赤から青へ
「『紅葉山』分社の処遇については、本来『紅葉山』が計らうものだがこの場合はそなたの手にあろう。そなたが己の過ちだと言うのであれば、私がそなたに代わりこれを処断する」
その言葉に松緒は震え、体中の血が心臓から遠ざかる。
それは咲夜も同じであった。
『紅葉山』は『豊山』は咲夜や時雨を不憫に思い、手を尽くしてくれるに違いないと言っていたが、どうやらそうは心が動いてはくれなかったようだ。
「分社に罪はないことと思います。周囲に望まれずに具現化したものであっても、妾は責任を持ちます」
「『紅葉山』をかばい立てするのか?」
咲夜はやっと『豊山』の静かな瞳に宿っていたものを理解した。
一見静寂に映る水面の裏に浪打つ、悲しみ、虚無の嵐。
どろりとした粘度を感じるその視線には、強い力が込められ、視線が合うと暗示を受けたかのように咲夜は喉を詰まらせた。
首を絞められているわけではないのに、息ができない。
「に、にい、さま……?」
少しづつ首を締め上げられ、見えない何かに体ごと宙に引きずり揚げられた。
肩に掛けられていた桃色の打ち掛けが褥に落ち、咲夜の体が完全に浮いた。
『豊山』が己の持つ力を使って、咲夜を追い詰めているのは明確だった。
松緒も慌てて駆け寄り咲夜を支えた。
「おやめ下さい『大豊山』!」
松緒の必死の叫びに呼応して、久照の腕の中の時雨がわっと泣き出した。
雷鳴のように叫ぶ時雨を『豊山』は無視した。
手にしていた扇子を振り、『豊山』は松緒の顔を叩く。
頬を打たれ松緒はよろめき咲夜の膝もとに倒れた。
だが松緒へ意識を向けたおかげか、咲夜は解放され松緒に覆い被さるようにして重力を得た。
倒れ込み咳をすると、肺に亀裂が入り酸を流し込まれたかのように痛み、胸が痛む。
「松緒、そなたは己の主を『紅葉山』に拐かされておきながら、よく侍女として恥じらいもなくこの座敷に上がっていられるものだな」
殴打された頬を押さえうずくまる松緒に『豊山』は表情を変えぬままに扇を開きその先で松緒の顔を上げさせた。
「そなたら『葵山』の侍従らが咲夜を守りぬかぬから、こんなことになったのだ。それでも総本山出自の山ノ狐か? 恥を知れ痴れ者が」
「お兄様おやめ下さい、松緒が悪いのではないのです、妾が」
ちりぢりになってしまった息をかき集めるように、か細い声で咲夜が身を起こして松緒を庇った。
「咲夜」
ねっとりと糸が引くように『豊山』が咲夜の名を呼んだ。
「そなたは優しいおなごだな。松緒を守り、『紅葉山』分社を守り、ひいては己の身を蹂躙した『紅葉山』すら守ろうとする。──だがのぅ、優しさは上に立つものにとってはただの優柔不断にしかならぬのだ」
ぱたんと静かな音がして『豊山』は松緒の首へつきつけていた扇を閉じた。
「そなたのこの度の役目は、私の処へ誰よりも先に嫁入りすることであった。そうだな?」
「はい」
「それを成せなかったのは、『紅葉山』が邪魔立てしたからである。そうだな?」
「……はい」
「この場合、罪の全ては『紅葉山』にある。だがそなたも山を持つ身。ひとつの稲荷神としての責任ある立場。全く責任がないわけではない、そうだな?」
「重々、承知のことでございます」
「そなた心弱すぎる。そして『葵山』の体制が盤石でなかった。それがこの度の課題である」
「仰せの……通りでございます、妾は未熟な稲荷神です」
「で、あれば『葵山』の侍従らは全て入れ替えすべきであろうな」
『豊山』の言葉に咲夜は息を飲んだ。
「それは、あんまりです」
「当然のこと。『葵山』の侍従らは侍従でありながら最も遂行すべき責務をこなせなかった。文官であるが故にそなたを取り戻すために動くことをしなかった。そんな侍従に何の意味がある?」
「そ、それは……」
「私の浮冬は、私の願いのために命を賭したぞ。『紅葉山一ノ宮麓』も死と向かい合っておる。それがそなたの侍従は何だ?」
吐き捨てるようにして『豊山』は嫌悪を露わにしてみせた。
「そなたの侍従は私が選ぶ。もう二度とこのような不始末をさせるつもりはない」
『豊山』の言葉を受け久照は閉じていた障子を開き、二柱の山の狐を部屋へ通した。




