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リディア―世界の中で―  作者: 知佳
第三章:秘
23/159

****


 カツン、カツン。

 静寂な空間に、無機質な音が響く。昼間だというのに、部屋は漆黒のカーテンにより閉ざされている。

「……また、やっているのか」

 低く渋みのある声は、耳朶に心地よく馴染む。

 青年は手に持っている試験管を、ゆっくりと傾かせた。そして、試験管に入っている透明な液体が、一滴だけ重力に合わせて落ちていく。その瞬間、ゴウッと緑色の炎が床――正確には、床に書かれた魔法陣から出現した。しかし、炎は数秒だけ燃え盛るとすぐに消えてしまう。

「あぁ、また失敗ですか」

 青年――グラベボは残念そうな声を上げる。そして後ろに立っているフォーワードに向かって片手を上げた。

「フォーワード、そこにあるファイルを取って下さい」

 彼はそれだけ言うと、再び試験管を傾かせる。今度は少しだけ零す量を増やし、炎を出現させた。しかし、これもまたものの数秒で消えてしまう。

「やはり、一度も詠唱したことのない魔法は無理でしたか」

「……ファイルだ」

「あぁ、ありがとうございます。……さて、フォーワード。アールフィルトから何か言伝でもありましたか?」

 ペンでファイリングした用紙に何かを書き込みながら、グラベボはフォーワードに話しかける。

 元々彼は言葉数が少ない。自分から話しかけるという事は、彼が必然性を感じたときにしか行われない。

「四人目の適合者が、現れた」

「どこの国です? ダリアミですか、それともユクマニロですか?」

「ガイバーだ」

「ガイバー! それはまた……」

 随分と意外だ。

 グラベボはすっと双眸を細める。

 ガイバーはディアナの南方に位置している。わざわざコナ村に近い現在地に足を運んでいるのは妙だ。

「一体誰が手引きしてるんでしょうね。……それとも、適合者の“絆”というやつでしょうか」

「どう思いますか?」グラベボの問いかけに、フォーワードは沈黙を貫く。その対応を、仕方ないと想う反面、ついつい苛立ちも感じてしまう。

「……そういえば、先ほどビルダがお前のことを探していたぞ」

「ビルダが? ……嫌な予感しかしませんが」

 グラベボは眉を顰めながらも、ゆっくりと扉に向かう。

 ビルダが絡むと大体のことは良くない事柄ばかりだ。以前にも実験しているグラベボを呼び出しては、訳の分からない注文を寄越してきたことがあった。

 ――あぁ、憂鬱です。

 しかし、ここで無視をすると後が面倒である。執拗に理由を尋ねてきては、不服そうな顔をして迫ってくる。

 ――こちらの事情も考慮してほしいものですね。

 そう思いながら、談話室に向かい、いったん扉の前で立ち止まる。案の定、そこではビルダとショコラがいつものように騒いでいた。

「ねぇねぇ、ちょっとジルちゃん聞いてよー」

「んだよ」

 しかも珍しくジルまでいるらしい。ジルは迷惑そうな顔をしながら、ビルダの方を向くとそこにはド派手な衣装を持った彼がいる。

「俺部屋戻る」

「ちょ、ちょっと~! まだなーんにも言ってないじゃない」

「るせぇ。離せ!!」

 ジルの腰にへばりついて、ビルダは引きずられながらも何とかジルを押さえつける。流石に体術を得意とするだけあって、ビルダの腕力は相当なものだ。ジルもこれ以上逃げれないと悟ったのか、渋々ソファに腰を下ろす。

「……で、何だよ」

「実はねぇ、アールフィルトが次の町はちょっと羽目を外してもいいって言ったのよ!!」

 意気揚々と語り始めたビルダに、ジルも、そして聞いていたグラベボも首を傾げる。アールフィルトがそんな事を言うなんて今まで一度もなかった。戦闘に関して素人ではあるが、彼女はいつでも冷静に物事を判断する。目的達成のためなら、余計なものは何でも排除できる冷徹さも持ち合わせている。

 ――そんなアールフィルトの口から、羽目を外す許可が出るなんて。……信じられません。

「だからぁ、ジルちゃんもどう? ビルダちゃんとデートなんて」

「気色わりぃ事ばっか言ってんじゃねぇぞ」

「やん! ショコラってば相変わらず口が悪い」

 青筋を浮かべているショコラが容易に想像でき、グラベボはため息を吐いた。“ジルちゃんも”と、その言葉から何故自分が呼ばれたか察してしまった。

「……ね? グラベボ」

「……お断りです」

 目の前には上機嫌なビルダの顔がある。流石にこう長く留まっていては気配で気づかれるか。諦めたように談話室に入り、グラベボはジルの向かい側のソファに座る。

「呼び出すならもっとマシな用件でお願いします」

「あら、失礼しちゃうわぁ! ビルダちゃんの真剣な誘いも足蹴にしちゃうなんて……」

「なーにが真剣な誘いだ。大体お前に付き合うとろくなことがねぇ」 

「同感です」

 ジルとグラベボは怪訝そうな視線をビルダに送る。しかし、陽気なオカマと自他共に認めているだけあってこの程度ではへこたれない。

 頬を膨らまし、拗ねた仕草をしながら詰め寄るビルダを無理矢理引き剥がしながら、ジルは「つーかよ」と切り出した。

「珍しくねぇ? あいつがあんなこと言うなんて」

「そうですよね。妙、といいますか何といいますか」

「大体、なんで次の町なんだかなぁ。マフィオじゃダメなのかよ」

 ショコラもソファにどっかりと腰を下ろし、頬杖をつきながら目の前にあったクッキーを貪り始める。

 大きく着崩した着物と、大胆に露出させた太股はとても扇情的だ。しかし、妖艶な容姿のせいかどうしてもその言葉遣いの荒さが目立ってしまう。

「……ショコラ、こればっかりは僕もビルダに賛成です。その言葉遣いと、あとはしたない格好はやめるべきです」

「はぁ? なんでグラベボに言われなきゃなんねぇんだよ。暗殺家業に関係あんのかよ」

 グラベボの一言にショコラは益々苛立った様子で、クッキーを食べる仕草がより荒っぽくなる。

 失敗したな、と後悔したところで遅い。ショコラの機嫌は一度損ねると中々すぐには直ってくれない。グラベボはどうすべきか悩んでしまう。すると、驚いたようなビルダの表情が目に入った。

「グラベボの化けの皮が剥がれたわねぇ」

「すみません、もう一度お願いします。誰の化けの皮ですか?」

 しかし、すぐににやにやしたものへと変わり、グラベボはビルダを睨む。そして落ち着け、と自分に言い聞かせる。

「まぁまぁ、ショコラも機嫌直しなさいよ~。そのぐらいであんたのマイセン様は逃げたりしないから」「てめぇが気安くマイセン様の名を口に出すな!!」

 ガスッ。

 ショコラは足元にあったクッションをビルダに投げ付ける。それはビルダの顔面に勢いよく直撃した。

「いった~い!! ちょっと、乙女の顔になんてことしてくれるのよ!?」

「乙女だぁ? てめぇ、四捨五入したら三十路の“男”だろーがぁぁ!!」

 ――はぁ、また始まった。

 グラベボとジルはため息を吐く。この二人は何かあればすぐにこれだ。それでいて戦闘は一流のプロなのだから、呆れてしまう。

 ショコラはビルダの胸倉を掴み、ビルダはショコラの両頬を掴んで言い合っている。見た目はビルダも女性であるから、傍から見たら醜い女の喧嘩だ。しかもこの二人だと、言い争いでは終わらずに殴りあいにまで発展する。

「……うるさいですね。ジルさん、止めてください」

「なんで俺なんだよ。リーダー命令だ。グラベボ、お前がとめろ」

「職権乱用は良くないかと」

「るせぇ。大体、女は面倒だ」

 グラベボとジルは、二人してやる気も覇気も無い表情でソファに凭れながら、喧嘩の様子をじっと見ている。いつもならここで大体仲裁が入る。

 ――あ、来ましたね。

 気配でグラベボは仲裁役の彼女がやってきたことを察知する。そして、談話室の扉が大きな音と共に開かれた。

「騒々しい! あなたたち、外まで声が漏れてるわよ」

 現れたのはエリーザだ。金色の美しい長髪を靡かせ、鋭く視線をショコラとビルダに向ける。

 グラベボに至っては、言っても直らないあの二人をよく何度も叱れるな、と感心してしまっている始末だ。

「アン様からのお言葉に浮き足立つのも結構。だけどね、アン様に迷惑をかけたら……」

 言葉の続きは語らないが、エリーザの瞳が物語っている。迷惑をかけたら――殺す、と。

 確かに彼女ならやりかねない。というか、絶対にやる。エリーザはショコラとビルダの元に歩み寄ると、二人を即座に引き離す。

「仲が良いのも結構よ。任務に支障が無ければね。……それで、今回の原因は何?」

 まるで母親だ。勿論、子供はショコラとビルダである。年齢的にはビルダが三人の中で一番上であるはずなのに、精神年齢は割りと低い。

「こいつが気安くマイセン様の名を口にしたんだ!」

「ふんっ。べっつにいいじゃない。だってマイセン様は――」

「いい加減になさい。これでは収拾がつかないわ。とにかく、二人は自室に戻りなさい。いい? くれぐれもアン様に迷惑がかからないようによ」

「……分かったわよぅ」

「……ちっ」

 エリーザの笑顔に込められた殺意に、ショコラとビルダは渋々引き下がる。

 アンの事となると、エリーザは誰にも負けない心の強さを見せる。誰よりもアンのことを思い案じ、娘のような、妹のような可愛がり方をしている。否、可愛がり方、というと語弊がある。正確には、忠誠心だ。

 ショコラとビルダが談話室から出て行くと、急に静かになる。特にビルダがいなくなったことが大きい。

 ここにいる者は全員、元々顔見知りではあったが、普段から話しをしたりするほど、別段仲が良かったわけではない。

 ――そんな僕たちが、仲良しこよし、ですか。

 そんな風に思ったグラベボは内心でくつくつと笑う。なんて間抜けなんだろうか。こんな滑稽な間柄にも、時間が経てば絆が生まれてしまうなんて。

 グラベボは冷めた瞳で談話室に残っている二人を見ると、エリーザと目が合った。

「ビーン、それからセイスタン」

「……なんでしょう」

「あ?」

 エリーザは困ったように眉根を寄せ、グラベボとジルに視線を向ける。きっと先ほどのことで言われるのだろうな、と二人が思った瞬間。

「アン様が二人を呼んでいたわ」

 思いがけない一言に、グラベボとジルは瞠目する。エリーザは物言いたげな口を噤み、それ以上言葉を発しなかった。

 グラベボとジルは談話室を後にすると、足早にアンの部屋へと向かう。呼び出されたということは、大方任務のことだろう。広い廊下を歩きながら、グラベボは思案していた。

 ――恐らく、休養というのは何かの名目でしょうね。……僕と、ジルさんの行動を隠すための。

 フランズに着くまでは手を出さないと言われてそう日数が経っていない。適合者に直接関わることではないだろうが、恐らく先手を打つ形になる。

「……おい、入るぞ」

 アンの部屋の前に着くと、ジルはノックもせずに扉を開ける。グラベボは少々戸惑ったが、ジルの後に続いて部屋へと踏み込む。

 昼間だというのに、その部屋には僅かな光さえもない。わざとカーテンで遮光していたグラベボとは違い、この部屋には窓というものが存在していなかった。まるで物置部屋のようだ。

 しかし、その空間に少女は静かに横たわっていた。普段から暗闇に慣れている者でなければ、アンの存在に気づかないだろう。

「……やっときたか」

 闇に溶けていた漆黒の艶やかな髪がさらりと持ち上がる。横たわっていたアンが、ゆっくりと上体を起こしたのだ。

「用件は?」

 短くジルが呟くと、アンは「ふむ」と一つ頷いてみせる。

 仄かに、彼女の額に刻まれた紋章が光り始めた。そして、床にアンの額に刻まれているものと同じ紋章が、巨大化して浮かび上がる。

「……これは」

 そこには、クラウドがマヨクワードゥに還したはずの、貴族種の魔物がいた。相当深手を負っているのか、魔物は虫の息だ。グラベボは貴族種の魔物を食い入るように見つめている。

「この魔物はどうしたんですか?」

「それは昨日、適合者に接触した魔物だ」

「適合者だと?」

 ジルはその言葉に反応を示す。クラウドのことを思い出しているのか、身体が疼いているらしい。

「あぁ。しかし、妙ではないか?」

「確かにそうですね。貴族種がこんなディアナの辺境にいるなんて。しかも、中々いい実験材料になりそうですし」

「……誰かが手引きしてる。そう言いてぇんだろ」

 ジルは少年のような輝きに満ちた瞳を魔物に向けている。グラベボも、一体どういう実験方法を試そうかと、魔物を観察しはじめた。アンはそんな二人を無表情で眺めながら言葉を続けた。

「そうだ。恐らく、この近くに召喚の魔法陣がある。それを探せ」

「……それは構いませんが。あ、この魔物はいただいても宜しいですよね」

「好きにしろ」

 グラベボは嬉しそうに微笑を浮かべながら、傷ついた魔物の身体を魔法で縛り上げる。召喚魔法を使い自室に送ると、やっと真剣にアンと向き合った。

「では、早速……」

 そう言って部屋を出て行こうとするグラベボを、ジルが肩を掴んで踏み止まらせる。普段は一番冷静であるはずの彼だが、どうやら実験材料を見てしまい興奮しているようだ。

「何のための次の町の休養だ」

「あぁ、そうでした」

 失念していた、というような仕草を見せると、グラベボにしては珍しくへらっとした笑顔が張り付いていた。

「僕たちはビルダが遊んでいる間に、仕事をこなせばいいんですよね」

「……? よく分からんが、次の町に着いてから、ということだ」

 アンはらしくない言動をするグラベボを怪訝そうな表情で見つめながらそう呟く。

「それから、あまり目立った行動はしてくれるな」

「勿論ですとも。僕たちの本業、お忘れですか」

 アンに微笑むと、グラベボは柔らかい自分の髪を撫でる。その仕草はどこか艶があり、この暗闇において妖しく映る。

 ――本来なら、今すぐにでもこの魔物の解剖に入りたいところですけど……。

 しかしそれをやってしまえば、きっと次の町についても任務を遂行できなくなってしまう。熱中すると周りが見えなくなる性格を、グラベボ自身よく理解していた。

 隣にいるジルがなにやら腑に落ちない表情でいたが、今はそれもどうでもいい。早く町につけばいいのに。グラベボは、待ちきれない気持ちを押さえ込もうと、もう一度自分の髪を撫でた。


****


「……魔物の、手引きねぇ」

 グラベボと分かれてから自室で、ジルはぽつりと呟く。

 一人だけ、そんな事をしそうな人物が思い当たるのだが。しかし、確実ともいえない。

 過去に三度だけ対面した事のある男は、今何をしているのだろうか。もしあの時の自分に力があれば、真っ先にあの男を殺していただろう。ジルは自分が抱いている得体の知れない殺意に、頭がおかしくなりそうだった。

 たった三度だけだが、あの男には果てしない嫌悪感を抱いている事だけは分かる。あの男には、どうしようもないほどの力があることを、ジルは知っている。

 それは最初に対面した時にすでに分かっていた事であり、当時子供だったジルにはどうしようもないものだった。 

 ――胸糞わりぃ。

 あの男の目は、見ていて腹が立つ。陰湿で粘着質で、自分とは違う執着心を持っている。欲に塗れた大人たちの、代名詞と言っていいかもしれない。

 だから、思い出したのだ。

 適合者を狙う輩など、自分達に限った事ではない。権力、力。そういったものは簡単に人を堕としてしまう。

 ――……けど、まぁ、俺には関係ねぇか。

 いくら大人たちが私利私欲のために動こうが、この世界が崩壊を迎えなければ、それでいい。

 ――俺は、ただ強さが欲しいんだ。

 自分よりも強い他者が存在していれば、自分の“この世界”はずっと回り続けるから。ジルは歓喜に震えた身体で、そっと舌なめずりした。






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