無色から榛色へ
「そなたに会いたいと思っておりました」
「ご無事でなにより……ですが、その、私を覚えて下さったのですか」
「私は侍従の器を持つものを、忘れたりはいたしません」
松緒の言葉の意味は計り兼ねるが、彼女は声を潜め作物の雪避けに隠れるようにして、時間が惜しいとばかりにまくし立てる。
「確認しますがそなた、まさかあの方のお心を忘れて生きてはおりませんね」
村上は言葉で返すことなく、口にくわえていた根を引き抜いてみせた。
紅葉の根であることを目で確認し、松緒は小さく頷いた。
「今後、どのようにして生きるつもりです? あてはありますか?」
「私は時雨様をお守りします。その為にここで力を得なければなりません」
「それはあの方のために……苛酷な日々を覚悟しての言葉ですか」
「たった一匹でも残された意味を、私は探します。いつか同じような立場で、気持ちを分かってくれる理解者も、現れるかもしれません」
『葵山事変』の秘密を知るものが、増えることなどないと思いつつも、松緒は今は自分が村上を支えようと深く頷いてやった。
頬を張りつつ村上を見つめる松緒はどこか疲弊して見えたが、元々持つ美しさが質素な身なりに華を添えていた。
薄く引かれた紅の艶めきだけが、『葵山』の側近である誇りの輝きに見える。
『葵山』の美しさに目が眩み、側に咲く花には特別な美しさがないように思えたがこうして凛と咲いている姿を見れば、誰もが松緒を讃えるに違いない。
明眸皓歯は『葵山』の気質なのだろう。
知的な横顔と少し下がった目元が優しく、姉や母というものがいるのなら、こうあって欲しいと思える。
「それに私はこれ以上身を落としようがございません。心配はご無用です。それより松緒様は『葵山』へはお戻りにならないのですか」
「私は咲夜様の侍女です。咲夜様から離れる訳にはいきません」
「ですがご兄弟をお救いしなければ……『葵山』侍従は処罰を待つ身だと伺っております」
松緒は視線を下げる形で、頷きの意図を示す。
「私もお兄様たちに一目お会いしたいと思っております。ですが『大豊山』はいかなる方法をもってもお兄様たちを処断するつもりです。下手に動けば処断を早めます」
松緒は自らが座敷で手打ちに合いそうになった記憶をよぎらせ続けた。
「恩赦がならぬのなら、侍従の位を返上することに何の意味もなかったのでは……」
「いいえ。叛逆の意図はなかったという強い意志表示になります」
「しかしそれでも『大豊山』の疑いは晴れぬままです、効果はなかったのでは」
「えぇ……『大豊山』も心底納得をされているわけではないのでしょう。これは『豊山』としてはひとつの好機であるはずです。この度のこと、表向きは『大紅葉山』の乱心による所業です。『大豊山』はその責任を『葵山』侍従まで拡大させていますが、それはなぜか分かりますか」
「いいえ、それはまぁ『葵山』にも責任があるからではないですか?」
『紅葉山』の事情を知るたった一匹の山ノ狐から言われると何とも心苦しいが、松緒は首を横へ振った。
「承前として、そなたは三朱『雪沙灘』様のことは知っていて?」
「さんしゅ──ゆき…しゃだん様ですか。えぇと」
松緒は困ってしまった村上のために、霜を吸って濡れた大地に、木の枝を筆代わりに三つの円を並べて描いた。
「稲荷の世には、最も古きを総本山『不死見』とし、その下に三柱『紅葉山』雅親 朱秦様、『豊山』正宗朱路様、『雪沙灘』千里朱雀様を置き、それぞれの真名に「朱」の字を戴くことから「三朱」と呼ばれます。そなたの主たる『大紅葉山』も三朱の称号を持ちます」
村上は単純に三柱の名前を正確に覚えていないだけだが、細かいことを説明しても意味がないので、黙って頷いた。
位の高いものたちの会話を折ることは、不躾なことなのだと先日茂野に教わったばかりだ。
明確に自分に話を振られない限りは、余計なことを言ってはいけないらしい。
難しいと思ったのが顔に出ていたのか、茂野は笑顔で「お前は特に黙っている方がよさそうだな」と言われた。
「皆様は稲荷神の役目として、勧請の儀式を執り行いそれぞれ分社たる縁深きご兄弟をお持ちです。大まかに比率を言えば総本山分社は五割。『紅葉山』と『豊山』それぞれ二割ほど、『雪沙灘』はおりません」




