【第一章 ミネコ博士とジェリー氏】③
インヴァテス出身のエミリア・マクスウェルは、その髪に黄色い色素を持っていた。それはインヴァテスに住む女性の十パーセントが持つ色素であり、そしてその色素を持つ少女たちはドラゴンの世話をするのが風習だった。エミリアも十六歳まではテス湖の辺のアーカート城でドラゴンの世話をしていた。エミリアはドラゴンが大好きだった。初めて卵から育てたシルバ・ドラゴンのクロウディアの背に乗り空を飛ぶのが大好きだった。未来もずっとクロウディアの傍にいれたらいいと考えていた。しかし、別れのときが来た。クロウディアはファーファルタウのドラゴン隊に配属されることになった。それは最初から分かっていたことでもあった。アーカート城の役割はドラゴン隊のドラゴンを育成することである。だからクロウディアがドラゴン隊に配属になったことは、育ての親であるエミリアにとっては嬉しいことでもある。別れの涙には、歓喜の涙も混じっていた。それからエミリアはよりいっそう、ドラゴンの世話に勤しむようになった。他のドラゴンもクロウディアのように立派になってほしくて、育成に熱を入れ始めた。
そんなある日だった。確か、十六歳の誕生日を迎えて二週間後だった。
アーカード城の城主、ガトォ卿に呼び出された。
城内の最上階にある、北側の黴臭く狭い部屋にエミリアは呼び出された。部屋の中央には円卓があり、奥にガトォ卿は座っていた。最初からガトォ卿の様子はおかしかった。意味もなく笑って、ファーファルタウから送られてきたというケーキをエミリアに振舞った。洋服もいつにもましてサイケデリックだった。喉が渇いたと言うとガトォ卿は紅茶を入れてくれた。普段から五十代には見えない威厳のなさと少女たちからベイブと呼ばれる気さくさを差し引いても、ガトォ卿はおかしかった。落ち着きがなく、そわそわと何かを言い出すタイミングを窺っていた。
別にケーキを食べさせるためにエミリアを呼んだのでないことは明白だが、一体何のために呼び出されたのか検討がつかなかった。
「ガトォ卿、もう食べ終わりましたから、要件を話してください、なんなんですか、来週のフェスティバルのことですか、そうですよ、私は来週のフェスティバルの準備で忙しいんです、メインイベントの空中ショウは、まだ半分しか出来ていません、半分です、一か月もかけて半分です、ああ、本当に、もう、さっきもドラゴンに乗るアメリアたちに説教してきたばかりです」
語気強めにエミリアが言うと、ガトォ卿はお腹を押さえ始めた。「……エミィ、あの、落ち着いて聞いてほしいんだけど」
「だからなんです?」
「実は、」ガトォ卿はエミリアの目を見た。「違うんだよ、」長い沈黙があって。「……エミィ、君は魔女だね?」
エミリアの心臓は大きく鼓動し始めた。「……ははっ、ガトォ卿ってば何言ってるの?」
ガトォ卿は真剣な目で手の平をエミリアに向かって広げた。「黙って聞いてくれ」
「だ、だから、違うって」
「この国の魔女は十一歳のバースデイに箒に跨る、そして飛ぶか、飛ばないか、それによって運命は決まる、僕は覚えているよ、確か僕がココに配属になってすぐだった、五年前のあの日、君はテス湖の辺で箒に跨ったね、君は飛ばなかった、でも、僕は知っている、君は魔女だ、それも凄い魔力を持った魔女、君はダイアモンドの原石だった、君はこの城から離れたくなかったから、飛ばなかった、僕は君の気持ちが分かったから、何も言わなかった、今まで、でも、非常に残念だ、君は光の魔女だった」
エミリアは何も言えなかった。それが全て事実だったからだ。魔女だと分かれば、城にいることは出来ない。インヴァテスは魔女の少ない街だから、ファーファルタウへ上京して素晴らしい魔女になって帰ってくることを要求される。エミリアは五年間、誰にも言わずに黙っていたのだ。
「どうして、僕がそれを知っているのか、疑問かい?」
エミリアは頷きもせずに、じっとガトォ卿の目を見ていた。
「僕も秘密を教えるよ、君に」
ガトォ卿はそう言って左目を閉じて、開いた。
エミリアは息を呑む。
ガトォ卿の左目が、ドラゴンの目に変わっていたからだ。黒目が縦に細くなり、白目の部分はガラスのような光沢を持ち、光を反射していた。「シェア・アイズ、コレが、威厳がなくて、上層部へのアピールが下手な僕が、ここの城主になれた理由だよ、僕は二十年前にクロムビアというドラゴンと契約して、それからずっとクロムビアと同じものを見ている、クロムビアの目は、とても敏感なんだ、いくら君が髪の色を染めようと、光の魔女が持つ黄金の色素にドラゴンたちは目をくらませているんだ、君は十六になったね、君の魔力はどんどん成熟している、それに比例して輝きも増しているようだ、僕はもう君を見ていられない、君は眩しすぎる、だから、」
「だから?」エミリアの声は裏返っていた。「だから、私にどうしろって言うんですか?」
ガトォ卿は左目を閉じた。そして開けると、普通の目に戻っていた。「……非常に言いにくいんだが、」
再び訪れる長い沈黙。
それにエミリアは耐えられなかった。
「分かりました」エミリアは立ち上がった。
「えっ?」
「今まで、」エミリアは様々な感情と涙を堪えて叫び、頭を下げた。「お世話になりました!」
そして部屋から出て行った。
「え、いや、」ガトォ卿は困惑した表情で立ち上がってエミリアに言って、そして椅子に足を取られて転んだ。「いて、……お、おい、エミリア、待ってくれ!」
エミリアはガトォ卿の声を背中に聞きながら小走りで階段を降りた。城から出て、ドラゴンを世話する少女たちが住む宿舎へ行く。そして二階の自分の部屋に駆け込んで、一分で荷物をまとめた。そしてベッドの下から、箒を引っ張り出す。もしかしたらこういう日が来るかもしれないって隠しておいたのだ。思っていたよりも、早かったのかな、と思ってエミリアは箒を抱き締めて涙を零した。
「……エミィ先生?」
アメリアの声に、エミリアは涙を拭いて振り向く。「……なぁに、どうしたの、空中ショウの練習は?」
「分からないところがあるから、皆でエミィ先生を探していたの」
声が弱々しいのは朝に説教したせいだろう。アメリアはまだ七歳だ。子供らしい反応。涙は完璧に拭えていなかった。
「エミィ先生、泣いてるの?」
アメリアの髪の色はイエロー・ベルのように黄色い。とても鮮やかで、エミリアが黄色く染め上げた髪よりもずっと綺麗だ。エミリアはその髪に触って、頬にキスした。「大きくなるのよ、アメリア」
「先生? その箒は?」
「エミリア!」ガトォ卿が息を切らせて登場した。
「トワイライト」
エミリアは光の魔法を編んだ。髪を覆っていた黄色い染料が弾けて消えた。ガトォ卿とアメリアは目を開けていられない。エミリアは黄金に輝く髪をポニーテールに結んで部屋の窓を開け、箒に跨る。
「じゃあね」エミリアは王都ファーファルタウまで飛んだ。
それが一年前の出来事。
そしてエミリアは今、ファーファルタウで出会い、主人となったマーガレットと一緒に列車に乗っていた。発車する前の列車である。多分、ファーファルタウで一番大きいビクトリア駅。
一等車の個室で。
エミリアとマーガレットは寄り添って座っている。
二人とも同じ形のフリルのついたワンピースを着ている。
それは二人が経営するアイス屋『アイスキャンディ・ファクトリ』の制服である。
エミリアは黄色。
マーガレットは白。
マーガレットはエミリアの膝に頭を乗せていた。目を瞑っている。きっと走って疲れたのだ。マーガレットの髪の色は純白。エミリアはその髪を指で触る。氷、あるいは雪、あるいはダイアモンドの色ではないかとエミリアは思う。長くて綺麗な髪。ずっと触っていたっていい。ほんのりと冷たく、甘い匂いがする。
エミリアが優しく触っていると。
苦悶の表情をさらに険しくして。
体を起こして。
対面の座席で腕を組んで座っている紳士を睨み叫んだ。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
「静かにして下さい!」
急に叫んだマーガレットを宥めた紳士は、ファーファルタウ警視庁のソウロン警部。マーガレットはソウロン警部のシルクハットに噛みつかんばかりの勢いだ。「どうして私が指名手配されなきゃならないのよっ!」
「内務大臣からの特命です、」ソウロン警部は自分の髭を触りながらマーガレットから目を逸らさない。「どうかお静かに、他の乗客が驚かれますぞ」
「私は何もしてないのに!」マーガレットは窓のカーテンを開けて叫んだ。「私は何もしていないのに!」
窓の向こうでマーガレットの叫びに驚いている女の子がいた。マーガレットは手錠のかけられて不自由な両手で窓をドンドンと叩いた。窓の外の女の子には凶悪な犯罪者に見えたことだろう。ソウロン警部はマーガレットの口を塞いで黙らせ、カーテンを閉めた。
「あなたは王家でしょう、」ソウロン警部は溜息を吐きながら言う。「恥を知ってください、お願いします、どうか」
「私は王家です、」マーガレットは鋭く言って、再びエミリアの横に座った。「だったら、この手錠を外しなさい、ソウロン」
「外したら魔法を使うでしょうに」
手錠は特殊な呪いが隠されていて、エミリアとマーガレットは魔法を使うことが出来なかった。マーガレットは下唇を噛んで言う。とても素敵な仕草だとエミリアは評価している。「未来が怖くないの、ソウロン、王族の私にこんな振る舞いをして、未来が無事だと思っているの」
「失礼」ソウロンは杖に仕込んであった刃を抜き、遠い位置でマーガレットに突き付けた。
マーガレットは小さな悲鳴を上げて怯んだ。
「失礼ですが、あなたには力がありません、だから力のある内務大臣の特命に従います、内務大臣の特命はすなわち王の命令でもあります、長い時間をかけて練られた組織が王都にはあるんですよ、」ソウロンは軍人の目をしていた。「力がないんですよ、あなたには、あなたは様々な悪いことをした、先代の王はあなたを勘当なされた、それはあなたが悪いことをしたからです」
「わ、悪いことなんて、」マーガレットは歯切れが悪い。「悪いことなんてしてない」
「あなたは十七歳になっていないのに、シガレロを吸って、ウイスキィを飲んで、それから……、ああ、この先は私の口からはとても」ソウロンは首を横に振る。
「ど、同意の上だったわ!」
「犯罪者は皆そう言います」
「事実だもの!」
「先代の王はあなたを王家から除籍しなかった」
「え、何、いきなり……」
「どうしてか、分かりますか?」
「どうしてって……」
ソウロンは腹式呼吸をした。
「王が優しかったからです!」
エミリアの前髪が揺れるほどの発声だった。マーガレットとエミリアは顔を見合わせた。ソウロンは続ける。「王は優しかった、だからあなたを除籍しなかったのです、お慈悲です、それを考えたことがありますか、あなたは? 墓前に立ったことは?」
マーガレットは視線をふらふらさせて、虚勢を張る。「あ、あるわよ!」
「一度だけでしょう?」
「ええ、」マーガレットは大きく頷いた。「そう、一度だけ!」
「ソフティ王女は聡明なお方です、」ソウロンは刃を杖にしまった。「毎晩立たれています、先代の王の優しさを正しく受け継がれている、すでに国王と呼び慕う民もいます、一か月後の戴冠式が待ち遠しいですな、素晴らしい国王になられることでしょう、それに比べて、あなたは……」
「言いたいことがあるなら、」マーガレットはさっきからずっと魔法を編んでいるようだ。白いメッキの施された手錠はカタカタと震えている。「はっきり言ったらどうなの?」
「この列車の行き先はインヴァテスです」
それを聞いてエミリアは目を見開いた。
「……インヴァテス?」
「そこでソフティ王女が待っています、インヴァテス宮殿です」
「ソフティが、……どうして?」
「さあ、詳しいことは、」ソウロンは首を横に振った。「ソフティ王女はもしかしたら、あなたを宮殿に戻される気かもしれません、推測ですが、ベルズアーバス宮殿に呼び出すとマスコミが騒ぐと危惧されたのではないでしょうか? あなたはマスコミを恐れているでしょう? いや、なんとお優しいのでしょう、優しい計らいです、その優しさを感じてください」
「指名手配が優しさ?」マーガレットは苦笑した。「とても矛盾しているわね、タイムズは好き放題書いていたわ、ま、そのおかげで少し警察を困らせることが出来たから、よしとしようか」
「手錠を掛けられて何をおっしゃる」
「そうよ、」マーガレットは声を張り上げた。「どーして私たちの居場所が分かったの!?」
「それを生業にしている人がいるんですよ」
そして汽笛が鳴った。列車が動き出す。
「とにかく、インヴァテスまで、どうか、お静かにお願いしますよ」
「エミィ、さっきからずっと黙っているけれど、」マーガレットは悔しさを眉に潜ませて言う。「何か言ってやりたいことないの?」
「え?」言われてエミリアは考えた。「いや、そうね、手錠を掛けられて故郷に帰る未来なんて想像してなかった」
「ははっ」ソウロン警部は愉快そうに笑った。
エミリアも釣られて笑う。マーガレットは不愉快な表情をしているが、エミリアはそれほど不愉快じゃなかった。
「食事はどうなさいます?」個室の外の警官がドアを少し開けて聞いてきた。その質問はソウロン警部ではなく、エミリアとマーガレットに向けられていた。「肉か、魚か」
「肉を食べさせて」乱心のマーガレットが言う。
「魚」とエミリアは答えた。主人の前で肉を食べないのは、インヴァテスの猫の習性である。