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【プロローグ 今夜はバルーンフェスティバルへ】①

 ニッキィ・サリヴァンはソファで寝ていた。それはベッドを買う余裕がないからだ。目を覚ましたのは、誰かがドアを叩く音によってである。ニッキィは目を擦りながら毛布を床に落とした。ニッキィが一人で寝ていた部屋はとても狭い。タンスと机とソファを置いたらダンスを踊ることは不可能なくらい狭い。その狭い空間にはあらゆるものが散らかっていた。ほとんどがニッキィの私物だが、その使用用途がハッキリしているものは少ない。一般的にガラクタと呼ばれるものだ。店の棚に並べれば骨董品になるかもしれない。いずれにせよ、実用的なものは見当たらない。今のニッキィにとって実用的なものと言えば、机の上のシガレロくらいだろうか。

 ドアを叩く音は続いている。

「ニッキィ! ねぇ、いるんでしょう?」

 レベッカだった。レベッカ・アームストロング。ニッキィよりも二つ年下で十五歳。

ニッキィはガラクタを踏まないようにつま先立ちで部屋の中を移動する。ニッキィは皺だらけの黒いシャツに黒いパンツという、露出の多い姿だった。しかし、ベビーフェイスに起伏のないなだらかな体型ゆえに全くセクシィじゃない。ニッキィは長い黒い髪をリボンで縛ってツインテールにする。机の上のシガレロの箱を手にして、口に咥えて、そして部屋の窓を開けた。

朝と呼ぶには遅い時間の風がニッキィのツインテールを揺らした。

ニッキィの大きい目に外の空気が触れる。

空気は昨日よりも僅かに暖かくなった。

季節は春に近づいている。

部屋はビルの四階にある。

四〇五号室。

それがニッキィの部屋。

そしてレベッカは、このビルのオーナの娘である。つまり、レベッカはお嬢様である。アームストロング家は王都ファーファルタウの上流階級にギリギリカテゴライズされるくらいの資産を保有しているのではないかとニッキィは推測している。

「ニッキィ、いーい、入るわよ、……本当にいないの?」ドアの鍵穴が少し騒いで、ノブが動いて、ドアが手前に開いた。「……なんだ、いるじゃん!」

 瞬間、ニッキィの咥えたシガレロに火が点いた。レベッカが苛立ちと一緒に魔法を編んだのである。簡単な火の魔法である。ニッキィは煙を窓の外に吐いて、極上のスマイルを作った。「へへぇ」

「何が、へへぇ、よ、」レベッカはブーツを履いている。だからガラクタをものともせずに、それらを部屋の隅に蹴りながら、ニッキィに近づいてくる。レベッカはニッキィを一見して睨んでいた。しかし、別段、何かあるわけではない。生まれつきなのだとレベッカはこれまでに何回もニッキィに説明していた。それから吊り目の他に特徴的なのはバラのように鮮やかな赤毛。そして赤い瞳。火の魔女が持つ特有の色素である。そしてレベッカは赤いドレスを着ていた。胸元の大きく開いたものだ。二歳も年下の癖にセクシィだ。「なんて格好してるの、スカートくらいはいたら?」

「何の用?」ニッキィは微笑んだまま煙を吐く。「家賃なら、昨日持っていったよね?」

「うん、今月と先月と先々月の分はまだだけどね」レベッカは言って机に腰かけた。

 ニッキィは灰皿にシガレロを押し付けて、腕を組んで上手い言い訳を考えるポーズをした。「えっとね、ベッキィ、やっと仕事が軌道に乗り出したんだ、一か月分の家賃を二か月で稼げるくらいに」

「餌はいつもこの私が、」レベッカはニッキィに顔を近づけて優しい目をした。「食べさせえてあげてるもんねぇ」

「ほんとに、もう、ベッキィには感謝してるよぉ、」ニッキィはわざとらしく瞳を潤ませて声のトーンを極端に高くして五指を組んだ。「ベッキィのこと、だぁい好き!」

「全く、なーに言ってんだか、」そう言いながらもレベッカは、肩くらいまで伸びた赤毛の髪を掻き上げながら上機嫌そうだった。「それに、今日は家賃の催促に来たわけじゃないよ」

「なーんだ、」ニッキィは声のトーンを戻して再びシガレロを咥えた。「ほい、ベッキィ、僕のシガレロに火を点けてくれる?」

「私はマッチかよ!」そう言いながらもレベッカはニッキィのシガレロに火を点けた。レベッカは生粋のお人好しである。こういう人種を大事にしたいとニッキィは思う。

「ああ、もう、お腹ペコペコだよぉ、」ニッキィは煙を吐きながら腹ペコのポーズをして空腹を訴える。「ベッキィ、今日はピザがいいな」

「ね、ニッキィはドレス持ってるの?」

「なーに、口説いてるの?」ニッキィは目を細めて言って煙をレベッカに向かって吐く。

「バカ言うな」レベッカはニッキィを睨んだ。

「その素敵なドレスと関係が?」

「え、うん、素敵って……、え、似合ってる?」レベッカは胸元を強調するようなポーズをした。

それは果たしてどういう意味だろうかとニッキィは首を傾げて微笑んだ。「うん、ドレスは素敵、でも、露出度が高過ぎ」

「なぁに、ニッキィ、心配なの?」レベッカは猫みたいに上目でニッキィを見る。

「それ、どーいう意味?」

「ニッキィだって」

「少し背伸びし過ぎじゃないかって言ってんの、セクシィだよ、でも、垢抜けてない」

ニッキィの感想にレベッカは頬を膨らませ、真っ赤な舌を出した。「ぶぅ、ニッキィだけには言われたくない、この、幼児体型!」

「あ、言ったなぁ、僕の方が年上なんだかんね」

「家賃、家賃、家賃!」

「……ごめんなさい」ニッキィは簡単に跪き頭を垂れた。

「よし、勝った!」レベッカは軽く握った拳を高く上げた。

「……で、なんなの?」ニッキィはソファに移動して深く座った。「ドレスって、パーティにでも連れてってくれるの?」

「その通り、いえ、フェスティバル」

「フェスティバル?」

レベッカは人差し指を立ててニッキィの隣に座る。体を密着させてきた。そしてニッキィの顔の前で二枚の紙切れを揺らした。「これが、その招待状です」

「見せて」

ニッキィは顔の前でゆらゆらするうちの一枚の紙を手にした。紙幣くらいの大きさで、紙幣よりもしっかりした緑色の厚紙。一般的に言えば招待状だ。文字はタイプライタで印字されている。「バルーン・フェスティバル……、なに、熱気球?」

「うん、熱気球のお祭り」レベッカは吊り目を細めてニッキィの何かを探っている。

「……僕たちは魔女でしょ、」ニッキィは詳細まで確認して招待状をレベッカに返す。「箒さえあれば、いつだって空を飛べるじゃないか、わざわざ、イリアナーズパークまで行って気球に乗るなんて、」

「馬鹿げてる?」レベッカは不機嫌そうに言う。

「そう、馬鹿げてる」

「ただ面倒くさいだけでしょ?」

「まあ、」ニッキィは微笑んだ。「そうとも言うね、それよりベッキィ、学校は、まだ学校の時間だよね、学校はどうしたの?」

レベッカはニッキィの質問を無視して言った。「ニッキィ、実はね、コレ、宮殿からの招待状なんだ」

「え?」ニッキィの目は輝いた。

「本当よ、宮殿からのお誘い、主催はソフティ王女、招待状には書いてないけど、一緒に届いた案内に、そう書いてあった、出席の際には魔女のお友達と一緒に二人で来るようにって」

「え、嘘、ねぇ、ベッキィ、ちょっと待ってよ、」ニッキィは勢いよく立ち上がった。興奮しているのだ。「ドレスなんてないよ、黒いのしか、黒いワンピースしかないよ、ああ、ベッキィ、今何時?」

「落ち着いて、学校はまだ放課後じゃないから」

 ニッキィはタンスを開けた。もちろんタンスの中身を確認したからってドレスがあるわけでもない。タンスの中身はパーカやトレーナ、ホットパンツなどカジュアルで、子供っぽいものばかりだ。唯一、フェスティバルで浮きそうにないのは、仕事着である黒いワンピースくらいだった。

「大丈夫だよ、ニッキィ、」レベッカはニッキィのコミカルな反応に上機嫌だった。「ちゃんと、用意してあるから」

「さすが、ベッキィ」ニッキィは五指を組んで猫みたいにレベッカに体を寄せた。


 魔女の本分は宮殿の魔女となり、王女に仕えること。

 コレは古い時代の考え方である。今もなお、宮殿の登用試験に多くの魔女が受験する。しかし、魔女の価値観は産業革命以来徐々に変化した。多くの魔女は宮殿に仕えることを目的とするのではなく、宮殿に仕えることによって得られる様々な権利を目的とするようになった。王女に忠誠を尽くし、王女の微笑みに、至高の喜びを見出す魔女らしい魔女は少なくなった。今現代、宮殿の魔女は、例えば許された魔法研究の成果によって、許された砂漠に潜む巨大なスコーピオンの討伐によって、許された宮殿でのビップな生活によって、喜びを見出していた。

 だから、ニッキィ・サリヴァンはこの時代では珍しい魔女だと言える。

 ニッキィは王女に仕えるため、本土から海を隔てたベルキャストの地から、三年前の十四歳の誕生日に初めて王都ファーファルタウにやってきた。そして毎年九月十六日に行われるイリアナーズパークで行われる登用試験を受けた。しかし当日の朝、熱が出た。四十度を超える熱だった。ニッキィは試験の途中で倒れた。もちろん、試験には落ちた。ニッキィは一昨年も、去年も、今年も熱を出した。登用試験を受けることの出来るのは十七歳まで。つまり、ニッキィはもう登用試験を受けられない。しかし、ニッキィは諦めていなかった。ニッキィはベルキャストに帰らず、部屋を借りて、キャブズの仕事をしながら虎視眈々と宮殿の魔女になる機会を狙っていた。キャブズというのは、人を箒に乗せて飛ぶ仕事である。呪われ、飛ぶことしか出来なくなった魔女がする仕事である。つまり、前科を持つ魔女がする仕事なので世間体は、悪くはないが、よくもない。しかし、ニッキィは他にお金を稼ぐ術を知らなかった。夢のためである。他人の評価は気にしなかった。

ニッキィはベルキァストにいる姉に手紙を送っている。宮殿の魔女になって、王女の親衛隊に抜擢され、熱が出るほどの素晴らしい人生を送っているとその手紙には嘘を書いた。姉を心配させたくはなかったし、ニッキィの覚悟の意味も、その手紙にはある。

 だからもう、ベルキャストには帰れない。

 夢を叶えるまで。

 ニッキィが慌てて、立ち上がったのには、そういう理由があった。

 ニッキィはレベッカに連れられてアームストロング邸を訪れた。その広い邸宅の庭には半世紀前の戦争で活躍したアームストロング砲が整列している。その砲口は揃って門の方を向いていた。弾が砲身にないのを知りながらも、身が竦んでしまう。いつでも飛び立てるように箒を握る手に力が入る。アームストロング砲はここを訪れるものを狙っているのだ。とても挑戦的な趣向だと、ここを訪れるたびにニッキィは思う。そして門の向こうには城壁に囲まれた宮殿がそびえている。アームストロング砲は宮殿も狙っているのだ。王家とアームストロング家には、少なからずそういう因縁がある。

「お帰りなさいませ、お嬢様、」扉を押して玄関ホールに入ると、レベッカ専属メイドのルミが手を前に組んで立っていた。「随分と、お早いお帰りで」

「ただいま」レベッカはルミと目を合わさずにニッキィの手を引いて足早にルミの横を通過する。

「お邪魔しまーす」ニッキィは無理に微笑んだ。

 ルミはニッキィを一瞥して、ニッキィの存在を無視するように、顔を逸らした。ルミはニッキィをよく思っていないのだ。お嬢様を不良に誘う悪い魔女。ルミはニッキィをそう評価しているのだろう。そしてルミは二階への階段を登るレベッカの背中に向かって声を投げた。「お嬢様、学校は一体全体どうなさったんですか?」

別にルミはレベッカを問い正すために追ってきたりはしなかった。

 レベッカはルミを完全に無視して二階のドレスルームにニッキィを案内した。ドレスルームの扉を閉めてレベッカは溜息と一緒に吐き出す。「ああ、面倒くさいっ!」

「ルミちゃんはベッキィのことを思って言ってるんだと思うよ、」ニッキィは心無い、ありきたりなことを言ってドレスを物色し始めた。「ああ、いいのあるじゃん、これなんてどう?」

 ニッキィはドレスを体に当ててレベッカに見せた。

レベッカは微笑んで言った。「うん、いいね」

「あ、でも、サイズが」

「ニッキィのサイズはこっちだよ、ほら」

広いドレスルームの奥の方にニッキィに合うサイズのドレスがハンガに掛けられていた。そのほとんどが、レベッカが四年前に着ていたものだった。悔しい感情がちょっぴり点灯したが、ニッキィはスマイルのままドレスを選んだ。白、赤、青、緑、黄色、シルバ、ゴールド、様々な色の、様々なスタイルのドレスがあったが、結局、黒のワンピース型に落ち着いた。仕事で使っているワンピースの生地を薄くして、ひらひらを多少増やした感じのものだ。気に入ったというわけではない。他の色だと、どうしても子供っぽくなるのだ。キャブズを始めたときも一緒だった。子供っぽく見られないように、黒を選んだのだ。

「いつもと変わらないじゃない、」鏡の前に立って回転するニッキィを見てレベッカは言った。「私とお揃いの赤にしようよ」

「似合うドレスを着ているだけ、」スカートの裾を摘まんで傅いてみる。王女の前で上手くできるだろうか。「等身大の人生、素敵だね」

「……口紅は?」鏡の前でメイクを直しながらレベッカは聞いた。

「頂戴」ニッキィは即答する。

「あれ、等身大の人生は?」口紅を渡しながらレベッカは微笑む。

「少しくらい背伸びさせて、」ニッキィは真剣に唇に色を塗る。「王女様が僕を見るかもしれないんだから」


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