無色から黒へ
茂野の言葉には間違いはない。
だが茂野はここ豊山の山ノ狐だ。『大豊山』の歯車のひとつで『葵山』のことも『紅葉山』のことも何も知らない。
そんな茂野を松緒がほいほいと信用するわけがないのだ。
「そもそもお前は、あの山の狐であっただろうに、松緒殿と縁があるのか」
「あの山で松緒殿をはじめ『葵山』の側で務めていたのはこの私です」
「なるほど、そういえばそうだったか。だがな、どうやって約束を取り付けるか……」
「普通に会いに行くのに問題があるのですか」
「『葵山』のことで聞きたいことがあるなど理由を付けることはできようが、それはあまりに今更だろう。それに……」
松緒の立場は、非常に危うい。
これは一ノ輪のごく一部のものしか把握していない事だし、咲夜が命乞いをするので三ノ輪預かりとしているが三ノ輪から一ノ輪──つまり咲夜の元へ参じることは禁止されているし、茂野たち豊山のもの達も無用の接触は禁止されている。
接触が許されるのは蟄居先の三ノ輪豊楽殿の主久照と美雪たちだけだ。
元侍従たちよりは咲夜には近い場所にいるが、状況は侍従達と大して変わらない謹慎身分なのだ。
下手な接触の仕方をしては、茂野自身の立場も危うくなるだろう。
だがそれを村上に話しても意味はないと判断する。
「それに、向こうは私を覚えてはおられぬだろう。つまり公的な意味では初対面のお相手に、身分下の私がいきなりお会いする訳にはいかない」
「お立場ある方々は面倒くさいのですね。豆菓子でも下げて訪問するのではいけないのですか」
「豆菓子など子供の手土産か。茶梅の生菓子くらい言ってみせろ」
それがどんな菓子か想像も付かないので、村上はとりあえず「では、ちゃばいを」と子供らしい鸚鵡返しをしてから、話を自分にとっての大事へ変えた。
「私はお役に立てましたよね? 正式に弟子入りさせて頂けますよね?」
茂野は小さな村上の頭に手を伸ばして撫でてやるだけだ。
村上の主張を無視し、部屋から放り出されそうになったので、慌てて畳にかじり付いた。
「役に立ったら弟子入りを認めると仰ったではありませんか!」
「これは先日の夕餉の礼だろう」
「どうやっても弟子入りを拒否されるおつもりですか」
「今日も夕餉を食わせてやるから」
「それはもちろん頂きますが、弟子入りの認可も頂きたく思います!」
茂野はしっかり夕餉を貰うつもりの村上に目を線のようにしながらも、とりあえず話を続けることで誤魔化すことにした。
「松緒殿を一ノ輪にあるこの屋敷にお呼びすることはできない。三ノ輪でお会いする口実を考えねばならないな」
「ですから、私を弟子にして鍛える為などと言って山を下りるのが一番自然ではありませんか!」
「お前が? 白目を剥いて? 黒こげになっている姿を松緒殿に鑑賞してもらうのか? 意味がなかろう」
いえ、そのまず組み手からお願いします。
村上はすぐに合いの手を入れ笑い流した。茂野は冗談が言えないので本気で言っている。
しかし三ノ輪において松緒と茂野と顔を会わせても不自然ない理由があるだろうか。
暫くの間向かい合ってうんうんと悩んでいると、茂野が顔を上げた。
「時雨様を迎えに行くならば……どうか」
村上は尾を立てて頷いた。
「それ! それがよろしいのではないかと! 四季ぐるりと巡っているのに、時雨様は『葵山』には会っておりませんよね? ならぬ理由がないならば」
「ならぬ理由──は恐らく『大豊山』のお心内の問題だろう。時雨様はあの山の分社であるから、咲夜様の側に置くは咲夜様を傷つけるとお思いに違いない」
「そんなことはないと思います。『葵山』はどのような経緯があろうと時雨様を捨て朽ちさせるおつもりはないと……」
万が一そんな事をしたのなら、村上は咲夜を許さない。時雨を生かすために主である『紅葉山』とて多くの犠牲を払ったのだ。
「それは私も分かっている。『葵山』は時雨様のことを、いつも気にかけておられる。時雨様だけでない多くのことに心を砕いて──だからあのように病んでおられるに違いないのだからな」
「茂野様はよく『葵山』のことをみておられますね」
村上の言葉に答えないのは、茂野の照れだったが村上には分からない。
「心労を少しでも減らして差し上げるのが私の役目。差し出がましいが私が動く他にない」
「はい。茂野様もぜひ時雨様にお目通りください。最近私の名前も覚えて下さいました。時雨様は大変賢い御方です」
村上が抱いていた大根を上下させて興奮気味に話を続けた。大根が時雨のつもりなのだろう。
「ではそういう名目で取りはからおう。私は『大豊山』と『葵山』に時雨様をお連れする旨をご相談し、お前は松緒様に話を通し、時雨様を迎えに上がる際座敷に上がるようにお願い申し上げろ」
「承知いたしました。その場は私もご一緒してよろしいですか。いた方が絶対によろしゅうございます」
茂野はそこはとても嫌そうな顔をしたが、村上は笑顔で続けた。
「茂野様は目つきが悪うございます。時雨様を抱いて一ノ輪にお戻りになる際、時雨様は泣くに違い在りません、噛みつかれるかもしれません」
「目つき……が悪い?」
「おなごが恐れて逃げる程度には厳しい目つきでございます」
役目を果たしたつもりなのに弟子入りを許してくれない茂野に、ちょっとした嫌がらせのつもりで適当を言ったのだが、茂野は随分と気にしてしまったようだった。




