【第一章 ミネコ博士とジェリー氏】⑥
「手錠をされていたんです、白い髪の女性が、不自由な手で窓を叩いて無罪を叫んでいました、そして間違いじゃなければ、ソウロン警部も同じ個室にいて、多分、白い髪の女性は犯罪者で、ソウロン警部はその人を連行しているんだと思うんです、でも、まるで、まるで、その白い髪の人は誘拐されているみたいでした」
「ソウロン警部が、誘拐?」ミネコは眉を潜めた。「……え、どういうこと?」
「いえ、分かりません、警察の人がそんなことするはずないと思うんです、……けど、ただ、なぜか、いえ、……その人と目が合ったから、でしょうか?」ルミは首を振った。「……私の勘違いかもしれません、はい、……でも、気になるんです」
「……白い髪、か、」アーチィは顎に手を当てて言う。「白い髪で、綺麗だったか?」
「え、あ、はい、一瞬だったから、よく覚えてないですけど、白い髪は綺麗でした」
「顔の話だ」
「はい、綺麗でしたよ、あ、どちらかと言うと可愛いっていうか」
「そうか」アーチィは頷いて窓を見た。
ルミは一テンポ遅れで反応した。「……って、いやらしいですね、その人に手を出そうっていうんですか?」
「ふうん、」ジェリーは顎に手を当てて真剣な目を作っている。「とにかく、ちょっと見て来る、あっち?」
ルミがジェリーの人差し指の方向に頷くと、ジェリーは個室から出て行った。そしてすぐに戻ってきた。「いつもソウロン警部と一緒にいる二人が、その問題の個室の前で真面目に立ってた」
「ロッソとレイバンだね、」ミネコが言う。「やっぱり誰かをインヴァテスまで連行しているんだね、……あ、今朝、ジェリーは相談されたんじゃないの? 例によって犯人を捜してくれって」
「うん、そうだと思うよ、きっとその女の子だと思う、ルミが見た、白い髪の人っていうのは、ソウロン警部がジェリーに見せた写真の女の子の髪は白かった」
「誰なんですか?」ルミが聞く。「その、犯人?」
「写真しか、情報がなかったんだ、どこの誰かまでは分からないよ、」ジェリーは大きな欠伸をしてから伸びをした。「でも、遠くから見ても、なんだかピリピリしてた、ロッソとレイバン、厳戒態勢っていうのかな? もしかしたら第一級犯罪者なのかも」
と、ジェリーは人差し指を立てた。そのおり、扉がノックされた。ルミは身構えてしまった。しかし、食事が運ばれてきたことがすぐに分かって、ルミは緊張を解いた。ジェリーは肉を選んだ。他の三人は魚を選んだ。
「……マーガレット王女じゃないのか?」
アーチィがそう発言したのは食事が済み、食器が全て下げられた後だった。「いや、正しくは元王女か」
「え、王女様?」ルミは驚く。
「タイムズの一面に、彼女が指名手配されているって、今朝のニュースだ」
「あ、そういえば、そうだったね、私はラジオで聞いたけど、」ミネコは頷いてから、ジェリーとルミに聞く。「ねぇ、その人はマーガレット王女だったの?」
「ジェリーはマーガレット王女の顔を知らないよ」
「私も、」ルミは首を横に振る。「知りません」
「あ、そうだよね、」ミネコは苦笑していた。「知ってたらすぐに分かるもんね、そうだよ、……っていうか、なんで知らないの二人とも?」
『だって、』ジェリーとルミの声はユニゾンした。二人は顔を見合わせる。『ねぇ』
「マーガレット王女の髪は白い、」アーチィは田園風景を見ている。「彼女の特徴だ、マーガレット王女は氷の魔女、白い髪はその色素だ、王都で氷の魔女はあまり見たことがない、マーガレット王女の可能性が高いと思うな、少なくともルミが見た人は氷の魔女だろう」
「どうして、王女様が指名手配だなんて」ルミが聞く。
「タイムズには何も書かれていなかったな、しかし、元王女だ、何かしたんだろう」
「え、どうして元王女なんですか?」
「何も知らないんだな、お前は」アーチィは薄ら笑った。
「私はお嬢様のことしか興味がありませんから」ルミはアーチィを睨んだ。
「ジェリーも知らないな、マーガレット王女が宮殿を追放されたことは知ってるけど、その経緯を、なんでなの、アーチィ?」
アーチィは素直に口を開いた。その素直さは素早く、そして露骨だ。「マーガレット王女は若い宮殿の魔女に手を出したんだ、タイムズがそのスキャンダルを報じて宮殿は混乱、法廷でマーガレットが手を出した魔女は一人だけじゃなくて百人だということが分かって、マーガレットは王に勘当された、三年か、四年前のニュースだ」
「ジェリーが産まれる前だね」ジェリーはさらっと言う。
「そんな、最低、」ルミ口元を押さえて言った。「王女様だからって、許されないですよね」
「お前が言うのか?」アーチィは苦笑している。
「え、どういう意味ですか?」ルミはアーチィを睨んだ。
「今回も女性問題なのかもね、」ミネコがしみじみと言う。「きっと女性の体が、アヘンのように忘れられなかったのかもしれない、フラッシュバックから逃れられなくてきっと、うん、性犯罪者は罪を罪と思わない傾向があるからね、厄介だ」
「そうですね、」ルミもしみじみと頷く。「でも、どうしてインヴァテス行きのこの列車で連行されているんでしょう? ファーファルタウにだって立派な刑務所があるのに」
「この国に流罪ってあるの?」ミネコはアーチィに聞く。「私の生まれ故郷では昔、悪いことをしたら佐渡や隠岐に島流しされるケースがあって」
「この国の流刑地は、ルーセンシアか、シンデラ、」アーチィは歯切れよく答える。「しかし流罪は十年前くらいに廃止された、はずだ」
「インヴァテスに、何があるんですか?」
「インヴァテス宮殿とドラゴンの生息地として有名なテス湖、その近くにアーカート城、それからディシェウの古戦場跡、比較的、緑の多い都市だ」
「凄い、なんでも知ってるんですね」ルミは目を丸くして素直に感心した。
「お前が何も知らなさすぎるんだ」アーチィは苦笑している。
「そうでしょうか?」ルミはアーチィを睨む。
「推測の域を出ないね、仕方ないよね、ヒントが足りないもの、」ミネコはジェリーに向かって微笑んだ。「ジェリーはどう思う?」
「うーん、とにかく、忘れちゃいけないのは、」ジェリーは腕を組んで首を傾けてルミを見ている。「今はルミちゃんの相談に乗っているということ」
「ああ、そうだったね」ミネコは頷く。
「え、相談?」
「ルミちゃんが相談したんだよ、ジェリーはそれを解決したいのだ」
「え、解決するって?」
「ざわついているでしょ?」ジェリーはルミのあまり大きくない左の胸を触った。「ココが」
「きゃ、」ルミは小さい悲鳴を上げて、顔を赤くした。「ちょっと、何するんですか、……え、ざわついてる?」
「うん、」ジェリーは悪びれる様子もなく微笑んでいる。「相談する人は誰でも心がざわついているから、ジェリーはそれを静かにするんだ、それがジェリーの相談、まだルミちゃんの心はざわついているよね?」
「……え、どうだろう?」ルミは自分の胸に手を当てて考えてみた。目を閉じて心臓の鼓動を探る。そしてゆっくりと頷いた。「はい、確かに、まだ釈然としません、なんだろう? なんなんでしょう、この気持ちは、考えてみてもいいですか?」
「インヴァテスまで、時間はたっぷりあるよ、でも急いで」
「はい、ええ、」ルミは目を瞑る。分析する。白い髪の人の目を、思い出す。そして分かった。簡単だった。「ああ、はい、ジェリー、分かりました、私は……その白い髪の人が、マーガレット王女が、何か悪いことをしたとは思えないのです、ファーストインプレッションがそうでした、誘拐されているみたいだと思ったんです、だから、だから、どうっていうわけではないのですが……」
「助けたい?」ジェリーは囁いた。
「……ええ、私は、」ルミはスカートの中のピストルを生地の上から触って確かめて、息を吸った。「私はマーガレット王女を助けたい、……なんででしょう? この気持ちは、お嬢様のこと以外どうだっていいのに、変なの」
「簡単だよ、」ジェリーはルミの手を触った。その手の下にはピストル。「マーガレット王女とベッキィが君の中でリンクしてるんだ」
「え?」
「違う?」
「え、いえ、違う?」ルミの表情はコロコロ変わって最終的に笑みに変わる。「ああ、いえ、違いません、そうです、私は連れて行かれるマーガレット王女とお嬢様を重ね合わせています」
「静かになった?」
ルミは再度、心臓を感じた。「……どうでしょうか、よく分かりません」
「うーん、じゃあ、助けようか、」ジェリーは悩んでいる。それが可笑しかった。「その、マーガレット王女を」
「助けるって、どうやって?」ルミはピストルの感触を確かめていた。
そして列車は長いトンネルの中へ入った。明るさが徐々に失われていく。そのせいか、ジェリーの相談コーナは自然に終わりを迎えた。助けるって言ったって、警察を相手に何かが出来るはずもない。ルミの気持ちが事実と違うかもしれない可能性だってある。むしろ違うだろうと思う。勘違いだとルミは思う。警察はルミよりもずっとクレーバだ。
ジェリーもいつの間にか、寝息を立てていた。可愛らしい十歳の女の子になっていた。アーチィも黙って暗い窓の外を見ている。ルミの位置からは見えないが目を瞑っているかもしれない。ミネコはルミに魔法工学の専門的な話をしてくれた。専門的過ぎて、なんのカテゴリなのか分からないほどの専門的な話だ。ルミは相槌を打ちながら、夢と現実の境界を彷徨った。ミネコはルミの反応を楽しんでいた。ミネコはきっと天才だから、誰も知らない世界を誰かに知らせる気はないのだろう。自分しか知らない世界を持つことは楽しいのだろう。ルミはそんなことを思いながら、レベッカと同じ気持ちになりたいという気持ちを強くしていた。同じ気持ちになるには何をすればいいのだろう? 例えばピストルを同じ的に向かって打ってみてはどうだろうか……。いや、それはとても贅沢なことだ……、ご主人とメイドという関係を超えるいけないことだ……、そう思っちゃいけない……、いえ、思うのは自由でしょ? とにかく、もう、……ルミはレベッカに早く会いたくて仕方がない。
愛を憎悪で返されたっていい。
あなたが私の全てなのだから。
そういう理由で私は。
弱さをごまかしています。
あなたが欲しいよ、なんて、でも。
怖いのです。言えないよ。
レベッカ……。
「デッキでシガレロを吸ってくる」
アーチィの声。それと一緒に、長いトンネルから列車が抜けた。眩しい光が目を刺す。半開きの目でルミは反応した。口も半開きだった。「……え?」
すでにアーチィは個室から出ていた。
音を立てて扉が閉まって。
その拍子でジェリーは目を覚ました。「ふあぁ、……あれ、……博士? 可愛い人? あなたはだぁれ?」