無色から榛色へ
「……『雪沙灘』様の分社はおられないのですか」
「『葵山』『大江山』二柱が『雪沙灘』様の血濃き名山として名を馳せております。どなたも総本山と『雪沙灘』様の間に分社された御方のため『雪沙灘』分社ではなく、位が上である総本山分社ですが『雪沙灘』分社が存在しないことで、便宜上『雪沙灘』分社として扱うようになっています」
松緒は三つの円のひとつ『雪沙灘』と書いた円から線を引き、その線の先を二つへ分けた。
花見団子か何かであろうかと思っていたが、どうやらそれは家系図を表すために記してくれたようだった。
「『葵山』『大江山』は時同じくしてこの世に具現化した双生児です」
「紅葉山の隣にある、あの大江山の鬼嶽様のことですよね?」
「そうです。鬼嶽様は咲夜様と非常に縁ある御方です。『大江山』には肝力を咲夜様には霊力を、そのように役割を分けて分社してしまったようです」
「たしかに『大江山』鬼嶽様は無駄に持久力ある御方と聞きます。丈夫な方だと思ったら『葵山』の分の健康を奪ってお生まれだったのですね」
代わりに鬼嶽は咲夜に稲荷として奇跡を起こす霊力のほとんどを奪われ生まれてきた訳だ。
どちらがいいかは分からないが、双方とも均等に分けて分社してこられればよかったと思っているに違いない。
「話を戻しますが、つまり『雪沙灘』様不在の今、三朱の権限を把握するには、『雪沙灘』の霊力を継ぐ咲夜様を押さえるのが最も有効なのです。『大紅葉山』がこうして失脚した今、姫様さえ手に入れ氷室の桜にでもしてしまえば、稲荷の世三朱の権限は全て『大豊山』のもの。そうするためには『葵山』侍従は邪魔なのです。いくらでも理由をつけて退けるに違い在りません」
「なるほど……『葵山』は嫁入りができるおなごで、唯一の『雪沙灘』血統ということなのですね」
「私が述べた事が邪推だとしても、祀り事としての姫様の意味を、三朱の方々が強く意識されていることは確かです」
「『大紅葉山』や元『葵山』侍従の方々が守ろうとなさる理由も腑に落ちました」
「私はお兄様たちがどのようにお考えなのか、知ることはできませんが……侍従位を返上したと言う事は秘密を守り抜く意思であると解釈しています」
「侍従位を返上すれば、秘密は守れるのですか」
「そなたら山ノ狐とは違って、侍従の位を得ると役目の引き継ぎというものが起きるのです」
「山ノ狐とて、役目の引き継ぎくらいございます。年下のものに飯炊き番を教えて引き継がせたり……」
「職務や名を引き継ぐだけではありません。侍従というものは例外を除き、先代の意識・経験・思いの丈まで全てを継承していくのです。己を持たないものは先代の意識に自分を焼き殺されてしまうこともあるはずです──ひとの子や山ノ狐は子を産んで命を継承していきますね。それと似ていますが違うのは先代の記憶が継承されるという点です」
松緒はあかぎれの出来た指の先を藁で掠めながら大きくため息した。
「なるほど。侍従位を『葵山』へとお返しすれば、侍従側の不注意などで真実を知られることもないのですね」
「そうです。お兄様達は『葵山』侍従としての引責と共に、秘密の集約を計られたのです。この事は姫様も分かっておいでです。恐らく新しく侍従を持とうなどとは思わないでしょう。──引き継がせてはならない記憶です」
「元『葵山』侍従方はご自身の立場を捨て、主を守っているということですか……」
「何にしてもお兄様達にひとめ会い、指示を仰ぎたい気持ちは変わりませんが、時期ではありませんし方法もないのです」
それは茂野が『葵山』との繋がりを持とうと試行錯誤しているのと似ていた。
「『豊山』が納得した上で正統な理由を持ってお兄様たちのいる上ノ社の清滝殿へ行く方法があればいいのですが……」
上ノ社の清滝殿。村上は松緒の言葉を脳内に焼き付けた。
これは茂野に報ずるべき話だ。
何か張り切った様子を見せた村上に、松緒は無理な働きをしないようにと注意をしながら村上の髪をそっと手櫛で撫でた。櫛を通すようになったのか、煤けた髪は本来の美しい金色を覗かせている。
「『葵山』の統治は今『大豊山』監視下にありますが、咲夜様が戻れば……時間をかけていくらでも山は再興できます。もしその時が来たらいつでも『葵山』に遊山しにいらっしゃい。私の特製の柿寿司や葛切りをごちそうします。そして『大紅葉山』復権にも必ずや『葵山』が力添えしてみせます」
食べ物の名が出て思わず村上の腹が鳴った。
「……あら」
松緒は袖で口元を押さえ笑う。
真面目な話をしていたのに、一気に空気が緩んでしまった。




