三話『過去』
昔、よくお菓子をくれた店主の顔を思い浮かべながら、奏音はまだ、ピアノを真面目にやっていた頃を思い出していた。
「こんにちは〜」
「いらっしゃい、奏音ちゃん」
「今日は、かのんとはいねのドレスをお願いしに来ました」
「うん。どのドレスが良いの?」
「はいねはピンクのフリフリがついたドレスが良いって言ってたの。でもね、かのんは、こういうリボンが付いたのが良いの」
「羽音ちゃんはピンクのフリフリで、奏音ちゃんは少しお姉さんなドレスが良いのか…わかった。ちょっと探しに行こうか」
「かのんもいくの?」
「気になるならおいで。他にもこれが良いっていうのがあるかも知れないし、大きくなったらこれが着たいって思うドレスがあるかもしれないから」
「大きくなっても、かのん、ドレス着るの?」
「お客さんの前だったらね。ドレスを着ることもあるんじゃないかな?」
「かのん、それなら、着なくていいや」
幼いながらに、ドレスを嫌がる奏音をみて、店主はどう思っていたのだろう。お使いと言って店に来るのは奏音ばかりという事実をどう思っていたのだろうか。
「奏音ちゃんは、ドレスが嫌い?」
「ううん、好きだよ。だけど、はいねのほうが、にあってる」
「奏音ちゃんはさ、ピアノのお稽古楽しい?」
「たのし…たのしいよ」
「そっか…」
言いよどんだ奏音を見て少し困ったように微笑んだ店主は、奏音の特異性に気がついていたのかも知れない。あの家では普通じゃないということに。
「奏音ちゃんが好きなドレスはこんな感じじゃない?」
「もうちょっと、キラキラしてないのがいい…」
「うん。じゃあ次に、羽音ちゃんが好きそうなドレスって、これでしょ?」
「うん!」
「並べてみようか」
「なんか、はいねのキラキラしすぎじゃない?」
「そうだね。羽音ちゃんのキラキラが目立っちゃうの。だから、本当は奏音ちゃんのドレスもキラキラにして、いっしょにキラキラドレスを着るのが良いんだけど、奏音ちゃんはそれでも良い?」
「かのん、キラキラドレスきるのいや」
「うん。だから、二人がそれぞれ好きなドレスを着ればいいでしょう?」
「でも、お母さん、おそろいにしてって」
「そっか…じゃあ、リボンだけお揃いとか、そういう感じで2人でキラキラにならないようにお母さんに言ってみるよ」
母の意見より奏音の意志を尊重してくれる良い店主だった。今はどうしているのかわからないけれど、いつの頃からか、奏音のドレスの注文が入らなくなってきていたのにもすぐに気がついて、やっぱりと思っているのではないかと思う。
「懐かしいなぁ…もう行くことはないけど」
羽音は学校で何を言われているのだろう。奏音は休み?という友達の質問にどう答えているのだろうか。馬鹿正直に引きこもってるなんて答えていないことを願いながら、言われていたらどうしようと心配になった奏音だった。