榛色から黒へ
「茂野様は真剣に次の『葵山』侍従になりたいとお考えでした。ですが縁繋がりもなくこのまま葵山のなんたるかも分からぬまま、咲夜様のお心の奥も分からぬままで侍従は頂けないと思い、私を望まれ、葵山に近づこうとお考えだったのです」
そこまで言って松緒は美雪が茂野を感情でしかりつけないように慌てて続けた。
「始こそ戸惑い何を言うのかと思いましたが、今は私はそれでいいと思っております。茂野様は褒美として私を望まれただけでなく、日々私の元まで丁寧にお通い下さっています。十分すぎる配慮を頂いていると思っております。侍従に任命される如何は我らではなく咲夜様の決めるべきことですが、茂野様のお心の持ち様は理解したつもりです」
松緒は政に身を置くおなごであるから、自分の感情だけで嫁入りができるとは一切思ってはいないということだろう。
だが松緒の言葉にはちらほらとおなごとしての心が見え隠れするのを美雪は悟っていた。
松緒は花鋏を置くと、膝に両手を重ね黙した。
「ですから……その、茂野様が兄に会うという目的が果たされてしまえば、茂野様はもう……私を嫁にする理由もなくなりません……か?」
青嵐が屋敷の脇を駆け抜け竹林を揺らし涼しげな音を立てる。
金魚草が揺れて、熱い空気の中を泳ぐかのように花弁を揺らした。
榛色の目は口にした事を後悔したようでぎゅっと瞼に閉ざされてしまった。
「松緒様……それはつまり」
『葵山』を導く叡智を持った、毅然とした侍女だとずっと美雪は思ってきた。
だがその思い込みが、松緒をより頑なにしていたのだと気づき肩に手を添える。
兄たちの処断を受け入れるほかにないと思いながらも、妹として苦しむ姿を見ていたのに。
あの守夏との未来をどこかで期待していただろうに、それを失ったのだ。
それをまた失うとなれば、『葵山』の松緒としては無関心を装っていても、おなごの心は傷つくに違いない
「やはり御前試合へ参りましょう。久照に何としても観覧の許可頂けるように『大豊山』へ嘆願させます」
思い定まらず躊躇する松緒に、美雪は肩を押さえてきっぱりと言い放った。
「茂野様は目的が果たせたからと言って、嫁にすると決めた相手を捨て置くような御方ではありません。武芸に励むばかりにおなごに対して不器用なところはございますが、不真面目な方ではないのです。私は、茂野様は『葵山』侍従の位を得て堂々と松緒様と共に葵山を守ろうとお考えであると思います。そのような後継であれば吉水様も安心されるでしょう。そのためにも松緒様の支えが必要です」
「み、美雪様が仰るのであれば、間違いはないのでしょう……」
どこか押されながらも、それでも幼少からの茂野を見守ってきた美雪の言葉は信頼できる。
「松緒様にとってははじめての嫁入りと伺いました。嫁入りに関しては私が年長でございますゆえ、ここはこの美雪に、段取りお任せ下さいませ」
近いようで遠い所にいる主の身を案じる姿を、なぜおなじおなごとして支えてあげられなかったのかと美雪は思う。
長くなる昼間のせいで夜の訪れも遅くなる。
空を見上げると雨音が庭から夏の香りを吹き込んできた。
驟雨降る夏の夜、蛍の光の向こうで美雪と松緒の会話は夜遅く茂野が訪問するまで続いた。




