婚約破棄された公爵令嬢は夢で見た青い花が咲く丘に立つ
数多くの作品から目に留めていただき、ありがとうございます。
私がその夢を見るようになったのはいつ頃からだっただろう?
見渡す限り青い花が咲いている丘がある。花弁が微風に揺れて、波のようにさざめいている。私はその中に足を踏み入れる、横には黒髪の男性が私の手をしっかり握ってくれている。
とても懐かしい感じがする、行ったことがあるような気がする場所だった。夢の中の私はその男性になにか言おうとしていた。
しかし声にならない。
「聞いているのか!」
ウィルバーの大きな声に私はハッと我に返った。一瞬、バカバカしい現実から目を背けてトリップしていたのだ。
今は王立学園卒業パーティーの最中、婚約者のウィルバー王太子殿下が私に冷たい目を向けている。
「フィオナ・ホランダイト、お前との婚約を破棄すると言ったのだぞ!」
私の反応が薄かったのでウィルバーはもう一度言った。
私はホランダイト公爵家の長女フィオナ、王立学園で優秀な成績を収めて昨日卒業を迎えた十八歳。銀髪にフォレストグリーンの瞳で整った容姿をしているが、他人には冷たい印象を与えてしまうようだ。
ウィルバーは金髪碧眼で甘いマスクの美男、その腕にぶら下っているのは異母妹のルテルナだった。フワフワしたハニーブロンドに桃色の瞳の庇護欲をそそる可愛らしい少女だ、中身は別にして……。
五年前、母が亡くなってすぐに父は後妻を迎えた。母が存命中から囲っていた愛人で、一歳年下の異母妹ルテルナがいた。もうずいぶん前から愛人がいたと言うことになる。母は知っていたのだろうか?
なにも知らなかった私と、六歳年上の兄ディーノはショックを受けた。
私は既に王太子殿下の婚約者と言う立場だったので、表立ってイジメはなかったが、兄が結婚して領地運営を学ぶために公爵領へ引っ込んでからは、私はタウンハウスで冷遇された。義母が使用人たちに私を無視するように命令して、私が孤立するように仕向けたのだ。
会場に水を打ったような沈黙が落ちる。ダンスに興じていた生徒たちがステップを止める。音楽も鳴り止んでいた。その中にウィルバーの声だけが響く。
「俺は真実の愛に出会ってしまったのだ。この気持ちを偽ることは出来ない」
どこかで聞いたようなセリフだわね。ルテルナは勝ち誇ったような笑みを向けているけが、彼女が引き受けてくれるならリボンをつけて進呈するから、早くこの茶番を終わらせてほしいものだわ。
「ゴメンなさい、お異母姉様、でも私はウィルバー殿下を愛してしまったのよ、お異母姉様のお怒りを買うのはわかっていますが、どのような仕打ちを受けても気持ちに嘘はつけないの」
ルテルナは自分こそが悲劇にヒロインのように目を潤ませながら言う。私は怒ったりしないわ、それよりいつも嘘ばかりつくあなたがよく言えるわねと呆れているのよ。
「俺だって同じだ、冷たいお前と違い、ルテルナは優しく癒しを与えてくれる、俺にはルテルナのような心温かい女性が必要だ」
彼女の腰を抱き寄せる。はいはい、見事に騙されているのね。そんな人が王太子ではこの国の未来が心配だわ?
「お前は豊穣の加護を持っていると王家を謀り、六年間も俺の婚約者の座に胡坐をかいた上、俺の心がルテルナに移ったと知って嫉妬し、家では酷い仕打ちをして虐げているそうじゃないか。その罪は許されるものではない! よってお前を王都から追放する!」
豊穣の加護を持つ者、それはこの国にとって極めて重要な存在だ。
その昔、千年ほど前、フィレッティはひび割れて痩せた土地ばかりだったが、豊穣の加護を持つ少女が現れて、その力で土壌を豊かにして実りをもたらした。それがフィレッティ王国の起源だ。その後も豊穣の加護を持つ女性が節目節目で現れて、国の危機を救ったと歴史に刻まれている。
神聖力を持つ神官長が、私に加護が備わっている宣言したのは十一歳の時だった。だが、まだ具体的に力の顕現はない。それでも加護を持ち将来その力を使える可能性があるのなら、王家は囲い込みたくて、翌年十二歳の時、私を同い年の王太子ウィルバーの婚約者にした。
それから六年、まだ力は現れない。ここ三十年程は徐々に農作物の収穫量が減ってきている事実に直面しており、豊穣の加護が弱まっているからだと心配されていた。故に王家も、宣言した神官長も、そして父ホランダイト公爵も私が加護の力を顕現させないからだと責める。
神官長の元で内に秘めた力を表に出す修行をしたが、一向に効果はない。神官長は高齢の優しいおじいさんって感じの方で、一生懸命指導してくださるが、いまいちピンとこないし、力が漲る感覚が掴めないので申し訳ない気持ちになる。
『あなたが豊穣の加護を持っているのは間違いない。フィレッティ王国の地が衰えを見せ始めている今こそ、その力で土壌を豊かにしなければならないのに、どうしたものか……。なにか心に痞えがあるのだろう。それを取り除かなければならないのだがそれがなにかあなた自身にもわからないのか』
神官長は頭を抱える。
私がそんな状況だから、ウィルバーは婚約破棄をしても許されると思ったのだろう。嫉妬? ウィルバーを慕っているわけじゃないのにありえない。ルテルナを虐げる? それこそあり得ない。加護を持っていると判定したのは教会なのだから、私が王家を謀っているなんて言いがかりだ。罪に問われる謂れなどないが、ウィルバーになにを言っても無駄だ。
「婚約破棄、承知いたしました。早速王都から去らせていただきます」
私はくるりと踵を返して立ち去った。
* * *
ホランダイト公爵家のタウンハウスへ戻るとすぐに私は邸から追い出された。
もう夕闇が迫る時刻だ。こんな時間に公爵令嬢を身一つで外に出すなど普通では考えられない暴挙だが、義母は普通ではない。王太子の婚約者という立場が無くなった今の私なら、どのような仕打ちをしてもかまわない、自分の娘が将来の王妃、王妃の母親ならなにをしても咎められることはないと思っているのだろう。
父は仕事で不在だった。父がいれば婚約破棄されたことへの叱責はあってもすぐに追い出すような仕打ちはしなかっただろうが、今、邸を掌握しているのは義母で、使用人たちは口出しできなかった。
最後に邸を振り返る、もう二度とここへは戻らないだろう。ここには亡き母との思い出が詰まっている、母が自慢にしていた美しい庭園は闇に沈んでいて、残念ながら見納めることが出来なかった。
身に付けている宝飾品を売ればなんとか旅費くらいになる、兄ディーノがいるホランダイト公爵領まで行けば、保護してもらえるだろう。しかし公爵領までは馬車で二週間かかる、護衛も無しで無事にたどり着けるか自信がなかったが行くしかない。
「お嬢様!」
その時、歩き出した私を馬で追いかけて来る騎士の姿がいた。
私を見捨てないでくれる人がいた、トーリンは私の身を心配した兄が専属の護衛として残していった騎士だ。
トーリンは私をヒョイと抱き上げて馬に乗せた。
「申し訳ありません、急なことだったので馬車は用意できませんでした。騎馬での旅になりますが、我慢してください」
トーリン・アルバースはダークブロンドにコバルトブルーの瞳の二十三歳、伯爵令息なのだが、十三歳で実家から出て騎士学校の寄宿舎に入ってからはほぼ絶縁状態らしい。そんな彼を先輩だったディーノ兄様が見込んで、ホランダイト公爵家の私設騎士団に勧誘した。
心細かった私は彼が来てくれて目頭が熱くなるくらい嬉しかったし、彼に抱き着いて泣きたかったが、残念ながら前に乗せられたので、私の背後にいる彼に手を回すことは出来なかった。
* * *
「なんで私が結婚しなきゃならないのよ!」
私は泣き叫んでいた。
今の私ではない、これは前世の記憶のようだ。
前世の私はエリザベートと言う名前だったようだ。彼女の姉は知り合った旅人と電撃的な恋に落ちて彼と共に去った。それは姉の結婚式の一週間前だった。
姉は伯爵家の後継ぎ、寄り親の侯爵家の三男を婿に迎えることになっていた。彼は王宮で上級文官を務める二十八歳、継ぐ爵位が無いので結婚せずに王宮で働いていたが、真面目で優秀だった彼を見込んで是非婿にと望んで調った縁談だった。
エリザベートは伯爵家の次女、十六歳になったばかりの少女で、隣の領地の伯爵家の嫡男と婚約していた。彼とは同い年の幼馴染で愛し合っていた。しかし、その彼の家も侯爵家の寄り子、婚約はアッサリ白紙に戻されて、私が代わりに姉の婚約者と結婚することになったのだ。
「お姉様は勝手すぎるわ! 私には婚約者がいるのよ、彼を愛しているのよ!」
一回り上の二十八歳の男性は、十六歳の少女だったエリザベートから見れば立派なオジサン、受け入れられるわけがなかったが、親に逆らうことも許されなかった。
目を真っ赤に腫らして結婚式に現れたエリザベートを見て、相手も驚いていた。しかし彼も婿入りが決まり、王宮の仕事を辞めてこちらに来ている。今更結婚しないわけにはいかなかった。
私は旅に出てから、よくこのような夢を見るようになった。
妙にリアルで、別の人物だった時の記憶が甦る。今の自分と前世の自分の記憶が混じって変な気分だった。
「また眠れなかったのですか?」
不覚にも大きなあくびをしてしまった私を見てトーリンが心配そうに言った。
「なんか妙にリアルな夢を見るの、夢の中の私は望まない結婚を強いられたのよ、愛していない人に嫁がなければならなかったの。本当にそこに居るみたいな不思議な夢だからずっと起きているような気がして」
あれが前世の記憶だとすると、青い花が咲く丘にいる男性は誰なのかしら? 結ばれなかった幼馴染の婚約者? もしかしたら、私のように前世の記憶を持っている彼の生まれ変わりと再会するのかしら? それならずごくロマンチック! ……だけど、そんなふうに考えながらも、トーリンの姿を浮かべている自分がいることにも気付いていた。
旅に出てからトーリンと話をする機会が増えて距離が縮まった。一緒に騎乗しているのだから物理的にもゼロ距離だ。傍にいて安心できる人、私は彼に惹かれる心を止めることが出来ない。まだ会えぬ夢の中に人よりもずっと……。
ウィルバーたちのことを責める資格はないのかも知れない。トーリンへの思いは昨日今日に始まったものではない、ずっと秘めていたけど、心の中ではとっくに浮気していたんだわ。
「でも、貴族の結婚なんて政略が多いでしょうから、愛のない結婚は珍しくはないでしょ」
「そうね、実際私もこの間まではそうなる予定だったしね」
でも最初からそうだったわけではない、ウィルバーは私を婚約者として大事にしてくれていた。定期的なお茶会に、誕生日プレゼント、パーティーでのエスコートもちゃんとしてくれていたし、将来は仲の良い夫婦になれたらいいと思っていたのに……。いつからすれ違うようになったのか思い出せない。
「私のなにが悪かったのかしら」
思わずつぶやいてしまった。
「王太子殿下に未練があるのですか?」
「それはないけど、(全くない!!)婚約した当初は優しかったのよ、いつから疎まれるようになったのかしらね」
「そんなのわかっているじゃないですか、ルテルナ嬢が得意の嘘泣きであなたの悪口を吹き込んだのでしょ、ディーノ様がそう言っていました」
兄はルテルナの本性を見抜いているから嘘泣きには騙されない。
「そうだとしても、ウィルバー殿下は私よりルテルナの言葉を信じたってことでしょ、私ってそんなに信用なかったのかしら」
「妄言に騙される方が愚かなんですよ、あなたはなにも悪くない」
「トーリン」
振り向くと彼の顔がすぐそばにあり、目が合った瞬間、カッと頬が熱くなる。
「ディーノ様から聞いています、ルテルナ嬢はあなたのモノをなんでも欲しがる、横取りしなければ気が済まない人だと」
トーリンは私の熱に気付かないふりをして平気な顔で続けた。でも、耳が赤くなっているのは見逃さないわよ、五歳も年上のわりには純情なんだから……もう少し押せば、女性として意識してもらえるかしら? 婚約破棄されたばかりなのに不謹慎かしら?
「ルテルナにはいろんなものを奪われたけど、あなただけは奪われなかったわ、知ってた? あなたを自分の護衛にしてほしいとお父様に頼んでいたこと」
「ええ、公爵に言われましたけど断りました。ディーノ様にくれぐれもあなたを頼むと言われていますからね。公爵もディーノ様とは揉めたくなかったようです」
兄の命令でトーリンは私の傍にいてくれる。護衛騎士としての仕事なのだ。そう考え直すと、さっき一瞬でも邪な考えをした自分が恥ずかしくなった。
「そう言えば、ホランダイト公爵領へ行く途中、アルバース伯爵領の近くを通るでしょ、ちょっと寄り道しましょう、ひいお祖父様に会いたいと言ってたでしょ」
胡麻を擂るわけではないが、トーリンのためになにかしたくて、ふと思いついた。
「いいのですか! ありがとうございます」
トーリンはアルバース伯爵家の正当な後継者だ。しかし、十一年前、母親と先代の伯爵夫妻が同乗していた馬車の事故で亡くなった途端、入り婿だった父親は図々しくも長年囲っていた愛人と再婚した。二人の間にはトーリンより六歳年下の息子エーリヒがいた。我が家の状況と似ていると、私は勝手に親近感を持っていた。
後妻に邪魔者扱いされて虐められる先妻の子供、よくある話だ。
当時十二歳のトーリンになす術はなかっただろう。
見兼ねた先々代の曽祖父が彼を騎士学校の寄宿舎に入れてくれたそうだ。
トーリンは寄宿舎に入って以来、実家に戻っていないそうだ。曽祖父とは手紙でやり取りしているらしいが、父親の方とは絶縁状態で、アルバース伯爵家がどうなっているか知らないらしい。伯爵家は異母弟のエーリヒが継ぐのではないかと呑気に言っているが、アルバース家の血を引いていない異母弟が跡を継ぐなんて簒奪に他ならない。
悔しくはないのだろうか? と思うが、本人は興味がなさそうだ。
「故郷にも伯爵位にも興味はありません、ただ、俺のことを心配してくれている曽祖父には会いたいですね、もう十年も戻っていませんから」
「ひいお祖父様はご健勝なの?」
「手紙ではピンピンしていると書いていますが、本当のところはどうでしょうか、八十を過ぎていますからね、俺の身内はもう曽祖父だけみたいなものですから長生きしてほしいし、できれば最期は傍にいたいです」
トーリンは寂しそうに目を伏せた。きっと年老いたひいお祖父様が心配なのだろう。それなら寄り道したついでにホランダイト公爵領へお連れしてもいいんじゃないかしら? そうだわ、そうしましょう、ひいお祖父様に会ったら申し出てみましょう。
* * *
姉の代わりに結婚式を終えた初夜、彼は震えているエリザベートに言った。
「俺も驚いているんだよ、やむを得ない事情で結婚相手が変わると聞いてはいたが、まさか君のような子供だとは思ってもいなかった。君からすれば十二歳も年上の俺はオヤジだもんな。それに君には幼馴染の婚約者がいたんだってね、……辛かったろ、無理に別れさせられて」
また涙が溢れた。
「すぐには受け入れられないだろう、落ち着くまで待つよ、君がいいと言うまで触れないから安心して」
彼は幼い子供を寝かしつけるように寄り添ってくれた。
彼は優しかった。
彼もまた被害者だったのだ。
「優しい人だったの、彼は悪くない、彼だって被害者なの」
「えっ?」
トーリンには夢で見る前世の記憶の話をしていたが、なにぶん夢は断片的で、最初からちゃんと筋立てがあるわけじゃない。あの青い花が咲く丘の場面だって、結婚前か後かも定かではない。
「彼も直前で花嫁が変わって驚いていたの」
「ああ、また夢を見たのですね、でもそれはよくある話ですよ、姉の代わりに妹が嫁ぐ、うちの曽祖父もそうだったらしいですよ、本当は姉の方と結婚する予定だったのが、妹に変わったって」
「そうなの、よくある話なの?」
「お嬢様だってそうでしょ、妹に取って代わられたじゃないですか」
「あれは略奪されたんだけどね」
「曽祖父は姉に逃げられたと言ってましたね」
逃げた……? ほんと似た話はあるものだ。
「ひいお祖父様たちはその結婚を受け入れられたのかしら?」
「そうじゃないですか、でなきゃ俺は存在しないでしょ」
「確かに」
最初は不本意でも、結婚してから芽生える愛もある。トーリンの曽祖父母はそうだったのだろう。
* * *
私たちはトーリンの故郷、アルバース伯爵領へ到着した。
トーリンが先触れを出していたので私は手厚い歓迎を受けた。王都から追放されたことは伏せてある。ホランダイト公爵領はここから近いので、これを機に繋がりを持てば、なにか恩恵があると思っているのだろうか、アルバース伯爵のロランは揉み手をして媚びへつらった。トーリンの実父とは思えない軽薄そうな男だわ。
ちょうどお昼時だったので、昼食の食卓には豪華な料理が並んだ。トーリンの席も一応用意されていが、彼はすこぶる居心地悪そうだった。
「ひいお祖父様は?」
食卓にはまだ曽祖父の姿がなかった。
「あら、言ってなかった? ライオネル様はこの邸にはいらっしゃらないわよ、妻との思い出の場所に住むとおっしゃってたわ」
後妻のグレーテが言った。一目でわかる、我がホランダイト公爵家の後妻と同じタイプの人間だ。
「なんですって! 高齢の曽祖父を追い出したんですか!」
トーリンは憤慨して立ち上がった。
「人聞きの悪いことを言うな、ライオネル殿は自分から出て行ったんだ、ちゃんと従者をつけてあるから心配ない」
ロランは平気な顔をして食事を続けていた。
「あとで案内させる、せっかくの食事が冷めてしまうぞ」
ここへ立ち寄った目的は曽祖父に会うためだ。彼がいないのなら、こんなところでのんびり食事などしたくなかったのだろうが、トーリンは仕方なく席に着いた。
「まったく、相変わらずすぐ感情的になる情けない奴だなぁ」
ロラン伯爵は吐き捨てるように言う。トーリンはいつだって冷静よ、年老いた曽祖父を心配するのは当たり前じゃない、長男を追い出すような家だもの。
「こんな男でも役に立っておりますかな」
なんか嫌味な言い方だわ。
「ええ、とても優秀ですわよ、次期公爵である兄が特別に目をかけて勧誘したくらいですもの。いずれは伯爵家を継ぐためにこちらへ戻られるでしょうから、手放すのが惜しいと言っていますわ」
「トーリンは騎士になることを希望して家を出たのですから、伯爵家を継ぐのは弟のエーリヒですよ」
いやいや、出ざるを得なくなるように追い詰めたのでしょ。私は継子イジメをした性悪グレーテに視線を流した。
「それは変ですね。公爵家で雇い入れる時、身元は調べさせていただきました。アルバース伯爵家の血を引いているのはトーリン様だけ、跡継ぎの資格があるのは彼だけですわ。婿養子であるあなたの息子が跡を継ぐことは出来ませんよ」
余計なお世話なのはわかっている。でも、この人たちのトーリンに対する態度を見ていたら、無性に腹が立ってきて言わずにはいられなくなった。
「その心配はご無用ですわ、エーリヒはアルバース家の血を引く正統な後継者です」
後妻のグレーテが自信満々に言った。どういうこと?
「確かに夫は婿養子ですが、私の祖母がアルバース家の娘だったのです」
「えっ?」
そんな繋がりがあったとは新情報だ。この女、最初からそのつもりで愛人になったのかしら?
「事情があって家を出ましたが、アルバース家の長女だったことは間違いありません。教会で血の証明を受けてもかまいません」
「あなたのお祖母様と言うことは、俺の曽祖母の姉と言うことですか?」
トーリンも初めて聞いたようで、眉を寄せながら尋ねた。ちょっと余計なお世話を言っただけのつもりなのに、えらく込み入った話になってしまった。
「ええ、そうよ」
「その方なら、家を捨てて出て行ったと曽祖父から聞いていますよ、だから除籍されたと」
「ライオネル様も自分に都合の悪いことは隠すのですね、私は母からちゃんと真実を聞いていますわよ」
グレーテはこの上なく意地悪い笑みを浮かべた。
「当時、私の祖母はライオネル様の婚約者だったのです。それを妹に横恋慕されて奪われた上、冤罪をかけられて家から追い出されたそうです。妹、つまりはあなたの曽祖母は、姉のモノをなんでも奪う卑しい人だったとか、ライオネル様も若い妹に乗り換えるなんて酷い方だわ」
そういう話は有りがちだが、二人の話は食い違っていますね。
「曽祖父から聞いている話とは違いますね、曽祖母の姉は旅人と恋に落ちて、伯爵家を捨てて駆け落ちしたのですよ。それでやむなく曽祖母が姉の婚約者だった曽祖父と急遽代わりに結婚することになったのです」
「まあ! そんな嘘を吹き込まれているね」
「曽祖父は嘘などつきません!」
ちょっと待って、この話は……。二人の口論を聞いて、こめかみに冷たい汗がツツッっと流れた。いつも私が見る前世の記憶の夢と同じじゃないの? よくある話のレベルじゃない。
「嘘ですわ、ライオネル様とエリザベートは私の祖母を追い出してこの家を乗っ取ったのよ」
「エリザベート……」
私は頭をガツンと殴られたようなショックを受けた。
姉の婚約者と代わりに結婚したエリザベート?
夢の話と同じ、名前まで同じって……。
今から思えば、私が不思議な夢を見るようになったのは、トーリンが私の護衛騎士になった頃からだわ。今回、旅に出て、彼との距離が近づくとよりリアルな夢を見るようになったわ。彼との因縁が前世の記憶を呼び覚ましたと考えれば……。
私がここへ来た意味は……。
私は思わず立ち上がった。
「お嬢様?」
確かめなければ!
「ライオネル様に会わなければ!」
「どうしたんです、急に」
私は出口に向かった。
「お嬢様!」
* * *
ここへ立ち寄ったのは私の思い付きじゃなかったの? 私はトーリンにひいお祖父様と会わせてあげたかっただけだったんだけど。会いたかったのは前世の私、エリザベートだったの?
「どこへ行くつもりです」
トーリンは当然私を追いかけてくる。
「だから、ライオネル様に会わなければ、確かめなければ」
「確かめるってなにを?」
ちょっと待って、あの夢に出てくる私がエリザベートってことは、私の前世はトーリンの曽祖母ってことになる。
いやぁぁ!! そんなのどう考えても嫌よ、トーリンが私の曽孫だなんて言えない。
「そ、それは、伯爵夫人の言ったことが真実かどうか確かめるってことよ」
苦しい言い訳をした。
私たちはライオネル様が住んでいると言う別宅に向かった。
そこには懐かしい風景が広がっていた。
この丘だわ!
見渡す限り青い花が咲いていた。しかし今はただの荒れ地だ、花はどこにも咲いていない。
「でも、この場所だわ、夢で見た場所だわ」
私について来たトーリンは首を捻る。
「でも青い花はどこにも咲いていませんよ」
そうなのだ、花はないけどそよぐ風の匂いが記憶を呼び起こす。
私はかつてここにいた、やはり私はエリザベートの生まれ変わりなのだ。
その時、丘の中腹にある小さな小屋から、腰の曲がった白髪の老人が出てきた。
「ひいお祖父様!」
そう呼ばれた老人はすぐに私たちに気付いた。
「トーリンか?」
「なんでこんなところに?」
「少しでも妻との思い出がある場所で最期を迎えたいと思ってな、小屋を建てた」
確かに手作り感満載の小さな小屋だった。
「それにしてもお前、大きくなって、立派になって」
ライオネル様はトーリンを見あげて涙ぐんだ。
「思い出の場所って?」
「よくここに来ていたんだ、昔は一面ネモフィラが咲いていてな、綺麗な丘だったんだ」
「ネモフィラって青い花」
この人だ。
今はすっかり白髪になっているが、黒髪の男性は若き日のライオネル様だと直感した。エリザベートがこの丘で一緒に過ごしたのはライオネル様だ。別れさせられた幼馴染の元婚約者でもなく、その生まれ変わりでもない。
そして、夢の中でなにかを言おうとしていた相手はこの人だ。
「このお嬢様はどなたかな?」
トーリンの横で茫然と立ち尽くしている私を見て、ライオネル様は優しく目を細めた。
ライオネル様は誠実で優しい人だった。エリザベートはとっくに彼を愛していたのだ。でも、始まりが最悪だったから、意地を張ってなかなか口に出来なかった。不慮の事故で死んでしまったから、言い残すチャンスもなかった。
「あなたを愛していました」
私はいきなりそう口走っていた。
「ずっと、そう言いたかった」
とめどなく溢れる涙、自分はなにをしているのだろう、初めて会った老人に愛していると告白して、淑女らしからぬ人前での大泣き、なにがなんだからわからないまま立ち尽くす。
ライオネル様は面食らったが、すぐに目の前で泣いている見知らぬ令嬢の頬にそっとハンカチを当てた。
彼にはわかったのだろうか? 私がエリザベートの生まれ変わりだと。
「私も愛していたよ、エリザベート、私は君と過ごせて幸せだったよ」
見上げるとコバルトブルーに瞳が私を見下ろしていた。私はその胸にコテンと額を預けた。
「私も幸せだった、この丘であなたと幼い息子と過ごした日々が一番幸せだった、ありがとうって言いたかったの」
そうだ、エリザベートだった頃は幸せだったのだ。この地で彼と過ごし、可愛い息子を授かり、三人でピクニックをした。
その時はこの丘一面にネモフィラが咲いていた。青い花が微風に揺れて、波のようにさざめいていた。
そう思った瞬間、足元に小さな青い花が一凛、開いた。
いつの間に枯れた地から芽を出したのだろう? あっという間に成長して、私たちが立っている場所から円を描くように広がり、丘一面を青い花で覆いつくした。
それは豊穣の加護が顕現した瞬間だった。
夢で見た青い花が咲く丘。
そして、愛する人。
黒髪じゃなくて、白髪で皺だらけの顔だけど、その笑顔はあの時のまま。
「私はこのためにここへ来たのね」
それがわかった瞬間、全身から力が抜けた。
崩れ落ちる私を老人には受け止められないわよね。
「トーリン!」
でも、ライオネル様が呼ぶまでもなくトーリンは駆けつけて私を抱き留めてくれたようだ。
* * *
私はそれから三日間眠り続けたらしい。
もちろん医師に診察をしてもらったそうだが、特に異常はみられなかったと後で聞かされた。私はただ眠り続けていた。
ライオネル様の小屋に滞在して、トーリンがずっと付き添ってくれていたらしい。
その頃、遠く離れた王都で大騒動になっていることなど知らずに……。
四日目の朝、やっと目を覚ました。
「お嬢様!」
私はトーリンに抱きしめられて、再び気を失いそうになった。心臓がドキドキして体温が急上昇する。恥ずかしさに声も出せない。
「三日間、トーリンはずっと付き添っていたんですよ」
ライオネル様が言った。
「当然でしょ、お嬢様になにかあったら、俺は……」
私を抱き締めるトーリンの手は微かに震えていた。本当に心配してくれたのだろう。
「もう、大丈夫ですか、辛いところはありませんか?」
「ええ、少しだるいだけ」
見上げた彼の顔は、目の下にクマが出来ていた。
「本当に良かった、お嬢様があのまま目覚めなければどうしようと生きた心地がしませんでした」
トーリンはまた私をギュッと抱きしめた。
私は抱きしめられるままに身を任せた。彼の体温が伝わって気持ちまで温かくなる。
「なんだか、長い夢を見ていたような気がするけど……。ところで、ここはどこ? 私はなぜ三日も眠っていたの?」
私は倒れた日の記憶を失っていた。
思い出せなかった。
王都から追放を言い渡されて、ホランダイト公爵領を目指す途中で、アルバース伯爵領に寄り道したのは覚えていたが、邸に到着した頃からの記憶がない。アルバース伯爵家の人たちと昼食を共にした記憶も、その時の話の内容も抜け落ちていた。
私はライオネル様に会うなり〝あなたを愛していました〟と言ったらしい。
私から前世の夢の話を断片的に聞いていたトーリンは、私がエリザベートでその記憶が甦って、衝動的にそう言わせたのではないかと推察した。
その時、不思議なことに荒れ地だった丘がネモフィラ畑に変貌したらしい。
前世の夢を見ていた記憶も欠落していた。青い花が咲く丘の夢も記憶から無くなっている。でも……なんか胸の痞えがとれたような清々しい気分だった。
「ディーノ様に鳩を飛ばして知らせましたから、そろそろお迎えが来る頃です、馬車でゆっくりホランダイト公爵領へ向かいましょう」
「あら残念、トーリンとの相乗り、気に入ってたのに」
「お望みならそうしますよ」
なんて言いながらも、トーリンは後で私を抱き締めたことを謝った。婚姻前のご令嬢に触れるなんて、してはならないことだ、どのような処分も受けると言ったので、
「じゃあ、あなたがもらってくれる?」
と言うと、
「揶揄わないでください」
スンとした顔で言ったが、また耳が赤くなっていたのは見逃さなかった。
揶揄ったわけじゃないんだけどな。
しかし兄より先に王都から騎士団を伴う神官長が大挙してやって来た。
丘一面にネモフィラが開花した瞬間が、私の豊穣の加護が顕現した瞬間だったらしい。自覚はなかったのだが、あの丘を青い花畑にしたのは私の力だったようだ。それを神官長の神聖力がキャッチした。急に力を使ったから、反動で気を失ったと考えられる。
『豊穣の加護が発動した!!』
彼の叫びは国を挙げての一大事。
しかし、肝心の私は王都にいない。
それを知った神官長は慌てて追ってきたそうだ。
そして青い花が咲く丘を見て感動の涙を流した。
「おお、この場所こそ聖地だ!」
教会で最高の地位と権威を持つ神官長の言葉がアルバース伯爵領を変えることになる。
「フィオナ嬢が豊穣の加護の力を顕現出来なかった心の閊えは、王太子殿下のとの婚約にあったのですね、浮気をするような不誠実な方があなたの憂いの元だった、婚約破棄されて自由になったから、豊穣の加護の力が解放されたのですね」
勝手な解釈を始めた。
私はそれに乗っかって、
「そればかりではありません、王都では意地悪な義母と異母妹に虐げられ、無関心で見て見ぬふりをする父、義母の指示で冷遇する使用人たちに囲まれ、毎日が辛くて辛くて」
大袈裟に涙を浮かべる、ちょっとルテルナの真似をしたわ。
「トーリンがここまで連れて来てくれたのです、彼だけはずっと私の味方で寄り添ってくれました」
「そうですか、長年仕えてくれていた護衛騎士殿との間に愛が芽生えたのですね、それがこの地だったのですね」
いやいや、それは飛躍しすぎ、芽生えてないし。
そんな事実はないが、私たちが口を挟む余地もなく、舞い上がっている神官長は勝手にそう決めつけた。神官長は見かけによらずロマンチストだった。
事実は異なる。
私の心の閊えとは、エリザベートがライオネル様に言えなかったことだったと思う。転生しても前世の後悔が心の閊えとして残り、神聖な力の発動を妨げていたのだろう。
私はライオネル様にあの言葉を告げるためにここへ来たのだ。
そう考えると、トーリンと私には深い縁があったのだ。
「ここに教会を建てましょう、王都に帰る必要はありません、あなたの強い祈りはこの地からでも全土に届くでしょう、ここで愛する人と幸せに暮らして下さい」
神官長が言った。
* * *
それからは教会の主導でトントン拍子に、と言うか強引に進められた。アッという間に丘の上に教会の建設が始まった。
アルバース伯爵家の正当な後継者はトーリンと決定した。そればかりか、ロランたちの長年にわたる脱税が発覚して逮捕されたため、急遽トーリンが爵位を継承することになった。領地運営の方は高齢ながらまだ矍鑠としているライオネル様が復帰して、トーリンを指導することになった。
まだ未成年の異母弟エーリヒはホランダイト公爵家の騎士団に引き取られて、ディーノ兄様が根性を叩き直すと言っている。
大きな教会が出来ることでアルバース伯爵領は今後、様々な人が訪れて発展を遂げるだろう。
その頃、王都では、王命を勝手に反故にして私との婚約を破棄したウィルバーが廃太子となった。臣籍降下して子爵位と北の果ての鉱山がある領地を賜り、ルテルナと共に追いやられることになった。真実の愛で結ばれた二人だから離れられないわよね。ちなみにその地には豊穣の加護が受けられるような農地はない。
そして私を冷遇していた上、邸から放り出した義母ホランダイト公爵夫人は修道院送りに、後妻とその娘ルテルナの横暴を止められなかった父は引退を余儀なくされて、ディーノ兄様が公爵家を継ぐことになった。父は公爵領の片隅の別邸で余生を過ごすことになる。
神官長の思い込みを否定しないまま〝愛し合う二人〟にされてしまったトーリンと私だが、彼に告白されたわけじゃないし、これからのことを話し合っていなかった。
彼はなにも言ってくれない、私の気持ちも宙ぶらりんのまま、悶々としながら時間だけが流れた。
「お前たち、いつの間にそんな関係になったんだ?」
王都へ向かう途中、アルバース伯爵領に立ち寄ったディーノ兄様がトーリンと私に生温かい目を向ける。
「結婚式はどこで挙げる予定だ? 王都へは戻りたくないんだろ? ならホランダイト公爵領か? それとも建設中のここの教会か?」
矢継ぎ早に質問を浴びせる。兄は私たちのことをとても喜んでくれていた。
「お前とウィルバー殿下の破局は目に見えていたからな、トーリンをお前の傍に置いて正解だったよ」
最初からこうなることを予想していたのか?
「うちの奥様が結婚式の準備を手伝いたいと今から張り切っているんだよ」
いやいや、そう言われても、まだプロポーズもされていないし。
チラッとトーリンを見やると、なんとなく複雑な表情をしている。どんどん外堀を埋められて、彼も困っているのだろう。
この結婚は彼の本意ではないのかも知れない。
「家格が上のお嬢様がなにもおっしゃらないから、流されるままにこんなことになってしまいましたが、このままじゃダメですね」
ネモフィラが一面に咲いている丘、花弁が微風に揺れて、波のようにさざめいているのを見ながらトーリンは遠慮がちに言った。
「家格……そんなことを気にしてなにも言えなかったの?」
「気にしますよ、公爵家のご令嬢と言うだけではなく、豊穣の加護を持つ、我が国にとって重要な方です、俺なんかが相応しいはずないんです。……でも」
トーリンは私の前に跪いた。
「愛しています」
やっとだ、やっと聞きたかった言葉を言ってくれた。私は溢れそうなる涙を堪えながら、
「私も、愛しているわ」
「えっ?」
トーリンはキョトンと目を丸くした。
「えっ?……て?」
なんか反応が変。
「だって、拒絶されると思ってましたから」
「なんでよ」
「ずっと浮かない顔をされていたし、神官長殿が勘違いして勝手に進められたから、断るきっかけを失って困っておられるのだとばかり。だから告白すれば、かえって断りやすいかと」
「違うわ、このままプロポーズの言葉も無しに結婚しちゃうのかなって、物足りなかっただけよ。ちゃんと言ってほしかったの」
トーリンは立ち上がり、いきなり私を抱き締めた。大きな腕が私を包み込む。
「やっぱり俺はエリザベートの曽孫ですね、肝心なことが言えなかった」
「でも、やっと言ってくれた」
「愛しています、一生、大切にします」
「私も愛しているわ」
青い花が咲く丘を、私たちは手を繋いで歩きはじめた。
おしまい
最後まで読んでいただきありがとうございました。
婚約破棄からはじまる物語をシリーズにしていますので、他の作品も読んでいただければ幸いです。
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