラウドの後ろを歩いていく。

 先日のライラの街とは打って変わり、人通りはまばらだ。しかし、何故だかすれ違う人々は皆分厚い本を抱えている。見ているだけで重そうだ。

 遺跡が見えてきたのは、歩いて二十分ほど経った頃だった。マフィオ自体が窪んだ土地だが、遺跡は更に窪んだ場所にある。

「にしても、デカいな」

「これ本当に昔の人が作ったの?」

 クラウドの言葉にシエラも深く頷く。全長は百メートルぐらいといったところか。石で作られたであろう遺跡は、入り口がとても小さい。まだ少し遠いのでよくは分からないが、中は暗そうだ。

「とりあえず、入れるかしらね」

 ラミーナはそう言うと、遺跡の入り口近くにいる中年の男性に声をかけた。

「すみません。遺跡って、今入ることはできるんですか?」

「今? 今は無理だよ。午後の二時を過ぎたら、遺跡は出入り禁止だからなぁ」

「出入り禁止? そうなんですか」

「お嬢ちゃんたち、外から来たんだね。なら、明日のツアーに参加するといい」

「ツアー?」

 ラミーナは首を傾げた。シエラたちも顔を見合わせ、男性の話しを聞く。

「あぁ。一般解放のところは勿論、ガイドもつくから初心者でも安心だ。あっちの役所で申し込みできるから」

 男性が指差した先は、ここから五百メートルぐらい先にある木造の建物だった。

「ありがとうございます」

 シエラたちは男性に礼を言うと、役所に向かった。流石遺跡を目玉にしている都市なだけあってそういうものが充実しているらしい。

「楽しみだな」

 バイソンは無邪気に笑うと、いつの間にか肩に乗っていたイヴの頭を撫でた。役所でラミーナが受付を済ませている間、シエラたちはまったりと椅子に腰掛けている。

「あぁー、疲れた」

 シエラは項垂れながら呟く。すると、クラウドが馬鹿にするように鼻で笑った。

「体力がないからだ」

「……剣オタクのくせに」

「……何か言ったか?」

「べっつにー」

 少しだけ嫌味っぽく言ってみたが、クラウドに睨まれてしまいシエラは縮こまる。シエラは今まで、男子に睨まれた程度で怯んだことはない。しかしそれは学校での話しであり、幾多の戦いを経験しているクラウドでは話が違う。本物の殺気を持っているものの眼力――とはいっても殺気は篭っていないが――は、想像以上に背筋を凍らせる。

「ウエーバーは疲れてないの?」

 シエラは思念を振り払うように話題をウエーバーに向けてみた。が、彼は愛らしい顔を苦く歪める。

「多少の行程には慣れていますから」

「そうなんだ……」

 シエラが少し残念そうに呟くと、バイソンがにやっと笑った。

「なら、俺が特訓でもしてやろうか? とっておきの筋トレあるぜ」

「結構です」

「なんだよつれねぇなー」

 ふて腐れたバイソンを横目で見ながら、シエラは背凭れに寄りかかる。格闘家のトレーニングになどつき合わされたらたまったもんではない。それだけで筋肉痛になってしまう。

 ふと、ある事を思いついた。シエラは天井を仰ぎ見ていたが、突然横を向き手を伸ばした。

「……何してんだお前」

「いや、ちょっと。実験的な?」

 クラウドはあからさまに不機嫌そうな表情でシエラを睨む。それもそうだろう。突然手が伸びてきたかと想えば、頬を抓られていたのだから。

「へぇー、クラウドのほっぺ意外と柔らかいんだ」

「しばき倒すぞ……!!」

「わぁあ、待った待ったごめん!!」

 クラウドがすかさず剣を手に取ったので、シエラは慌てて手を放す。折角からかってやろうと想ったのに。やはりクラウドにこの手の事は通用しない。シエラはがっくりと肩を落とす。

「なんだお前は馬鹿なのか、それともガキなのか?」

 しかし、隣に座っているクラウドは不機嫌さを露わにして、シエラに訊ねてきた。シエラもむっとしながら、ついムキになって反論してしまう。

「馬鹿でもガキでもないし。……暇なんだよね」

「少しは我慢しろ」

「無理」

「そんな忍耐力の無さで旅なんか続けられると?」

「関係ないし」

「いいや、関係あるな」

 シエラとクラウドが下らない言い争いをはじめ、それを聞いているウエーバーとバイソンは微笑ましくそれを見つめている。要するにそんな喧嘩をしているうちは二人とも子供なのだ。そろそろ止めるか、とバイソンが声を発しようとしたとき。

「うっさいのよ!」

 ガツン、とシエラとクラウドの脳天に拳が叩き込まれた。

「いった!!」

「ッ!!」

 二人とも余程痛かったのか、頭を抑えて深く蹲っている。目の前にはやれやれといった顔で立っているラミーナがいた。

「どっちもガキよ! はい、ウエーバーもバイソンもさっさと立つ! 行くわよ!」

「は、はい!」

 ウエーバーとバイソンはラミーナに睨まれ慌てて立ち上がる。視線を下に向けると、未だに痛みに堪えているシエラとクラウドがいる。

「だ、大丈夫ですか?」

 ウエーバーが声を掛けるが、二人とも反応がない。それどころか、二人して何か小さい声で呟いている。

「お、鬼だよ鬼。容赦がないもん。……学校の先生より三倍は痛い」

「ば、馬鹿か。お前は絶対手加減されてる方だぞ」

 シエラはともかく、クラウドまでもが。そう思うと、ウエーバーとバイソンはぞっとした。

 恐るべし、ラミーナ。それはシエラとクラウドにも刻み込まれたようで、二人ともそれからは一切言葉を発さなかった。

 シエラたちは役所を出ると、そのまま真っ直ぐに宿へと向かった。

 明日の朝九時から始まる遺跡ツアーに参加するとのことで、今日は早く休むことになったのだ。シエラを攫った男達のせいで、随分とマフィオから離れてしまい、この五日間は強行日程となっていた。

 ――はぁ、やっぱ疲れてるな。

 先ほどクラウドと軽口で言い合っていたものの、シエラは自分の身体が重く感じて仕方がない。

 この五日間でまともに眠れたのは一体何時間だろうか。あれから街には一切寄らずに、森や街道をずっと歩いてきた。必然的に野宿となり、日が沈むと共に陣を張り、日が昇ると共に出発する。

 ――そんな生活を五日も……。よく頑張った、私!!

 この面子の中で唯一、野宿の経験がないのはシエラだけだった。それが功を奏したのか苦労はあまりしなかったが、その分体力は限界だった。

「シエラ、本当に大丈夫ですか?」

「え? あぁ、大丈夫大丈夫。もうちょっとで宿だし」

 隣を歩くウエーバーが、心配そうにこちらを見ていた。シエラはぐっと拳を作ってみせる。どうせもう休めるのだ。それならばこのくらいなんともない。視線を持ち上げれば、宿はもうすぐそこだった。

 宿の二階へ上がると、シエラは荷物を下ろして洗面所へと向かった。鏡に映る自分を見て何だか虚しくなる。いくら旅をしているとはいえ埃に塗れ、所々汚れてしまっている。湖があればそこで水浴みもしたが、やはり風呂に入っていないというのは厳しい。

「シエラー、お風呂行きましょ」

「ほーい。……って、えぇ!?」

 洗面所から顔を出したシエラは、驚きでラミーナの事を二度見てしまう。

「何驚いてんのよ。さっき言ったでしょ。お風呂は共同で大浴場だって」

 本当ですかそれは。シエラは驚きで目を瞠る。今までの宿は大体個室に一つ風呂がついていた。しかし今回は共同の大浴場。

「全く、ここの宿見た目はいいんだけどねぇ。お風呂にそんな罠があったなんて」

「え、ちょ、それは別にいいんだけど……。混浴でなければ私はお風呂は何でも……」

「だ~か~ら~、その混浴だって言ってんでしょ!?」

「はぁあ!?」

 ――いやいやいやおかしいだろうそれは!! 大体混浴ってなんだ混浴って!? えぇ、それって男の人もいるってことでしょ!? 何その展開いらねぇよ!!

 というシエラの猛烈な内心でのツッコミは誰にも届かない。ラミーナは溜め息を吐くと、シエラの腕を引っ張った。

「ここ、混浴なのは最悪だけどね。服もレンタルできるし、その間に今着ているものは全部洗っておいてくれるの」

「だ、だからって!!」

「クズクズ言わないの! あたしも受付の後に知ったのよ」

 ラミーナは部屋の鍵を持つと、そのままシエラの腕を引っ張って歩いていく。シエラは必死で足を踏ん張り抵抗をするが、最終的にはラミーナにまた拳骨を貰い勝敗は決した。

「えーっと、服はこの子がエスを。あたしはエムを。それから、タオルと飲み物も」

「かしこまりました」

 ラミーナは浴場の受付を済ませると、脱衣場に勇ましく足を踏み入れた。シエラはその後をへっぴり腰で続く。

「もう、着替えられないじゃない」

「うぅ……」

 シエラとしてはまだラミーナに対しても羞恥心がある。旅を共にしているとはいえ、まだ知り合って間もない者同士だ。それなのに、もうこんな展開とは。

「べっつにいいじゃないの。たまには一緒に入るのも。あたしとしては、女子トークなんてのもしたいのよ?」

「じょ、女子トークすか」

 ――そんな会話私に出来るのか……!?

 シエラは渋々服を脱ぎ始め、ラミーナの腕を掴む形で浴場に向かう。それはもう親子のような構図であった。幸い、今の時間帯はそれほど人も多くなく、脱衣場には他の女性が数人ほどいた。恐らく、入っている人も数人はいるだろう。シエラは男性客がいないことを願いながら、一歩足を踏み入れた。

「ラミーナさん、シエラ!」

「あら、ウエーバー。……他の二人は?」

 ラミーナの何気ない質問に、ぴしりとウエーバーの空気が凍りついた。シエラは大体見当がついたが、あえてここはウエーバーに説明してもらおう。

「え、えーとですね。まぁ、案の定クラウドさんが怒りまして……。バイソンさんはクラウドさんを押さえつけたまま、迷惑にならないようにあちらに」

 ウエーバーの指差した先を目で追うと、湯煙の向こう側にうっすらと赤色と深緑色が見える。

「はぁ、ガキかあんたらは」

 ラミーナの零した溜め息に、シエラは身を縮こまらせた。結局は自分もクラウドも同じなのだ。そう想うと、シエラは肩から力が抜けた気がした。身体にタオルを巻いているとはいえ、裸も同然ではある。しかし、それならば普通学校での水泳の授業と変わらない。

 ――うん、多分大丈夫。

 少し考え方を変えたからか、シエラはとりあえず身体を流そうと桶を手に取る。ラミーナも身体を流し、シエラと二人で髪と身体を洗いに仕切られたスペースへと向かい椅子に座った。

「うっわ、汚れでぎっとぎとね」

 ラミーナは自分の髪を触りながらしかめっ面になる。シエラも髪に触れてみる。確かに、汚れで上手く手櫛も通らない。二人は丁寧に髪を洗うと、次いで身体も念入りに洗った。旅の汚れは中々手ごわい。二人は汚れと格闘すること二十分。漸く満足がいったのか湯へと向かう。

「……はぁ、気持ちいい」

「ほんっとよねぇ。あぁ、いい気持ち」

「そういえば、クラウドたちは出たのかな?」

「うーん、いないわねぇ。流石に上がったのかしら」

 辺りをきょろきょろと見回してみるが、それらしき人影はない。それどころか、他の利用客は一人もいない。ありがたいといえばありがたいが、何だか不思議な感覚だ。

「……ま、もう少し満喫しましょうよ」

「そうだね」

 最初の緊張は何処へやら、シエラは混浴ということも忘れて呑気に湯に浸かった。風呂は旅の中での幸せなひと時でもあり、シエラもラミーナもご満悦で風呂から上がったのだった。

 部屋に戻ると、ラミーナも疲れていたらしく、二人してベッドに倒れこんだ。シエラは布団に包まりながら、ふとグレイのことを思い出した。

 あの灰色の、獣のような鋭さと凍て付く冷気を纏った瞳は、シエラの脳裏に鮮明にこびりついている。そしてあの謎の言葉の数々。一体彼は何を知っているというのだろうか。何を目的として行動しているのだろうか。

 身体は疲れているというのに、脳は覚醒しているせいか色々と考えてしまう。グレイだけではない、あのアンをはじめとする刺客たち、それからアークのこともある。シエラはゆっくりと、辿るように刺客たちの事を思い出していく。

 アン=ローゼン。漆黒の髪と瞳、それからアールフィルトと名乗っている少女だ。そしてそれにぴったりと守るように寄り添っていたのがエリーザという、金髪に翡翠の瞳をした女性だった。

 ――確か、クラウドと戦ってたのは……。

 そうだ、ジル=セイスタンだ。ライラと出逢った街でも遭遇した。クラウドと同じ深緑の髪と瞳をし、恐らく年齢も近いであろう、底知れぬ殺気を纏った少年。

 同じくライラと出逢った街で遭遇したのは、グラベボ=ビーンという青年だ。癖のある茶髪を一つに纏め、丁寧な口調だったのが印象的だ。

 ――あとは、あの口論していた金髪と紫の髪の女の人たちだ。

 金髪碧眼の女性――本当は男性だがシエラは女性だと想っている――はビルダ=アイミア。

 そして彼女と口論していたのは、大胆に着物を着崩し、紫色の髪と瞳をしたショコラ=イルディーという女性だ。

 ――あれ、あと一人いた気がするんだけどなぁ。誰だっけ……?

 シエラはゆっくりと記憶をなぞる。黒髪に無精ひげを生やした長身の男性だったのは覚えている。が、名前だけがどうしても思い出せない。

 ――フォ、フォーなんとかだったかなぁ?

 正確にはフォーワードである。しかし、シエラはどうしても思い出せないため、そこで考えるのを放棄した。

 ――とりあえず、敵も沢山いるってことなんだよなぁ。

 今現在全く戦力になっていない自分が、もし次に彼らと対峙したとき、どれほど足を引っ張らずにいられるだろうか。それはシエラ自身では全く分からないことであり、ただこのままでは、またこの間と同じになってしまうことだけは分かる。

「……はぁ」

 せめて、せめて自分の身だけでも守れたならば。そう想うが、未だに上手く魔力はコントロールできない。前に、魔力は体外へと溢れ出ていると聞いたことがある。だからその人がどれほど魔力をもっているのか感じ取れるのだ。

 しかし、残念ながらシエラは察知能力も敏感なわけではない。どちらかといえば鈍感だ。人にいわれてやっと他人の魔力の大きさに気づくことも、ままある。せめて魔力を感じ取られたなら、相手の攻撃にも対処できるだろう。

 ――って、考えても仕方ないけどさぁ。

 シエラは布団の中に更に包まる。とにかく、明日はなるべく早く起きよう。そう決めると、ふっと全身から力を抜く。隣からはラミーナの穏やかな寝息が、微かにだが聞こえてくる。 分からないこと、知りたいこと、知らなければいけないこと。まだこの旅でやるべきことは沢山あるのだ。

 グレイの目的も、刺客の目的も、アークの目的も、きっといつか分かる日が来るはずだ。そう、いずれ、絶対にぶつかる運命(さだめ)なのだ。シエラはゆっくりと目を閉じる。朝が来れば、また始まるのだから。

 静かに、太陽は西へと傾いていくのだった。



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