青から金へ
無表情で泣く時雨を見下ろしている。
守夏は自分が座敷に上がったことで泣き出した自覚があるのだろう。黙って部屋を出て廊下に控えた。
暫くすると時雨は泣き止んだ。
「申し訳ありませんお兄様。まだこのように弱く幼いために、守夏の覇気に怯えたのでしょう」
「弱いな」
ぽつりと『豊山』は呟き脇息に体重を預けていた体を起こした。
「まことに弱い。──あれから光陰を惜しむほどは時が経ったというのに、まだそのように赤子とは」
咲夜は時雨の涙を袖で拭ってやりながら、『豊山』の言葉にただ表を下げるほかない。
「朱秦はこのような分社が欲しかったのか? あれの考えが私には考えても考えても分からん」
「お兄様……」
『豊山』もずっと『紅葉山』の乱暴で不可解な言動に悩み続けているのだろう。
深いため息に合わせて『豊山』は肩を落とした。
咲夜から『紅葉山』のことを言う事は、はばかれた。
しんとした座敷で、時雨が鼻をすする音がする。
こんな話を咲夜にしても仕方ないと思ってか『豊山』は話を切り替えた。
「だがあれに似ず、よくそなたに似ておるな」
「はい。どうか目をかけてやって下さい。まだ幼くございますが覚えはとても早く……ねぇ時雨、母上のことをちゃんと分かっておりますね?」
ぱちくりと瞬きひとつ。ね? と咲夜がもう一度問うと、時雨はやっと笑顔になった。
「ははうえ」
「そうですよ、そなたの母上ですよ。『葵山』清祥咲夜」
優しく背を撫でてやる姿を『豊山』は黙って見つめていたが、上座から立ち上がり咲夜の側についた。
改めて時雨を検分しようとする意図だ。
ここまで『豊山』が時雨へ寄るのは初めてのことだ。咲夜は抱いた時雨を掲げるようにして豊山へ加護を請うた。
母性がその行動を起こさせたのか、咲夜は時雨を守ろうと必死だった。
「どうかお兄様を本宮として尊敬し奉ることをお許し下さい」
「これの本社は朱秦だが、それを捨てさせるというのか?」
「時雨もそれを望みます。せめて尊敬し父と仰ぐものをお兄様とさせて下さい。道を踏み外すようなものにはさせぬように目を掛けて下さいませ」
すり寄り懇願する咲夜に『豊山』はどこか気怠げだ。
「いかな身の上に生まれても、お兄様の膝元にあれば真っ直ぐひとの子を導き慈しむ分社になることを、多くの兄弟にお示しを」
どうしたものかと『豊山』が視線を時雨へやる。
時雨も近くへやってきた『豊山』を瞬きせずに見つめていた。
どこかでみた顔だという様子で、大きな目は右へ、左へとせわしく動いて観察をしていた。
時雨はうっすらと覚えていた。
この世界に具現化した時雨を、一番最初に抱き上げたのはこの顔と似ていた。
産みの母親さえ当時時雨を殺そうとした中で、全てを背負ってでも生かそうとした者の顔。
ただ『豊山』と違って、その時の『紅葉山』は笑っていたが、時雨には目の前の存在が自分を守り、最初に笑顔をみせてくれた相手だと理解した。
「時雨、そなたの父上になって頂きたいでしょう? お父様に……」
「とー」
時雨は咲夜の言葉を繰り返そうとして詰まり、次にやっと「とーさま」と言い切ると手を伸ばした。
咲夜は黙ったままの『豊山』の手を掬い上げて時雨の手を握らせた。
ふわり──小さく柔らかい時雨の手の質感。
時雨も手を繋ぐという好意が嬉しかったのか、先ほどまで嵐のように泣いていた顔を笑顔に塗り替えた。
しっかりと掴んだ『豊山』の薬指を振りながら無邪気に笑う。
守夏が見ていたらその指切り落とされても文句は言えない無礼な行いではあるのだが、『豊山』も咲夜も黙って時雨を見ていて言葉は発さなかった。
こうして直接触れることで、堅く閉ざした『豊山』の心に、時雨の思いが届いたのかもしれない。
「たしかに──これに罪はない。いかな出自であっても稲荷神であるのならば私の弟だ」
『豊山』の言葉に咲夜は頬を上げた。




