壱 通学路
帰りの会は戦争だ。敵軍は、クラスの半数を占める女子連中に決まっている。
「はい、はい、はい。おれ、おれ、おれ。おれに発言させてくれ。当ててくれ」
いつものように、クラスメートの多くが挙手する。会では「きょうの反省」のテーマが最も盛り上がる。
「それじゃあ、鈴木くん」
教室の前に立つ学級委員長の男が鈴木を指名する。隣の副委員長の女子は、委員長に比べやや発言力が弱い。だって女子だから。
「山田さんはきのう、通学路じゃない道を通って下校してました。校則違反です」
指名された鈴木は立ち上がり、意気揚々と山田公子を糾弾する。手を下ろしたクラスの男女の視線が一斉に公子に集まる。犯罪や思わぬ事故に巻き込まれないよう、一年生から六年生まで全校児童は決められた通学路で登下校することが義務付けられている。
「山田さん。そうなんですか」
委員長が問いかける。副委員長はなにか言いたそうだが、口をつぐんだままだ。
「山田さん」
委員長に追い打ちをかけられ、公子は立ち上がる。
「はい。だって、おばあちゃんの家に寄ったから」
伏し目がちに公子は答える。
「きのうだけじゃないじゃないか。おとといもその前も、ずっと前も。おれ、見てたんだからな。小野と一緒に三丁目の方に歩いてっただろ」
着席したままの鈴木の不規則発言だ。そんなに毎日、鈴木は放課後の公子を監視しているのだろうかと、おれは首をひねった。ほかの男も同じことを考えたはずだが、だれもなにも言わない。はやし立てない。友軍の鈴木に異を唱えれば敵のスパイだと見なされる。
共犯者に仕立て上げられた小野真弓は席に着いたままうつむいた。不規則発言をしなければ、挙手もしない。
「公ちゃん」
「公子ちゃん」
女子の数人がやはり席に着いたまま、ひそひそ声で公子を応援する。彼女らはなにか事情を知っている。
「なんでそんなに毎日ばあちゃんの家に行く必要があるんだよ」
鈴木の不規則発言は止まらない。
「先生が…これは先生も知ってます。先生にはお話ししてることです」
委員長と副委員長を除き一人だけ立つ公子の視線は、教室前方窓寄りの机でテスト用紙の採点をしているらしい担任教師に向けられる。
「先生」
意を決したような共犯者、真弓の呼び掛けは、教師の援軍を求めたものに見える。しかし、聴こえているはずなのに担任は顔を上げない。
「先生」
今度は副委員長が担任に水を向けた。それでも、うちのおやじと同じくらいの年齢のはずの男性教師は採点の手を止めない。なにも言わない。
「先生」
「先生」
教室のあちこちから女子のすがるような声が上がる。担任はやはり耳を貸さない。
「どうなんだよ」
鈴木が迫る。
「お風呂が……」
帰り支度が済んでいる机の上のキャラクターデザイン入り手提げかばんの取っ手ではないところを公子の右手がつかんだのが、そばの席にいたおれの目に映った。公子の声は、震えている。
「お風呂が。うちにはお風呂がないから、おばあちゃんの家に寄って使わせてもらって……」
公子は崩れ落ちた。いすに座ってそのままキャラクターデザインの手提げかばんに顔をうずめた。後半は声になっていなかった。肩を震わせていた。
戦争は終わった。だれが勝ったのか敗けたのか、おれには分からない。発言を止めた鈴木にも分からなかったはずだ。
「『きょうの反省』はもうないですね」
鈴木同様なにも言えなくなった委員長に代わって、副委員長が場を取り仕切り会を進行させた。もはやだれも挙手しない。
「公ちゃん、ごめんなさい」
公子を救えなかった共犯者の真弓が、教室の遠くから声を掛ける。真弓も涙声だ。
「先生、帰りのあいさつ、お願いします」
副委員長にうながされて担任はようやく、手にしていた赤ペンにキャップをかぶせた。
(「弐 よろず屋児童」に続く)