赤から青へ
──紅梅が好きであっただろう。そなたは『葵山』となってこの色がよく似合うおなごになったな──
そう言ってわざわざ誂えてくれた、優しい紅梅色の打ち掛けと、桜の簪。
袖を通すことができなかった、煌めく簪を髪に挿すことも。
優しい『紅葉山』は、この先をどうすべきか考えられない咲夜に代わって道を切り開いてくれた。
その道を守ることしか、今の咲夜にはできない。
「咲夜様、『大豊山』がおなりです」
縦繁障子を開いて、足を踏み入れて来る気配に、咲夜はゆっくりと頭を垂れた。
本来ならば、己が一番に嫁入りをして、稲荷の世において第二位の地位を得るべきであった存在。
誇り高い兄『豊山』正宗朱路。
美しく長い稲穂のような金髪、太陽のように燃える赤の目。
全てが『紅葉山』と同じ生き写しの稲荷神。
その顔を前にして、咲夜は平静を保っていられるか自信がなかった。
愚かな妹の姿を『豊山』の兄に見られたくないと思ったが、向こうから視界へ入ってきた。
「長い間眠っていたのだぞ、具合はどうだ」
どう答えていいか分からずに視線を彷徨わせると松緒と視線が合った。
くぬぎの実のように大きな目をして、咲夜を見つめている。
咲夜は青い目を閉じ『豊山』を謀ること、『紅葉山』を貶めることを心の中で何度も何度も詫びながら口を開いた。
「お助け頂きありがとうございます。お会いしとう──ございました」
すがるような視線を投げる。
珊瑚朱色の着物の懐に、見事な扇が収まっている。
『紅葉山』と瓜二つ。
だが、決して同じではない。
見つめ合う二柱。
咲夜はその目に、安否の知れぬ『紅葉山』を思い深い痛みを孕んだ訴えをなげた。
「私もそなたの身が、心配であったよ」
二柱の邂逅を邪魔するように、小さな泣き声がして咲夜は視線を横へ投げた。
『豊山』の背後に控える『豊山三ノ輪麓』久照の腕に時雨が抱かれていた。
その視線に気づいてか、『豊山』は慎重な表情を作った。
「咲夜、まだ傷癒えぬそなたには早計かとは思うが、この分社の件で話がある」
「は──はい」
「これは、朱秦とそなたの勧請の果て──『紅葉山』分社で間違いないのだな」
どきりと、心臓を捕まれたような恐怖に咲夜は視線を固めた。
咲夜を見つめている『豊山』の表情は固かった。
「し……時雨と、名をつけておいででした」
『豊山』が何を聞き出そうとして問いただしているか分からない。
咲夜は慎重に、わざとずれた返答を返した。
「名などどうでもよい。そなたは──私に嫁入りすると心定めていたにも関わらず、朱秦と分社が成せた。朱秦を受け入れたのかと問うているのだ」
「その件でございますが、状況を先にお伝え申し上げます」
黙っていた久照が口を挟む。
「どのような経過がありこうして分社を為したかは『葵山』のみぞ知ることでございましょうが、事実としてこの分社、時雨様の御身は大変か弱いものでございます。『大紅葉山』と『葵山』の間で信頼と真を交わしてお生まれの分社であれば、このように弱い体にはなり得ぬかと」
松緒も久照の勢いに乗って口を挟んだ。
「受け入れなければならぬ身の上であったことお察し下さい」
「私は咲夜から答えを聞きたいのだ、そなたらは口を挟むな」
きっと『豊山』が久照と松緒を睨み付ける。
先に『紅葉山』へ嫁入りしたことは、『豊山』へ顔に泥を塗ったのも同じだった。
『豊山』からすれば分社が成せるということは、心がそこにあったということ。
もし咲夜が進んでそう計らっていたとしたら『豊山』にはこの場で咲夜を裏切りものと罵る権利がある。
咲夜は青い目を伏せる。
俯き息を吸って、それからゆっくりと吐いた。
手足の先が震える。
嘘をつくことで、また罪が重なっていく気がしたが、それでも守らねばならないものがあるのだ。