四
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「――ゆっくり休めたかな?」
小屋に入ってきたチェイドはにこやかにシエラ達に手を掲げた。
止めろこっちを見るな。シエラの中に強烈な拒絶の感情が生まれる。それと同時にこの男性は一体誰なのかという疑問も沸き起こった。
「……おかげさまでな」
クラウドの棘のある言い方にチェイドは肩を竦めると、ゆっくりと視線をシエラに向ける。シエラはその瞬間宝玉から悪寒のようなものが伝わり、吐き気を感じたがぐっと堪えた。
すると男性はシエラに向かって微笑んできた。彼の眼を見た瞬間、シエラはアンに宝玉を抜かれそうになり、朦朧とする意識の中で見た影を思い出す。
「僕はチェイド。ガイバーの国家諜報魔術師だ。よろしく。訳あって君たちの護衛をすることになった」
チェイドと名乗った男性は柔和な顔つきでシエラに右手を差し出してきた。
「は、はぁ。てか、国家諜報魔術師……? 何それ。っていうか、全然分かんない」
シエラはその右手を握り返すことはせず、助けを求めるようにクラウドとウエーバーに視線を投げた。二人も困惑した表情で、互いに顔を見合わせている。するとチェイドが思い出したように声を発した。
「そうそう。諜報魔術師について話しておく必要があったね。まぁ、そんな難しいモンじゃないから安心していいよ」
シエラは頷くのが精一杯で、下唇を噛んで吐き気を抑えているので言葉が発せない。本当は“諜報”のものが簡単に素性を話していいのか、などと言いたいこともあったが。
「僕はガイバーの国家諜報魔術師。諜報魔術師ってのは、簡単に言うと情報を集めてそれを魔術式に変換し、仲間内に送る……まぁ、いわば情報屋ってわけだ」
初めて聞いたそれに、シエラは驚きが隠せない。そんな職業がこのロディーラに存在していること自体知らなかった。
「僕の場合、ガイバーお抱えの諜報魔術師ってこと。これ以上はちょっと国家機密に抵触したりするから、あんまり言えないんだけど」
「……それで? その情報専門が何故護衛なんて任された。それに、護衛は七大国の総意かどうかも」
クラウドは剣の柄を握り締める。いつでもチェイドの首を刎ねれる体勢をとり、鋭い眼光は険しさを増すばかりだ。
「簡単に言えば、諜報をやるからにはそれなりの腕っ節がいるわけだ。つまり、そこらへんの魔術師とは一味違う。おまけに本職は情報だ。使い勝手がいいだろう?」
「まぁ、確かにその通りですね。諜報魔術師が護衛をするというのも、全くないわけじゃありませんし」
そう言いながら、ウエーバーの眉間にも皺が寄っている。
やはり襲撃されたあとに適合者でもないものと関係を持つのはあまり宜しくない、そう想っているのだ。それに自分たちの身を滅ぼしかねない。シエラも警戒しながらチェイドの言葉に耳を傾ける。
「でも、これが七大国の総意かと問われれば、それはノーと言うしかないな。これはこちら側の勝手な判断だ。襲われている君たちを見て、適合者だと知っている上で助けた。実に自然だろう」
チェイドは両手を挙げて向けられた切っ先を見る。クラウドは舌打ちをしてから剣を下げた。どこまでも食えない奴であり、狡猾さも持ち合わせている。
「それで、チェイドさん。ガイバーの適合者とは何時頃合流できるんでしょうか」
「そうだな。あの子は優秀と評判だから、きっともう任務を終えているだろう。今に逢えるさ」
そうチェイドが呟いた瞬間、シエラの宝玉が大きく脈打った。
懐かしいような、極最近感じたことのあるような気配が物凄い速さで近づいてきている。
「あの、ガイバーの適合者って……」
「女の子だよ。しかもガイバーの若年層の中でも群を抜いている」
愉快そうに笑ったチェイドは、ちらとシエラに視線を送る。先ほどから宝玉はうるさいくらいに鼓動を早めている。シエラは思い切って口を開いた。
「……ねぇ、何か感じない?」
そう言った途端、小屋の屋根が風で吹き飛んだ。否、吹き飛んだというより、意図的に破壊されたといった方が正しい。
クラウドは咄嗟にウエーバーとシエラの腕を引き後ろに下がらせた。
あまりに突然の出来事にシエラは言葉が出ない。クラウドとウエーバーは様子を窺うように破壊された屋根へと視線を向ける。
空をもうすっかり暮れており、辺りは橙色に染まっている。上を見上げると漆黒のドレスのような衣装に身を包み、淡い桃色の髪を靡かせた美女が冷淡な表情で立っていた。
「……ありゃりゃ、残念だな」
言葉を発したのはチェイドだった。
初めて見たときの凍て付いた瞳が灰色の髪から覗き、シエラは背筋が凍った。口元には歪んだ笑みが浮かんでおり、先ほどとは全くの別人だ。
「まさかこんな早く展開が進むだなんて想わなかったよ」
「……お喋りな男ね」
美女はチェイドに向けて中指を向けると、そのまま親指と擦り合わせて弾く。すると、チェイドの周りを無数の炎が取り囲み、簡単には動けなくなっていた。
「あんた何者? そのバッチ、どこで手に入れたのかしらね」
「おーっと、それは言えないなぁ。あとついでに言うと、君のフレイム・フレアだけどね。ちょっと火力抑えすぎだと想うよ」
チェイドは言うが早いか、人差し指で空を指し示す。すると、突然地面からとんでもないほどの水量を持った水柱が何本も立ち上った。
「な……っ!?」
それにはシエラはおろか美女も、ウエーバーもクラウドも驚きを隠せない。これほどの水量を水気のない場所で出せるなど普通ではありえない。
「悪いけど、ちょっと動きを鈍らせてもらうよ」
チェイドは何時の間にか美女の背後に立っており、気づいたときには彼女は地面に叩きつけられていた。
「カハッ!!」
不意打ちに反応できず、彼女は受身を取ることもできなかった。口の端からは血が流れている。
「……やってくれるじゃないの」
手の甲でそれを拭いながらゆっくりと立ち上がる。そして首元の銀の十字架のペンダントに触れる。しかし、それを見たチェイドは意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「それ、使わないほうがいいんじゃないかな。復讐のための道具なんだろう?」
事情が分からずシエラたちは首を傾げたが、彼女は悔しそうに歯軋りしそしてチェイドを恨めしそうに睨みつける。測りきれないほど暗く深い怨嗟の念、哀しみ、絶望がない交ぜになっており、それはシエラの良く知るものだった。
「……あんた、何を知ってるっていうのよ」
「さぁ。何も知らないと言えば知らないし、何か知ってるといえば知っているよ。でもそんなこと、この世に溢れる事象に比べたら本当にちっぽけなことだろう?」
愉快そうに笑ったチェイドに、シエラは寒気を感じた。あの男は人とは違う。それは既定事実のように当然の如く彼に備わっており、常軌を逸している。
「なら、そのちっぽけなことも吐かせてあげる」
美女は微笑を浮かべると、強く地面を蹴りつけ空高く舞い上がった。右手を掲げ、素早く詠唱を始める。
「……焼結せよ、氷結せよ、我が身に纏いし万物よ、我が剣となり我が矛となれ。――シャインズ・ブレスト……ッ!!」
閃光と衝撃。強すぎる力による破壊活動だった。
シエラが目を開けた頃には小屋は跡形も無く吹っ飛んでおり、宝玉により再生した景色も無残なものになっている。ウエーバーが咄嗟に魔法陣で守ってくれなければ、きっと今頃全員死んでいただろう。
「……危ない人ですねぇ」
「あの野郎も、俺たちのいる方向にわざと来やがって」
クラウドとウエーバーの纏う雰囲気が一気に氷点下まで達する。シエラはそそくさと木陰に隠れると、事の成り行きを見守る。二人の初対面の時もそうだが、一度こうなると手がつけられない。ウエーバーは可愛い顔をしているだけに余計に性質が悪く、まだクラウドの方が可愛げもあるというものだ。
――ご愁傷様。色んな意味で。
幾らチェイドが強いといっても流石に三人相手はきついだろう。しかもそれぞれ相当腕の立つものだ。
シエラは合掌しながら、視線をチェイドに向ける。
「……う~ん、まぁここで相手してあげてもいいんだけどさ。そうすると色々とこちらとしては不都合だ。残念だけど、持ち越しかな」
「んなこと知るか。大体てめぇは何者なんだ」
クラウドは大きく剣を振り翳すと、そのままチェイドに振り下ろす。しかし軽やかにかわされてしまう。
「後ろがお留守なのよっ!!」
「横もですけどね!!」
ドガァァアアン。
雷と炎の矢がチェイドを挟み撃ちにし爆発する。しかし一瞬にして煙がゆらりと揺れると、そこから無傷のチェイドが姿を現した。
「……全く、乱暴だなぁ。初代はそんなに乱暴で無骨で連携もへったくれもない攻撃はしなかったよ」
チェイドは困った風に肩を竦める。しかし、それ以上に四人は驚きを隠せない。今の攻撃は間違いなく直撃したはずだ。防がれたにせよ何らかの傷は負うと想っていたが、それさえも裏切られた。
予想外で、規格外。作られた笑みの仮面が恐ろしくてたまらない。逃げ出したいと、心の奥から想ったのは生まれてはじめてだった。
シエラは震え始めた身体に内心で舌打ちをした。何故これほど自分は無力で情けない。魔法学校にいたときには想ったことなどない感情が、一つの大きな流れのように押し寄せる。
常に感じていたはずの劣等感はいつの間にか当然のことに成り下がり、心を蝕んでいたことにすら気づけないほどになっていた。しかし今、シエラは劣等感に近い“何か”を強く感じていた。それが一体何なのか皆目検討もつかないが、それでもその感情はシエラの中に根を張りはじめている。
「初代? 一体何を言っている!」
クラウドは確実にチェイドを捉えつつある。しかし剣先が掠めることさえ敵わず、剣を振れども決して当たることはない。
「このロディーラを救った八人の英雄のことさ。知らないはずはないだろう。君たちの旅の原因は彼らなのだからね」
「知った風な口を利くんですね」
ウエーバーは指を弾くとその炎の弾丸を連射させる。しかしそれも一つとしてチェイドに当たる事はない。実力の差は歴然で、クラウドたちでさえ赤子のように遊ばれてしまっている。
「……知ってるさ。君たちよりも、僕は彼らのことを知っているよ」
一瞬だけ、チェイドの表情が哀しげなものになった。シエラはその顔を見て何故か胸の奥が痛み、懐かしいような哀しいような、不思議な感覚に襲われる。チェイドはどこか自嘲地味に微笑むと、クラウドたちから大きく距離をとりそのまま上空に停滞した。
「玉を割りし狼は、暁の空に望み、それは咆哮となる。……また逢おう、玉を継ぐものたち」
「てめぇ、待ちやがれ……ッ!!」
チェイドはそれだけ言い残すと風のように消えてしまった。辺りはすっかり黄昏時で不気味に木々の陰が伸び始めている。
「……一体、結局彼は何者だったんでしょうか」
本当に一体何者だったのか。謎めいた言葉ばかりを残して消えてしまった。シエラは3人に近づき、そして空を見上げた。チェイドが僅かに見せた哀しみが頭から離れない。
「そういえば、あんたは誰だ?」
思い出したようにクラウドが美女に話しかけると、彼女は眉間に皺を寄せてシエラたちをじっくりと見つめた。
そして肩の力を抜いてから淡い笑みを作ってみせる。
「……あたしはラミーナ=ドロウッド。そうね、あの男の言葉が真実なら、あたしも同じ玉を継ぐもの……ってところかしら」
「そうか。それじゃあんたがガイバーの……」
「あら、あの男って本当にお喋りだったのね」
ラミーナは溜め息を吐くと、シエラとウエーバーを見た。そして右手を差し出し握手を促している。
「シエラ=ロベラッティ。ロベルティーナの適合者でキルデレット魔法学校2年生、よね。宜しく」
「……よ、宜しく。いや、そもそもなんで知ってるの?」
ラミーナの手を握り返しながらシエラは彼女の視線を真っ直ぐに受け止める。そして逆に聞き返すと、優しい笑みを浮かべられた。
「情報は武器よ。あたしがここにきたのも、とある情報のお陰でね。良かったわ、ここで合流できて」
ラミーナはシエラの頭を優しく撫でる。母親以外にそんなことをされたことのないシエラは一体どう反応していいか分からなくなる。
「なら、僕らも自己紹介しなくていいってわけですか」
「そうね。ウエーバーに、クラウド。二人とも宜しく」
ラミーナは二人と握手を交わすと、再びシエラに向き直った。まるで新しく姉が出来たような気がして、シエラは柄にも無く照れている。
「……ふふ」
そんなシエラにラミーナも笑みを零す。そして、ゆっくりと北西の方角を指差した。
「どうやら、目的地も知っているみたいですね」
「神の啓示ってやつよ」
不敵にウィンクしたラミーナの言葉に、クラウドとウエーバーは一つの答えが導き出され、納得したように頷いた。ただ、シエラだけは首を傾げたが。
「とりあえず、ここからは移動した方がいいわ。近くに街があるから、そこに行きましょう」
日が沈み始める中、シエラたちは再び歩き出した。
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それは笑っていた。
風に吹かれながら夕闇に映し出される姿はとても歪で不似合いのように感じた。しかしそれ――チェイドことグレイは全身で喜びを噛み締めている。
――まさか、宝玉の力があれほどだったとはね。
シエラの宝玉によって荒れ果てた植物は再生した。あれは“生きる”ことへの干渉であり、魔法では禁忌とされている事象である。しかし、あれは魔法とは全く異なる原理で生み出された神の産物であり、人では為し得ないことを可能にしてしまう。
『リディア、君は絶対に後悔するよ』
最愛の人はもういないけれど。グレイはかつての自分が彼女に向けて言った最後の言葉を思い出した。結局否定されてしまったけれど、それでもグレイは今少しだけ勝ち誇ったような気持ちになっている。
「……今の世界を見たら、きっと君は嘆き哀しむんだろうね」
――そして後悔するんだ。
宝玉を生み出したこと、聖玉によって世界の均衡を守ったこと。それら全てを、己が正しいと想った道を、否定するだろう。そうして強く後悔の念を抱いて、己を呪い、嘆き、悲しみ、縋り付けばいい。
「紛いものの“絆”がどれほどのものか、君さえも知らないだろうに……」
何かに引き寄せられるように集い始める適合者たち。グレイはその原因が何であるか大よその検討はついている。ただ絶対に分からないのは、その先の果てに何が待つのかということ。
――そういえば、あのときもそうだったな。
育った村を出て行くとき、最愛の人と別れの挨拶をしているときだった。まだ未来は明るい希望がもてた頃、先の事など分からずとも進もうと、躍起になっていた頃。
『――俺は俺の道を行くよ。だけど、俺はいつだって君を案じている。またいつか、俺たちの道が交わる日を……ずっと待っているよ』
結局道が交わることはなかったが、それでも良かったとさえ想っている。もしあの時道が交わってしまったら、今の自分はここに存在していない。この胸の奥に燻る猛る思いにも気づかなっただろう。
「……だから、俺は君のためにゲームをしよう」
グレイは獣のように光る、凍て付いた相貌をゆっくりと空へと向けた。
――玉を継ぐものたちよ。俺と君たち、ゲームに勝つのは一体どちらかな。
心の内で沈吟すると、彼は両手を広げて最愛の人が愛した世界を強く強く憎んだ。
「さぁ、ゲームを始めよう」
そうして、世界を巻き込んだゲームの賽は振られるのだった。