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1998年 垣内和彦 act-1 <遺影>

幾度となく押したその家のインターホンへ手を伸ばすのに、しばしの時間を要した。

懐かしさへの感慨などではない。もう薄れかけていた後悔と謝罪の念が、見覚えのある表札を見た垣内の心を急激に捕らえていたからである。


古い二階建ての奥で低い呼び鈴の音が聞こえ、家人の出てくる気配が感じられた。垣内は慌てて首元に手をやり、ネクタイの結び目を整える。軋んだ音で玄関の扉が開かれ、中年の女性が顔を出した。

「垣内‥さん?」

「は、はい。ご無沙汰してます」

「本当に久し振り。どうぞ、あがって」

門前払いの予想に反し、彼女は柔らかな表情で垣内を迎え入れた。

靴を脱ぎ、木造の少し湿った匂いのする廊下を歩く。三年振り、そんな年月を感じさせないほど何もかもが変わっていない。

しかし次の瞬間、垣内は現実の時間の流れを思い知る。居間に足を踏み入れた彼の目に突き刺さったのは、部屋の隅にある仏壇の中で微笑むかつての恋人、いや婚約者であった平井由美の遺影だった。


「お座りになって」

立ち尽くす垣内の背後から声がした。色褪せたちゃぶ台を挟んで、彼女の母親と向かい合う。髪の毛に白いものが混じってはいるが、相変わらず清楚で品のある顔立ちだ。しんと静まり返った和室に、時計の秒針の音だけが規則正しく聞こえている。

「いつ、娘のことを?」

母親は急須にお茶の葉を入れながら、垣内に尋ねた。

「先週です。偶然会った大学時代の友人から聞きました。由美さんが、一年も前に亡くなっていたなんて‥俺、本当に知らなくて」

早口でまくしたてる垣内を制すように、彼の前にそっと茶碗が差し出された。

「そんなにかしこまらないで下さい。こうして来てもらえただけで嬉しいわ」

垣内は恐縮しながら彼女のいれた煎茶を口にすると、座り直して言った。

「何の病気だったんですか?」

「ウイルス性の肝炎‥二年前に発病してずっと闘病生活でした」

穏やかな笑みがゆっくりと消え、彼女は視線を遺影に向けた。自分の知らない時間の中で、由美は辛い境遇に耐えていた。胸の奥に熱いものが込み上げる。


しかし垣内には、彼女を不憫に思いやる資格などない。何故なら彼は三年前、由美との婚約を一方的に破棄し、彼女の前から姿を消した最低の男だからである。


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