黒から桜色へ
指示語の指す意味は、当然吉水と『豊山』では違った。
吉水の中には、ひとの子『みかど』の横顔が浮かんでいた。
己の愛する咲夜に幸福と絶望を与え、涙を流させた男の血を受けている時雨のことを吉水が認めることなどできない。
憎いで足りる感情では収まらない。
咲夜にも『みかど』にも等しく愚かな点があった。
だが一番憎らしく思うのは、咲夜を救う存在が自分でなかったということだ。
孤独な咲夜の心を側にいながら、嘯き愛でながらも吉水は何も分かっていなかったという事実。
『みかど』と咲夜が互いに深く理解し愛した証。
同時に多くを混乱に導いたもの。
己の果たせなかったこと。
その結晶が時雨なのだから、好ましく思えるわけがなかった。
咲夜に似た青い目が吉水を見つめると、自分の弱さを突きつけられ責められているようにも思うのだ。
かつては守夏と並ぶ剣の腕の持ち主と敬われたのに、その力では咲夜を守ることなど出来なかった。何の為の吉水か、なんのための侍従であったのかと。
吉水は時雨に背を向けて、参道石段から上がってくる二つの影へ視点を合わせた。
鷺色の袴姿の支倉、濃紺の袴姿の茂野。
支倉は先日の謁見で顔を覚えていた。
もう片方が噂の山ノ狐かと吉水は丁寧に検分する。その延長でぐるりと試合の場となる本殿前を見回す。
茂野が視線を自分から逸らしたまま、一点に定まっていたので吉水も視線を追い掛けた。
と、本殿横の百日紅の木陰に松緒と久照の姿があった。
吉水は自分に会いに来たのだろうと判断した。
「『大豊山』あなたらしくない趣向じゃあないか。咲夜には会わせられない代わりに松緒には会わせてくれるってわけか?」
「松緒との会話は許さないよ吉水。お前は今だ審議評定にあがっている身分なのだからね」
『大江山』が肩に扇を置いて忠告する。
あぁまったく面倒くせぇと分かりやすい嫌悪を示すと『豊山』は無表情のまま説明をしてやった。
「お前は聞いたか知らないが、松緒はそこの侍従候補に『紅葉山』攻略の際の褒美として下げ渡す話が纏まっている。役目を果たせずに醜態をさらすお前たち兄への思いを振り切るためにも、夫たる茂野が勝ち星を挙げる姿を見たいということだ」
「生きることを大事に身を落とすのも自由、落とすを恥じて自決するも自由。俺は『大豊山』の仰る通りに役目力不足の元侍従だ。それでも『葵山』侍従たる証を得たいのなら、俺を踏みつけて咲夜への一歩を踏み出せばいい」
「『豊山』弊殿守、支倉。覚悟を持って本気でお手合わせ願います」
「同じく神楽殿守、茂野。正々堂々お相手お頼み申し上げます」
槍を手に、先に進み出たのは支倉だった。
鬼嶽は巻き込まれまいとさっさと場外へ抜け出て久照の隣へ移った。
「松緒、やりきれない気持ちじゃない? どっちが勝っても松緒は困るね」
「鬼嶽様、松緒殿は覚悟の上でここにおられるのです、心乱す様なことは仰らないで頂きたい」
「おや久照真面目じゃない。楽しい構図だとは思わないのかい」
「そうは思いますがね、儂は嫁にきつく松緒殿の支えになるようにと言われておって」
「あぁ久照は美雪には弱いんだから。この状況を楽しめないのは勿体ないよ。松緒の心のうちはそのまま咲夜の心の内でもあるだろうね。奥の院で──結果を聞くのを待つしかないなんて拷問だ。これも『大豊山』が咲夜に示す罰なのかな」
視線だけは手合わせの様子を追いながら鬼嶽は無駄口を叩き続ける。
「それに咲夜ひとりにしていたら、ここに飛び出てきて吉水を見ようとするんじゃない? 危ないよ、『大豊山』に怒られるよ? 怒られるのはもう慣れたのかな?」
「守夏様が茂野と支倉の代わりに付いておられる。心配はいらんよ」
「いやそれは、ふふ、間違いなく拷問だ。ねぇ?」
鬼嶽は楽しそうに笑ってみせたが、明らかに目は笑っていない。
同意を求めたのに真剣な松緒は鬼嶽の方を一度たりとも見てこないので、鬼嶽もからかいがいないとばかりに試合へ視線を戻した。




