お盆は死について考えることが多くなる
家族と夕食をしていたとき、隣の仏壇から少し気配を感じたので不意にそちらをみると仏壇のロウソクの火がゆらゆらと揺れているように思えた。
久しぶりの家族団らん
何年も前に亡くなったおじいちゃんもその光景で喜んでいるのだろう。
おじいちゃんは、たまに家族が留守の夜、「思う存分一人晩酌するぞ」と張り切り食事を終えるとあわただしく皿を洗い、お酒を一人で茶の間において飲むことが大好きだった。
しかし、その日は家族が帰省していていつもの晩酌よりずっと早く切り上げてしまうと話していた。私は「なんでなんだろうなあ」とおはぁちゃんに聞くとおばあちゃんは照れた顔つきで「恥ずかしいからと」やさしく頰を緩んだ。
子どもの頃は、なぜ「恥ずかしい」のか分からなかった。
しかし大人になってくるとその気持ちがよく分かる。
子どもに弱いところをみせたくないのは親として当然のことだ。
お盆期間中は死について深く考えることが多くなる。当時は死は怖いものだと思っていたが年齢を重ねるにつれ死というものに向き合いはじめるようになる。身近な人が徐々にいなくなり、「また会いたいな」との思いも増すからだろう。
村上春樹さんの小説「街とその不確かな壁」に、故人が生者と普通に日常会話を交わす世界が描かれている。そこでは、いつでも誰でも故人に会えるわけではないが、ふいに生前と同じように故人が立ち現れ、話すこともできる。
お盆。死んだ親戚や家族が、集まる日。ロウソクの火が揺れる心はどんな様子で誰に伝えたいのだろう。
いつか、私も分かる日が来るか。




