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青い嘘  作者: しいな けい
【玖】
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桜舞う混色の空で

 茂野をここに残そうとしたのは、膝をつき合わせ座する村上がいるからだった。

「どうかお声がけを。村上様はずっと貴方様こそが侍従となるべきと、茂野様のことを信じておられました」

「そうしてあげて下さい」

 咲夜もそれを許し、松緒に抱かれて奥へと板間を滑っていく。

 まだ燈も乏しく暗くあちこち廃墟となった本殿であっても、咲夜と松緒にとっては慣れた場所。

 どれだけ埃を被っていても、朽ち果てていても、豊山の奥の院より心休まる場所だった。

 咲夜が部屋を出て行くのを目で送ったあとに、ゆるりと茂野は上座に座する村上へ目をやった。

 村上が『呉山』名代である以上に、この場にいるということは『葵山事変』の真を知っているということに違いない。

 それはいつからのことになるのか──先代侍従達の記憶に村上の姿はない。

 だが村上が紅葉山出自であることを茂野は覚えていた。

 まだ髪も上げられない童子であった村上は、小さな体と心に嘘を抱えてここまで生き抜いてきたということになる。

 力が欲しい、と言った。

 『紅葉山』を裏切ったのは没落するに身を委ねるつもりはないから、褒美が欲しいから。

 官位を得て、食べるのにも眠るのにも困りたくない。

 そう言った村上を、何も知らなかった茂野は陰湿な裏切り者だと罵った。

 懐から金平糖を包んだ和紙を取り出して、眺める。

 のんきなばかりで、何も考えていない素振りを見せたその横顔を手合わせで何度も叩き転がし

 茂野邸台所の出入りだけは常連になり、女中のお美津やお満と無駄話をしながら夕餉を掠め取る不作法を見て、何度ため息と失望を覚えたことだろう。

 だがそれらの影で、たったひとり故郷から大事に持ってきた金平糖を眺め、多くの苦難に堪えながら豊山での日々を過ごしたのだろう。

「お前が長い間願ったものは、官位でも贅沢でも、俗世の願望でもなかったのだな」

 茂野と村上の視線が交差する。

 青い目は互いの心の底を淀みなく相互に映していた。

 村上は答えずに真っ直ぐ茂野を見つめていた。何も変わらないように見えるが、今までの茂野とは違うのだ。

 『豊山』一ノ輪神楽殿守の茂野ではない。

 先代からの記憶を継承した『葵山』のたった一柱の侍従、茂野なのだ。

 こうなればいいと、ずっと願ってきた。だがそれが叶った今、村上の心には今まで一度も沸くことがなかった思いが溢れ言葉にも表情にも現すことができずただ黙る他にない。

「お前を不忠義者だの、裏切り者だと罵ったことがあったがそれを詫びよう」

 いつもなら屁理屈皮肉をあれやこれやと言ってのける村上が黙っているので、茂野も少し気に掛かりはしたがゆっくりと近づき金平糖を一粒だけ摘まんだ。

 口の中に転がり込んだ金平糖は甘い。色鮮やかな橙は紅葉の葉の香りを感じさせた。

 茂野は紅葉照る景色を彷彿させる甘い砂糖菓子を舌で転がして『紅葉山』の事を思う。

「いつか『大紅葉山』の真を『呉山』にもお分かり戴ける日がやってくるように、お前が守ってきた嘘を今日から私にも分けてもらう」

 今日この日まで、この世で最も咲夜を愛したものがいるのなら、それは侍従と哀しみの底にある咲夜を支えた『豊山』であると思ってきた。

 己は深く咲夜を愛してはいても、彼らに追いつくことができるのは侍従位を得て、そこでやっと追いつくことができるとそう感じていたのだが、いざ侍従位を得て広き視野を得てみれば、『みかど』や『紅葉山』の立場や存在すらも越えた、無償の愛情を知ってしまった。

 好敵手と呼ぶにはあまりに大きすぎる、好ましさなど感じられないほどに偉大な敵だった。

「随分と甘い嘘の味だ」

 いつも広い道場で向かい合い鍛錬した。

 見慣れた光景であるのに、随分と状況は変わっていた。

「少し塩気が欲しい。師匠の叙任を祝うのならば、甘いものはもういいから別のものを分けてくれは、しないか」

 村上が耐えているものを、茂野は理解していた。

 金平糖の残りを丁寧に和紙で包みなおし、村上の膝に置く。

 ぽつりと茂野の手の甲に、雫が落ちた。

 金平糖が転がり落ちたのではなく、村上の涙だった。

「このくらいが、いい塩梅だ」




二年間エイプリルフール更新を待ってくださった皆様!とりあえず読み切ってくださった皆様!ありがとうございました。

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