赤から青へ
「まさか、まさかお兄様が私の代わりに処断されたなどと、そんなことは」
「一切の情報を耳にできません。今『大紅葉山』の件は箝口令が敷かれております。『大紅葉山』に連なる名山も、『吉良山』清祥爛夏様以外、ことごとく口を閉ざしております」
「では爛夏に聞きます。『吉良山』へ参りましょう、さぁ、早く」
「それはなりません」
「なぜです。誰も『紅葉山』のお兄様の話を聞きにいくと言っているわけではありません。妹に会いに行くだけと装えば」
「今この時に、『大紅葉山』を支持する『吉良山』へ向かわれるということが、どのような影を落とすことかお分かりになりませんか」
松緒の厳しい一言に、咲夜は喉まで上がっていた言葉を消して飲み込んでしまった。
「でも」
「咲夜様、よろしいですか」
松緒は手を伸ばしぎゅっと咲夜の白い手を握り締めた。
「もう、『大紅葉山』は咲夜様を守っては下さらないのです。『葵山』として咲夜様が貫かねばならぬこと、『大紅葉山』が身を切ってでも守ろうとされたこと、お分かりでございますか」
「……時雨を……生かすこと、だと?」
「そして、貴方様を生かすことです」
「でも、でも妾はその資格が」
泣いても泣いても何が変わるわけではないと、時雨を産んだ時に何度も心定めたはずなのにまた涙が落ちそうだった。
真実が知れ渡ることがあれば、咲夜は処断されるだろう。
分社の時雨も同様に命を絶たれることとなる。
涙を浮かべる咲夜の頬を、松緒は一度だけ思い切り叩いた。
「な、何を」
「全てを犠牲にしても子を守り抜く意地と、母として曲げぬ心をお持ち下さいませ! 咲夜様が迷えば迷うほど『大紅葉山』の行いの意味がなくなります。貴方様はもう『不死見』の姫君ではないのです。誇り高き吉野の桜、この地で最も美しい御山『葵山』の稲荷神なのでございますよ」
叩かれた頬に走る痛みと松緒の厳しい言葉に、咲夜は青い目を潤ませて表を下げた。
その肩を、まるでさきほどの行いを詫びるかのように松緒はぎゅっと抱きしめた。
「咲夜様のことは我ら『葵山』のものたちが、力及ぶ限りお守りいたします。ですが咲夜様自身が強くあらねば、我々は何もできぬのです」
「松緒……」
「すぐに櫻花お兄様と、吉水お兄様を呼びましょう」
松緒があげた名のものたちは、咲夜の阿吽侍従である。
松緒の血の繋がった兄である。共に総本山『不死見』より『葵山』を担う咲夜と共に山に置かれた侍従だった。
今ふたりの侍従は咲夜に代わって『葵山』を守っている。
誰よりも咲夜の心を理解する侍従たちは、咲夜の行い全てを知り『紅葉山』へ託した。
侍従である彼らでは対極を動かすことができないと判断したからだ。
「いえ、この状況ですぐに『葵山』に戻り……」
「松緒殿、『豊山三ノ輪麓』久照様がお呼びです」
障子に影がさし、松緒の思考は分断された。
「すぐに参ります」
松緒は答えて咲夜の肩に桃色の打ち掛けを掛けると再度肩に手を置いた。
「よろしいですね咲夜様。ここは『豊山』です。真の御厚意を、無碍にされてはなりませんよ」
松緒の気配が遠ざかっていくのを呆然と受け入れながら、咲夜は青い目を閉じた。
松緒の言う「真の御厚意」とは、『紅葉山』が守った己と時雨のことだろう。
瞼の裏に『紅葉山』の姿が浮かんだ。