無色から黒へ
腰をさすりながら立ち上がり、三ノ輪に帰ろうとする村上を、茂野はまだ見つめていた。
何を言うわけでもない、立ち去るまでを目視しているだけだとは思うが、村上は声を掛けなければならない気がして一度立ち止まり振り返った。
「茂野様、夕餉の御礼はいつか必ず」
「いつか……では少し遅い」
「?」
「そなた、ここ数ヶ月一ノ輪から三ノ輪までを行き来し、耳にした噂話も多くあろうな」
茂野の言葉に、村上は足を止めたまま、首を縦に振った。
「『葵山』侍従の二柱の話は、耳にしているか?」
「はい。処断されるそうですね。えぇとたしか名は……桜? なんとやら」
名山の侍従職を預かる侍従の名を全て覚えるのも、教えの条件としようと考えながら、茂野は草履を履いて村上の元まで近づいた。「櫻花様と、吉水様だ」
「そうそう、そちらの御二方です」
「面識はないか?」
「私は身分がいっとう低くございますので。恐らく守夏様であれば親交もあったのでは?」
「そうか」
「どうなさったのですか?」
「私は、『葵山』の愛した侍従方をよく知らない」
「力足らずで主を守りきれなかった侍従方のことなど、別に茂野様が覚えずとも良いのではないですか?」
「私は、お前に嘘を言った」
「?」
茂野の告白に村上は首を傾げた。
「私は『葵山』侍従になりたい」
「私がお力になれることがあれば、尽力致します」
村上は嘘をつかれたという認識でなかった。
むしろ茂野は、侍従職を担うべき器があると思うので、当然のことのように思えた。
「『葵山』は、役目を果たせなかった侍従方の身を案じておられる。私が『葵山』の侍従を目指すならば、その願いを支えなければならない」
「しかし、『大豊山』の決定を覆す力を持つ御方は総本山以外になく、総本山もこの一件は『大豊山』に判断を全任していると聞きます。下手に動けば茂野様が逆徒とされかねません、『葵山』侍従に近づくのは止めた方がいいのでは」
「危険だとしても……『大豊山』のご判断が間違いないと分かっていても、一度私は、御方々に会わねばならぬ気がするのだ」
村上は、どこか心が緩んだ気がした。
『豊山三ノ輪麓』久照をもってして天才と言わしめた存在の戸惑いに、どこか心の距離が縮んだ感触。
名誉と誇りを突き出していたこの気品ある山ノ狐は、守夏とは違う。
「私が『葵山』侍従のお二方の幽閉先をお調べすればよろしいのですか」
「できるか?」
「私は身軽でございます。夕餉の礼もございますし、弟子としてお役に立てることを示しておかねばなりますまい」
「余計なことはしなくていいぞ」
「余計な事はいたしませんよ」
「……」
茂野は疑いの眼差しを投げてきたが、村上は今度こそ背を向けた。
「ひとつ、よろしいですか茂野様」
「なんだ?」
「茂野様は、主が赤だと言えば青も白も赤だと信じますか?」
「信じよう」
「それを盲目とは思わぬのですか?」
「思うことがあれば箴言すればいい」
「それが、通らぬ時は?」
「従うだろう。第一に私は主と決めた方に全てを捧げると決めて側についているのだ。心添わぬことがあったとしてもその先に必ず意味があるのだと信じて付き従う他にないだろう」
村上はその言葉を受け取ると、篝火の揺れる三ノ輪へ視線を定めた。
「頼まれ事の件、分かり次第また伺わせて頂きます」
続きはまた、来年の4/1に。




