青から金へ
改めて時雨を託され抱きながら、茂野は小さな時雨の顔をじっと見つめていた。
数年前にこうして抱いて紅葉山から救い出した命。
こうやって落ち着いて顔を見ることはなかったが、面差しはまさに『葵山』。『紅葉山』の気配は全く感じられない。
感じられないのは紅葉山での暮らしがないからという理由が考えられるが、それ以上に時雨からはむしろ強い徳望を感じさせる。『紅葉山』分社であることなどどうでもいいように思わせる、強い魅力。
──これからどこへいくの? 楽しいところ?
美雪が言うように、言葉はまだ操れないがそう訴えてくるのが分かる。
そしてそれを叶えてあげたくなる。奥の院へ入ると、廊下まで咲夜が出ていた。
茂野の姿が見えると支倉を置いたまま駆け足で廊下を滑り茂野の元へやってきた。
「『葵山』お部屋でお待ちを」
「いいのです。あぁ時雨……時雨」
咲夜は茂野へ詰め寄るようにして時雨に近づくと、その手から時雨を抱き寄せて力の限りに抱きしめた。
「時雨様、お母上であらせられます。『葵山』清祥咲夜姫です、お分かりになりますか」
時雨に茂野がそっと囁くと、時雨はきょとんとしたまま咲夜の抱擁を受けていた。
分からないのも仕方がない。人見知りをして泣かないだけ親孝行だと思える。
頬を小さな時雨にすり寄せる咲夜の青い目から、涙がぽつりと落ちて時雨の頬を濡らす。
豊山へやってきた頃の咲夜はよく泣いていた。最近は泣くことはなくなった代わりに常に愁いを帯びていて、顔色が悪かったことに気づいた。
時雨の事が心配だったのだろうに、言い出すことができなかったのだろうか。
茂野はもう涙は見たくないと思った姫君の、久しぶりの涙で咲夜の零す雫の意味を理解した気がした。
この方は、やはり自分の為だけに涙を流し心を痛めていたのではないのだ。
茂野は黙って再会の頬ずりをする二柱を眺めながらそっと部屋へ誘った。咲夜が泣いたのはその時だけだった。
部屋へ帰ると咲夜は打掛を払い、邪魔になるからと簪まで取って時雨を抱き頬を寄せ、会話はできないながらも指を絡ませ髪を撫で片時も時雨を離そうとしない。時雨も次第に咲夜を受け入れたのか、指の腹で頬を撫でられると無邪気に笑ってみせた。
その笑い声が部屋を明るくさせて、咲夜は頬を上げて喜んだ。
茂野は初めて咲夜の心からの笑顔を見た気がして、役目も放げて視線は常に咲夜を追っていた。
「しげのー」
時雨は途中何を思ったか咲夜の腕から茂野の元へと両手両足で這い出した。
「たかいーたかいー」
「まぁ……時雨は茂野のことを、覚えているのですか?」
「先ほど三ノ輪へお迎えに上がった時に名乗りましたので」
茂野は時雨を高く高く上げてやって、満足させてからそっと咲夜の手へ時雨を戻す。
「妾のことを覚えていないのに、むぅ」
それははじめて見る咲夜の表情だった。
「時雨、妾のことも覚えておくれ。妾は……」
「わらわ」
「違います。そなたの母です。『葵山』清祥咲夜ですよ」
「わらわ、わらわ」
思い通りの記憶をしてくれずに、咲夜は頬を膨らませ真っ赤になり不満そうに唇を突き出す。
それがあまりに愛らしくて、茂野は耐えられず笑ってしまった。
「何を笑うのですか。無礼者」
「いえ、あの、申し訳ありません。『葵山』はいつも深刻な顔をされていてそのような顔を見たことがなかったので、安心いたしました」
罪を忘れてはしゃいだ罪悪感が再起する咲夜の横顔を、ぺたりと時雨の手が触れた。
頬を軽く叩かれて、咲夜は時雨と目を合わせた。
弱いままはだめ、と言われた気がして思わず涙が引っ込んだ。
咲夜はすぐにその力が、『みかど』の──ひとの子の力だと気がついた。
願いを叶えようとする神の本質が、条件反射のように時雨の持つひとの子の血に抗えない。
悲しい顔をしないで、泣いてはだめ。
時雨は言葉にしなかったが大きな目を輝かせ咲夜へ訴えてくる。
咲夜は時雨の言葉に大きく首を縦に振った。
「そうですね、わらわの弱さはわらわの強さでもあるはずですね」
「わらわー」
「ですから、それは……」




