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【プロローグ 今夜はバルーンフェスティバルへ】②

 ファーファルタウは夜の七時。空は紫色をしている。

 ニッキィとレベッカはバルーン・フェスティバルの開催されるイリアナーズパークまで馬車で向かった。箒を持ち込んではいけないと招待状に書かれていたから、わざわざ乗り慣れない馬車に乗ったのだ。アームストロング邸から馬車に揺られて十分くらいでイリアナーズパークに到着した。

 イリアナーズパークはファーファルタウで二番目に広い国立公園である。その丸い敷地は緑の蔦が絡みついた、背の高い鉄の柵で囲まれている。その緩やかにカーブする柵の傍には宮殿のグリフォン隊の騎士たちが等間隔に並んで立っていた。どうやら警備に当たっているようである。騎士の数を考えると厳戒態勢が敷かれている、といっても大げさではないだろう。しかし、イリアナーズパーク周辺がバルーン・フェスティバルの開催に賑わっている様子はなかった。ファーファルタウの一般民衆の姿がない。祭り好きの民たちの姿がないことを考えると、きっとフェスティバルはゲリラ的に開催されるのだろうとニッキィは推測する。

西側の出入り口付近で馬車を降りたニッキィとレベッカは厳戒態勢のゲートへ近づく。ゲートで魔女らしい少女が招待状をグリフォン隊の騎士に見せ、公園内へと入って行った。それにならってニッキィとレベッカは騎士に招待状を見せて、イリアナーズパークへのゲートを通る。ゲートは絡みついた植物によって短いトンネルである。そのトンネルをくぐると、まだ地面に寝そべったままの色とりどりの沢山の気球が見えた。

 そして。

 不意に現れた白いターバンを巻いた紫色の髪の魔女にプレゼントされた。

 白いベルだ。

 ニッキィとレベッカに一つずつ。

「ようこそ、バルーン・フェスティバルへ」魔女は僅かに首を傾けて微笑んだ。おそらく宮殿に仕える魔女。魔女の年はレベッカくらいだろうか。顔立ちはニッキィよりも成熟している。瞳は大きいが、どこか寝起きのようにとろんとしている。しかし口調ははきはきとしていて言葉は聴き取りやすい。

「なんです?」レベッカはベルを凛と鳴らして魔女に質問する。

「首に付けて、」白いターバンの魔女はベルに着いたベルトを首に締めるジェスチャをして見せた。その魔女も同じ白いベルを付けている。周りを見回すと、イリアナーズパークに集まった大勢の魔女たちも同じように首にベルをぶら下げている。猫のように。「このフェスティバルの、趣向、あるいはテーマ」

「趣向?」レベッカは首を傾げた。

「バカみたい、」可笑しい、でも、久しぶりに楽しい。そういう感情が瞬間的に沸いてニッキィはクスリと笑う。「ベッキィ、きっと、僕たちは王女様の猫ってことなんだよ」

「はあ?」レベッカは目を吊り上げて声を上げる。「言ってる意味が、全っ然、分からないんだけど」

「うん、君の言うとおり、」紫の魔女はニッキィに同意する。「私たちは王女ソフティ様の猫、このホワイト・ベルがその証、ソフティ様の猫はソフティ様の気球に乗って空を飛ぶ、運命的に同じ気球に乗り合わせた猫たちは、さて、どこへ向かうのだろうか、北の極、南の極、西へ、東へ、それがこのフェスティバルの壮大なストーリィ、ようこそ、今夜はバルーン・フェスティバルへ」

「……なるほど」ホワイト・ベルを首に付けながら、なんだか思考停止の表情でレベッカは頷いた。紫の魔女が言っていることが、いまいち分からないのだろう。

「にゃん、にゃん、」一方でニッキィはすでにベルを首に装着して、誰からのリクエストもないのに猫のポーズをして、レベッカに向かってにゃんにゃんしていた。ニッキィはもう十七歳だが、にゃんにゃんしても違和感はない。そのことをニッキィは自覚している。そのポーズがとても魅力的であることを自分自身で自覚していなければ、こんな風にふざけない。「どうにゃ?」

「……、」レベッカは頬を赤くして、きっと照れているのだ、一度黙り込んで、ニッキィから目を逸らして呟いた。「……ああ、もう、やだぁ」

「にゃん、にゃん」

「え、あなたも?」

急に紫の魔女も愛嬌のある猫のポーズで迫ってきたから、レベッカは戸惑っているようだった。

「にゃん、にゃん」ニッキィも紫の魔女に呼応する。

「にゃん、にゃん」紫の魔女はおもちゃを見つけたように楽しそうだ。

「……、」レベッカは二歩後ずさって、一度黙り込んで、ニッキィと紫の魔女を一度ずつ見て両手を丸めて顔の横に持ち上げた。「……にゃん、にゃん」

『かーわーいーいぃ!』ニッキィと紫の魔女の声はユニゾンした。

「もぉ、ばかぁ!」レベッカは熱を出したように顔を赤くして声を荒げた。

 フェスティバルが始まるまで、まだ時間があるようでニッキィとレベッカは並んでイリアナーズパークを歩いた。気球の調整をしているのはもっぱら宮殿の魔女たちだった。宮殿の魔女たちは同じ型の服を着ているのだ。限りなく黒に近い深緑色のブレザに、純白のスカートが宮殿の魔女の制服。ニッキィは羨ましくて思わず目で追ってしまう。

宮殿の魔女以外の招待された魔女たちは、所在なくふらふらと夜空を見上げたり、芝の上に座って談笑しながらフェスティバルの始まりを待っていた。ニッキィはステップを踏むように歩きながら、どこかにいるはずの王女を探していた。

 王女に見初められるのが、名実ともに王女の猫になるのが、ニッキィの今夜の目的である。

 しかし、公園内をぐるりと歩いても王女ソフティの姿は見当たらない。ご来場はまだのようだ。もしくは、公園内の中央部にある、ローマ帝国のコロッセオのような建造物の中にいるのかもしれない。

その巨大な建造物の中にはドラゴンがいる。ドラゴン隊のドラゴン。合計六頭。外からはその気配は全く感じられないが、ドラゴンがいる。ドラゴンの鳴き声も、鱗が擦れる音も、地面を踏む振動も何もないし、ニッキィもこの目でこのコロッセオからドラゴンが飛び立つところを見たことはない。しかしドラゴンがいるというのは政府が公に発表していることである。ニッキィはなんとなくコロッセオを見上げた。コロッセオの高さは三十メートル、直径は百五十メートル。その巨大な石壁の向こう側へ行くためには、シティ・バンクの金庫のような円形の分厚い扉を開けなければ入れない。コロッセオに天井はないが、結界が張られているため飛行してそこから侵入するということも出来ない。その結界のため、上空から見下ろすと、コロッセオは鏡のように空の色を反射している。つまり、内部は隠されているのだ。実際のところ何があるのかは分からない。

「ねぇ、あなたたち」

 ニッキィは芝の上に座ってシガレロを咥えて、レベッカはそれに火を点けた。ニッキィは煙を吐いて、その煙に風を起こして小さな白い竜巻を作って遊んでいた。その竜巻に他の魔女たちが呼びかけもなしに集まってきた。注目を浴びて、ニッキィは立ち上がってさらに拳をくるくると毛糸を集めるように回して巨大な竜巻を起こした。ニッキィはレベッカにウインクをする。レベッカは少し嫌がったが、頬を染めながらも、その竜巻に炎を乗せた。夜の公園に天まで上る炎の渦が完成して、小さな拍手が起こった。そのとき、二人は背中から声を掛けられた。

「いいカップルですね、風と炎の魔女、少し手伝って頂けませんか?」

 二人は振り返る。炎の渦は光の余韻を残しながら消えた。

「か、カップルって、な、何言ってんの?」レベッカは目を見開いて動揺している。

「手伝い?」ニッキィは聞く。

「ええ」

 宮殿の魔女はニッキィの肩に手を乗せて頷いた。青く長い髪。その色素は水の属性を示すものだ。彼女は頭に画家が被るような円形のクリーム色の帽子を乗せていた。この魔女もレベッカと同い年くらいの魔女だ。「あなたは気球に火を入れてください、あなたは風を起こして気球をコントロールしてください」

「面白そうだね」ニッキィは微笑んだ。

「え、私が、バーナの火を?」

「はい、バーナで浮かぶ気球の中に、一つくらい魔女の火で浮かぶ気球があってもいいと思いまして」

「えっと、どうしよう」レベッカはニッキィを見た。

「いいじゃん、やろうよ」

「え、でも、私、そんなのやったことないし、それに不器用だし、もしかしたら炎をうまく制御できなくて、バルーンを燃やしちゃうかもしれないし」

「大丈夫ですよ、」青い髪の魔女はニッコリと微笑んだ。「そのときは、私があなたの火を消します、私は宮殿の水の魔女、ユウナ・ギャラガと申します」

「……じゃあ、はい、よろしく、あ、私、レベッカ、」レベッカはユウナと握手をした。レベッカの左手はニッキィの手を触っている。「レベッカ・アームストロング」

「そんなに怖がらないで下さい、」ユウナは微笑む。とても優しいほほえみだとニッキィは思う。「私が水の魔女だからって」

「いえ、その、」レベッカはユウナから手を離した。「……今まで、いい思い出がないもんで」

「確かに、……そうですね、心のない水の魔女は火の魔女に、とても好戦的に接します、でも、私は違いますよ、そのシガレロの火を見ても、なんとも思いません、本当になんとも、だから安心して、私はあなたに好意的に接したい」

「いえ、」レベッカはぎこちなく微笑む。「あ、別に怖がってなんて」

「はい、分かっています、」ユウナは微笑んで歩き始めた。「では、こっちです」

 ニッキィとレベッカはユウナの後を歩く。すぐに横に倒されたゴンドラが見えた。なぜか他の気球とは距離が置かれていた。すでにいくつかの気球には火が入り、豆電球のようなシルエットが次第に立ち上がり始めていた。クマやペンギンのシルエットも確認できた。歓声が小さく起こる。魔女たちははしゃぎながら、それぞれ気に入ったバルーンのところに歩み寄っている。

「黒いバルーンなんだぁ」ニッキィは自分の黒髪を触りながら言う。ユウナのバルーンのエンベローブ(球皮)は古い時代の魔女の衣装のように黒かった。模様もないのかもしれない。

「火が入ったら、その明かりが透けて、幻想的で、とてもロマンティックになるんですよ」

 ニッキィとユウナはエンベローブの開口部の両側を持って広げた。その前にレベッカが立ち、不安そうに、炎の魔法を編む。エンベローブの中の空気が熱せられ徐々に膨らみ始めた。レベッカは加減を調節しながら炎を編み続けている。ユウナはゴンドラを立てた。レベッカはタイミングを見計らって乗り込んで炎を注ぎ続ける。黒いバルーンが垂直に立ち上がった。レベッカは興奮した表情でニッキィを見る。

「ニッキィ、出来たよぉ」

 一方、ニッキィは複雑な目でバルーンを見上げていた。「……ねぇ、ユウナ、全然ロマンティックじゃないんだけど、エンベローブが完全に明かりを遮断しているじゃないか」

 バルーンの黒いエンベローブからは光が透けていなくて全然幻想的じゃなかったのだ。ゴンドラの上はレベッカの炎によって明るいが、その上は完全に夜空と同じ、いや、それよりも暗く濃い黒である。

「うーん、設計ミスですね、」ユウナは人差し指を唇に当てて、非常に冷静に呟いた。「とにかくゴンドラに乗りましょう、ニッキィちゃん」

「ちゃんはやめてくれない、」ニッキィは軽くジャンプしてゴンドラに乗り込んだ。「きっと僕の方が年上だし」

「からかっているのですね、」ユウナは清純に微笑み、ゴンドラに乗り込んだ。「でも、騙されませんよ」

「あの、いつになったら飛ぶの?」レベッカははやる気持ちを押さえられないようでユウナに聞く。

「ファイアワークスが合図ですよ、待って下さいね」

 すでに様々な模様の気球が立ち上がっていた。この景色は幻想的で、ロマンティックだった。気球が一斉に飛び立てば、もっと、もっと、ロマンティックな夜になるのだろうと、近い未来をニッキィは想像する。

 そういえば、王女の登場はまだだろうか?

 ニッキィはキョロキョロと視線を巡らせながら聞いた。「ねぇ、ユウナ、そういえばソフティ王女は?」

「し、」ユウナは人差し指を唇の前で立てた。「静かにして下さい」

 ニッキィはユウナの言うとおりに黙った。

 他の魔女たちの会話も徐々に減って。

 そして。

 イリアナーズパークに完全な静寂がやってくると。

 夜空を見上げていると。

 火薬が炸裂する音がして。

 ファイアワークスが上空に打ち上げられた。

 それはラムズ河の方から打ち上げられたようだ。

 夜空に華のような火が咲いて、空気が大きく振動している。

 魔女たちはゴンドラの重りを外し、バーナの出力を上げた。

 一斉に気球が空に浮かび始める。

 綺麗な夜空だ。

「うわぁ」ニッキィは気球を見上げ歓声を上げて。

 すぐに、何かがおかしいことに気付いた。

 背中のレベッカに視線をやる。

 レベッカは打ち上げられたファイアワークスに見惚れて口を半分開けていた。炎の魔法は編まれていない。視線を上げると、エンベローブの中の空気が冷えてしぼみ始めていた。

「レベッカさん!」同じタイミングでユウナも気付いたようだ。

「ベッキィ、ぼーっとしてないで!」ニッキィは早口で言った。

「え、ああ、あ、危ない、」レベッカは火を点けた。大きな火はすぐに黒いエンベローブを膨らませた。「よし、よし、よし、飛べ、飛んでぇ!」

 レベッカは火力を弱めなかった。黒いバルーンは一気に浮上。瞬く間に他の色とりどりの気球を追い抜いて、気付けば一番高いところを飛んでいた。

「ベッキィ、すごいよ、一番だよ、一番!」ニッキィはゴンドラから半身を出して騒いだ。ゴンドラが傾いて揺れる。

レベッカは真剣に炎を調節しながら言った。「え、何、コレって高さを競う大会なの?」

「もう雲に手が届きそう」ニッキィは空の冷たい空気に向かって手を伸ばしてはしゃぐ。

「ちょ、ちょっと、ニッキィちゃん、暴れないでぇ、」ユウナはゴンドラにしがみついてひっくり返ったような声で言う。今までの毅然とした態度が嘘みたいだ。「お、落ちたら大変、静かに乗りましょう、いい子だから、ね?」

「え、ユウナ、高いところ駄目なの?」ニッキィは背中を空に向けて極上のスマイルでゴンドラの縁に座っていた。「魔女なのに?」

「いえ、その、なんでかしら?」ユウナは青い顔をしていた。困惑しているようだ。高所恐怖症だということを初めて認識した様子だ。「ああ、きっと、箒がないからです、不安なんです、その頼りない炎に命を預けている感じが」

「ん、頼りない?」レベッカはしっかり反応して目を細め、ユウナを睨んだ。「あんた、今、頼りないって、私の炎が頼りないって言ったな」

「いえ、そんな」

「言った、頼りない炎って言った」

 そして訪れる険悪なムード。

 先に口を開いたのは、キャラクタまでも変わってしまったようなユウナだった。「……え、ええ、言ったわ、頼りない炎、私の水ですぐに消し去ってしまえる頼りない炎だって、不安でしょうがないわ、ああ、箒を持って来ればよかった」

 あっさりと本音を言われ、レベッカの炎は一瞬大きくなった。ユウナは相当気が動転している様子でレベッカの心理状態がメラメラしていることに全く気付いていない。ニッキィはゴンドラの縁に片足で立って、両手を広げてニコニコしている。

「ああ、この独特の浮遊感も、もう、駄目、耐えられない、」額を両手で押さえながらか細い声でユウナは言って、そして絶妙なバランスで風に煽られているニッキィを見て声を荒げた。「え、ちょっと、何考えてんのよ、あんたバカ? 落ちるよ、落ちるって、バカぁ、今すぐにちゃんとしてよ!」

「ちゃんとって、よく分かんなーい」

「だからちゃんとしてよ!」ユウナは涙声で震えている。

「だからちゃんとってどうするのさぁ?」ニッキィは可愛く言った。そして突風に煽られた。体が逆さまになるくらいに傾く。

「きゃあ!」ユウナは悲鳴を上げた。

しかしニッキィは絶妙なバランス感覚を発揮し、すでにゴンドラの中に戻っていた。別に風を編んだわけじゃない「ユウナ、目を開けてよ、僕はここにいるよ、万が一落ちたって、僕は風の魔女、だから大丈夫なんだ」

「ほ、箒がないじゃない!」

「箒がなくたって、重力に抵抗するくらいのことは出来るもの」

「とにかく、私をからかわないで!」ユウナはヒステリックに叫んだ。そしてユウナは血の気のない顔をしてレベッカに命令する。「レベッカ、炎を弱めて高度を下げて」

 しかし、レベッカは炎を弱めなかった。「ふうん、水の魔女にも苦手なものってあるんだぁ」

そしてレベッカは何かを企む目をしてニッキィを見た。ニッキィはウインクで返した。

「ちょっと、聞こえなかったの? 私は炎を弱めろって言ったのよ」

「ユウナ、」ニッキィは震えるユウナの手を握って言った。「私たちは運命的に同じ気球に乗り合わせた、ソフティ王女の猫」

「え、何を言ってるの? なに? ……何を企んでいるのよぉ!?」

「ニッキィはどこまで行きたい?」レベッカが歯切れのいい声で言う。

「そうだなぁ?」頬を人差し指で押しながらニッキィは首を傾げた。熟慮のポーズ。

「いや、だから、」ユウナは汗を搔いている。「高度を下げてってば!」

「決まったぁ!」ニッキィが大きな声を出す。

「え!?」ユウナは悲鳴に似た声を出す。「もう、お願いだから、やめて」

「そうね、せっかくここまで来たんだもん……」レベッカは思わせぶりに目を伏せてから、炎を二倍の大きさにした。

「宇宙まで、」ニッキィはゴンドラの中で一回転しながら腕をくるくると回転させて上昇気流を起こした。「行っちゃうよぉ!」

 ゴンドラはぐらぐらと揺れる。

「宇宙、宇宙、宇宙?」ユウナはヒステリックに叫んだ。「何考えてんの!? 宇宙はね、悪魔たちの住処なんだから!」

 それは天文学の発達した現代ではすでに古い考え方である。どうやらユウナは古い時代、古来よりの伝統を重んじる性格のようだ。多少付き合いが面倒な性格だ。そういう魔女は未だいるが少数派である。逆に言えば、少数派ゆえ、ユウナのキャラクタは貴重だとも言える。ニッキィはアリだと思う。

 そして。

その時だった。

「いいね、行きたいね、宇宙に」

「え?」ニッキィは突然背中から聞こえた声に振り向いた。

「私も宇宙に連れて行ってくれないかな?」

 ゲートでニッキィとレベッカに白いベルをプレゼントしてくれた紫の髪のターバンの魔女がドラゴンに乗っていた。刃のように鋭い銀色の鱗、純銀の目、巨大な翼をもつドラゴン。その背の鞍に腰かけ、手綱を握り締め、魔女は黒い気球の上昇速度に合わせてドラゴンをコントロールしていた。しかし、声の主はその人じゃない。紫色の髪の魔女の後ろに乗っている、緑がかった黒髪の少女。

 それが、その人だった。

 見間違うはずはない。

 写真は肌身離さず持っている。

 ソフティ王女がドラゴンに乗っていた。

 写真はモノクロだったが、目に見えるソフティ王女には、色が付いていた。

 レベッカの炎に照らされて、よく見える。

 ソフティ王女の瞳は鳶色。

 その瞳は、ニッキィを確かに映していた。

 ソフティはまだ十二歳。

 しかし、その微笑みは威厳に満ち溢れている。

 彼女は今夜、宮殿の魔女たちと同じ制服を身に纏っていた。いや逆である。彼女が王女に即位してから宮殿の魔女の制服は変更されたのだ。限りなく黒に近い緑色のブレザに。その色はソフティの髪の色である。

「そちらに行ってもいい?」

 ソフティは控えめで、しかし、しっかり鼓膜を震わす通る声で言った。ニッキィに向かって。でも、ニッキィは返事をすることが出来なかった。頭を打ったときみたいに思考能力が低下しているのだ。

「ああ、ソフティ様、助かりました、」ユウナは五指を組んでソフティに訴える。「危うく、この魔女たちに宇宙まで連れていかれるところでした」

「どういうこと?」ソフティは首を傾げた。

「この二人は私を貶める魔女なんです!」

「結構なことね」ソフティは風にはためいて踊るスカートを押さえながら、ドラゴンの背中の上に立った。

 それはゴンドラの縁に立つことよりも危険な行為だ。

 ニッキィはそう判断した。

 王女様なのに。

 その命は何よりも尊いものなのに。

 ダメ。

 紫の髪の魔女はドラゴンをコントロールして、ゴンドラに急接近させた。

 ゴンドラよりも僅かに高いところに位置を安定させて。

 そして。

 ソフティは躊躇いもなくゴンドラに向かってジャンプした。

「危ない!」ニッキィは両手を広げた。ソフティはその両手に降りてくる。

「きゃあ!」

 ニッキィの耳元でソフティの無邪気な声が聞こえた。ニッキィはソフティに押し倒されるような形になった。ソフティの髪の毛が顔に触れる。なんとも形容しがたいいい匂いがして、また頭が回らなくなる。体の方も寝起きみたいに動かない。

ソフティはニッキィから体を離して心配そうに聞いてきた。「……あ、ごめん、ごめんね、大丈夫?」

ニッキィは頭の中が真っ白で、初対面に言うと決めていた台詞も出て来なくて、とにかく、何か言葉にしなきゃと思って、でも頭は回転しないから、脊髄あたりで感じたことを口にした。「……コレは夢なの?」

「んふっ、何を言ってるの?」ソフティはニッキィの手を引っ張って起こす。「ああ、宇宙に行くってこと? それは夢なの?」

「え、ごめんなさい、なんですか?」

 話が噛み合わない。

 だから通じろって、ニッキィはソフティを見つめた。

 ソフティも不思議そうに見つめ返してくる。

 一方、見つめ合う二人の横でユウナはゴンドラから身を乗り出してドラゴンの背に乗る紫の髪の魔女に向かって叫んでいた。「ミニィさん、ちゃんと受け止めてよ!」

 そしてドラゴンは一回転して高度を下げた。ユウナはソフティに手を僅かに振ってから空を落ちて行った。「いいいいいいいいいいいいいやあああああああああああああああああああああああ!」

耳が痛くなるほどの悲鳴を上げながら。

 そう。

 耳が痛いから、コレはきっと。

夢じゃない。

 ゴンドラには、未だ硬直状態のニッキィと炎を編み続けるレベッカといい匂いのするソフティ。こんな未来は予想していなかった。

 王女様がゴンドラに飛び乗ってくるなんて、誰が想像できるだろうか?

「あの、」レベッカは困ったようにソフティに向かって言った。「宇宙へ行くっていうのは、冗談で、その、……火の強さはどうしましょうか?」

「あ、そうなの?」と、ソフティはおどける。魅惑的に微笑む。「じゃあ、あなたたちは私を一体どこへ連れて行ってくれるの?」

「ええっと、ええっと、どうしましょう?」レベッカもニッキィに負けず劣らず固まっている。「……とりあえず、そのっ」

「とりあえず、火の強さはそのままで」ソフティは小さい手の平を広げて指示した。

「は、はいっ」レベッカは指示を受けてひとまず息を吐いた。

「いえ、そうね、青い炎を見せて」

「りょ、了解です」レベッカの炎が青く変化した。レベッカはきっとこのとき人生で初めて了解という言葉を口にした。

「あら、優秀ね、どうしてあなたは宮殿にいないの?」

「……さあ、分かりません、」レベッカは真面目な顔をして返答に困っていた。「でも、楽しいこと、っていうか、大事なことが、他にもあるような気がして、……いいえ、宮殿に仕えるよりも素晴らしいことが他にあるなんて、きっと、間違っているんですけれど、そうです、私は少し間違えちゃったんです」

 レベッカはきっと、自分が何をしゃべっているのか分かっていない。

「そ、ソフティ王女、」ニッキィは勇気を出して声を出した。しかし声は震えていた。そして小さかった。だからもう一度言う。「ソフティ王女」

「はい」

 返事をしてくれたことにニッキィは感動して、両手で口を押えた。

「口を押さえていてはしゃべれませんよ」

ソフティはそう言ってニッキィの手を触った。ニッキィはゆっくりと手を膝の上に置いた。半開きになっている口をそのまま作動させる。「……あ、あの、どうしてここに?」

「いては、ダメなの?」

ニッキィは勢いよく首を何回も横に振った。「いいえ、そうではなくて、そういうわけではないんです、ただこのシチュエーションがよく分からなくて、」気付けばニッキィは涙を流していた。「そうなんです、よく分からなくて、よく分からないから不安なんです」

「ごめんね、うん、分かってる、」ソフティはニッキィの肩に手を置いた。そして優しく動かしてくれた。「……いえ、あなたが泣いている理由は分からないけれど、ただ、私は一番空高く飛んだ猫ちゃんたちの気球に乗ることに決めていたから、今夜はバルーン・フェスティバルよ」

「はい、よく分かりましたぁ、決めていたんですね、なるほどぉ、」ニッキィはボロボロと涙を零している。「ベッキィ、ありがとう、ベッキィのおかげだよ、ベッキィの火のおかげだよぉ」

「ありがとうは嬉しいけど、」レベッカはまだ困っている顔をしている。「それより涙を拭いてよ、ニッキィ」

「うん」ニッキィは袖で顔を拭った。

「よしよし、」ソフティは猫にそうするようにニッキィの頭を撫でた。「ねぇ、あなたはどうして泣いているの?」

「そ、そんなの恥ずかしくて言えませんよ!」ニッキィの声はしゃがれていた。

「驚いたのね、きっと、そうね、ビックリしちゃったんだ」

「当たり前じゃないですか」

「んふっ、可愛いね」

「魅力的ですか?」ニッキィは真剣な目をした。

「……え?」ソフティは質問の意味を量りかねている。

「ああ、すいません、変なこと聞いて」

「ううん、いいのよ、」ソフティは優しく微笑んで、それからゴンドラの縁に手を置いて夜空を見渡した。「それじゃあ、今から三人で、どこへ行こうか?」

 そう言われても、なかなかすぐに答えられる訳がなかった。

 頭の回転数を上げるために。

 今の赤く充血した目のニッキィには。

音楽のように小休止と言うものが、きっと必要なのだ。

「シガレロを吸わせてください、」ニッキィはポケットをまさぐりながら言った。「少し落ち着きたいんです、それから、考えるのは、それからにさせてください」

「奇遇だね、」ソフティはニッキィを見て微笑んだ。「私もあなたたちにシガレロを勧めようと思っていたの」

 ソフティは胸のポケットから二本のシガレロを取り出して、ニッキィとレベッカに渡した。

「……ありがとうございます、」レベッカは口に咥えて聞く。「……メーカは?」

「『マージナル』」

「聞いたことありません」言いながらレベッカは自分のシガレロに火を点けた。

「プライベイトブランドなんだ」

ニッキィはじーっとシガレロを無言で見ていた。一生の宝物にすべきか、それとも素敵な思い出にするか悩んだのだ。でも、結局、ただ吸いたいっていう衝動が一瞬灯って、口にソフティのくれたシガレロを咥えたのだ。「ベッキィ、お願い」

「うん」

 ニッキィのシガレロに火が点いた。

 肺に成分を注ぎ込む。

 そして、大きく煙を吐いた。

 だから今夜のバルーン・フェスティバルは、静かに終わりを迎えたのだ。



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