黒から榛色へ
廊下したで控えていた支倉は「どうかなさいましたか?」と声をかけたが、咲夜は「なんでもありません」とそれだけ返してあとは何も答えなかった。
茂野が座敷へ上がることを許され四季を巡っても、支倉は相変わらず軒下控えであった。
秋の頃絶えず月を見上げ、枯荻が冬風に撫でられ侘びしく共に愁い、春の若葉を横目に、夏に翠蔭に一息つく。
巡る季節の移ろいを淡々と奥の院の軒下で控え、寒暖に身を焦がし時に冷やす。
支倉が頭を下げ軒下に控える横を、茂野が袴を擦らせて歩いて行く回数は一体何度目になるのか。
茂野は悪びれもなく支倉の頭上を、咲夜の信頼を受けながら歩いて行く。
気を使われても腹が立つ。だが今の状況も腹が立つ。
とにかく、茂野という存在を意識する自分も、座敷に上がれない自分も、全てが了承しかねる状態であった。
私は『雪沙灘』千里朱雀侍従白雪の子なのに、なぜこんな状況に甘んじなければならない?
『葵山』は莫迦なのか? 自分の父の侍従の子を、側に置く方がずっと楽だろうに。
事実『葵山』は『雪沙灘』侍従であった櫻花──かつて雪松という名であった──彼を『雪沙灘』逝去後に己の侍従に据えているではないか。
支倉は秀麗眉目の表情を崩さずに、腹の底でひたすら悪態をつき堂々巡りを繰り返していたわけだが、文句を垂れているだけでは茂野との距離が開くばかりだ。
茂野を蹴散らすためにも、咲夜の信頼を得なければならない。
茂野は時雨を使って咲夜の気を引こうとしている。ならば支倉は咲夜が泣くもうひとつの悩みの種──未だ『豊山』の渡りがある度に処断を考え直すようにと嘆願を続けている元『葵山』侍従側の問題をどうにかする他にない。
こういう時こそ、支倉は自らの血統というものを有効利用できる。
『豊山』の膝元に生まれ、外との接点がない茂野には、どうがんばってもできないこと。
父白雪の名を使い、総本山にいる元侍従二柱と接触するのだ。
支倉は『豊山』へもっともらしい理由をつけて総本山に蟄居する元侍従二柱と面会をしたいと願い出た。
新しい侍従となるなら私を──とお墨付きをもらうのだ。
茂野は時雨を迎えるため──を名目にして、松緒に会うために三ノ輪へ向かった。
参道途中で村上が提灯を片手に茂野を見つけると駆け寄ってきた。
上機嫌に尾を揺らしながら「やはり『葵山』は時雨様に会いたいと仰せだったのですね」と声をかけてくる。
茂野は淡々と石段を下りて村上のおしゃべりにはいっこうに付き合ってはくれなかった。
「あの、茂野様?」
そそくさと石段を早足で駆け下り、正面に回って茂野の顔を仰ぐ。
不機嫌であったのだろうかと思って顔色を窺いたかったのだが、予想外の表情をしていた。
「あの…おたふくでもかかりましたか。顔が赤くお見受けしますが」
「疫病持ちがお仕えに上がれるわけがなかろう」
なんだ、どうされたのだろうと慌てると、茂野は真っ赤になった頬を己の平で冷やすようにあてがっていた。
「ひとつ聞くが……私はそんなに目つきが悪いか? 」
「は? この前言ったことを気にしておいでだったのですか。大丈夫です、冗談でございますよ。時雨様もそんな泣いてばかりの年ではありません」
「目つきひとつで嫌われることもあると聞く。悪しき点は自分ではなかなか分からないものだ」
「人相は確かに大事とは言いますねぇ。笑っていた方がそれはよいとは思いますが。腹が空けばにこにこもしてはいられません」
「私が悪いのでないならば、あの仰せであれば……嫌われているというわけではないということだな、大丈夫だな。そういうことに違いないな」
「何のお話です?」
「お前には関係のないところの話だ。それよりちゃんと松緒殿のご臨席は願えるのだろうな」
「はい。お話しましたところ『葵山』の近況などもぜひ伺いたいとかで」
「そうか」
茂野はそこで話を切った。村上は石段を十数段下りたところでやっと、話を変えられたと気づいたが、今更つっこみを入れても遅いと思ってか黙ることにした。




