二
****
シエラはベッドで静かに眠っているクラウドの顔を眺めながら、軽く溜め息を吐いていた。
魔物に襲われてから、今日で二日経つ。あの後、暴走したラミーナを何とか鎮めると、シエラたちはひとまず移動した。
ここはとある町だ。歩いて一時間も経たずしてこの町に辿り着いたのは不幸中の幸いだった。
今、シエラたちは交代でクラウドの看病をしている。彼はこの二日間、一度も目を覚ましていない。医者に見せたところ、命に別状はないらしいがまだ安心は出来ないのだ。
「……でも、クラウドが勝てないなんて」
ウエーバーの話では、貴族種とはクラウドが戦っていたらしい。先に決着のついたウエーバーが、最後は戦ったらしいが、一瞬の隙をつかれたという。シエラはその時のことを思い出しては、何度も辛そうな表情をするウエーバーが痛ましくて仕方なかった。
――あんな顔、しないでよ。
他者を遠ざけてきたシエラは、こんな時どうすればいいのか全く分からない。検討もつかないのだ。身近にいる人が苦しむというのは、こんなにも痛いのかと、久しぶりに実感した。
「全く、早く起きろー」
シエラはクラウドの頬を抓る。このぐらい許されるだろう。原因は自分にあるが、ウエーバーを苦しませるのはまた違う。すると、クラウドが呻き声を漏らした。眉間にきつく皺を寄せて、唸り声を上げ――目を覚ました。
「クラウド!」
「……?」
ここが何処だか確かめるように、首を捻って辺りを見回している。シエラは安堵で緩んだ目元を拭いながら、扉へと駆けて行く。
「ラミーナ、ウエーバー! クラウドが、起きた!」
「本当ですか!?」
ダイニングに控えていたウエーバーとラミーナは、驚きつつも部屋の中へと入ってくる。そして、目を覚ましたクラウドを見て安堵の溜め息を漏らす。
「良かったわぁ」
「……クラウドさん」
二人はベッドに近づき、寝た体勢のままのクラウドと視線を合わせる。クラウドは困惑した表情で、呆然とシエラたちの顔を眺めている。
「ここは、何処だ?」
「宿屋です。クラウドさんは二日、ずっと眠っていました」
涙腺の緩んだウエーバーが、ぎゅっとシーツを握り締めている。クラウドは身体の感触を確かめるように、ゆっくりと上体を起こす。
「……そうか、俺は」
クラウドは視線を腹部に移す。そこには念のために包帯が巻かれているものの、傷口は完全に塞がっている。内臓の方も、医者になんとも無いと診断された。しかし、やはり体力を回復するまでは多少時間がかかる。
「迷惑をかけたな」
すると、クラウドの口から思いがけない謝罪の言葉が出てきた。シエラは表情筋を引き締め、しっかりと視線をクラウドとウエーバーに向けた。
「ごめん!」
勢いよく頭を下げると、三人は驚いたようにシエラを見つめる。シエラは頭を下げたまま、口を開いた。
「私が、戦えないから……。クラウドにも、ウエーバーにも、ラミーナにも迷惑かけた。だから、ごめん」
不甲斐ない自分を守る為に、クラウドもウエーバーも戦った。ラミーナも戦いに加わっていたなら、こんな事にはきっとなっていない。
自分が足を引っ張っている。そう思うと、胸の奥が締め付けられて痛かった。
「……顔を、上げろ」
静かに、けれどしっかりとクラウドは呟いた。
その瞳はただ静かで、怒りも哀しみも、何の色も宿していなかった。本当に、穏やかな湖面のような、そんな色。
「これは俺の不注意だ。俺の力不足だ。お前が何か負い目を感じる必要はどこにもない」
「……クラウドさん、それも違います」
「え?」
シエラとクラウドの間に入ったのは、他ならぬウエーバーであった。彼は俯いていた顔を上げて、大きく頭を下げる。
「僕なんです。本当の原因は……僕にあるんです!!」
全員が訝しげな視線をウエーバーに向ける。すると、彼は戸惑った様子ではあるが、シエラとラミーナにも座るように促した。
そして、ウエーバーの話は始まった。
「もう、大方察しはついていると思いますが……。僕は、ディアナの国家構成員です」
「え!?」
シエラは思わず声を上げてしまった。
国家構成員。それは国に使える役職全般を指す。チェイドのような諜報部員、果ては暗殺部隊など仕事は様々だ。
そして、ウエーバーが国家構成員の一人だと知り、シエラは絶句してしまう。確かに、思い当たる節は幾つもある。暗号の魔術式を使っての通信や、シエラの知りえない情報を知っていること。
「その中でも、反逆者粛清部隊という、ディアナで最も極悪非道だといわれる部署です」
――極悪非道。このウエーバーが?
色々と聞きたいことはあるのに、シエラは言葉が出てこない。こんな衝撃の事実を知らされるなんて、思いもよらなかった。
「ディアナでは、国が出来た当初から反逆したものに厳しい罰を与えてきました。それが、今日でも残っているのです」
ラミーナとクラウドはウエーバーの話しを黙って聞いている。シエラは次々と明かされる真実に、戸惑いを覚えるばかり。
「そして、僕は粛清部隊の……部隊長を務めています」
「はぁ!?」
今度は、驚きというよりも戸惑いが大きかった。シエラは思わず椅子から立ち上がり、ウエーバーの顔をまじまじと見つめてしまう。こんな可愛らしい少年が、極悪非道と呼ばれる部隊の隊長。にわかには信じられない。
「じゃ、じゃぁウエーバーってお偉いさんなの……?」
「え、えぇ。まぁ、部隊の中での位は」
「私より年下で!? し、信じられない」
シエラはふらふらとした足取りで椅子に戻る。自分よりも年下の少年が、国家構成員だというだけで衝撃なのに。更には隊長まで務めている。
――あぁ、世界は広い。広すぎる!!
呆然としてしまったシエラに苦笑いを漏らしながら、ウエーバーは言葉を続けた。
「それで、ですね。僕は適合者の傍ら、皆さんと合流するまで任務をこなしていました。その時、どうやら今回の魔物と関わっている連中を殺してしまったのが原因のようです」
「反逆者と魔物が内通、か」
クラウドの言葉に、シエラは我に返る。それは国としては相当不味いのではないだろうか。報道でも中々表には出てこないような、国家機密にも抵触するのでは。そう思ったシエラの心中を察したのか、ウエーバーは愛らしい笑みを向ける。
「他言無用ですよ」
「う、うん」
これは頷くしかない。こんな可愛らしい笑みを向けられれば、誰だってそうだろう。
「そのものたちは、ディアナの最大の禁忌……魔物を持ち込むという行為をしました。……ですから、僕は上からの命令に従ったのですが」
「なるほどな。その相手方の魔物が怒って、お前に報復しにきたってわけか」
「まぁ、ディアナ女王の魔物嫌いは七大国じゃ有名だしね」
「え、有名なの!?」
真剣な空気の中、シエラの間抜けな声が響く。少しだけ恥ずかしくなり、声を落としてもう一度聞いてみた。
「えぇ、それなりに有名ね。昔の新聞でも引っ張り出せば分かるけどね。ディアナ女王は、幼少期に魔物に襲われた経験がおありなの。それがよっぽどのトラウマだったみたいね。女王になられたとき、すぐに魔物に対してより一層厳しい法律をつくられたの」
初耳だ。恐らくシエラが生まれた辺り、その前後だろう。ディアナの女王はまだ三十四歳と、八大国の王室の面々の中でもかなり若い方だ。幼少期に魔物などに襲われてしまったら、きっとシエラでもトラウマになるだろう。
「……はい、ラミーナさんの言う通りなんです。魔物を持ち込んだもの、魔物と関わったものは、如何なる理由があろうと処断せよ。――それが、この国の法律です」
そこまで言うと、ウエーバーは一度話しをきった。とりあえず、今言わなければいけないことは言い終わったのだろう。それにしても、壮絶だ。こんな少年がそんな重責を、適合者の他にも背負っていただなんて。
「……それじゃ、話のついでにあたしも言っておこうかしら」
すると、今度はラミーナが口火をきった。ラミーナはウエーバーとは違い、戸惑った様子を見せずに「あたしも国家構成員よ」と、シエラの思考に爆弾を落とした。
「……冗談、だよね」
「なーに言ってんのよ。これは本当よ。あたしはガイバーの国家構成員。王族直属魔女部隊。……ただし、あたしの場合は、隊長なんかじゃないから安心して」
さらりとそう言ってのけたラミーナに、シエラはまたしても言葉を失う。こんな連続で爆弾を投下されれば、思考はまとまらないし、何と言っていいのか分からない。
「……なんだ、やっぱりか」
「ラミーナさんは大方予想ついてましたよ」
「あら、憎たらしい口聞くじゃない」
シエラを除く三人は、別段驚いた様子もなく普通に会話をしている。一体なんだというのか。それでは、自分だけが一般人で、話が通らないのも当たり前というわけだ。
「ちょ、ちょっと待って!! じゃぁ、クラウド!! あんたは……」
彼の出身国はナルダン。剣士を多く輩出している国でもある。そしてクラウドも剣士である。ナルダンには剣士の雇用機関も多くあるに決まっている。それは国家構成員も例外ではない。
シエラの突っ込みに、クラウドは一瞬言葉をつまらせるが、観念したように口を開いた。
「……ナルダン王国騎士団、五番隊隊長だ」
そう、ぽつりと呟いた。
もう卒倒してしまいたかった。いきなりこんな展開はありなのだろうか、とシエラはこの状況が恨めしくなる。
「うっわぁ~、もうどうすればいいのこれ。……私、ショックで倒れそう」
椅子の背もたれに顔を埋めながら、弱々しい声を漏らす。シエラは肩越しに三人を見ると、何だか泣きたくなってきた。まだ三人とも若い。シエラと年も変わらない。それなのに、国家構成員とはどれほど優秀で才能に満ち溢れているというのだろう。
普通の学生として過ごしてきたシエラには、あまりにも大きな隔たりだ。そもそもの生きていた世界が違うのだ。こんな魔法も満足に扱えない小娘が、一緒にいても良いのか、そんな劣等感が生まれる。
しかし、シエラの考えを吹き飛ばすように、ふわりと柔らかな温もりに包まれる。ラミーナだ。彼女が柔らかな微笑みを湛えて、シエラを抱き締めたのだ。
「……大丈夫よ。あんたも適合者として、シエラとして、自信持ちなさいって」
「ラミーナ……」
シエラがラミーナの言葉に感動していると、お尻のあたりに違和感を感じた。恐る恐る視線をそこに向けると、手が触れていた。
「中々いいお尻してるじゃ……」
「ラミーナぁ!!」
シエラは顔を赤くしながらラミーナの手を払う。クラウドもウエーバーもいるのに、流石に今の発言はないだろう。シエラはラミーナのセクハラまがいの行動に、羞恥心が昂る。
「女同士なんだし、いいじゃない」
「よくない!!」
シエラはラミーナから離れると、息を荒げながら反論する。
今までこんなことはされたことがない。第一お尻を触られるなど、幼いときに両親に触られたぐらいだ。他人に、しかも仲間と呼ぶべき相手に。
シエラはラミーナを睨んだ。
「ラミーナさん、あんまりシエラを苛めないで下さいよ」
「だってぇ。こんな初心な反応可愛いじゃない」
ラミーナはいやらしい笑みを浮かべながら、シエラにゆっくり近づいてくる。シエラは顔をひきつらせ、迫ってくるラミーナからどう身を守れば良いのかと考える。
「……全く。冗談よ、じょーだん」
すると、ラミーナは肩の力抜き、自然な笑みを浮かべた。シエラはほっと胸を撫で下ろし、大人しく椅子に戻る。
「えーっと。それで、これからのことなんだけど……」
シエラは先ほどラミーナと話していたことをクラウドにも説明する。
とりあえずは、この町でクラウドの体力が回復するまで休む事。次の町、マフィオで一時的に“適合者”について調べる事。これは、マフィオという町がディアナでも有数の遺跡都市だからである。
「本当はダリアミの遺跡か、フランズの国立図書館が良かったんだけどね」
適合者についてはラミーナからの提案である。試練というものが一体何なのか。二千年前は何をしたのか。これから何が起こるか分からないので、そのために調べておきたいらしい。
「ま、あんたはゆっくり休みなさい」
とにかく、クラウドの回復が最優先である。今回のことで、何とか全員無事だったことに感謝しつつ、シエラは疑念を抱いていた。
――あんな魔物が頻繁に出てくるなんて。これも、聖玉の封印が解けかかってるからなのかな。
聖玉という未知の存在。しかし、それがもたらす影響は計り知れない。
――ま、今は小休止ってことだよね。
シエラは一抹の不安を拭うように、少しだけ笑みを作った。




