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青い嘘  作者: しいな けい
【捌】
59/68

榛色から桜色へ

 ここまでは茂野が先に歩いていたが、共に横に並び歩き出す。

「私は咲夜様や未来を『雪沙灘』様から守りたいのです。そのためにも元『雪沙灘』侍従であった櫻花お兄様や守夏様と同等と詠われた吉水お兄様の力を失ってはならないのです」 

 石段を上がり終え、静かな上ノ社の滝を横切るように、水上の楼閣が姿を現した。

 清滝殿の入り口には吉水が立っていた。

「よう、待ってたぞ」

「その後、傷の具合は」

「今更傷がどうのこうのを気にする意味があるかよ。首が飛ぶっていうのによ」

 吉水は呆れた様子で自虐にも似た言葉を返すが、揃ってやってきた茂野と松緒を祝ってくれた。

「『雪沙灘』様の話をしたのか。ということは、全てをこれに賭けるつもりなのか松緒」

「茂野様には『葵山』侍従を継いで戴けるはずです。もちろん咲夜様のお気持ちがあってのことですが、私は信じております」

「最大の難関も、突破できると思っているわけか」

 その難関は、大いなる嘘で塗り固められた真実を意図している。

 松緒は吉水の言葉に、松緒は強く一度頷いた。

「ばからしいと思うだろ? 俺も兄者から『雪沙灘』様が行方を眩ませた理由が母上に会いに行くためだなんて聞いた時は、なんたる莫迦かと思ったよ」

 吉水は平然と三朱を転け下ろすと、手にしていた扇で気怠げに風を送り短く切りそろえた髪をなびかせる。

「あんたは未来に飛んでいくだけで良いだろうけど、この時代に残されて『母上』の立ち姿を兄弟達にすり込ませる苦労をして回る総本山侍従やお前の侍従の雪松は──あぁ、雪松は兄者の旧名だが、とにかく兄者の苦労も考えろって話だった」

「総本山侍従方が『雪沙灘』様の願いを補助する理由はなんでしょうか」

「目でみえないものは信じられないと思うものもいる。形がないのならば自分がとって変わってと叛逆するものもいるかもしれない。稲荷神の存在を強固とする策ならば具現化するも良しとした。そんなところだろう。まぁ具現化されてもされなくても総本山侍従たちは困らない。母上は今も居るんだからな。別にいないものを居ると言って兄弟を騙しているわけじゃない。俺は形がなくてもそこにいる母上を信じられるし、感じられるし、なにより俺がいて咲夜がいる事実が総本山の存在を肯定してる。具現化云々に興味はないよ」

 松緒に視線を投げると、茂野へなんとも言えない笑顔を松緒が返してきた。

 松緒の考えが兄から教示されたものかは分からないが、心の持ち様は同じなのだろう。

 兄妹なのだと思う。

「総本山ご本人は、具現化を望まれておられるのですか」

「さぁそれだけは誰にも分からない」

「そうですか……」

「まぁ、でも『雪沙灘』様のことはもういないと思っていい。あの三朱の妄執はお前達も忘れろよ。松緒は怯えすぎだ」

「ですがもし咲夜様に類が及ぶことになれば……。霊力を継いだのは鬼嶽様でなく咲夜様だけです。未来で必ず接点をもたれるはずです」

「もし現れたら、処断しろよ茂野」

 吉水は迷わず三朱処断を明言した。

 茂野からすればまだ見ぬ『雪沙灘』より目下『葵山』に害をなした『紅葉山』を処断する方が先ではないかと思うが、口にはしないでおいた。

「大元を辿って責任をどうこうってのは好きじゃないけど、無責任に『雪沙灘』様が未来に旅立ってさえいなければ、咲夜の件で『紅葉山』と関係することもなかった。父である『雪沙灘』様に相談してどうにか事態を取り持ってもらう方法だってあったんだ。あの方は未来ばっかで今守るべきものを全部押しつけて行って帰ってきやしない」

 『葵山事変』の秘密の琴線に触れたことに松緒は怯えたが、茂野は特別な意図を感じなかったのだろう。

 表情を変えずに吉水の哮りに耳を傾けている。

「本当に愛してるなら、出来上がったものを奪いにいくんじゃなくて、そこにあるもの全てを受け入れて、共に育ちながら愛せよってことだ。言いたい事は分かるな茂野」

 茂野は廊下を渡り奥の間の障子の前で止まった吉水に明瞭な返事を返し頷いた。

 通された奥の間で、茂野は初めて櫻花と向かい合った。

 話はもう聞いているとばかりに、櫻花は茂野の格式ばった挨拶を省略させ、松緒もそれに添ってすぐ本題に入った。

「『大豊山』はお兄様たちを処断するおつもりですが、どうにかしてそれを止め、揃って『葵山』へ戻りましょう」

「いや、我らはそれはならん松緒」

「なぜです。『葵山事変』からもう何年も経ったのにこうしてお兄様たちの処断の決定は二転三転しております。それを使って」

「だが我らが残ってはこの先の『葵山』の立場は安定しないままとなる。それはならん。『大豊山』も決して我らを生かすおつもりはないだろう」

「まぁ俺はそうなると思ってたよ。侍従位を返上したって『大豊山』がこの好機を易々と見過ごすとは思えないもんよ。御前試合でも鬼嶽が止めなければ、俺の首が飛んでもいいと思ってたはずだ。稲荷の世の権力を一元化すればそりゃあ、やりやすいしな。俺が『大豊山』だったとしてもそうする」

「先のことは、お前の信頼したその山ノ狐に託そう」

「ですが私は義兄となられた方々を力及ばずともお救いしたい一心で」

「我らの心は、咲夜様の心の救いと共にある。豊山でぬしが悩み選び出した多くの采配で、すでに我らは救われているし、そなたにはこの先の『豊山』と『葵山』の関係を成り立たせるためには必要不可欠よ」

 櫻花は春の日向のように暖かく、落ち着いた声色で荒ぶる茂野を落ち着かせた。

 どのような事態にも慌てることのない、どっしりと落ち着いた貫禄を感じさせる。

「咲夜様もその気持ちでおられるだろう」

「ですが『葵山』は今でも御二方のことを! このように総本山へ直々に除名嘆願の文を」

 差し出された嘆願書を二柱は覗き込んだが、中は見なかった。指の腹で咲夜の字をそっと撫でる櫻花の表情は仏のように優しい。

 吉水もまた、顔が緩んだ。


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