桜舞う混色の空で
明瞭な言葉の澄みが、水紋を描きぶれて消えていく。
膨大な記憶の中に埋もれ、そして底の底へ辿り着くと
そこには何もない。
ただ、茂野の心へ柔らかな光が差し込み、温かさを感じさせた。
──咲夜様、今日で我らお別れとなります。どうか生きて、立派な稲荷神におなりください
──咲夜、俺はもう侍従ではなくなるし、侍従としても男としてもお前の助けにはなれなかったけれど、それでもお前のことを
──愛しております
全てが収束して、五感が戻ると、茂野はわざとらしいまでに息を吸い跳ね起きた。
空気を吸い上げた反動とばかりに、両目から涙を落とした。
痛みからではない、もういない二柱の侍従の最後の思いが茂野の心を締め付けたのだった。
「茂野……」
鈴の音のような声色がすぐ目の前でした。
覆い被さるようにして茂野を抱いているものは、咲夜だ。
光が収まりしんと静寂が支配する本殿で、茂野は言葉を忘れたかのようにただ──全ての景色が新しくも懐かしくも思えた。
頬に白い手が触れてくることで、そこに自分の頬というものがあるのだと再確認する。
初めて嗅ぐはずなのに、葵山を満たす木々と霞の溶けた朝露の香りが心を落ち着かせてくれた。
ただいまと、なぜかそんな言葉が心に浮かぶのだ。
その言葉は茂野の中に居を得た、櫻花・吉水の言葉なのかもしれない。
「あなたの目の奥にある深く悲しい青い真をやっと……やっと手に入れました」
茂野は身をかがめ、咲夜の濡れた頬を指の腹で撫でて拭いながら壊れ物のように咲夜を抱き寄せた。
「あぁ、よかった──」
「よかった……?」
「あなたがこうしてこの葵山に戻ってこれたことを、櫻花様も吉水様も『紅葉山』も──『みかど』も心の底から喜んでおられるのが分かります」
咲夜は涙がこぼれ落ちる頬を必死になって袖でぬぐい、顔を上げて微笑んだ。
「『みかど』のお気持ちも分かるようになってしまったのですか」
「同じおなごを守りたいと思った者同士です。あなたがここにいることを、ここで咲き誇る姿を皆望み願っております」
両手をとって握り締める。
「咲夜様に科せられた罪も罰も、私が共に背負います」
茂野の声で名前を呼ばれるのは、はじめてのことだが違和感なく心に染み渡る。
何百年も前からずっとこの声で呼ばれてきたような錯覚すらするのだ。
「これからは私も共に、この葵山を守ってまいります」
「えぇ……どうか妾の側にいて。二度と愛するものを失うことがないように役目を全うする妾を支えて下さい。『葵山』侍従茂野」
咲夜はそっと茂野の跳ねた前髪を指で撫でて、その額に桜の花びらのような小さな唇で口付けを送った。
叙任の儀式を取り巻いていた光の輪は山中に広がり、雨粒となり焼き払われ朽ちた山々を駆け巡る。
地を這う虫にも、山駆ける鹿や狢も、そして息を潜めていた狐達もその雨に眠り覚め身を起こした。
咲夜は深く息を吐くと、立っているのが辛いのか膝をつく。
それを横からすぐに松緒が支えた。
疲労したのだろうか少し顔色の悪い咲夜は、それでも明るく振る舞い松緒を優しく見つめた。
「お務め見事果たされました。我々は帰ってきました。もう大丈夫ですよ咲夜様」
「横になられた方がいいでしょう。 久照様から預かった薬湯があります」
咲夜を抱き上げようとする茂野を松緒が制し代わりに抱き上げる。




