第1話 一年の計は新学期にあり
どちらにせよ遅刻は確定しているので、いっそのこと開き直ってのんびり歩いてようやく学校へと辿り着いた。今になって、もう少し急いで来た方がよかったかもしれないと考えるのは無意味なことだろうか。
朝礼の時間はとっくに過ぎており、現在は始業式の開始を待つ小休憩のようだ。
俺はとりあえず自分のクラスだけ確認し、目立つことを避けるために、教室の後ろの扉から息を潜めて入室しようと試みた。
やや年季の入った引き戸はどうやら建て付けがあまりよくなかったらしく、「ガラガラガラッ」と軋む音を立てて開いた。想定外に勢いがよく、俺は内心焦りながら周囲を見渡した。
まずい、いきなり悪目立ちしてしまったか。そう思ったのも束の間、俺の心配は呆気なく杞憂に終わることとなる。
何やら教室内は、どこか浮ついた雰囲気を漂わせており、俺に向けられる視線など一つもなかった。
よくわからないけどラッキーと思いながら、そそくさと自分の席を探して着席する。探すといっても、新学期初日の座席は大抵名簿順であり、俺の苗字である「あまぎ」からして1番目か2番目なので簡単だ。
それにしても先程感じた教室内の雰囲気には何か妙な違和感を感じた。クラス替えにより、皆がそれぞれ出方を伺ってソワソワしていると言えばそれまでだが、なんだかそれとも少し違うような……。
そんなことを考えていると、突然隣から俺に向けられる声があった。
「初日から遅刻とは、随分目立ちたがりなやつだったんだな」
そう俺に話しかけた男の名は桐山遥斗。こいつとは中学からの付き合いであり、俺の数少ない友人と呼べる人間の一人である。
そして、俺の性格を知った上でこのような皮肉をぶつけてくるぐらいにはいい性格をしている。
「ああ、桐山いたのか」
実は席に着いた時から気づいていたが、皮肉のお礼に俺も少しだけ意地の悪い返事を返してやることにした。
「親友に向かってなんだその言い方は!」
「その親友に向けた第一声があれだったやつに言われたくないな。あと俺とお前は親友ではない」
「またまた〜、仲良いのは事実なんだからそんな照れなさんな」
先ほどの説明は少し訂正しよう。こいつは自分にとって都合のいい性格をしたやつだ。
こいつの冗談にこれ以上まともに付き合っていると朝のため息がぶり返しそうなので、ひとまず先ほどから気になっていたことに話題を変えることにした。
「なあそれより、さっきから一つ気になってたんだが、教室の雰囲気がなんか変じゃないか?」
「さては天城、遅刻してきたからクラス名簿見てないな?」
「確かに自分のクラスしか確認してなかったが、それがどうかしたか?」
「はぁぁ……」
美宙といい、桐山といい、どうやら今日は俺と会話した人間は、ため息を吐いてしまう日らしい。
「このクラスなんだよ」
「何が?」
「深窓の令嬢がいるのが、このクラスなんだよ」
”深窓の令嬢“――その呼び名には俺も聞き覚えがある。クールで気品ある完璧美人、その美しさは学年一と噂される彼女の名は確か……
「いやー、あの初咲花実と同じクラスになれるとは、新学期早々ツいてるよなー」
「お前には鈴川がいるだろ」
この若干お調子者感が否めない桐山だが、大人しくしてればイケメンと呼ばれる類の人間であり、中学からの付き合いである俺は、桐山が告白のために呼び出される場面に数回出会している。
そしてその度に桐山は、想い人の存在を理由に告白を断り続けてきた。そしてその想い人というのが、現在桐山の彼女である鈴川結良だ。ちなみに鈴川もまた、俺の数少ない友人の一人でもある。
「もちろん結良のことは好きだが、美少女は見るだけでも目の保養になるだろ?」
「いや同意を求められてもなぁ」
桐山はこういうところがあるから、ついこいつがイケメンということを忘れ、バカをあしらうようなやり取りになってしまう。
まあだからこそ人付き合いの苦手な俺がこいつとはつるんでいて居心地がいいと感じるわけだが、それを言うと調子に乗るので決して言うつもりはない。
「……ったく、天城は本当こういう話に興味がないよな〜」
「それはお前もよく知ってるだろ」
「そうだけどさぁ……、親友としてはそろそろ浮ついた話の一つや二つ聞きたいわけですよ」
今朝美宙にも言われたが、みんなして俺に青春やら恋愛をさせようとしてくるんだが、何なの?親なの?
一瞬頭の片隅に、「まあ親はもういないんだけど」という口に出したら半径10メートルぐらい一瞬で凍てつかせそうな、余りにも笑えないブラックジョークが思い浮かぶが、二度と表に出てこないように脳の奥の奥に封印する。
「おーい、どうしたー?」
「ああ、悪い。少しぼーっとしてた」
「まあとにかく、なんかあったらすぐに話してくれよな。俺が結良とくっつけたのも天城のおかげだし、俺も結良もいつでも協力する気満々だからよ」
心の中の独り言が長くなってしまったせいで、どうやら桐山に心配させてしまったらしい。桐山には俺の家庭事情について少しだけ話していることもあり、時々こうして俺を気にかけてくれている。
だが俺は、桐山にも鈴川にも俺の心配をさせるつもりだけは微塵もない。
「生憎今は興味がないから余計なことはしないように」
「えー、せっかく二年生になってクラス替えもしたわけだし結良と相談して天城に女子を紹介しようと思ってたのに」
「美少女は見るだけでも……。その続きは何だったかな……」
「ハイ、スミマセンデシタ」
「よろしい」
ちょうどキリのいいところで予鈴がなり、担任が教室にやってきて、始業式を行うべく体育館に移動することになった。
ふと視界の端に深窓の令嬢こと、初咲花実の姿が映る。確かに桐山が言う通り人並み外れた、正に絵に描いたような美少女といった装いだが、所詮それまでだ。
まあどうせ俺の人生で関わり合いになるような人間ではないし、同じクラスになったからといって特に俺には何の影響もないだろう。
この時の俺はそんなことを考えていた。




