赤から青へ
「右が──支倉」
名前を呼ばれ、咲夜に向かって左。切れ長の瞳の従者が面を上げた。
筋の通った面長に、浮冬と似た黒銀の髪。
紫紺の染め抜きの装束は皺一つなく、豪奢で艶めきがある。
「旧浮冬様配下、『豊山一ノ輪』弊殿守支倉でございます」
「『雪沙灘』の侍従白雪のニ子だ。そなたとも遠からず縁がある。機転と策に強い」
『豊山』はそこで手の扇を返して支倉の隣の狐の名を呼んだ。
「茂野」
「旧浮冬様配下、『豊山一ノ輪』神楽殿守茂野でございます」
こちらも浮冬に似た、黒銀の髪。
ただ支倉と違うのは髪束の先が跳ねている。
茜色の装束と左手には陰陽術を扱うものの印、皮の手甲が巻かれているのが見えた。
「これは山の狐としては不世出の天才と評価できる。支倉には劣るがこの『豊山』たっての名門出であるし、久照の一番弟子で才能がある」
「そなたは覚えております。妾を『紅葉山』から救い出してくれた従者ですね?」
咲夜が茂野にそう声をかけたので、茂野は顔を下げ返答とした。
『葵山』が己のことを覚えていてくれた。
それだけで茂野にとっては充分すぎる褒美だった。
「どちらか片方でも、両名でもよい。『葵山』侍従に命じ以降そなたを守らせる。そなたが勧請の儀式を遂行するためこの『豊山』にいるうちは、そなたの側につける。その間に選べ」
「お兄様……妾は、妾が選んだ櫻花と吉水がおります。そう侍従を変えることなどは」
『豊山』はゆっくりと首を傾げてみせた。
「彼奴らはすでに侍従の位を引き、その身を総本山預かりとしている」
「え?」
「つまりもう櫻花と吉水は、そなたの侍従ではないと言ったのだ。そもそも奴らは『紅葉山』の考えに寄っている。そなたが『葵山』に戻った時に、またよからぬ手引きをされては本末転倒であろうが」
『豊山』は無慈悲に告げると、二振りの剱を咲夜へ差し出した。
両刃の白刃、見事な螺鈿の細工のされた飾剱。
『葵山』を深く愛したひとの子の長『みかど』が、双子の刀鍛冶に打たせ双子の剱として奉納させたもの。
鮫皮の柄、唐鍔に施された稲穂は稲荷の象徴である。
透彫された金細工は螺鈿で描かれた桜を囲み、刀身を引き立てる。
それは、『葵山』侍従が持っているべきもの。
咲夜が呼びもしないのにここにあるということは、この刀を受け入れる器がいないということ。
咲夜は己の中の喪失感が、『紅葉山』への心配。
その一点のみであると思っていた。
だが違った。
目眩すら感じるこの喪失感は己の手足であり、支えであった二柱の侍従を失った虚無感だったのだ。
切り離された──強引に。
「浮冬に命じ切り捨てても良かったが、総本山で裁くが相応しかろう。時に名誉の損失は死より深い意味を持つ。役目を果たせぬ侍従などは、生き恥を晒すがいい」
己自身とも言えるその二振りに、咲夜は放心状態のまま手をさしのべた。
「櫻花……吉水……」
『みかど』の子を授かったと知った時に、全てを捨てて味方してくれた侍従。
『紅葉山』と共に、咲夜を守ってくれた大事な侍従だった。
今は総本山に送られ、恐らく『豊山』の監視下に置かれているのだろう。
生き恥をさらすと言ったが、心身ともに健康とは言ってはいない。
浮冬がふたりを襲ったに違いない。
声にすることも苦痛であるかのように、咲夜の手に輝く二振りを涙ながらに見つめていた。
咲夜は己の手が震えていることに気づく。
見事な剱の細工の上に涙が雫となって落ちた。
叶うならば、この双剣を手に目の前に兄を切ってやりたい。
だが違うのだ、憎むべきは己の不甲斐なさ。
「妾が悪い」
咲夜はぎゅっと侍従の名残を握りしめ、歯を食いしばり我慢しようとした。
「妾が悪い、妾が悪い、妾が悪い妾が悪い……妾が悪い…………」
呪文のようにそう呟く。
櫻花も吉水も、このままでは恐らく命はないだろう。
「うぅ、うぅぅ」