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リディア―世界の中で―  作者: 知佳
第四章:然
28/159

 シエラは、自分の置かれている状況が理解できなかった。

 今朝宿を出発し、マフィオに向かう街道を歩いていた。途中で差し掛かった橋を渡り、森に入ったはず。それなのに、今自分は暗い場所に押し込められている。身体は縄で縛られ自由が利かない。体勢を変えようと身体を捻ったが、縄が邪魔で上手くいかない。それに幾分か頭痛もする。

 視界が悪く、身体も満足に動かない。シエラは思わず舌打ちすると、布で塞がれていない口で小さく「イヴ」と呟いた。しかし、返事はない。一緒にいるかと想ったが、またイヴは消えてしまったらしい。気づけば帰ってきているので、あまり気にしていなかったが、イヴは時々消えるのだ。

「……はぁ」

 助けを呼ぶか。そう想い大きく口を開けたが、突然視界が光に覆われ、その眩しさに目と口を閉じてしまった。

「おいおい、本当にこの娘かー?」

「間違いねぇっすよ! 顔もそうですし、通ってた道も占い通りですし……」

 現れたのは二人組みの男だった。シエラは二人の会話から自分が適合者だとばれた。そう想った。痩せこけた長身の男はシエラに近づくと、手で頬を挟み上を向かせる。

「ふーん、お前がねぇ。……おい、歳は幾つだ?」

「……あんた誰」

 シエラは不躾な視線から逃れようと顔を逸らす。しかし、男はそれでもシエラの顔をじっと見つめている。ぶっきらぼうな口調で紡いだ言葉に、男は不満そうな顔をした。

「俺は幾つだ、と聞いてるんだ」

「……ッ!!」

 バチン、と乾いた音が響く。シエラは痛む頬を、歯を食いしばって耐える。何故いきなり叩かれなければいけない。

 ――人を拉致しておいて……!! キレたいのはこっちだってのに!!

 シエラは男を睨む。しかし、今度は先ほどよりも重たい一撃を喰らってしまい、渋々口を開いた。

「十六」

「かぁー! まだガキじゃねぇか!! もっとボンッキュッボンッ、なお姉さんが良かったぜ」

「ほんとっすよね!! なんでこんなまな板娘。あの占いのババア……!!」

「だ~れ~が、まな板だぁぁあぁ!!!!」

 シエラは二人の言葉に怒り心頭で、思わず頭突きをかましてしまった。

「てぇっ!!」

「何しやがんだこのガキ……!!」

「うっさい!! 人の事拉致っといて言う台詞かぁ!! 女に失礼よこの駄男!!」

「だ……ッ!?」

 怒りに任せて言い放った言葉に、どうやら男たちも精神的ダメージを受けたのか黙り込んでしまった。シエラは「ふんっ」としてやったりな表情を浮かべてやる。しかしどうやら男達の会話から察するに、シエラが適合者だとは知らないようだ。拉致した目的は他にあるらしい。

「おいっ、ロープだ! ロープを持って来い!!」

「へいっ」

 痩せた男の言葉にシエラは慌てて暴れ出す。これ以上拘束されてしまっては逃げられなくなる。足首を締め付けている縄さえ解ければ逃げられるのだが、両手が使えないのではそれもできない。

「お嬢さん、お兄さん達は決して怪しいもんじゃないよ……」

 シエラの口元を縄で縛り付けながら、男は下卑た笑みを浮かべている。

 ――嘘付け!!

 シエラは眉間に皺を寄せ、その笑みを睨みつける。すると、遠くの方から聞きなれた声が聞こえた。ラミーナの声だった。どうやらシエラの名前を叫んでいるらしい。叫び返したかったが、口を縄で塞がれている為無理だ。

「なんだ……?」

 男達もラミーナの叫び声に気がついたのか、首を傾げている。しかも声はどんどんこちらに近づいてきている。男達は急に慌て出し、シエラを閉じ込めている荷台のカーテンを閉めた。

 ――お願いラミーナ、気づいて!!

 シエラが祈っていると、なんと運良くラミーナが男達に話しかけた。

「この辺りで茶髪の、十六、七ぐらいの女の子を見ませんでしたか?」

「さぁ? 見ていないな」

「見てないっすね」

 男達は動揺を微塵も感じさせず否定した。シエラはこのままではまずいと想い、何とかして声を振り絞る。

「ん!! んん――!!」

「……?」

「んんんんー―!!」

「……ちょっと失礼するわね」

「えっ!? あ、おいちょっと姉ちゃん!?」

 男達の制止を無視し、ラミーナがカーテンを開ける。そこには縄で拘束され、必死に声を出そうとしているシエラがいた。

「シエラ……ッ!!」

 ラミーナは驚きのあまり一瞬固まってしまった。その隙に男達は何かを振りかぶり――。

「んん――!!」

 危ない。そう叫びたかったけれど、上手く音は言葉になってはくれなかった。

 ラミーナの頭部に魔法で出現した鈍器が直撃し、そのまま彼女は崩れ落ちてしまう。

 ――ラミーナ!!

 シエラはラミーナに近づこうとしたが、上手くいかず逆に顎から倒れてしまった。身体を芋虫のように動かし、ラミーナの傍まで来ることはできた。しかし、それ以上は何もできない。

「んんーん!!」

 どうやら当たったところが悪かったらしい。意識を失っている。

「……あ、兄貴。いいんスか? 折角こんな上玉……」

「この女もこのガキと一緒に運ぶぞ!!」

「……えぇ!?」

 男はラミーナをシエラの隣に放ると、馬車の周りに何かを書き始めた。それは空間魔法の簡易魔法陣だった。痩せた男はもう一人の、小太りの男に馬車を移動させ、円の中心へと導く。

「ここにいたら他の奴らにも見つかるだろ!! 行くぞ」

「ラ、ラジャーっす!!」

 男達は魔法陣の内側に入ると魔力を注ぎ込みはじめる。そして痩せた男が静かに詠唱を始めた。

「天網恢々疎にして漏らさず、崇めし汝、彼方の旋律。清浄な心、精霊の水、灰燼に帰す。ルーピス!」

 長ったらしい詠唱の後、男の言葉に合わせて馬車が大きくぶれる。

 シエラは今まで一度も体験したことがないが、これが空間魔法での移動か。と、揺れて痛む体でぼんやりとそんな事を想った。

 一瞬、景色が暗転した。そう感じたのも束の間、そこは先ほどまでいた場所とは明らかに違った。先ほどまでいた森は、少なくともきちんと陽光が差していた。それがどうだろう。一体何処の辺境であろうかと想ってしまうほど、今いる場所は薄暗く、カーテンの隙間から見える地面は荒れ果てている。

 それにしても、先ほどの魔法は聞いた事のない言葉ばかりだった。詠唱にもある一定の法則というものがある。法則に則っているものなら、シエラにも多少は聞き覚えがあるはずなのだが、今の詠唱はあまりにも聞きなじみがない。

 ――ラミーナが起きてくれてたらなぁ。

 そう思っても仕方ないことだが、シエラは内心で溜め息を吐いた。それよりも、ラミーナは大丈夫なのだろうか。あんなに思い切り殴られて倒れたというのに、男達は何もしてはくれない。

 ――……ラミーナ、死なないでよ。

 シエラがじっとラミーナを見ていると、男達がシエラ達のいる馬車の荷台の中に入ってきた。

「さぁて、これでゆっくりできるな」

 痩せた男はシエラの口の縄を解く。中途半端に自由になってしまったシエラに、突然恐怖が襲い掛かってきた。何故今更これほど怖くなる。

 しかし問いかけても答えは見つからない。ゆっくりと、確実に押し倒されてしまう、そんな自分の無力感が恨めしかった。シエラは引きつった頬で、無理矢理言葉を紡ぐ。

「どうして、こんな事するの」

 けれど思いのほか語気はきつかった。男達は顔を見合わせると、眉間に皺を寄せて小声で話し始める。

「話してもいいんじゃねぇですかね」

「けどよー、別に話さなくてもいいんじゃねぇのか」

 そんなやりとりが断片的に聞こえてきた。シエラはその様子をじっと見つめ、その間に手を縛っている縄をどうにしかして解こうともがく。魔力を少々手に込め、火を作るときのようなイメージを膨らませる。本当は本物の火、火力の弱いもので焼ききってしまいたいが、シエラにそんな小技は出来ない。

「でも、可哀相じゃないっすか?」

「そりゃぁ、そうだけどよ……」

 ――もう少し、もう少しで……!!

 解ける、解ける、解けた!

 魔力が縄に摩擦を作り、焦げたような匂いが鼻をついたが、今はそんな事に構っていられない。シエラは男達にバレないように足の縄も慎重に解いていく。不幸中の幸いだったのが、縄を胴体に巻かれなかったことだった。

 シエラは二人が話している間にそっとラミーナの傍に忍び寄る。優しく身体を揺すると、案の定ラミーナは目を覚ましてくれた。

「……ん、うぅ?」

 やはり頭が痛むのか、しきりに擦っている。ラミーナは物音も立てずに上体を起こすと、シエラに首を傾げて見せた。しかし、シエラもイマイチ状況を分かっていないので、肩を竦めて視線を男達に向ける。ラミーナはとりあえず逃げる事を先決とした方がいいと判断したのか、そっと荷台の床に指を這わせる。

「……螺旋の紋章、起源の煉獄。ファタ・ルナ・ムテリカ」

 しかし、ラミーナの魔法は何故か発動しなかった。ラミーナは魔法が失敗した事に驚き目を瞠っている。シエラは嫌な予感がじりじりと背筋を這って来るのを感じた。恐る恐る視線を男達に向けると、じっとこちらを見ていた。シエラと痩せた男の視線がぶつかりあう。

「残念だったなぁ。この馬車はよ、俺たち以外の魔法は遮断しちまう特別製のなんだよ」

「何よそれ……!!」

 ラミーナは声を荒げ立ち上がる。シエラは嫌な予感に首を傾げながら、ラミーナの隣に立つ。

「……なんで、そこまでするの」

 シエラの静かな問いかけに、男達は意を決したように口火を切った。

「俺たちは、死にたくねぇんだよ」

「あんた達も知ってるだろ? 今、世界がどんな状況に陥っているか。世界の均衡は徐々に崩れていって、いつ俺たちは死ぬとも分からない」

 確かに、それはそうだ。しかし、それを防ぐためにシエラは適合者として旅をしている。シエラからすれば男達の言葉は戯言にしか聞こえてこない。

「俺たちの故郷は少しずつ、作物が育たなくなっていってる。もう、生きるのも危ういんだよ! 八大国と違って、小国や田舎はもうそんなんばっかだ!!」

「……それで?」

 シエラは驚きでラミーナの横顔をまじまじと見てしまった。ラミーナはもう少し優しい言葉をかける想っていた。しかし、彼女の口から出たのはなんとも冷たいものだった。

「けどな、俺たちはある日教えられたんだ。運命、魂、それらの連鎖に関わっている者と交われば、聖玉が解放されようと、絶対に苦しみを味わうことはないってな」

 男達は意気揚々と話している。しかし、シエラもラミーナも萎えてしまった。

 何故そんな茶番につき合わされなければいけない。大体そんな事があるはずないと、何故気づけない。幾つもの疑問と怒りが胸を締め付ける。

「そして、あんたが俺のそれなんだ!」

 痩せた男はびしっとシエラを指差し、大股で近づいてきた。シエラは男を鋭く睨みつける。

「そんな事して、本当に助かると想ってるの? 聖玉が世界を支えることなんて誰でも知ってるのに。そんな下らない事で助かるって、本当に想ってるわけ?」

「うるさいっ!! ガキに何が分かる!!」

 強い力で腕を捕まれ、縄の締め付けで赤くなっていた手首が更に赤くなる。小太りの男はのっそのっそとラミーナに近づき、魔法で動きを封じてしまう。

「ラミーナ……ッ」

「おっと、お前はこっちだ」

「離してよ!!」

 シエラは痩せ男に向かって吠えるが、こちらも魔法で動きを封じられてしまう。これはいよいよピンチだ。そう想った瞬間、悪寒が走った。何か、途轍もない力と殺気の塊がこちらに迫ってきている。

「……!?」

 しかしその思考も、太股に這わされた手によって遮られてしまう。シエラは何とかして抵抗しようとするが、魔法のせいで上手く力が入らない。もうダメだ。そう想った瞬間、地面が大きく揺れた。

「な、な、なんだ……!?」

 地震だ。聖玉の力がまた大きく漏れ出たのだ。男達は酷く動転しているようで、シエラとラミーナ事を放って慌てふためいている。

「……せめて魔法が使えたら」

 ラミーナの悔しそうな声が隣から聞こえた。シエラは歯を食いしばり、どうにかこの馬車が壊れてくれないものかと願う。

「きゅーん!!」

「……イヴ!?」

 シエラは聞きなれた鳴き声に声を上げる。次いで炎と雷撃が迸った。

「ぬおぉ!!」

 男達は間一髪でそれを避けると、馬車から転がり出た。

 シエラとラミーナは胸を撫で下ろす。クラウドとウエーバーは疲弊した表情で男達を見下ろしている。クラウドの鋭い眼光に男達は竦みあがり、二人して手を取り合ってへたり込んでいる。

「……ったく、手間かけさせてんじゃねぇよ!!」

「ひぃいぃいいぃ!!」

 地面を穿つクラウドの剣に、男達は更に恐怖に顔を引きつらせている。しかし、痩せた男は何かを思いついたのか、小太りの男を引っ張って馬車に入ってくる。そしてシエラとラミーナに更にきつい緊縛魔法をかけた。

「この二人が、どうなってもいいのか!? ……おい、早くしろ」

「へ、へいッ! ……ルドナルアスナロピステキフ=アウストラ=ロピテイン!!」

 小太りの男の滅茶苦茶な詠唱が終わると、突然馬車とクラウドたちの間に巨大な壁が出現した。半透明のそれはたちまち魔法陣のように紋様を浮かび上がらせ、四方八方に拡張していく。

「何ですかこれ」

「見たことねぇな」

「……面倒だな」

 クラウド、ウエーバー、バイソンはそれぞれ攻撃態勢に入ると、壁に向かって突進する。斬撃、魔法、体術が壁にぶつかるが、それは壊れるどころがぴくりともしない。

「よし、今のうちに逃げるぞ!!」

「ラ、ラジャーっす!!」

 男達はシエラとラミーナを小脇に抱えると、馬車を飛び出してクラウド達とは反対方向に走り出す。

「ちょっと、何するのよ!!」

 ラミーナは僅かに自由になった身体で、小太りの男の背中に蹴りをいれる。しかし、男は防御魔法を使っているのか、全く痛くないらしい。

「あぁーもう!! ブレス・フレイム!!」

 しかも、まだ魔法は使えないらしい。ラミーナは効かないと分かっていても蹴りを止めない。確かにそうしていないとダメになってしまいそうだ。

 シエラはクラウドたちをじっと見つめ、あることに気づいた。先ほど感じてた殺気の塊が、自分のすぐ傍まで来ているということに。

「ぬわっふぅっ」

 そう想った瞬間、シエラを抱えていた痩せ男が奇声を発して盛大につんのめったのだ。地面に直撃する。目を閉じ衝撃を待ったが、一向に痛みはやってこない。恐る恐る目を開けてみると、吸い込まれそうなほど綺麗な灰色の髪が靡いていた。

「――全く、随分と下種な事をやってくれるね」

 底冷えするような声だった。シエラはつい最近見たばかりの顔に、思わず呟きを漏らす。

「チェイド、さん……?」

 しかしチェイドことグレイは湖畔のような静かな瞳をシエラに向けるだけで、何も言わない。シエラを横抱き、所謂お姫様抱っこをしているグレイは、男達を見下す。グレイは宙に浮いているので、本当に見下しているのだ。

「……あいつッ!!」

 クラウドはそのグレイの姿を捉えた瞬間、ふつふつと怒りにも似た感情が湧き上がった。何とかしてこの壁を破壊しようとするが、三人がかりでヒビさえ入らない。

「くそっ」

 もどかしさに拳を握っていると、そんなクラウドを嘲笑うかのようにグレイは笑みを浮かべる。

「その男達、どうしてほしい?」

「あ?」

「シエラと、ガイバーの適合者を辱めようとした、あの愚か者たちを、どうしたいと聞いているんだよ」

「どうしたもこうしたも、二人を取り返せればそれでいいんだよ!!」

 グレイの想わぬ問いかけにクラウドは苛立ちを露わに答える。すると、グレイはつまらなさそうに溜め息を吐いた。

「ダメじゃないか。そんな甘い考えで世界が救えるとでも?」

 その瞬間、一際大きな轟音が鳴り響いた。クラウドの渾身の一撃が壁に打ち込まれたのだ。ぱらぱらと破片が飛び散り、クラウドからは殺気が溢れて出ている。

「何が、言いたいんだ」

「ク、クラウドさん?」

「お、おい……ッ!!」

 驚くウエーバーとバイソンを尻目に、クラウドは物凄い勢いでグレイに近づいていく。それはもう、歩いているにも関わらず本当に早かった。

「……俺は、てめぇが気に食わねぇ!!」

 切っ先をグレイに向け、クラウドはありのままをぶつける。眉間に深く刻まれた皺が、彼の心情を物語っている。グレイは涼しげな視線でそれを受け流すと、シエラを抱き締める腕に僅かに力を込めた。

「それじゃ、まずはお手並み拝見といこうか」

 グレイの言葉と共に、痩せ男と小太りの男がクラウドに襲い掛かる。しかし、クラウドは男達の攻撃をものともせず、一瞬にして倒してしまった。

 その様子をグレイは感心したように口笛を吹き、クラウドに向かって笑いかける。けれどクラウドは殺気の篭った瞳を向けるだけで、何も言わない。

「にしても、本当にアークの奴らは困ったもんだよねぇ」

 すると、突然グレイに影が差した。シエラは驚きのあまり声が出なかったが、そこにはいたのはラミーナだった。

「御託はいいのよ」

 上空数十メートルに浮いているグレイ。しかし、そのグレイに攻撃を加えた。右手を水で出来た槍が包み込み、グレイの顔面目掛けて突く。

「あんた、一体何が目的なの!?」

「うーん、君じゃないかなぁ……」

「は……?」

 ラミーナの激しい突きの連打をかわしたグレイは、ひらりと身を翻す。気づけばラミーナの身体は後方に吹っ飛ばされており、一瞬何が起きたのか誰も分からなかった。

「ほら、ゆっくり話しを聞くんなら、一回落ち着こうよ」

「くっ……」

 ラミーナは腹部を押さえながらグレイを睨みつける。先ほどまで殺気を露わにしていたクラウドさえ、あまりの事に動けずにいる。

 シエラはグレイの顔を見上げながら、ゆっくりと息を吐く。ここで何かおかしな事をしたら、きっと一瞬で自分の命は消えてしまう。そう想うほどに、グレイの纏う空気は危険だ。

「そうだね、“僕”は親切だからね、アークについて教えてあげるよ」

 グレイは人の良さそうな、チェイドの時の空気を纏い微笑を浮かべる。その切り替えにシエラ達は背筋が凍る感覚を覚えた。

「そこの男たちは、アークのとある活動の一環にはめられたんだよ」

「活動? ……布教でもしたって事かしら」

 グレイの言葉をラミーナは鼻で笑う。しかしグレイは嫌な顔などせず、寧ろ嬉しそうな笑みを浮かべた。

「まぁ、そんなところかな。概要は聞いたんだろう? 全く馬鹿だよね。聖玉は絶対だ。魂に縁のある者と交わったぐらいで助かるわけがない」

 確かに、それはシエラもラミーナも思ったことだ。

 聖玉の存在によって今の世界は形成されている。そんなことは今や世界の常識だ。子供でも知っているような事実を、今更大の男たちが。シエラはそこでハッとした。今更ではない。今だからこそなのだ、と。

「うーん、シエラって意外に勘がいいのかな?」

 その様子をグレイはとても優しい瞳で見ていた。バイソンの兄の様な視線ではなく、もっと熱の篭ったような、慈愛に満ちたような、そんな視線だった。

「アークの目的は何だ」

「んー、まだ僕もそこは知らないんだけどねぇ。……けど、今回の狙いは挑発だろうね」

 クラウドの焦りを含んだ声音にグレイは暫し考えるような仕草を見せる。ウエーバーとバイソンは無言で、ただグレイから視線を逸らすことは無い。

「まぁ、精々気をつけることだ。簡単に負ける事を、僕は望んでいないんだから」

「……話しは、それだけか」

「ナルダンくんは短気だなぁ」

「失せろッ……!!」

 クラウドは剣に迸っている電気を、グレイに向かって薙ぐ。一直線に向かうそれを、グレイはひょいと避けると、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。

「駄目じゃないか。シエラに当たったらどうするつもりだった?」

「……どうせ避けるんじゃねぇか」

「ははっ。僕がシエラを盾にするような外道だったらどうするんだろうね」

 グレイはクラウドをおちょくるように口の端を吊り上げている。

 精神からじわじわと相手をいたぶり、弱った頃に肉体を叩く。そんな狡猾で嫌味な戦法は、恐らくグレイの専売特許であり十八番なのだろう。

「……さ、シエラ。名残惜しいけど、君は戻らないとね」

 そして急に優しくなる。これも作戦なのだろうか。シエラはグレイの真意の在り処を求めて彼の瞳をじっと見つめる。

 けれど、そこにはただ深い哀しみを宿した灰色があるだけだった。

「あなたの目的は、何」

「僕? そうだなぁ……なんだろうね。いつか分かるよ。でも、これだけは知っておいて。僕は、この世界が大嫌いなんだ」

 グレイはそれだけ言うと、シエラの身体をゆっくりと下ろす。勿論ここは上空だ。放されれば落ちるだけである。シエラは身体を縮こまらせたが、グレイはしっかりとシエラの手を握っていた。

「大丈夫。きっとナルダンくんが受け止めてくれるよ」

 君たちの絆が本物ならね。

 囁かれた瞬間、シエラは浮遊感を感じた。真っ逆さまに頭からゆっくりと落ちていく。グレイがもうあんなにも遠い。唖然としたラミーナの顔が強く頭に残り、けれど自然と恐怖はなかった。

「……今は、君に預けておくよ」

 ふわりと身体に温もりが伝わる。すぐ近くにはクラウドの深い眉間の渓谷がある。シエラは重く吐かれた溜め息に、やっと現実味を感じた。

「早く降りろ」

「ク、ラウド……」

「な、なんだよ!」

 シエラの顔が歪んだ。泣きそうな彼女の顔を見てクラウドはぎょっとすると、慌てて地面に身体を下ろしてやる。

「俺なんかしたか!?」

「ちが……! そうじゃない」

「じゃぁなんだよ」

 真剣に慌てている彼を見ると、安堵感が広がると共に笑いが込み上げてきた。シエラは泣きそうになった自分を隠すように顔を背ける。

「……な、なんでもない!!」

「そうかよ」

 クラウドも途端に気まずくなったのか、互いに顔を背けてしまう。ウエーバーとバイソンは互いに顔を見合わせ、苦笑いを浮かべた。ラミーナはじっとグレイを睨みつけ、ゆっくりと口を開いた。

「あんた、本当に何なのよ」

「あぁ、そういえばちゃんと名乗ってなかったね」

 グレイはやっと思い出したように大仰に手を打った。ラミーナはシエラ達の下に降り立つと、グレイを見上げた。

「“俺”はグレイ=ジェルド。改めて宜しく、玉を継ぐ者たち」

 グレイが優雅に一礼してみせると、緩やかな風が吹いて彼の灰色のマントを靡かせた。どんよりと淀み始めた空に浮かぶ姿は、まるで不吉の象徴のようだ。

「今度は、ちゃんと守っておきなよ」

 諭すような、心配するような曖昧な口調でグレイは、クラウドとシエラを優しく見つめた。その優しさの中にさえ、獣のような光が宿っている事にシエラとクラウドも気がつく。

 そして、グレイは気がつけば音もなくその場から消えてしまっていた。

「訳分かんない」

 ラミーナは頭を抱え項垂れている。

 突然現れては突然消えてしまう。まるで本当に先ほどまでここに存在していたのだろうか。そんな風にさえ想ってしまうほど、グレイという男は掴み所がない。

「……でも、アークから助けてくれたって事だよね」

 シエラの呟きに、誰も何も言えない。ただ、バイソンは暫く考え込んでから思いついたように口を開いた。

「要するに、あいつもアークは嫌いって事だろ」

「まぁ、確かに。そう取れなくもないですよね」

「嫌いか好きかなんて甘い考えな訳ないでしょ!? あの男も、何か狙ってるに決まってるわ!! じゃなきゃこんな事……」

 ラミーナは怒りで肩を震わせている。最初の時もそうだった。グレイは掻き乱すだけ掻き乱し、忽然と消えてしまったのだ。

「それより、“玉を継ぐもの”って、俺たちの事だろ? また接触してくるってのか?」

「でしょうね。彼とはこれで二度目ですし」

「刺客に、謎の男に、アークに……。俺たちって人気者だな」

「呑気なこと言わないでよっ!」

 豪快に笑い飛ばしたバイソンにラミーナは息巻く。

 こんな時のバイソンは頼れるが、しかし時々不安になる。そんな楽天的に身構えていていいのだろうか。シエラは言い知れぬ不安を感じながら、拳に力を込めた。






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