七
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一方、ウエーバーは疑念を抱いていた。
魔物の攻撃を避けながらその動き、容姿、技、それら全てを観察する。
――妙ですね。
先ほどから全く同じ技しか繰り出してこない。腕のつきをしたかと思えば、蹴り、次いで尻尾を薙ぎ今度は拳を連打してくる。
ワンパターンすぎるのだ。
ウエーバーは上体を大きく反らし魔物の顎に思い切り蹴りを入れる。
――体術は苦手なんですけど、様子見ですね。
そのまま間合いを取り、魔物の周りに目を凝らす。
最初に感じた無数の殺気と、纏っていた威圧感が今は全く感じられない。
ならば今のうちに片付けてしまおう、そう思った瞬間。
「グオォォオオォオォォオオォ!!」
突然魔物が咆哮を上げ、その魔力が放出した。
普段魔力というものは見えないのだが、高密度なそれは肉眼でも分かるほどだ。
――……これほど、とは。
自然と、笑みが浮かんでいた。
流石のウエーバーも、これほど高密度な魔力を体験したことは数えるほどしかない。
不可視の力が渦を巻く。風の奔流に負けないよう、ウエーバーは腰を落とし足を突っ張る。
「く……っ!」
ウエーバーは下唇を強く噛み、そこから滴った鮮血を右手の親指で掬い取る。
もう、そこには普段の穏やかなウエーバーはいなかった。
冷淡な瞳を魔物に向けた、荒んだ少年がそこにはいた。
魔物が風を纏いながら突進してくる。風は刃となり木々を切り倒していく。ウエーバーはそれを避けながら右手を翳す。
「煉獄の炎、深淵の導き、汝らは古よりの歌、来たれ……ファイアブラッド」
詠唱すると、途端に血が膨れ上がりそれは炎の槍や剣となる。
風により炎の勢いは増し魔物に容赦なく突き刺さった。
「ガァアァアァアアァァ!!」
苦痛で呻く魔物を見下しているウエーバーの手には、巨大な槍が握られている。
戸惑いのない瞳は、見るものを慄かせる。
そして、遠慮なく槍は振り下ろされた。魔物の断末魔が森に響く。
「おかしいですね。上級がこの程度なんて……」
ぐりぐりと槍を刺したまま回転させる。返り血がつくのも気にせずに、何度も何度も繰り返す。
「先ほどの魔力といい、体術といい……分かりません」
ウエーバーは冷淡な瞳を向けたまま、槍を剣に変化させる。
そしてもがき苦しんでいる魔物の首に向かって、容赦なく振り下ろした。
辺り一面が血の海となる。
とめどなく広がっていく深紅。しかし、それはマグマのように突然沸騰した。
「!?」
血の柱が幾重にも立ち上り、ウエーバーを閉じ込める。
出口は上しかない。しかし、ここで上に上がれば格好の餌食となってしまう。
――やはり、一体だけじゃないようですね。
ウエーバーは魔法陣を作り出し、それを回転させながらどんどん肥大化させていく。血柱を押し進むが、中ほどまで行くと血に飲まれてしまった。
――さて、この状況……どうしましょうか。
血の柱を走り抜けてみるか。しかし危険が大きすぎる。
ウエーバーが魔物の死体を蹴りながら思案していると、声が聞こえた。
「おい!! そこん中いるのは……」
「クラウドさん!?」
「やっぱりか」
外から聞こえたクラウドの声に、ウエーバーは思わず驚きの声を上げる。
シエラは一体どうしたのか。そればかりが気になってしまう。
まさか一緒にいるのか。
そう想うと、この足元の死体を見せるわけにはいかない。
ウエーバーが内心で焦っていると、血の柱に電流が迸る。次いで斬撃。
血の柱がばっさりと切り倒され、クラウドの姿が捉えられる。
「何やってんだ」
クラウドはウエーバーの足元を見ると、眉間に皺を寄せた。
あぁ、クラウドさんだけで良かった。
そう思った自分に首を傾げながらも、ウエーバーは笑顔をつくった。
「いえ、ちょっと懲らしめてました」
「はぁ? つーか、さっきの血柱なんだったんだよ」
「この魔物に施された魔法かと」
「血にか? そんなことできんのかよ」
クラウドは先ほど斬った時の感触を思い出した。
あんな不気味な悪趣味な魔法が世の中にあると思うと、歓迎はしたくない。
「契約に血を用いれば出来なくもないですね。契約者との契約内容にもよりますが、ある程度は可能かと」
「そうか。……んじゃ、こいつの主がいるってことだな」
「おそらく」
ウエーバーはもう一度足元の魔物を蹴ると、ゆっくりと足を進めクラウドに背を向けた。
――あの魔物の狙いは一体……。いえ、いずれにせよシエラたちに迷惑はかける前に、始末しなければ。
珍しく、苛立っていた。
この程度のことで苛立つなんてらしくない。分かっている、それでもこの胸に広がる不安に似た何かに苛立ってしまう。
いつもの柔らかい微笑みの面影は無く、冷え切った瞳がギラついている。
その様子をじっと見つめながら、クラウドはおもむろに布を取り出し剣を磨き始めた。
「……クラウドさん、先に二人と合流してください」
「探すつもりか?」
「えぇ。僕が皆さんに迷惑をかけるわけにはいきませんから」
その言葉に、クラウドはより一層眉間に深い皺を刻んだ。
ウエーバーの小さな背中を見つめ、そして盛大な溜め息を吐く。
「バッカじゃねぇの」
ドガッ。
大きな音と共にウエーバーが前のめりになった。
「な、何するんですか……ッ!?」
頭部を押さえて蹲るウエーバーを他所に、クラウドは剣の柄をまた二、三度軽く振る。
「強がってんなよ。それに年下が年上に気ぃ遣うんじゃねぇよ」
「え、なんですかその理屈。年下が年上に気を遣うのって普通じゃないですか」
「るせぇ。チビが上の面倒まで見ようとすんなってことだよ」
クラウドは眉間に皺を寄せたまま、ウエーバーとしっかり視線を合わせる。
お前に守られるほど弱くない。言外にそう語っている。
「……いえ、ですから! これは僕の問題で……」
しかしウエーバーも引かない。
何しろ原因は自分でありそれの後始末に他人を関わらせるのは、ウエーバーの主義に反している。
「わかんねぇだろ。俺かもしれない、ただの偶然かもしれない。……確率は同じだ」
それでも、クラウドはウエーバーの意見を否定する。ここで引き下がれば、何か重大なミスを犯してしまいそうで。
クラウドは磨いた剣を翳すと口元を歪めた。
彼が何を思い笑ったのか、ウエーバーには分からなかった。
「……それじゃ、探しに行くか」
「ソノ必要ハ無イ」
「――ッ!?」
殺気を孕んだ地を這うような低い声に、クラウドとウエーバーは咄嗟に身を翻した。
しかし、それは風よりも早く動きクラウドを吹き飛ばしていた。
「クラウドさん――!」
「人ノ心配ヲシテイル場合デハナイゾ」
鋭くなぎ払われた腕。それを間一髪で避ける。
ウエーバーは空中で上体を捻った。その手には炎で出来た弓矢が握り締められている。
きりきりと張った弦から手を離す。空を裂く鋭い音と共に矢は魔物に一直線に向かう。
しかし、矢はあっさりと魔物の水球に打ち落とされてしまう。
ウエーバーは幾つも炎の球体を出現させはじめた。今度はウエーバー自身が魔物に突っ込む。無謀にも思われるその行動に、魔物は不気味に笑った。
「……その身は風。その心は鉄。敵を貫け」
ウエーバーの言葉と共に、ただの炎の玉だったものが硬い強度を誇る矢へと変貌した。ウエーバーが指を曲げると速度を増し、それは確実に魔物を捉える。
「無駄だよ」
しかし、矢は魔物を貫く前に弾き飛ばされてしまった。
不敵で蠱惑的な笑みを浮かべた女性が、そこには立っていた。
しかし彼女は人間ではない。その頭からは角が二本生えている。
「……貴族種の魔物が何故?」
「いいじゃないか。あたしら貴族は八大国ならどこでも行き来していいんだろ」
「人間を襲っていい許可は出ていないはずですが?」
「おっと、それはおかしな話だね。なら、人間が魔物を襲うのは合法なのかい?」
返す言葉が無い。
元はといえば魔物側に非はあるが、本来交戦権はどちらにもないのだ。
「……正当防衛ですよ」
「いけないねぇ。自分を正当化するのは当たり前だ。ほぅら、あたしの目を見るんだ」
惑わすような声に、ウエーバーは吐き気を覚えた。
何故自分がこんな奴らの相手をしなければならない。
――あぁ、イライラしてきました。
さっさと終わらしてしまおう。そう思った瞬間、轟音が鳴り響いた。
煙の中から姿を現したのは、先ほど魔物に吹っ飛ばされたクラウドだった。
「……魔物が二体、か」
「クラウドさん!」
首を鳴らしながら殺気を放出している。
ウエーバーは安堵すると共に、自分の真っ黒な感情に気づかれまいと焦っていた。
「ったく、勘弁してくれよ」
「おや、随分余裕なんだねぇ」
「あ?」
蠱惑的な魔物はクラウドに微笑みかけると、その頭部から生えている角を更に鋭く形態変化させる。
クラウドは剣を構えながら、その様子をじっと見つめた。
貴族種に迂闊に手を出せば、一撃でこちらがやられてしまう。
――召還鏡を使うにしても、弱らせねぇといけねぇしな。……第一、こんな頻繁に魔物が出現するなんておかしいじゃねぇか。
きつく剣の柄を握り締めながら、クラウドは警戒を更に強める。
ウエーバーも赤褐色の鱗肌の上級魔物と改めて対峙する。
緊張感に辺りが包まれ、互いに殺気がぶつかっている。
確かにこの場にシエラはいなくて正解だった。
クラウドもウエーバーもそんな事をふと想う。
こんな殺気に満ちた場面に出くわせば、一番の餌食となるだろう。
この旅で誰かが欠けるということは、世界の終わりに直結する。
相当の重責と重圧だ。
しかし、クラウドとウエーバーはそれぞれ違った捉え方として、その事を自分が乗り越えるべき壁と認識している。
「……いくよ」
低い声がクラウドの鼓膜に届いた。
その瞬間、目の前で不敵な笑みが広がる。
右足を捻り身体を逸らす。電流を纏った拳が幾打も繰り出される。それに合わせて反撃するが、互いに攻撃が当たらない。
剣のクラウドの方がリーチはあるが、時折突き殺そうとしてくる角が相手にはある。
懐に入れば危険性も増す。とはいえ間合いをはかってばかりでは勝負にならない。
――角で動きが鈍ると想ってたが。……思いのほか速いな。
角一本は人の顔でいえば三人分はある。それを二本頭につけているのだ。
普通ならば重さに耐え切れず自滅する。しかし魔物は余裕の笑みさえ浮かべている。
「なぁ、そろそろちゃんと反撃おしよ。つまらないじゃないか」
「戦いに面白いも何もあるか、よ……!!」
言葉尻に合わせてクラウドは魔物の角を弾く。それと共に地面を蹴り力強い一撃をぶつける。
「関係あるねぇ。いいかい、戦いは狩りだ。この手で誰かが傷つくと想うとゾクゾクするんだよぉ」
「このサディストが……ッ!!」
既視感を覚えながらクラウドはそれが一体何であったか思い出せずにいた。引っ掛かる、というよりも何か最近似たようなことを言われた気がするのだ。
「なぁ、人間ってのはどんな味がするんだい?」
「……味、だと」
「おや? もしかして人間ってのは、食べない生き物だったかい」
きょとんとした魔物の表情から、クラウドはまさかと最悪の想像をしてしまう。
口に出すか逡巡した後、眉根をきつく寄せ口を開く。
「お前らとは違うからな」
「はんっ。随分な言い草だねぇ」
薄く開かれた唇と共に、魔物から膨大な魔力が噴出した。不可視の力がはっきりとそこに顕現している。
その様子を、少し離れていたところで見たウエーバーは驚愕した。
勿論、魔物の相手をしながらである。
――さっきの魔物の魔力は、あの魔物のものでしたか。
それでやっと得心がいった。あれほど高密度な魔力があったにも関わらず、魔物自体は大したことはなかった。
魔法を使わないのではなく、使えなかったのだ。
――でも、おかしいですね。あの魔物の魔力は一体どこに消えたというのでしょう……。
「余所見ヲスルナ……!!」
鋭い氷のつぶてを避けながら、ウエーバーは目の前にいる魔物を睨む。この程度の魔物、本来ならさっさと倒せてしまうはず。けれど、何故か先ほどから互いに攻撃が拮抗してしまっている。
「……おいおい、情け無いじゃないか。ケリをつけるんじゃなかったのかい?」
すると、クラウドの相手をしていた魔物が、ウエーバーの間の前の魔物を囃し立てた。
貴族種と上級でも力の差は大きい。上級種は悔しそうな表情をすると、ウエーバーに向けて連打を繰り出す。
「あまり調子に乗らないで下さい」
ウエーバーは魔物の連打を避けながら、魔物の顔面に重い炎の一撃をぶつける。
魔物が痛みに呻いている隙に、ウエーバーは素早く詠唱する。すると、一瞬にして魔物は光の縄により身動きが取れなくなった。
「グウゥゥゥウウ……」
低い呻き声を漏らしながらウエーバーのことを睨みつけている。
その顔は先ほどの炎により爛れてしまっている。哀しくもそれは醜い形相だった。
「……このディアナの領土に、無断で入ったことを後悔させてあげましょう」
ウエーバーが冷徹な瞳を向けた瞬間、魔物は激怒したように、閉じていた全身にある無数の目を見開いた。
「グググ、グアァアアァァアア……!!!!」
「!?」
咆哮と共に辺りが凍り始める。茂っていった木々も冷たい氷に包まれていく。
冷気に満たされ、思わず身震いしてしまった。
「……やればできるじゃないか」
クラウドの剣を角で受け流しながら、貴族種はにたりと笑う。
その瞳を見て、クラウドはふと思い出す。
――そうだ、思い出した。あいつと同じなんだ。
先日剣を交えた――ジルという年頃の同じ少年。彼がクラウドに言った言葉と、目の前の魔物の言葉が被っていた。
その残忍な瞳の奥に見え隠れする獣染みた、剥き出しの本能。
――……ったく、胸糞悪りぃ。
気づけば、自然と舌打ちをいていた。クラウドは剣の柄をしっかりと握りなおす。
この程度で心を乱していては、勝てるものも勝てなくなってしまう。今は目の前の敵に集中することだけを考えろ――そう自分に言い聞かせる。
「にしても、氷のフィールドとは中々乙じゃないか」
「身が締まる寒さにしちゃ、ちょっとやりすぎだがな」
辺りは氷塊に覆われ、気温は氷点下に達している。
魔物に気候は関係ないのか。
一瞬過ぎった考えを振り払う。
今はどうでもいい。とにかく、この悪環境の中で自分が勝ち残ることを最優先としなければならない。
――使いたくなかった。が、止むを得ずってやつだな。
クラウドは剣に魔力を注ぐ。
すると、バチッという音と共に剣が雷を纏う。
その様子を魔物が少し驚いた様子で見つめていたが、すぐにそれは歪んだ感情に飲みこまれた。
「いよいよ、本気を出してくれるってわけだね」
「さぁな」
じりじりとにじり寄る両者。その双眸は互いに鋭い輝きを放っており、にらみ合ったまま制止する。
すぐ傍で鳴り響いた轟音を合図に、両者は駆け出す。先ほどとは比べ物にならない衝撃が、砂塵を巻き上げ氷塊に亀裂を入れる。
「くっ……!!」
押し負ける。クラウドがそう想った瞬間、火柱が突然辺りを包み込んだ。
「!?」
「無粋だねぇ」
魔物は頭を大きく振り回し、クラウドから大きく距離を取った。雷をまとったからか、魔物は痺れたような素振りを見せる。
「……まだ、こんなもんじゃないだろう?」
魔物の問いかけに、クラウドは一切反応を示さない。そのかわり放電させ、剣に更に雷を纏わせる。
剣を一振りすれば、地面が大きく穿たれる。それを恍惚とした笑みで魔物は見つめており、歓喜に身を震わせそうだ。
そして、クラウドは大きく息を吸い込むと魔物目掛けて突っ込んだ。
「クラウドさん……ッ!!」
目の前に敵の動きを封じたウエーバーは後ろを振り返る。
ウエーバーが魔法で火柱を発生させたのは咄嗟の判断だった。
さすがに貴族種なだけあって、相手は手ごわい。
「……ガァッ!!」
ウエーバーが気を取られていると、魔物は勢いよく、動きを封じていた魔法の鎖を引きちぎる。
その音と共に、クラウドが戦っている方向から凄まじい衝撃が伝わってきた。
その余波でウエーバーと上級魔物は吹き飛ばされる。慌てて体勢を整えるが、目の前に迫っていた魔物の攻撃は防ぎきれなかった。
氷の斬撃をまともに喰らってしまい、ウエーバーは痛みに呻き声を上げる。
――こ、んな程度……!
気力ですぐさま魔物にも一撃を喰らわせる。そして地面を強く蹴り魔物を殴った。
ウエーバーは体格的にも体術はむいていない。本人も得意としていない。けれど、勝つためには少しでも相手に攻撃しなければならない。
それほど、魔物はウエーバーを焦らせていた。
――今まで対峙したどの魔物よりも強いわけではないのに……。何故こんなに手こずるんでしょうか。
肩で息をしながら思案する。
いつもと何が違う。いつもと何が。そう想ったとき、視線が自然とクラウドに引き寄せられる。
――……そういうこと、ですか。
ウエーバーは自嘲的に笑うと、突然魔力を放出した。その魔力は次第に透明な膜へと姿を変え、ウエーバーと魔物だけの空間を作り出す。
「これで、いいんですよね」
ウエーバーは確かめるように問いかける。
目の前の魔物を確実に、より安全な方法で始末するにはこれが最善策だ。
そう判断すると、ウエーバーは一気に自分の魔力を爆発させた。
「フレイム……バースト」