四
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「はぁ、疲れた……」
シエラは項垂れながら重たい足取りでベッドに倒れ込む。痛む頭をさすりながら、シエラは先ほどまでの出来事を思い出した。
バイソンが適合者だと分かったシエラとクラウドは、とりあえず宿に向かうことにした。しかし、その前に一つ問題があったのだ。
「……さっきの光は何なの?」
そう、ライラだ。シエラは彼女がお見合いが嫌で抜け出してきたということを思い出して頭痛を覚える。ライラを宿に連れて行くわけにもいかない。何より彼女を危険な目に合わせてしまう。本音をいえばシエラがライラのことを嫌悪しているからだが、それを本人にいえるはずもなく。
「え、えーっと……なんていうか」
幸いにも適合者云々の会話はライラには聞こえなかったらしく、怪訝そうな顔でこちらを見つめている。
シエラはライラの元に近寄り、未だに立てない彼女の目線に合わせるために屈みこむ。
「私たち、もう宿に戻らないといけなくなって。ごめんねライラ。お見合いのことを自分で何とか……」
シエラがそこまで言うと、さっとライラの顔が青褪める。そして、シエラが言葉を終える前にシエラの腕を強く握った。
「何とかって何!? こんな私にどうしろっていうの? ろくにお金も持ってないのよ!! そんな私を置いていくなんて……」
また始まった。一体いつまで悲劇のヒロインでいるつもりなのだろうか。第一、お金を持っていないのはライラに計画性がないからだ。
シエラは出掛かった言葉を飲み込むと、ライラの頬を一発、叩いた。案の定ライラは一体何が起きたか分からない、という表情をした。けれどシエラは冷淡な瞳でライラのことを見下す。
「いい加減にしてよ。私はね、別にあんたの親でもなければ友達でもない。今日はじめて知った人間にどうしろと?」
自分でも思いがけないほどの冷たい態度だった。冷静で、決して語気を荒げることもない。けれど、ライラは先ほどのシエラの言葉に目尻を濡らしている。
「ひ、ひどい……! 私だけだったの? 友達だと想ってたのは」
「……はぁ」
後ろには唖然とした顔で二人のことを眺めているクラウドとバイソンがいる。あまりこういう場面は見せたいものではない。
シエラはクラウドに視線を送る。
「ごめん、先に宿に戻ってて」
「あ、あぁ……」
クラウドはシエラの初めてみる一面に驚きを隠せないようだ。そそくさとその場からいなくなろうとした。しかし、バイソンは違った。
「……事情が、あるんだろう?」
揉めているシエラとライラ、双方の言い分を聞こうとしたのだ。けれど、これ以上ライラと長くいると自分が自分ではなくなりそうで、シエラはそれに渋面を作る。
「バイソンさん、お願いだから……」
「バイソンでいいぜ。いや、けどこういうのって、第三者の意見が重要だろ?」
爽やかに笑うバイソンが、この時ばかりは恨めしかった。自分の親の従業員の顔すらも分からない箱入り娘に、これ以上何を言う必要があるのだろう。
シエラは怒りがふつふつと湧いてくるのを感じた。いっそ思いの丈を全てライラにぶつけてやろうか。一瞬そんな考えが過ぎったが、後々遺恨を残すようなやり方は主義に反する。
「……ライラ、お願いだから分かってよ」
これで素直に頷いてくれれば、まだ良かったのだ。しかし、ライラはシエラを憤慨させる言葉を言い放った。
「何よ、どうせ私なんかどうでもいいんでしょ!! だったらさっさと行けばいいじゃない!! 私が死んだらシエラのせいなんだから!! あーあ、何よ急に態度変えたりして……!」
その瞬間、シエラは自分の中で切れてはいけない何かが切れた音を聞く。気づけばシエラは先ほど堪えたはずの言葉を、ライラに向けて爆発させていた。
「甘えるのもいい加減にしたら!? お金がなくて死ぬかもしれない? だから何。家出するなら準備でもしておけばよかったのにね。そうやって何時までも悲劇のヒロインでいられると想ったら大間違い! 縋れば誰かに助けてもらえるとでも思ってたの!?」
あまりの剣幕にライラはいよいよ涙を零した。
シエラはその竦んだ表情を見た瞬間、何か黒い感情に自分が飲み込まれるのを感じた。自分が自分じゃなくなる――そう警鐘が鳴り響く。それなのに自分ではどうしようもできないこの感情。
すると、バイソンがシエラの頭を優しく撫でた。ライラからシエラを離すと、バイソンはもう一度シエラの頭を、穏やかな笑みを湛えて撫でてくれた。
「もういいぞ」
まるで兄ができたようだ、とシエラは思った。優しさが、両親のそれとは違う。自分と同じ目線でありつつも、自分とは違う。シエラには兄弟はいないが、きっといたらこんな感じなのだろうか、と少しばかり想像する。
「バイソンさん……」
ライラのくぐもった声。バイソンはライラの目線に合わせるように屈みこむと、にぃっと笑った。
「ほら、泣き止め。お前にだって事情はあったんだろ」
今日、しかも数時間前に知り合った人間にも関わらず、バイソンの言葉は妹を気遣う優しい兄のようだ。
「けどな、人に迷惑はかけちゃダメだよな。お前だって苦しくて、逃げたくて、助けてほしかったんだろ?」
「はい、はい……」
ぽろぽろと、ライラの双眸から雫が零れ落ちる。いたいけな少女が泣いているのは傍から見れば「可哀相」だの同情を買うが、シエラはその性格もあわさって湧いてくる感情は怒りにも似ていた。
「……でも、今回は逃げたらいけなかったんだ。だから、自分自身でその問題に勝たないといけねぇ」
バイソンの言葉はライラの心に染み渡っているのか、彼女はもう喚く事をしない。
「だから、ちゃんと向き合えよ」
初めて出会った人間に、こうも心揺さぶられるものなのだろうか。バイソンの持つ独特の雰囲気がそうさせたのか、ライラは大人しく頷く。
「ご迷惑を、おかけしました……」
そう言ってそそくさとライラは立ち去ってしまった。シエラは心の中にしこりを感じながら、宿へと歩くのだった。
宿へと着いたシエラたちは、ウエーバーとラミーナに出迎えられた。バイソンを見た瞬間、怪訝そうな顔をしたが、ラミーナは暫しの沈黙の後、声を上げた。
「あんた、もしかしてマイリヴァ=バイソン!?」
「ラミーナ、知り合いなの?」
驚嘆の目でバイソンを見つめているラミーナに、シエラが首を傾げる。すると、ラミーナは「知ってるなんてもんじゃないわよ!!」と語気を荒げた。
「今ユクマニロで一番人気の格闘家よ!」
「へぇー…………えぇ!?」
ラミーナの言葉に、今度はシエラが驚く。バイソンの顔を見上げると、彼は照れ臭そうに笑っている。
「並み居る格闘家の中でも、一番人気なんて……凄い人ですね」
ウエーバーが感心したように呟きを漏らし、クラウドも深く頷いている。確かにそれは凄い事だが、本題はそこではない。シエラは咳払いをし、ラミーナとウエーバーに改めてバイソンを紹介する。
「……んで、適合者です」
「あぁー、適合者でしたか」
「そう、適合者……」
「……」
「……」
暫しの沈黙の後、ラミーナとウエーバーは物凄い勢いでシエラに近寄った。本当に間近にある二人の顔に戸惑いながらも、シエラは何度も「本当に」と呟いた。
「だって共鳴したし。それにイヴも……」
「きゅーん!」
元気良く飛び出してきたイヴは、バイソンの肩に飛び乗ると嬉しそうに尻尾を揺らしている。
「ふーん。ま、揃ってくれることは嬉しいし、あんたなら大歓迎よ」
ラミーナはバイソンに手を差し出すと、自己紹介を始めた。ウエーバーも同様に自己紹介をすると、バイソンは爽やかな笑みを浮かべて「宜しくな」と言った。
そして食事と入浴を済ませたシエラは、今に至る。
ベッドに仰向けで寝そべりながら、今日一日を振り返ってみる。なんだか、とても密度の濃い疲労が溜まった一日となった。ライラによる精神的苦痛が一番の理由だが、共鳴してからどっと疲れが押し寄せてきたのだ。
シエラの瞼が重くなりかけた頃、部屋の扉を叩く音が聞こえた。そして「シエラ、いますか?」という控えめなウエーバーの声が聞こえる。シエラはベッドから飛び起きると、ドアノブを捻る。
「ウエーバー、どうしたの?」
「えぇ、実はこれからの事を話し合うという事で呼びにきたんですけど……。シエラ、相当疲れてますね」
「え、そう?」
「顔が……その、げっそりしてるって言いますか」
「うーん、ちょっとねぇ」
心配そうに顔を窺っているウエーバーに、シエラは乾いた笑いを漏らす。部屋の扉を閉めて、ウエーバーの隣に並ぶ。
「悩み事なら、相談して下さい」
「いやぁ、もう終わった事なんだけど……」
そしてシエラは、ライラとの出来事をウエーバーに話した。話の途中でつい感情が篭りすぎて語気が荒くなったが、何とか要点を掻い摘んで話すことができた。
「……なるほど、そんな事があったんですか」
ウエーバーは眉間に皺を寄せている。何か思うところがあったのだろうか。シエラは何か戸惑うように口を開いたウエーバーを凝視する。
「えっと、その……昔読んだ本にあったんですけど、昔は、女性はお見合いをして、自分の好きな人と結婚できるのは稀だったそうです。だからその、もしかしたらこの町には、そういう風習みたいなものが残っているのではないかと思ったんです……」
ウエーバーの語尾が段々と小さくなっていく。彼が自分の意見に対して自信なさげなのは珍しいが、おそらくシエラの機嫌を気にしての物言いなのだろう。
シエラはふむ、と少しだけ考えてみた。
確かに、そんな話をシエラも歴史の授業で聞いた事がある。普通学校に通っているとき、一通りのロディーラの歴史を習う。その中で、今から五百年ほど前は歴史的大混乱の時代であったと教えられた。俗に言う、大恐慌だ。その頃は女性の権利などなく、色々な問題が八大国内で起きていたという。
シエラは腑に落ちないといった表情で、ウエーバーの言葉を反芻する。ライラが箱入り娘という事もあるだろうが、その風習も関係あるのかもしれない。
「……そっか。一概に悪い、なんて言えないもんだね」
「まぁ、今は政治も安定していますから、風習の名残程度ですよ」
少しだけシエラはライラへの考えを改める。世界には、まだまだ自分の知らない事が溢れているのだ。そう想うと、自分がいかに狭い世界で生きてきたかが分かる。
――……まぁでもあの箱入り娘の勝手気ままさには疲れたけどね……!!
シエラは小さく拳を作ると、ウエーバーに笑顔を向ける。
「ウエーバー、ありがとう」
そしてシエラとウエーバーが和やかな雰囲気で談話室に入ると、そこは殺伐としていた。
「……どうしたの?」
シエラとウエーバーが顔を見合わせていると、ラミーナが重たく溜め息を吐く。椅子から腰を上げると、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
「あんた、何かした?」
「は? ……え、クラウド? いやぁ、何にも」
ラミーナが小さな声で訊ねてきたので、反射的にシエラも声を小さくする。ラミーナの視線の先には、不機嫌そうなクラウドがいる。特に何かした覚えはないが、明らかに彼はご機嫌斜めだ。
「……えーっと、どうしたの?」
クラウド、と小さく付け足すと、彼は鋭い視線をシエラに寄越す。その眼光に捉えられると、シエラも身体が強張ってしまう。
「いや、別に……。何でもねぇよ」
「何でもないって。じゃぁ、なんでそんな顔なの?」
「……るせぇ、元からだ」
クラウドのその言葉に、シエラとウエーバーはまたも顔を見合わせる。クラウドらしくないのだ。こんな事を言う性格だったろうか。
そしてよくよくクラウドの事を見てみると、彼は不機嫌なのだが、少しだけ落ち込んでいる様な気もする。
――もしかして、あのジルって人に言われたの気にしてる……?
『手負いのてめぇなんか、殺っても楽しくねぇんだよ』
剣士として、これほどの屈辱はないのかもしれない。シエラにはよく分からないけれど、きっとクラウドのことだ。いくら病み上がりで本調子ではないと言え、悔しいのだろう。
「と、とにかく! 話し合いをしませんか!」
ウエーバーが嫌な空気を払拭するように明るい声を出して腰掛ける。シエラとラミーナも椅子に腰掛けると、話しがはじまった。
「クラウドさんは、体調の方どうですか?」
「もう大丈夫だ」
クラウドは覇気のある声でそう言うと、普段どおりの精悍で落ち着き払った表情に戻る。どうやらシエラの考えは杞憂に終わったらしい。シエラはほっと胸を撫で下ろす。
「それじゃ、明日にもマフィオに向かうわよ」
「……ここからマフィオまで、どれ位時間かかるんだ?」
「えーっと、大体三、四日ってところですね」
「結構あるもんだなぁ」
シエラが部屋で暫し休んでいる間に、大方の事はバイソンにも話してあるらしい。テーブルを囲んでの会話にきちんとついてきている。
「それにしても、その刺客ってそんなに強いの?」
すると突然、ラミーナが思い出したように呟いた。クラウドもウエーバーも険しい顔をして、ゆっくりと頷いた。
「あれは、強いなんてもんじゃねぇ。戦い慣れしてやがる」
「そうですね。体術、魔術共に相当鍛えられています」
「確かに。俺の蹴りを受けてもあんなにピンピンしてるなんて、正直驚いたぜ」
バイソンも神妙な面持ちだ。ラミーナは彼らと会っていないが、三人の言葉から相当強い相手である事は察せただろう。
「……あたしとしては、その刺客のアールフィルトってのが気になるけど」
「僕もです。原初の神の名前を、何故名乗っているのでしょうか」
アールフィルト、つまりアンの事だ。シエラはアンの現実で見た無表情と、夢の中での彼女を思い出す。
彼女は表情というものが欠落している。欠落したのか、元々持っていなかったのかは定かではないけれど、それでもこれだけは言える。少しずつ、彼女は表情を取り戻している。二度の対峙で断言はできないが、シエラの中には確信のようなものが生まれていた。
「でも、俺は一回ちゃんと手合わせしてみてぇな」
バイソンは無邪気な子供のような笑みを見せる。しかし、ラミーナは冗談じゃない、という風に眉間に皺を寄せた。
「宝玉が狙われてるのよ!? そんな呑気な事……」
「けどよ、いつかは戦うんだろ?」
「だからってねぇ……!!」
ラミーナもバイソンの前では子供に見えてしまう。流石は兄貴分といったところだ。出逢って間もないが、バイソンの兄のような雰囲気はすっかり馴染んでいる。
「ところで、バイソンって歳幾つなのよ?」
ラミーナが溜め息を吐きながら話しを逸らすと、バイソンはきょとんとした表情で口を開く。
「二十四だけど」
「え……」
視線がバイソンに集中する。彼は不思議そうにシエラたちを見るが、シエラたちからすればバイソンの方が不思議だ。
「いや、言われて見れば納得なんですけど……。なんというか、雰囲気が随分と無邪気なので……」
「あぁ、よく中身はガキって親父にも言われるぜ」
「年齢だけで考えると、ウエーバーと十歳も違うんだね」
シエラがそう言うと、バイソンは苦笑いを漏らした。どうやら、年齢の事を気にしているらしい。
確かにバイソンから見ればシエラたちはまだまだ年齢的にも子供である。シエラたちから見れば、バイソンは良き兄のようなのだが。
「どーせ俺は既定年齢ギリギリだよ……」
「家族にでも馬鹿にされた?」
「あぁ、特にチビたちにはな」
「へぇ。バイソンってやっぱりお兄ちゃんなんだ?」
「十人兄弟の長男だ。ったく、一番下の妹なんてまだ五歳だぜー」
だからか、とシエラたちは納得する。シエラたちよりも年上だがまだ若いバイソン。彼の雰囲気が妙に落ち着いて馴染みやすいのは、彼が本当に兄だから。
「随分と多いんですねぇ」
「ユクマニロは一夫多妻制だからな。もっと多い奴なんか三十人とかいるぜ」
「うわ、それ凄い……。家族だけでそんなにいたら覚えるのも大変そう」
シエラの呟きに、バイソンは豪快な笑いを漏らす。ロベルティーナは一夫多妻制ではないし、兄弟はいるとしても普通は二人か三人だ。王室ともなれば正室の他に側室などもいると聞くが、一般家庭での一夫多妻制には正直驚いた。
「……っとと、んな事言ってたらもう夜も遅くなっちまったな! ……寝るか!!」
すっと席を立ち上がると、バイソンは部屋に向かって歩き出した。
シエラたちも席を立つと、各々の部屋に向かう。バイソンという仲間が加わり、シエラも気持ちを新たにしたのだった。




