幕間
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暗い部屋の中、影が揺らめく。蝋燭の明かりさえも無い部屋で、グレイはあやしげな笑みを浮かべている。ゆっくりと壁に手を這わせ何事かを呟けば、そこから淡い藍色の光が溢れ出す。
すると、壁に魔術式の組み合わせにより構成されたデータの羅列が浮かび上がる。そこには適合者と刺客の顔までもが映し出されており、グレイは恍惚とした表情でそれを見つめている。
先日から大国に召喚した魔物たちは、予定通りに首尾よく動いている。計画に支障は無い――今のところは。グレイが嬉々としていると、背後に人の気配を感じた。グレイは振り向きその人物の顔を見ると、更に笑みを深める。
そこにいたのは、薄紫と薄桃色の混じったような、淡い髪色の女性だった。その胸元には金色の十字架のペンダントがかかっている。
「……どうやら、順調のようね」
女性は口元に弧を描くと、ゆっくりとした歩調でグレイに近づく。そして、適合者の顔ぶれを見た瞬間、僅かにだが息を呑んだ。
「どうだい、凄い面子だろう。ま、こちらの手ごまもそうだけどね」
「えぇ、恐ろしいわ。適合者なんて、各国の特色をよく表しているわね」
「宝玉の考えることなんて、今も昔も分からないよ」
グレイは投影されたデータに目を細める。
世界を救った過去の英雄たちも保持していた、世界の命運を決める玉。まるで意思を持っているかのように、あれは適合者に大きな影響をもたらす。それは大きいものでありながらも本人達に自覚させることはない。ゆっくりと、しかし確実に変化はうねりとなって顕現する。
――あぁ、なんて忌々しいんだろうね。
宝玉は言わば印であり証だ。適合者を結びつけ、神の国へと導くための。グレイは知っている。宝玉という存在の恐ろしさ、虚しさ、哀しみを。
「あなたがそんなに考え込むなんて、珍しいわね」
グレイの隣にいる女性は、愉快そうに笑っている。珍しいものでも見たような、そんな目だ。グレイは宝玉に感じる憤りに似た何かを、話す事で紛らわせようとする。
「まぁ、ちょっとね。……折角だから、君にはゲームについて話しておこうか」
「ゲーム?」
「そう、ゲーム。けれど、これは遊びじゃないよ。真剣勝負だ。俺と適合者、生き残りを賭けた大勝負になる」
「あら、そんな大切なことを私なんかに言っていいのかしら……?」
「構わないさ」
だってまだ始まったばかりなんだから。
グレイの不敵な笑みは一層濃くなる。これほど楽しいと想ったのは何百年ぶりだろう。二千年前には感じたことのない高揚感を、グレイは無邪気な子供のように素直に受け入れていた。
「このゲームは、第一段階は適合者が全員揃うことで成立するんだ。だから、俺はフランズまでは彼らに危害は加えない」
「あら、それは当初の予定とは違うんじゃなくて?」
「うん、まぁそうなんだけど。でも俺はこっちの方が楽しいから、結果としては喜ばしいことだよ。そもそもアレンにはあまり期待してなかったわけだし」
「坊やなりに頑張ったのでしょう。その言い草は可哀相だわ」
グレイの言葉を女性が咎めると、グレイは更に笑みを濃くする。何か測り知れない思惑があるのだと、女性は直感的に悟った。
「……まぁ、この結果を導いてくれたことには感謝しているよ。話を戻すとね、適合者は全員揃ってこその存在だ。俺はその第一段階が整い次第、アンたちに動いてもらうつもりだよ」
「そういえば、何故フランズなの?」
女性は投影された世界地図を眺めながら、ふと疑問を口にする。
適合者についてはよく分かっていないことが多い。その出来事の多くは七大国により情報制限が掛かっており、一般にその情報を得るのは難しい。
伝承も残っているが、伝承は伝承に過ぎない。二千年前の真実を知っているものは、その当時生きた人々しか知れ得ないのだ。
「……勿論、無干渉を気取っている神の仕業だよ」
「神が? あの者たちはルダロッタから出れないのでしょう……?」
「正確には、出れないんじゃなくて、出ないんだよ。……神はね、いつでも気まぐれに戯れているだけなんだよ。使いを出しては裏で適合者を導き、ルダロッタへの入り口まで連れてくる」
グレイは忌々しげに魔術式の羅列を睥睨する。自然と拳に力が篭り、感情の昂りによって僅かにだが魔力が漏れ出している。
「今回はどうやらフランズで集まるようにしているみたいだけどね。ま、こちらとしてはそれで構わないし、問題ないからいいんだけど」
「そう、なの。……神なんて、この世に存在している意味が分からないわ」
それまで冷静だった女性が、途端にきつい声音になった。冷ややかな瞳が映しているのは、イヴと書かれたデータだった。
「神はロディーラに最初に生まれた生物だ。いや、そうと言われている。万物はアールフィルトによって生成され、人間と魔物も神によって生じた、と」
「……けれど、彼らは傲慢だわ。世界が危機に瀕したときにしか動かない。怠惰で、傲慢よ」
神というのは確かに女性の言う通り、滅多な事では人間にも魔物にも関わってこない。
八大国は神たちと協定を結んでいるものの、それは形だけに過ぎない。今回のことも、二千年前と同じ行動をとることで世界が救われると想っているのだ。
「まぁ、それは確かだね。けど、生物っていうのは不思議でね。数で勝るものには何者も勝てないんだよ。それが例えどんな強者でもね」
「それこそ傲慢じゃないのかしら?」
「さぁ、どうだろうね。けど、世界の面積は半分を八大国が占めている。それはつまり、半分は確実に人間の領土ってことじゃないか」
グレイは恍惚とした表情で、舐めるような視線で地図を見つめている。平面で見れば何の事は無い。けれど、この広大な土地を有することには大きな意味がある。力で一番劣る人間が、魔物よりも神よりも勝っているのだと実感できるのだ。
「それより、話しが脱線し過ぎたね。第一段階で適合者が揃えば、更にその絆を強める必要がある。だから、アンたちには彼らの経験値になってもらう」
「協力的なのね」
「これはアンたちの経験値にも繋がるからね。それに、いずれぶつかる運命なんだよ」
アンの中に眠るアールフィルトは、いずれ必ず宝玉に引き寄せられる。互いに作用されあい、感化されていく。
「……それよりも、大事なのは第二段階。ルダロッタについてからが重要だよ」
グレイは投影された世界地図を拡大すると、ルダロッタに焦点を合わせる。ロディーラの最も北西にある国だ。
「この後、適合者たちは試練を立ち向かわないといけないからね。その前にひと波乱起こさないと」
「随分と不親切なのね。第一段階での優しさはもうなくて?」
女性の皮肉めいた指摘に、グレイは苦笑いを浮かべる。けれど、これは最後の時に自分達が目的を達成するために必要不可欠なのだ。封印をするには、一度封印を解く必要がある。その時が絶好の機会であると、グレイは踏んでいる。
「けど、このゲームは世界の命運がかかっている。こちらの手駒の働き次第だよ」
「……あなたの最高傑作はちゃんと、作動しているの?」
「勿論だ。順調すぎるぐらいだよ。ここ数日で著しい成長も見せているんだ。あれは……予想以上だった」
グレイは思わず自分の両手を見つめてしまった。
あれを自分で作ったのかと想うだけで、歓喜に震えてしまう。製造者としてこれほど嬉しいことはない。長年の研究の成果が実ったのだ。この時のために長い人生を捧げてきたグレイにとって、ゲームを盛り上げることが生きがいともいえる。
グレイの灰色の瞳がぎらつく。獣のような輝きは見るものに畏怖の念を抱かせ、彼の貪欲さは人を魅了する。
「……二千年前も、こうだったら良かったのにな」
ぽつりと、寂しそうに漏らしたグレイの横顔は、置き去りにされた子供のようだと――女性は想った。母親に置いて行かれた、あるいは兄弟や大切なものに除け者にされた、可哀相な子供。きっとグレイ本人は気づいていないのだろう。自分がどれほど二千年前に執着しているか。女性は答えてくれないと分かっていながらも、口を開いた。
「二千年前は、どうだったの?」
「……あの時、俺は無力だった」
しかし女性の予想を裏切り、グレイは笑った。自嘲的な笑みの裏には、かつての自分への怒りが見え隠れしている。
「俺に力さえあれば彼女は離れていかなかったんだ! 神が俺から彼女を取り上げたんだ!! 俺の大切で愛しい……リディアを」
悲痛な叫びは暗闇の部屋に木霊す。壁を殴ったグレイの瞳は獣の輝きを一層増している。強い想いの塊に、女性は何も言えずに黙り込む。
「けれど、今の俺は違うよ。俺のことを辱めた愚かな神共に最大の屈辱を味あわせてやる……ッ!!」
その瞬間、グレイの周りを取り囲むように数体の魔物が出現した。跪き頭を垂れる姿は忠誠の証。
女性は魔物さえも従えてしまうグレイに、思わず震えた。最初から分かってついてきたはずだったが、この異様な光景を目の当たりすると、やはり恐ろしい。
「……どうかした?」
魔物たちを一瞥すると、一体の魔物はグレイに手紙を差し出した。筆跡はアレンのものだった。魔術式の通信で連絡すればいいはずだが、わざわざ文を寄越すとは。グレイは怪訝に想いながらも、それを受け取る。
すると、魔物たちは現れたときと同様に一瞬にして消えてしまった。種族から見て、移動魔法に特化した魔物。やはり魔物も種族で役割を割り振るあたりが抜け目がない。というより、魔物を一概にくくり差別していない、といった方が正しい。
「ふぅん。アークがねぇ」
つまらなさそうに呟いたグレイに、女性は我に返る。グレイは女性に文を手渡すと、どっかり椅子に腰を下ろした。
「全く、つまらないことをしてくれる。……奴らの目的も読めないけど、何より手段が気に食わないね」
女性は文字を目で追いながら、グレイの言葉に耳を傾ける。
確かに、解せない。一体あの秘密結社は何をしようとしているのだろうか。いや、裏を返せば辿り着く答えは――。
「……彼らも、私たちと同じなんじゃないかしら」
「おや、君もそう想ってるのか」
「あなたも?」
「多少の差異はあるだろうけどね。殆ど同じじゃないかと想ってるよ」
グレイは頬杖をつきながら、人差し指で円を描く。すると、そこからカップが二組出現した。
女性にも腰掛けるよう勧めると、グレイは再び円を描く。今度はカップに紅茶が注がれる。湯気を立てながら香りが鼻腔をくすぐる。
「でも、そうなると厄介だ。封印の時に邪魔になりかねないし、道中もゲームの障害になる可能性があるね」
グレイは紅茶を口に含みながら思案する。適合者から発生したトラブルには対処できる自信がある。が、アークの場合はどうだろうか。
はっきり言って相手はここ数年で急激に拡大した結社だがデータが少なすぎる。そもそも眼中になかった。それがここに来て突然活発化など、あからさま過ぎる。
――人間如きが、どうするつもりだろうね。
心中でそう想い、自分の言葉の矛盾がおかしかった。人間如き――その枠組みに自分も入っているというのに。それでも、ただの人間に負ける気はしない。負けられないというのもあるが、グレイは己の力を信じている。
「……アーク、か」
グレイの視線は、シエラの顔に向けられている。見れば見るほど不思議だ。何故彼女が選ばれたのか。いや、彼女ほど相応しい人間はいないが、それでも腑に落ちない。
「調べておく必要がある、か」
「……私も手伝いましょうか?」
「いや、いいよ。君は君のことを終わらせて」
グレイは女性に微笑みかける。全てが全て上手くいくだなんて思っていない。しかし、それでも最善を尽くすに越したことはないのだ。ゲームを台無しにする輩がいるのなら、自分の手で始末するのが、このゲームを作ったものの責任。
グレイは歪んだ思想を実現するために、思考を張り巡らせる。策を練り、相手を弄ぶ。子供のような無邪気さが、彼を突き動かすのだった。




