無色から黒へ
村上は松緒と別れ際にもらった大根を抱えたまま、一ノ輪へ足を向けた。
紅葉山では冬になるとよく仲間達と大根を煮て、味噌をのせて食べた。
米味噌、麦味噌、甘味噌だけでなく、もろみやしょうが味噌などを持ち寄り味わう。
たまに『紅葉山』が通りかかり、供物を下げ渡してくれた。
餅、野菜、あぶらあげ。鰹の塩辛、たくあんに吹き寄せ。
ただのふろふき大根がいつの間にか立派な鍋になった。官位やあり方の違いなども関係なく、主を囲んでつつきあっていた。懐かしいなど思う程に遠い出来事ではないのに、村上はもう随分遠い日の事のような気がしていた。
包んでもらった握り飯を頬に詰めながら、夕焼けに染められた石段の先だけを見て一ノ輪へ上がる。
表参道を通ると参道守に引き留められ突き返されるので、裏道を使う。
茂野を追い掛け回した日々の中で見つけた『豊山』の抜け道だった。
時間によってはそれも使えないのだが、参道守の目はすり抜けられた。正面からでなく立ち並ぶ木の枝に飛び乗りながら一ノ輪を目指すのだ。大根を抱えて木登りし枝を飛び渡っていくのには難があったが、無事茂野邸まで辿り着く。
茂野邸は冬構を終え、霜よけや雪囲いを済ませていた。今日も遅くまで茂野は『葵山』の側に仕えているのだろう。門前で待とうと思ったのだが、すぐに女中が声をかけてきた。
この女中の名前はお美津、というらしい。よく通ってくる村上のことを覚えてくれたようだった。
お美津によると、茂野は夜半より迎賓の勤めまで休みを貰っているらしい。休みの日の茂野は、髪を下げていて年頃の若者に見えた。
「それで何をしに来た? 何か元『葵山』侍従方の情報を掴んだのなら」
肩肘の貼った着物ではなく柿色の着物はやわらかく年月の風合いを感じる。
めんどうそうに振り返る茂野は、小さな村上を上から下まで見てため息をした。
「大根など抱いて、まるで乞食だなお前は」
「三ノ輪で松緒様に頂戴しました」
「ん、松緒様……か。うむ。そうだな元侍従の御二方のお側におられた御方だ。たしかに多くを知っているだろうな」
「松緒様のお話ですと、元『葵山』侍従の方々は、上ノ社の清滝殿というところにおられるそうです。ご存じですか」
「総本山など私が足を踏み入れた事があるわけがないだろう」
腕を組み悩む茂野は、恐らくどのように総本山へ赴くかを悩んでいるのだろう。
「同じことを松緒様も悩んでおられました」
「松緒様も?」
「はい。ご兄弟は評定を待つ身の上でしょうが、最後に一目くらい会いたいと思うのは当然でしょう」
村上は本意を避け適当なことを言ったが、茂野はそれを取り繕ったようには思わなかったようだ。
「松緒様に私の考えをお伝えしてみようか」
「侍従方をお救いするというお話をですか?」
「そうだ。思いが同じであるならば、協力を申し出る方がよいだろう。今当山と『葵山』侍従方を繋ぐ糸は松緒殿だけだ」
「しかし……松緒様は一目会ってどうしたいかは分かりません。救いたいと考えておられるかは……処断は受ける他にないと受け入れておられるかもしれません。そうしたら茂野様の申し出には気分を害されるのでは」
茂野が元侍従らを救いたい、一目会って話をしたいなどと松緒に言ったら疑うに違いない。
己の出世のために、侍従位を退いた兄たちを利用してやろうと思っているとか、そんな考えをよぎらせるかもしれないと思う。
「そなた随分と無情なことを言うが、お目見え身分以下のお前のような小さな山ノ狐のために食物を施して下さる方が、情のない方だとは私は思わない」
茂野の視線の先、小さな村上の膝より太い白く伸びた大根が寒燈に照らされている。




