参 六年「め組」
学校を守る最上級生となった六年生の二学期が始まってすぐのことだ。休み時間が終わり教室に戻る途中、校舎西端とL字型につながる、家庭科室や音楽室のある特別棟一階を通り抜けようとしたら、なにかが焦げたにおいがして、黒煙で視界がかすんだ。床はバケツの水をぶちまけたように広い範囲が濡れている。
「おまえら、消火器を探してこい」
六年三組の担任教師、立川が顔中をすすにまみれたように黒くして大声でおれたちに命じた。火災だ。大ごとだ。
その時おれたちは、男四人くらいで行動していた。
「消火器っ」
「消火器だっ」
口々に叫んで、本校舎に駆け込んだ。
五年以上この学校に通い、作業であちこちを手入れしているから、校舎のすみずみまで知っている。ホースが伸びる消火栓の設置場所は分かる。床が濡れていたのは、立川が消火栓のホースを使って放水した結果であろう。しかし、あの赤くて細長い持ち運び式の消火器を校内で見た記憶がない。
市内一のマンモス校で、全校児童千二百人を数える。三階建て本校舎は、西端から東端まで百メートル。
「おれとおまえは三階、おまえは二階、おまえは一階だ。大声で消火器、消火器って叫んで走れ」
リーダー格のクラスメートが指示した。言われた通り、おれは二階に駆け上がった。
じりりりと非常ベルが校舎内で響きわたる。いつから鳴っているのか分からない。気付いたら鳴っていた。
〈特別棟から出火です。全員、校庭に避難しなさい。避難しなさい〉
校内放送が非常ベルの音に重なる。
校舎の真ん中辺りを過ぎると、避難する下級生や教師とすれ違う。
「どこに行くの!」
中央昇降口より東側に出入り口はない。若い女性教師が制止しようとするのも無理はない。
「消火器を探しに。どこにあるか知りませんか」
「知らないわよ。あんたも避難しなさい」
受け持ちの児童を誘導しながら、女性教師が叫ぶ。
校舎の東端まで到達したが、消火器を見つけることはできなかった。
〈避難しなさい。避難しなさい〉
校内放送は流れ続いている。非常ベルも鳴っている。廊下の窓から空が青く澄みきった外を見ると、茶色い土の校庭には朝礼のときとは比べものにならないほど雑然と、クラスごとらしい列ができている。
校舎の一番東側にある階段から、一階を回ったクラスメートが駆け上がってきた。
「消火器あったか」
「ない」
一緒に三階に駆け上がった。リーダー格のクラスメートともう一人が、六年五組の女性クラス担任に捕まっていた。
「六年生ね。なん組?」
初老のそのクラス担任はいつもの甲高い声を上げた。
「一組です。消火器を探してこいって立川先生が」
おれは弁解した。先に捕らえられたリーダー格も同じように答えたようで、五組の担任はあきれた顔をした。
「うちのクラスの後ろに並びなさい。全員、列の前の子の右肩を自分の右手でつかみなさい」
教師歴が長いであろうその担任は落ち着いた様子で、出席番号順に受け持ちの児童を並ばせ、最後尾の女子のさらにその後ろにおれたちは付かされた。女子の尻に付いて肩をつかまされ、校舎の端から中央まで歩かされ階段を降ろされ、校庭に出されるのが恥ずかしかった。
校庭で、本来のクラス担任からげんこつで頭を殴られた。担任は校庭に出て点呼を取って、おれたちが足りないことに気付いたという。
「消火器を探してこいって立川先生に言われたんです」
おれたちは弁解した。
「教師が児童にそんなことを言うはずがない」
二度も三度も、おれたちは殴られた。平等にではなく、弁解に比例してげんこつの数が増えた。
「おれがいつそんなことを命じた。校舎内の廊下にも階段にも消火器がないってことくらい、教師であるおれは知ってる」
そう言って、全校児童、校長、教師らの面前で、立川からも殴られた。立川はおれたちが三年生か四年生のころ転任してきたから、おれたちよりその小学校歴は短い。殴る力は弱かった。申し訳ないという表情をしているようにも見える。
立川が受け持つ六年三組は、非常ベルと校内放送に反応したのと、両隣の六年二組、四組のクラス担任に誘導されたことで、児童全員が避難していた。
出火原因は分からないままだ。消防車は来なかった。
いつ始まったのか分からないおれたちの伝統である児童による学校運営は、ぼや騒ぎを機に終わった。最上級生の勲章だったはずの軍手は、着用が禁止された。「作業」は忌むべき禁句となった。ストーブは市内の工務店が備え付け、おれたちの卒業間際に取り外しに来た。
==(了)==