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青い嘘  作者: しいな けい
【陸】
34/68

黒から榛色へ

 竹林を抜けて三ノ輪の豊楽殿へ入ると、美雪が迎えてくれた。

 すぐに座敷へ通されると、間もなく松緒が姿を現す。村上は茂野の脇で控えていたが、久しぶりに松緒の纏う美しさに見合う着物を着ていたことで視線を奪われた。

 桜を鏤めた灰青の地の着物は、うすぼんやりとした屋敷の照明に照らされて幽玄な佇まいだ。だが消えてしまう儚さがないのは、しゃんと背筋を這った姿勢の良さと、若々しさが放つ生命力のおかげだろう。

 裏の畑で顔を合わせた時とはまるで違う。

 違うということはすなわち、その美しい装いと品格で茂野へ壁を作って威嚇しているということと同意だ。

 茂野は松緒のために上座横を開けていたが、それを避けるように茂野の前へつき、裾を揃え着席した。

 開いた上座には、時雨を抱いてやってくる美雪がつくためだろうか、それとも松緒は真っ正面から茂野を見定めたいからか。

 村上が今回の顔合わせの打診を松緒に願い出た際、彼女は茂野をよく覚えていた。

 紅葉山から咲夜を連れ出した従者であるということ、自分に代わり今咲夜の側にいるもの、そして兄たちにとって代わり次の侍従を強引に咲夜から賜ろうとしているものだと考えているようだった。

「こうして改めてお話をさせて頂くのは初めてですね」

 松緒が先に切り出したので、茂野は袖を払い深く頭を下げたまま礼儀を示した。

「豊山一ノ輪神楽殿守、茂野でございます。ご挨拶が遅れたことをお詫び申し上げます」

「『大豊山』に取りたてられ、身辺慌ただしかったのでしょう。挨拶など何の問題もありません。それにあなたはあの山から姫様を救ってくれた御方です。私は御礼を申し上げても、不平をいう口は持ち合わせておりませんし」

 頭を垂れたままの茂野の横で、微妙に居心地の悪そうな視線を泳がせている村上へ、松緒は視線を投げた。

「話だけならば、村上からもよく聞いておりました」

 これはあまりよくない話をされているに違いない、と心で思いながら松緒の許しを得て顔を上げた。

 柳のように垂れる、しだれ桜を思わせるしなやかな春愁の一本桜。

 『葵山』に似た愁いを帯びた瞳は榛色で、咲き乱れる桜の花を敷き詰めたかのように豊潤な香りを漂わせる。

 瀟洒たる『葵山』とは違う、豊麗さを含んで見えた。

 『葵山』の美しさはどこか規格外であったが、松緒の美しさはまた別のものだ。

「どうしましたか?」

「なんとお美しい」

「毎日咲夜様を見ているのにそう言って頂けるのは嬉しいことです」

 松緒は褒め言葉にも余裕がみてとれた。

「咲夜様の身辺変わりはありませんか。お身体が大変弱い御方です。日々無理をされてはいないか心配でなりません」

「久照様が滋養によい薬を煎じておいでです。こちらへいらっしゃった時に競べれば、胆力がつかれたように思います」

「そうですか。『大豊山』との勧請の儀式は、なかなか進んではいないようですが……」

「ご無理を経て分社をされた直後です。『大豊山』もまず体力気力とも回復されることを優先されております」

「『大豊山』はお優しい御方ですね」

 松緒は白々しさのない真の心でそう答えた。

「『大豊山』のご配慮に間違いはないと存知ますが、それでもなお『葵山』の心にある哀しみは拭えぬように思えます」

「それだけ傷が深いとお察し頂ければ」

 嘘はなかった。事実咲夜は傷を負っている。最も愛した人の子を、自らの手で握り潰したことになるのだから。

 死を選ぶことを自分達侍従をはじめ『紅葉山』も禁じ生かしたことで、その心は癒される時間すら与えられず、責任だけを押しつけてきた。

「愁いの深さゆえに『葵山』はもう侍従をつけないと仰せです。ですが私はだからこそ側に『葵山』を理解し慈しめるものが付いていなければならないと思います。侍従位を返上し今はただ咎人として処断を待つ、元『葵山』侍従方をお救いし、松緒様に早くお役目にお戻り戴くことこそが大事なのではないかと思うのです」

 茂野の言葉は松緒には意外だった。

 兄たちの命は諦めて、自分の支持をしろとでも言うと思っていたのだ。

「茂野様はご自身で何を言っているか、分かっておられるのですか?」

「『葵山』の信じ愛するものを、生かしたいと申しております。元侍従方に罪を償う必要があると、実妹の松緒殿はお思いですか」

「そ──……それは」

「私は侍従方に罪はないと信じます。第一にもし罰するのであれば『葵山』が行うべきこと。ですが『葵山』はそれを望んではおりません。おそらく『大豊山』は二度とこのような事が起きぬようにとの配慮、これ以上稲荷の秩序乱れぬように、三朱としてこの度の処断や無理を通すおつもりなのだろうと推察します。どちらも真がございますが──」

 松緒は茂野の言葉に攻めたつもりがぐっと押し返されてしまった。

 山ノ狐の身の上で、今茂野は主たる『豊山』を批判したのだ。

 この地に生まれ恩恵を受けてきたものは、よっぽどの覚悟がなければ言えたことではない。

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