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リディア―世界の中で―  作者: 知佳
第三章:秘
25/159

 翌日、シエラは一人で町を散策していた。ここは商業の盛んな町らしく、昼前だというのに人通りも多く賑わっている。広場の噴水の前では子供たちが楽しそうにはしゃいでいる。そんな様子を見ていると、シエラの心も自然と和んだ。

 クラウドもウエーバーもラミーナも、やはり疲れていたのだろう。今回は別々の行動となり、もしものことがあればシエラはイヴに、三人の元に伝令として行ってもらうことになった。

「きゅーん!」

 シエラがイヴの頭を優しく撫でてやると、イヴも嬉しそうな鳴き声を上げる。それが妙に可愛らしくて、シエラもつい何度も頭を撫でてやっている。

「あーあ、なんか面白いことでもないかなぁ」

 暫く町を見て回っていたが、あまり目ぼしいものもない。シエラは段々退屈になってきた。近くのベンチに腰を下ろすと、ふと、自分と同年代であろう少女がこちらをじっと見ていた。

「……?」

 疑問に思ったが、こちらから話しかけるのもおかしな話なので、シエラは黙って様子を窺う事にした。最初は遠巻きにシエラを見ていた少女だったが、なぜか段々こちらに近づいてくる。

「ねぇ、あなたって旅の御方?」

 すると、シエラの顔の真ん前に少女の顔がある。きらきらと輝きに満ちた瞳で、少女はシエラを見つめている。シエラは戸惑いを露わに、少女を見つめ返した。

「……そう、だけど」

 あまり自分の存在のことを言っていい身分ではない。シエラは掠れた声で答えると、そっと顔を俯かせる。

「まぁ! やっぱり! ようこそ、旅の御方。この町はとっても楽しいところよ!!」

「……はぁ」

 少女の陽気な笑顔にシエラは更に緊張してしまう。おそらくこの町の観光を仕事にしているのだろうが、こんな風に親しく話しかけられては困ってしまう。

「なぁによ、もっと楽しんでちょうだい」

「……きゅーん!」

 黙り込んだシエラに代わりイヴが鳴き声を上げる。すると、少女の興味はシエラからイヴに逸れた。

「可愛い!! あなたのペット? 名前はなんていうの?」

「えっと、イヴっていうの」

「そう、イブっていうのね!! 可愛いらしいわね」

 イヴの毛並みを確かめるように触りながら、少女は楽しそうに笑っている。シエラは少女の明るさに気圧されてしまい、うまく言葉が出てこない。

 シエラがじっとイヴと少女のことを見ていると、少女ははにかんで、シエラの手を取った。

「ごめんなさい、興奮しちゃったわ。私はライラっていうの。あなたの名前は?」

「……シエラ。シエラ=ロベラッティ」

 あっけにとられつつもライラという少女に名乗ると、彼女は嬉しそうに手を握ってくる。その仕草がとても町娘らしく、シエラは思わず口元を緩めた。

「そう、宜しくねシエラ。良ければ私が町を案内するけど、どうかしら?」

「……あなたが迷惑でなければ」

「勿論よ」

 シエラが控えめにそう呟くと、ライラはにっこりと笑ってシエラを立ち上がらせる。そしてしっかりとした足取りで広場の方に進んでいく。

「あと、私のことはライラって呼んで。あなたなんて他人行儀じゃない! ね、イヴ?」

「きゅーん」

 すっかりイヴはライラに懐いたらしい。ライラの肩にちょこんと乗っかって、嬉しそうな顔をしている。しかしシエラは、未だに戸惑っていた。

『他人行儀じゃない!』

 今ライラに言われた言葉に、少しだけ胸に痛みを感じた。他人行儀で今まで過ごしてきたシエラにとって、そのライラの言葉はとても眩しい。それでいて、ほんの少しだけ、自分を否定されたようにも思えた。この旅に出てから、シエラは慣れないことにばかり直面している。

 ――なんか、全然違うなぁ。

 国境を隔てているだけなのに、こんなにも温かさが違う。けれど、それはシエラとライラがある程度無関係だからなのだ。そう思うと、シエラの心は少しだけ軽くなる。

「ライラ。何処に連れて行ってくれる?」

「そうねぇ。一座とか、あとパオイがとってもおいしいお店とか!!」

「パオイ……?」

 揚々と話すライラの言葉に、聞きなれない単語があった。恐らく食べ物なのだろうが、クロボナと違って聞いたことがない。しかし、ライラには驚いた顔をされてしまう。

「まぁ、パオイを知らないの!? 勿体無いわ!! パオイっていうのは、とってもおいしい焼き菓子なのよ」

「お菓子、なの?」

 時間的には昼頃だ。菓子を食べるには些か早い気もする。シエラがそう思っていると、突然行く手を阻まれた。

「……!!」

「……何?」

 シエラが視線を上げると、そこには屈強な男が三人、立ちはだかっていた。見るからに柄の悪そうな、荒くれ者たちだ。

「……うぁ」

 小さく悲鳴にも似た呻き声を上げ、ライラはシエラの後ろに隠れてしまう。

 昼からこんな奴らに絡まれるなんてついてない――そう思ったシエラは、無視をして通り過ぎようとした。しかし、そう簡単に見逃してくれるわけもなく、力強く腕をつかまれてしまった。それはもう、腕をへし折られてしまうのではないかと思うほど。

「……何か用?」

「お嬢ちゃんには用は無いが、その後ろに用があるんだよ」

 ライラか。

 シエラは自分の背後で怯えている少女を一瞥する。面倒ごとに巻き込まれるのはいつものことだが、まさか今回もとなると、いよいよ自分の運の無さを嘆きたくなる。

「じゃぁ、放してよ。痛いし」

 そう言って腕を振り払おうとするが、びくりとも動かない。シエラは眉間に深い皺を寄せ、男を睨む。

「まぁそんな怖い顔すんなって」

「ライラに何の用なのよ」

 すると、男達は顔を見合わせた。

 小さな声で何かを話し合っているが、その内容を聞き取ることは出来ない。シエラは掴まれたままの腕を見つめながら、男達が話し終わるのを待つ。

 ――なんで私ばっかり絡まれるのかなぁ。こんなんばっかりだと、本当に嫌になる。

 シエラは後ろにいるライラが、怯えている気配を感じながらも内心で溜め息を吐く。彼女の明るい性格だ。もしかしたら何か、悪気が無くともやってしまったのかもしれない。

 そんな風に思ってしまうと、何だかライラに関わるのが億劫だ。我ながら薄情だと呆れてるものの、こればっかりは仕方ない。性分という奴だ。

「……ねぇ、シエラ?」

 思案しているシエラから良くない気配を感じ取ったのかもしれない。

 ライラが涙を溜めながらシエラのことを見つめてきた。その瞳には「見捨てないで」という懇願のような、そんな気持ちが篭っている。子犬の様な瞳で見つめられれば、流石にシエラも見捨てるは出来ない。

「大丈夫だって」

 ライラに微笑を見せると、シエラは男達に向き直った。ここで出会ったのも何かの縁だ。それに、見捨てたら後味も悪い。

「……とにかく、お引取り下さい!」

 シエラは男達にそう言い放つと、掴まれている手に意識を集中させる。ウエーバーに前教わった、魔法を使う上での集中力の大切さ。

「お、おい?」

 男の一人がシエラのことを不安そうな顔で見ている。しかしそんなことお構いなしに、シエラは大きく息を吸い込んだ。

「フレイムボム!」

「えぇぇえぇぇ!!!?」

 男達の驚嘆の声が広場に響き、次いでポンッ、という可愛らしい音が聞こえる。

「ライラ、走るよ!!」

「え……シエラ!?」

「いいから!!」

 シエラの魔法は失敗はしたが発動した。フレイムボムというのは、球体状の炎を、半径一メートルほどの小規模な爆発にさせるという魔法だ。しかし、シエラの生み出した魔法は炎が球体にならず、小規模な爆発もしなかった。

「シエラ! あの人たちって……」

「私の魔法なんかじゃ死ぬわけないからっ!」

 ライラの手を引っ張りながら、シエラは町を走る。今の程度ならば数秒の時間稼ぎにしかならない。

 シエラのフレイムボムは、炎の原型を留めたまま、軽い酸素反応を起こしただけだった。しかし、男達を油断させるには十分だったらしい。

 ――にしても、間抜けだ。……あー、恥ずかしい。

 シエラは走りながら、穴に入りたい気持ちだった。ほんのり朱色に染まった頬を、走っているからだと自分に言い聞かせる。

「シエラ、こっちがいい!」

「え?」

 意識をとられていると、突然後ろのライラがシエラの手を強く引っ張った。驚いてしまい体勢を崩すが、何とかふんばりライラの後を走る。

「どうしたの!?」

「こっちの道の方が隠れたり、逃げたりしやすいの!! 大通りだと確かに人ごみに紛れられるけど、その分私たちも逃げにくいの!」

 流石に土地勘がある。シエラはライラに手を引っ張られながら、ちらりと後ろを振り返る。確かに、先ほどの道のほうが人通りは多い。けれど、走りやすさは断然こちらの道だ。建物に挟まれ細く曲がりくねった道ではあるが、シエラにとっては逆に好都合だ。

「ところでライラ、心当たりないの?」

 ぴくり。シエラの言葉に僅かだが、ライラの肩がはねた。それを後ろにいるシエラが見逃すはずもなく、シエラは走りながらも、ライラに訊ねた。

「知ってるなら教えて。見捨てたりしないから、私に教えて」

 シエラがそう言うと、ライラは暫く無言になる。複雑な道を走りながら、段々景色が開けていく。建物の隙間だった道が終わり、シエラは首を傾げた。

「ここって」

「そう、広場よ。多分、あの人たち市場とか全然違う方向に行ってるわ」

 ライラは近くにあったベンチに腰を下ろすと、シエラにも座るように目線で合図する。シエラはゆっくりと息を整えながら、ライラから目を離さずに腰を下ろした。

 ライラは深く息を吸うと、今度は深く息を吐く。それを数回繰り返した後、シエラにしっかりと目線を合わせてきた。

「ごめんなさい」

 それは思わぬ謝罪だった。シエラはライラの心中を考えてみるが、やはりよく分からない。頭を下げていたライラは、つと頭を上げる。

「私、逃げてきたの」

「逃げてきた?」

「えぇ、逃げてきた。私、明日十六の誕生日でね。その時にお見合いさせられるの。勝手よね。結婚なんてしたくないのに、親の都合で勝手に決められるなんて」

 ライラの横顔はとても寂しそうだ。シエラは黙ってライラの話を聞いた。余計な口を挟んでも仕方ないと分かっている。

「……だから、それが嫌で今朝逃げてきたの。だから、さっきの人たちは多分お父様に雇われた人たち。私を家に連れて帰ったら、多額の謝礼がもらえるのよ」

 段々と、ライラの声が怒気を帯び始めた。怒りに肩は震え、行き場の無い思いが今にも決壊しそうだ。いつの間にかシエラの膝の上に乗っていたイヴが、哀しそうに鳴き声をあげる。

「ありがとう、イヴ。……お願いシエラ。私も一緒に旅に連れていって!!」

「え」

 シエラは絶句した。

 流石にそれは無理だ。適合者でもないライラをこの旅に同伴させるなど、クラウドたちが絶対に許さない。それに、シエラ自身も反対だ。

「お願い!! 無理を承知で頼んでるのは分かってる。でも私、他に頼れる人なんて……」

 縋りつくライラを、シエラはどうしても無下にできない。だからといって、旅に連れてもいけない。

 ――困ったなぁ。どうすりゃいいのよ……。

 シエラが考え込んでいると、隣でライラが泣き始めてしまった。ぎょっとしたシエラは、どうしたら良いか分からず慌てふためく。

「わ、分かった!! ちょっと考えるから待って!! 私も一人で旅をしてるわけじゃないの。仲間がいるのよ!! だから待って。ね!?」

「……う、ん」

 泣いていたライラは、シエラのその一言で涙が止まり始める。嘘泣きだったのか。そう聞きたいほど、ライラの涙は綺麗に止まった。

「だから、少しの間ここで待っててもらえる? 私、仲間のところに行ってくるから」

 ウエーバーとラミーナにでも話せば、きっとライラを説得するいい方法が浮かぶだろう。そう思い、ベンチから腰を上げた。しかし、立ち上がった瞬間がっしりと腰に腕を回されてしまう。

「一人にしないで! シエラのいない間に私、もしかしたら……!! お願い、私も連れて行って!!」

 そういうと再び涙を滲ませるライラ。流石にシエラも疲れてきた。

 ――つーか、めんどくさいなぁ。

 知り合って間もない同年代女子の望みを叶えられるほど、シエラには力も、心の許容量もない。どうやって引き剥がすか考えていると、イヴが毛を逆立て何処かを一直線に睨んでいる。

「イヴ?」

 普段は大人しいイヴからは想像できないほど、何かに威嚇している。研ぎ澄まされた刃物のような、鋭い殺気がイヴから発せられている。

 ――どうしたの、イヴ……?

 しかし、それが分からないのか気づいていないのか、ライラは間抜けな表情で首を傾げている。

「とにかくね、ライラ。知り合って間もない人を、しかも女の子を、いきなり旅に同伴させるなんて……」

「そんな!! 薄情よ、シエラ! 私とあなたの仲じゃない!!」

 どんな仲だ。

 思わず出掛かった言葉を何とか飲み込む。シエラは苛立ちを少しだけ露わに、腰に回ったライラの腕を掴む。

「ライラ。いい加減に……」

「見つけたぜぇ」

「……うっそ最悪」

 シエラは思わず溜め息を漏らす。この状況で見つかってしまうなんて最悪だ。呑気にベンチで寛いでいる場合ではなかった。

 ゆっくりと、前方から先ほどの男達がシエラとライラに近づいてくる。シエラは怯えて動かなくなってしまったライラに軽く舌打ちした。

 ――固まってもいいから、その手を離してからにしてよ!!

 男達との距離はもうすぐそこまでに縮まっている。シエラはポケットに手を突っ込み、もしもの時のための魔道具を取り出した。

「これ以上こないで」

「危ないモン持ち出すんじゃねぇよ、お嬢ちゃん」

「ライラが怯えちゃってるじゃない。大体ねぇ、男ならもっとスマートにやんなさいよ!」

 シエラの思いも寄らぬ発言に、男達は呆気に取られている。

 巻き込まれたことはこの際仕方ないとしよう。しかし、その張本人がこの調子なのだから、頭にくるのは当然だ。そんなことを、シエラは心の中で呟いた。

「……でもよぉ、お嬢ちゃん。そうは言っても、そこのお嬢ちゃんは意外と気性激しいんだぜ」

「え?」

 今度はシエラが呆気に取られてしまった。今の口ぶりからすると、この男達はライラのことを知っていることになる。同じ町に住んでいるのだから当然といえば当然なのだか。

「えーっと、一つ聞いてもいい?」

 如何にも柄の悪そうな(実際悪いのだが)男たちと、箱入り娘のようなライラ。一体どんな接点があるというのだろうか。

「この子とあなたたち、知り合い?」

「知り合いも何も、その子は俺たちの職場の社長の娘だからな」

「……は?」

 暫し間を空けて、シエラが搾り出した言葉だった。男たちとライラを見比べ、シエラは首を捻る。

「社長? ライラのお父さんが。じゃぁ、あなたたちって、連れ帰るだけに雇われたわけじゃないって事?」

「勿論だ。社長から、『娘を連れ戻してきてくれ』って頼まれたんだ」

「……えーっと、この子が明日誕生日で、お見合いするっていうのは本当?」

「あぁ、それも本当だけど……」

「ちなみに、あなたたちの仕事って?」

「商売道具の運搬が主だ」

 なるほど。それならばその屈強な体つきも納得できる。シエラは軽い頭痛を覚えた。

 要するに身内の見知った人間に追いかけられただけということだ。心配して損をした。大体、思わせぶりな態度をとるライラも、そして男達も人が悪い。シエラはとりあえず、怒りの矛先を男達に向けた。

「じゃぁ!! 紛らわしいことしないでよ! 私の手、さっさと離してくれたって良かったじゃない」

「あ、あれは逃げると思ったから……」

「大体ねぇ、ライラはこんなに怯えてるのよ!? 普通に、他所からきた人間が見たら勘違いするっつーの!」

 物凄い剣幕で捲くし立てるシエラに、男達もたじたじだ。シエラはその勢いのまま、今度はライラに矛先を向ける。

「ライラもライラよ! 旅に一緒に連れて行って? 甘えてんじゃないわよ。お見合いが嫌なら嫌ってはっきりと……」

 シエラの怒涛の説教がはじまると、ライラはぱっとすぐさまシエラから身体を離す。こういうところは抜け目がないというか、斟酌無くいうとせこい。しかもイヴを抱きかかえ、シエラたちから数歩離れ、そして――。

「誰かぁあぁぁ!! 助けてぇえぇ!!」

 広場にいた大勢の人に向かって、そう叫んだ。

 流石のシエラもライラの予想外の行動に、言葉を飲み込んでしまう。男達も、ライラのとった行動を理解できないというような顔をしている。

 しかし、当の本人は悲劇のヒロインになりきっているようで、その紺碧の瞳に薄っすらと涙さえ浮かべている。

 ――あんのクソがぁ……!!

 その瞬間、シエラの中で何かが切れた。恐ろしいぐらいに冷めた瞳に、男達もすくみ上がる。そして、これ以上騒ぎを大きくしないために、男達はライラを捕まえようと走り出す。

「いやぁぁあ!! 助けて」

「大人しく……」

 男の一人が、ライラに触れようとした次の瞬間。

 ドガッ。

 盛大な音と共に、巨体が宙を舞った。綺麗な弧を描き、ゆったりと、しかしそれは一瞬の出来事として目の前で起こった。

「……え?」

 シエラとライラも、状況が飲み込めなかった。

 すると、人ごみの中から一際目立つ紅い髪の毛の青年が出てきた。長身の彼は両手に包帯を巻き、細身ながらも筋肉に覆われていると分かる身体である。しかも顔も整っており、まさに男として文句のつけようがない。

「おいおい、女の子を泣かせたらダメだろ」

「なんだてめぇ!?」

 吹っ飛ばされた男は意識を失っている。焦りも相まってか、どうやら男達は冷静さを欠いているようだ。無謀にも、正面から青年に突っ込んでしまった。

 ――危ない……!!

 シエラがそう思った瞬間、男達は膝から崩れ落ちていた。速過ぎるその動きは、到底シエラの肉眼で捉えられるものではなく。

「大丈夫だったか?」

 端整な顔立ちをした青年は、優しげな微笑をライラに向ける。

「は、はい……」

 ライラはうっとりとした表情で、呆けたように青年の顔を見つめている。シエラは居た堪れない気持ちになり、早々にこの場から逃げようと試みた。

「おい、そこのあんた」

 しかし、青年の鋭い視線に捕まってしまう。声もいくらが怒気に近いものを孕んでいる。

 シエラとしてはこれ以上の面倒ごとは勘弁してほしいのだが、無視して逃げるわけにもいかない。渋々視線を青年と合わせる。すると、彼は意外にもシエラに笑いかけてきた。

「あんたも、大丈夫だったか?」

「え、まぁ大丈夫だけど」

 どうやらシエラも男達に絡まれてしまった被害者だと思ったらしい。実際絡まれたが、それは誤解だったのだから構わないが。しかし、青年にのされたことが哀れで仕方ない。

 青年はシエラの方にまで近寄ると、物珍しそうにシエラのことを見てきた。品定めのようなそれに、シエラは嫌悪感を覚え、眉間に皺を寄せる。

 すると、青年はそれに気づいたのか、申し訳なさそうにはにかんだ。

「悪い悪い。つい、な。あんた、ディアナの出身じゃないだろ」

「そう、だけど」

「やっぱりな。ロベルティーナか? それとも、他国か?」

 あまり細かくは言いたくないが、人の良さそうな青年の笑みに負けてしまった。

「ロベルティーナ」

「おぉ、よっしゃ」

 当たったことがよほど嬉しいのか、ガッツポーズまでしている。なんだか大きな子供のようだな。シエラは思わず笑みを漏らす。

「あ、あの!」

 すると、蚊帳の外だったライラがシエラを押しのけて青年の前にやってきた。その目はキラキラと輝いている。

「もしかして旅の御人でしょうか? 良ければ、私が町をご案内しますが。あ、勿論、お礼も兼ねて……」

 頬を染めて青年を見つめるライラは、恋する乙女そのものだ。シエラは思わず鳥肌のたった両腕を擦ってしまう。

「そりゃー助かるな。頼んでもいいか?」

「はい! 勿論です」

 青年の色よい返事に、ライラは花が咲いたように明るい笑顔を見せる。シエラは先ほどのこともあり、ライラのことを信じられないような目でしか見れない。

 ――え、二重人格? ていうかただの面食い?

 シエラもライラの行動には驚かされるばかりだ。こんなタイプの人間が周りにいただろうか。そう思い記憶を掘り返すが、他人と関わりが少なかったため分からない。

 ――あー、思い出す以前の問題だな。

 気づけばライラは半ば強引に青年の腕を取り歩き、出していた。青年は少し困った風な表情だが、優しさは消えていない。

 ――ま、男なら嬉しいわな。

 あんな性格ブス私ならゴメンだけどね。という嫉妬にも似た皮肉はしまっておく。

 シエラが踵を返して歩き出そうとしたとき、

「きゅーん!!」

 イヴの嫌がるような、怒ったような鳴き声が聞こえた。そしてシエラは慌ててライラたちを追いかける。完全に忘れていた。イヴは連れて行かれては困る。神の使いから預かった、大切な仲間の一員なのだから。

「イヴ!」

「きゃっ」

「きゅーん」

 ライラの前に立ち塞がり、その腕に抱かれたイヴを見て安心した。しかし、ライラは返したくないと言うように、更に抱き締める力を強くした。その態度に苛立ちを覚えながらも、シエラは冷静に言葉を吐き出す。

「イヴを返してくれる?」

「何言ってるの。シエラがイヴを私に預けたんじゃない」

「……は?」

「ひっ」

 思わずライラのことを睨んでしまった。シエラは僅かに竦みあがったライラに、穏やかな笑顔を見せる。

「ねぇ、私たちのイヴを返してくれる?」

「きゅーん」」

 これで厄介ごとが終わる。そう思った矢先、シエラはライラに腕をつかまれていた。

「んもーう、やだぁ、シエラったら!」

「……は?」

「冗談通じないの? 私たち友達じゃない」

 まるで親しい友人とごっこ遊びをして笑う幼子のような、そんな雰囲気でライラはシエラに話しかける。

「からかってごめんね。シエラの反応がつい面白くて」

 なんだこいつ。

 怒りよりも先に出てきた感情は、軽侮の念だった。青年は不思議そうな顔で二人のことを見ている。恐らく、相手がこの青年でなかったら怪訝そうな顔をしているだろう。

「あ、そういえば、あなたのお名前は……」

「俺? 俺はマイリヴァ=バイソン」

「まぁ、なんて勇ましいお名前なんでしょう」

 話題を切り替えるように、ライラの意識は既に青年に向いている。上手くかわしたな。シエラはライラを鼻で笑う。

 なんだか自分がとても嫌な奴に思えたが、この際気にしないでおく。それよりも、一向にイヴのことを返そうとしないのが問題だ。

「では、マイリヴァさんとお呼びしてもいいでしょうか?」

「そんな堅苦しい呼び方しなくていいぜ。バイソンでいいって」

「え? ですが、ファーストネームは……」

 ライラはきょとんとした顔で青年のことを見つめている。すると、青年は思い出したように苦笑いを浮かべた。

「あー、そうだった。悪い、俺のファーストネームはバイソンなんだ」

「まぁ! では、ファミリーネームがマイリヴァなんですね」

 その話を傍で聞いていたシエラも驚いた。普通、名前というのはファーストネームが先だ。その後にミドルネームかファミリーネームがくる。シエラは一体彼がどこの出身なのか、柄にも無く気になってしまう。

「おぉ。ユクマニロじゃ、大体そうだぜ。たまに逆の奴もいるけどな」

「バイソンさんは、ユクマニロのご出身なんですか」

 ライラは取りとめも無い話をとても楽しそうな笑顔でしている。それが本性なのか、それとも作っているのか。シエラにはよく分からなかった。それどころか、ライラという少女が何だか不気味にさえ思えてくる。

 ――役者過ぎるでしょ、あの切り替えは。

 先ほどの彼女の行いには、本当に度肝を抜かれた。ある意味度胸があるというのか、肝が据わっているというのか。

 そんな事を考えていると、急に身体が傾いた。驚いて視線を上に持ち上げると、ライラが人の良さそうな笑みを浮かべて、シエラの腕を引っ張っていた。

「さぁシエラ! あなたにも町を案内するわね」

「あ、あぁ……」

 シエラはすっかりそのことを忘れていたが、ライラの方は意外にも覚えていたらしい。バイソンとシエラの腕を組みながら、悠々と大通りにある市場へと歩き出す。

 暫く市場を案内してもらい、例のパオイという菓子の店にも連れて行ってもらった。

 パイ生地の中に入った色とりどりの餡はどれもとてもまろやかで、シエラも非常に気に入った。そして、シエラはとある店先に視線が止まる。深緑の髪の毛が、人ごみの隙間から僅かに見えたのだ。

 ――クラウド?

 彼も町を散策することがあるのか。シエラの勝手なイメージではあるが、何だかクラウドはそういう事に縁遠いような気がしていたのだ。

 ――なんだ、意外と普通なんじゃん。

 シエラより歳が一つ上なだけにも関わらず、クラウドの落ち着きっぷりは若者らしからぬものだ。

そんな彼が町を散策。

 ――やばい、なんでだろ。笑いが……ッ!!

 口元のにやけを必死に手で隠しながら、シエラはクラウドの姿をより良く見ようと、爪先立ちになる。しかし、通行人に後ろからぶつかられてしまい、体勢が思いっきり前のめりになる。

 ――ゲッ!! こける……!!

 そう思った瞬間、強い力に身体を支えられた。腰に回された逞しい腕に、思わずどきりとしてしまう。

「ふぅー。セーフ、だな」

 ゆっくりと視線を持ち上げると、無邪気に笑うバイソンの顔があった。端整な顔立ちをしているが、バイソンの表情はどこかあどけない。無邪気な少年のような、裏表のなさそうな表情をしている。

「あ、ありがとう、ございます」

 シエラはきちんと地面に踵をつけて体勢を整えると、改めてバイソンにお辞儀する。

 その様子を、ほんの少しだけライラが面白くなさそうに見ていたが、シエラはあえて気づかないふりをした。

「……誰か探してたのか?」

「え?」

「いや、爪先立ちで何か見ようとしてたから……。誰かっつーか、何か探してんのかと思ってさ」

「あー、探してるというか、見つけたというか?」

 語尾が疑問系になってしまったのは仕方ない。先ほどの店先にもう一度視線を戻すと、クラウドの姿がなくなっていた。なんだか少し残念な気もしたが、今彼を面倒ごとに巻き込むわけにもいかない。

 ――うん、一応怪我人なんだし。

 そう思って拳を作り、シエラは元気を出そうとした。しかし、肘が運悪く誰かにぶつかってしまった。慌てて謝ろうと振り返ると。

「何してんだ」

「げ、クラウド……」

 ぶつかったのは、他でもないクラウドだった。拳を握ったまま固まってしまったシエラを、彼は怪訝そうな目で見つめている。シエラはだらだらと冷や汗を流しながら、ゆっくりと拳を収めた。

「え、えーっと……。うん、ちょっとね!」

 上手い誤魔化し方が残念ながら思い浮かばない。シエラは突き刺さるようなクラウドの視線を浴びながら、小さく身じろぎした。

 ――え、何この空気。私そんなに悪い事したっけ!?

 居た堪れない空気に、シエラはどうしたら良いのか全く分からない。すると、蚊帳の外だったライラが助け舟を出してくれた。

「シエラとお知り合い?」

 案の定、クラウドの視線はシエラからライラに移った。クラウドは面倒そうに溜め息を吐いてから、ライラとバイソンに向き直る。

「こいつと旅をしている仲間のうちの一人です」

 簡潔にそれだけ言うと、クラウドはシエラの腕を引っ張り「ちょっと失礼」とライラとバイソンに苦笑いを見せる。

 うわぁ、今の顔レアかも。そんなシエラの考えが分かったのか、クラウドはライラたちに見えないようにシエラに拳骨を一発落とした。

「お前、また面倒事に巻き込まれてんのか……?」

「いやぁ、何と言うか……。巻き込まれてるっていうと間違ってるけど、巻き込まれてないっていうと嘘になる、みたいな。よく分からない状況」

「要するに面倒なことに変わりねぇってことだろ」

「うん」

 躊躇無く素直に頷いたシエラに、クラウドは盛大な溜め息を吐く。本人が反省していないのが一番の問題だ。クラウドはそう結論付けると、シエラに向き直る。

「それじゃ、これはお前の問題だからな。俺は行く……」

 そう言い残しクラウドが踵を返した途端、眩しげな笑顔に引き止められてしまった。ライラはクラウドの腕を掴み、人当たりの良い笑みを浮かべている。

「シエラの仲間なら、是非案内して差し上げますわ」

 ライラが言ったその一言に、クラウドが凍りつくのが分かった。

 シエラは笑いを堪えるように、全身を強張られる。ぴくぴくと小刻みに震える身体を懸命に抑えようとするが、どうにも震えは収まらない。

 ――どんまいクラウド!

 ライラに一度捕まれば、その強引さによって逃げるという選択肢が消滅する。クラウドは口が達者とも言えない。まず、ライラから逃げることは不可能だろう。

「あー、いや、俺は宿に戻ろうと思って……」

「えぇ、なんて勿体無い!! 私がシエラと一緒に案内しますから、是非!!」

 これほど熱心で厚意的な誘いを無下にすれば、人としてどうなのか。そんなクラウドの良心が痛んだのか、更に眉間に深い皺が刻まれた。

「……少しだけ、で良ければ」

「えぇ、構いませんとも!!」

 困惑した表情のクラウドを見れて嬉しい反面、ライラの嬉しそうな顔には正直腹が立った。そしてライラは窺いたてるようにバイソンの顔を覗く。すると、彼は豪快な笑みを浮かべる。

「あぁ、俺なら別に構わないぜ!」

「じゃぁ、早速行きましょう! さ、シエラもぼさっとしないで!」

 いつの間にか、ライラはクラウドの腕も組んでおり、両手に花の状態で市場を闊歩していた。 

 シエラはその後ろ姿を眺めながら、思わず溜め息を吐いてしまう。それは自分にはない明るさへの憧れか、はたまた性格の不一致による苛立ちか。シエラはゆっくりとした足取りで、三人の後を歩き出した。

 シエラは三人の後ろを歩きながら、絶えず行き交う人々を眺めていた。

 この町は不思議だ。先ほどから人の量が変わらない。往来がとにかく激しいのだ。いくら商業の盛んな町とはいえ、これほど多いと逆に驚いてしまう。

 ――他の町とは、ここも違う。

 ロベルティーナ国外は愚か、住んでいた首都のアレンダ以外の町にもろくに行ったことがない

 そんなシエラが、初めての旅で初めて見る景色は既に数え切れない。普通学校で他国の地形、特色、特徴、農作物などは学んだ。しかし、実際にこの目でみるとまた随分と印象が変わる。そんなことをしみじみと感じながら、シエラはゆったりとした足取りで進む。これほど、じっくりとかつ冷静に人ごみを見たことがあっただろうか。

 ――なんか、最近変だよなぁ。

 旅に出てから約一週間と少し。それなのに、随分と自分の価値観やものの捉え方が変わった気がする。

 そもそも、クラウドの出会いによって大きく変わった気がするのだ。

 ――普通、あんな初対面で馴れ馴れしくできないし。

 いくら魔物のことがあったとはいえ、適合者だと分かったからとはいえ。今までの自分ならば、きっと一緒にいることさえ苦痛だったに違いない。

 ――王女や、宝玉のお陰なのかも。

 ファウナ王女の言葉によって、自分が虚勢を張っていたことに気づけた。宝玉という存在が、仲間という存在に巡り合わせてくれた。世界や周りの人間がどうなろうと、知ったことではなかった。そう思っていた。魔法学校によってシエラの心は随分とくたびれてしまっていたのだ。

 けれど、今は違う。

 本当に少しかもしれないが、確実にシエラは変わっている。それは、つい一週間前のシエラを知っているものならば、誰でも瞠目するほど。

「シエラー!」

 少しだけ、かつての自分を顧みていたシエラは、ライラの元気な声によって現実に引き戻された。

 気づけば市場から出ており、最初の広場に戻ってきていた。シエラは慌ててライラたちの方に駆け寄ると、「ごめん」と一言付け足した。

「それより、休憩しましょ」

 差し出された飲み物を受け取り、シエラはライラと一緒にベンチに腰掛ける。隣のベンチにはクラウドとバイソンが座っている。何とも奇妙な光景だ。シエラは乾いた喉を潤すと、ゆっくりと肩の力を抜く。

「……あー、もうこんな時間か」

「え?」

 バイソンの呟きにシエラは太陽を見た。少しずつ、西に傾き始めている。ロディーラの時間区分は一日二十四時間とされ、太陽の傾きにより時間を見る術を普通学校で習う。時計も存在するのだが、大量生産できない代物であり非常に高価だ。時計を持っているのは貴族ぐらいなものである。

「三時ってところか」

「もう三時かぁ」

 昼前から出かけていたシエラにとっては、時間の進み方が早く感じられる。すると、バイソンが立ち上がりライラとシエラを見た。

「んじゃ、俺はそろそろ行くわ。案内してくれて助かった、ありがとな」

 優しい、まるで小さな妹を見るような柔らかな視線を向けられ、シエラとライラは暫しその笑顔に魅入る。けれどいざバイソンが背を向けて歩き出したとなると、ライラは弾かれたように立ち上がった。

「バイソンさん、待っ……!」

 慌てたせいか、見知らぬ誰かとライラはぶつかってしまう。しかも、運の悪いことにその相手は黒マントを被った怪しげな人物だった。

「てぇな……」

「ご、ごめんなさい!」

 ライラは青褪めながら何度も頭を下げる。声から相手は男だと判別できるが、その男は大きく舌打ちした。それだけでライラは竦みあがり、動けなくなる。

「止めてください、揉め事は……」

 ぶつかった男の後ろに、もう一人男が立っていた。こちらも同様にマントを被っているが、色は紺色だ。

「けどよぉ、ムカつくじゃねぇか」

「そんな理由でここで刃傷沙汰を起こさないで下さい」

 黒マントの男を紺色マントの男が諌める。その様子をじっとシエラとクラウドは見守る。男達の纏う空気はどこか剣呑としている。

 迂闊に手を出せば危険だ。こちらは堂々と面倒事に関われるような立場ではない。シエラとクラウドは男たちがこのまま引き下がってくれることを願う。

 その時、黒マントの男の視線がこちらに動いた。シエラとクラウドを捉えた瞬間、広場に男の狂ったような笑い声が響いた。

「おいおい、俺って運がいいじゃねぇか!!」

 鋭い金属の高音が鳴る。男の両腕からは鋭いナイフが伸びている。腕に巻きつけられているであろうそれに、シエラもクラウドも見覚えがあった。

 ――まさか!!

 気づいたときには、男はクラウドに斬りかかっていた。咄嗟にクラウドも反応したが、男の動きは予想以上に早い。

「あぁ、ダメですよ」

 黒マントの男は紺色マントの男の制止も聞かず、クラウドに斬撃を繰り出す。クラウドも剣を抜き応戦するが、体力が回復していないのか、動きが鈍い。

 勿論、広場には無関係な一般人もいる。男のナイフとクラウドの剣を見た途端、人々は悲鳴を上げて広場を逃げ出してしまった。そして、いつの間にかシエラの足元にいたイヴが男たちを毛を逆立てて激しく威嚇していた。先ほどにもあった、その威嚇行動。

 ――さっき威嚇してたのも、あの人たち……!?

 やはり彼らは危険なのだ。それに、あの武器。これは更に警戒を強める必要がある。

「クラウド!! 気をつけて」

「分かってる……!」

 しかし、思うように身体が動かないらしい。剣を振るうのも辛そうだ。うっすらと額に汗も掻いている。

「そんなもんかよ!!」

 男の重い一撃がクラウドの剣を弾く。天高く美しい弧を描きながら剣が舞う。

「……ッ!!」

 一瞬の隙をつかれてしまった。

 クラウドは地面に身体を強打し、呻き声を漏らす。男はクラウドの腹部目掛けてナイフを振り下ろす。しかし、ナイフがクラウドに当たることは無かった。男の背中に蹴りが命中し、彼のことを数メートルに渡りふっ飛ばしたからだ。

「ふぅー」

 トン、と軽い身のこなしで、バイソンは地面に足をつける。男を蹴り飛ばしたのは他でもないバイソンだ。既に数十メートルの距離は空いていたいたし、彼はもうこの広場から姿を消したとばかり思っていた。

 ――でもなんで戻ってきたの!?

 少しばかり腕に自信があったとしても、クラウドに敵わない相手に、彼が勝てるわけがない。シエラが視線を黒マントの男に向けると、そこには深緑の髪を揺らした青年がいた。

「あ!!」

 やはり。思わず声を上げていた。

 そこにいたのは、紛れも無く先日シエラたちを襲撃した者達の一人、ジル=セイスタンであった。

「チィッ」

 黒マントのフードの部分が、先ほどの蹴りによって脱げてしまったらしい。ジルは恨めしそうにバイソンを睨みつけている。

 クラウドは痛みに呻きながらも、剣を拾い上げ戦闘態勢に入っていた。

「……あーあ、興醒めだ」

「何だと」

 けれどジルは肩を竦めて、ナイフをしまってしまう。クラウドは更に眉間に皺を寄せる。ジルはそんなクラウドの様子も歯牙にかけず、もう一人の男に歩み寄る。

「行くぞ、グラベボ」

「え、いいんですか?」

「あぁ」

 ジルはフードを被りなおしながら、先ほどまで危害を加えようとしていたライラすら気にせず、広場の出口に向かっている。

「おい、てめぇら……」

 クラウドがジルたちを引きとめようするが、ジルは足を止めない。広場の出口にまで辿り着くと、そこで漸くクラウドに向き直る。

「手負いのてめぇなんか、っても楽しくねぇんだよ」

「なん、だと……!!」

 剣士にとってこれ以上の侮辱はない。クラウドはジルに突っ込もうとしたが、バイソンに止められてしまった。そして、ジルとグラベボもそれだけを言い残し消えてしまった。

 ライラは一体何が起こったのか分からない。そんな顔で地面にへたり込んだ。

 バイソンは怪訝そうな表情で、シエラとクラウドの顔を見つめている。

 結局、面倒なことになってしまった。無関係なライラとバイソンも、危うく危険な目に合わせてしまうところだったのだ。

「いっこ、聞いてもいーか?」

 バイソンはこの重い空気の中で、口を開く。

「さっきの奴らは、お前達とどういう関係なんだ?」

 シエラとクラウドは互いに顔を見合わせる。はっきり言って、彼らの目的はよく分からない。ただ、宝玉を狙っているとしか。けれど、それをバイソンに言うわけにはいかない。それは自らを適合者だと明かしているに等しいのだ。

「……俺たちにも、良くは分からない」

 クラウドがそれだけ答えるが、やはり不服そうな顔をしている。その時、イヴが突然バイソンの肩に乗っかった。

「イヴ!?」

 一体どうしたのだ。シエラがイヴをバイソンから離そうとすると、バイソンが優しくイヴの身体を包みこむ。包帯の巻かれ、筋肉に包まれた骨ばった両手だがその仕草は優しい。

 差し出されたイヴが思いのほか大人しかった。シエラはバイソンからイヴを受け取ろうとし、手を伸ばす。そして、僅かに手が触れ合った瞬間。温かな眩い光が、二人を包み込んだ。

「――え?」

 それは、クラウドの時に起きたものと同じだった。身体のうちに宿る宝玉が熱く鼓動を打ち、シエラの心を締め付ける。ラミーナと出逢う直前に感じたそれにも酷似しており、シエラはそれが宝玉の共鳴だと知る。

「あんたも……適合者なのか?」

 クラウドの呟きに、シエラは我に返る。バイソンは驚いたような、唖然とした顔で二人のことを見つめている。

「……お前達も、なのか?」

「きゅーん!」

 バイソンの問いかけに、シエラとクラウドに代わってイヴが高々に鳴く。

「そっか、そっか!!」

 バイソンは嬉しさを噛み締めるように何度も頷く。シエラとクラウドは互いに顔を見合わせ、呆然としていた。



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