昼にある闇
見渡す限りの青い空。不規則に浮かんだ積雲を眺め、座り慣れた緑色の大地に寝転がる。柔らかい草地が背中を触れ、僕は両手を頭に当てた。今日は最高の昼寝びよりだ。
「ふぁ〜あ。」
間の抜けたあくびは、どこからともなく靡く風の群れに消えてゆく。平野の隅にある小さな丘。その丘の上には濃緑の立ち木が1株。風とうごめく葉陰の下。腰を下ろして一息つく。こうしていると、一日が充実しているのを感じる。
「おい。」
安心して目を瞑ったちょうどその瞬間だった。突拍子もなく、無音と風のなびきのなか聞こえた冷淡な声。僕は驚いた反動で体を前に起こした。
「うわぁ?!」
逆さになった少女の顔が映る。目と鼻の先に存ずる褐色肌の少女は、赤髪を垂らしながらこちらをじっと見つめている。立ち木の枝に足をかけ、バランスよく宙吊りの体制をとっている。その状態でピクリとも動かない容態が、彼女の身体能力の位を表していた。
「おまえ、ここで何してる。」
普通の女性よりもひとつ低い声色。単刀直入かのように、その質問を投げかけられた。ジト目で表情を変えない少女。一体いつから居たんだ?そんな疑問は存じたのだが、目の前の気圧によりなくなってしまっていた。
「何って、ほら、あれだよあれ、一息つくっていうか。ほらもうこんな時間で何息もしてたっていうか〜」
目を左右に揺れ動かしながら、普段よりも早い口調で答えていた。嘘をつけば良かったかもしれない。でも経験上、’彼女ら’に嘘は通じないことを体で覚えていたのかもしれない。
「今なん息目だ?」
冷淡な目つきで一言。
「3息ぐらい…」
「もう夕刻だぞ?」
「15息ぐらいでした…。」
それを聞いた彼女は、また表情ひとつ変えずにいた。並外れた身体能力で木の枝から綺麗に着地すると、そのまま後ろを向き歩いていった。顔色を変えない彼女から、言葉以外にその内情を判断するのが難しい。
「はぁ。料理長のガゼフさんに見られた…。こりゃ晩飯抜きどころの騒ぎじゃないな。。」
彼女の後ろ姿を確認すると、これから先に起こるであろうイベントを想像しては悔やんだ。
茶色の防護服。冒険者用の靴とズボンを着こなしている。軽装だが、私服との併用を兼ね備えたような、オシャレなデザインが目に入る。
「まったく、料理長なんだから白いエプロンぐらい着て欲しいものだ。盗賊と間違えそうになったじゃないか。」
心做しかガゼフがこちらを遠目で見ているような気がしたが、僕は咄嗟に木の後ろに隠れた。
「おーい。」
遠くから聞こえたのは、また僕が毎日のように話している相手の声のようだった。先とは対象的に高い声、ハキハキとした喋り口調。元気な村娘といった印象がまず1番にくるような。そんな印象だ。
「あれ?ガゼフー!ニック知らない?洗濯頼んでおいたのにまーたやってないのよね。」
「今日で3回目なんだから、ルチスの拷問部屋送りってことになってたけどガゼフ異論ないよね。」
何やら話しているようだが、僕の両耳は既に両手で塞がっていた。何も聞いていなければ、何も起こらない。そういうわけには行かないのだろうけど、反射反応というのはどうにも治らない。
明日が待ち遠しい。明日が無事に訪れるのなら。。
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永聖圈瞑大陸の最端。大陸地図に乗っているか乗っていないか。それぐらい端に位置した平野。小さな丘がまばらに広がり、そこを濃緑の木々が覆い尽くしている。濃緑の木々の狭間の平野に、僕らの小村 「サネ村」がある。
薄茶色の歩道を踏みしめ、のどかな村の景色を眺めていた。
「きーた(北)の魔女が杖、振るう〜。」
「東の彪は、ワンワンワンと、吠えました〜」
「西の村民、桑握りしめ〜」
リズムにのった“歌のようなもの”が聞こえはじめた。見るとそれは、村の子供達だった。楽しそうに口ずさみ、みんなで合わせている。聞き馴染みのないフレーズだった。僕は好奇心から、少年達に問いかけてみることにした。
「それってなにかのお歌?」
数人で駆けていたうちの一人が立ち止まり、ポカンとした顔でこちらを向く。
「え〜おにいちゃんしらないのー?」
「今、街で流行ってる魔女のお歌だよ。」
魔女のお歌。おとぎ話か何かだろうか。ピュアなおとぎ話というよりかは、聞き手を怖がらせるような、そんな印象さえ抱いた。
彼らは’街’からと言っていた。だが不思議だ。なぜなら、この村から最寄りの街まで丸1日かかるくらいに遠いからだ。そう易々と村人は行き来していない。
そんな違和感を持ちながらも、僕はもうひとつの疑問を彼らに投げかける。
「南はないの?」
北、東、西。次は南。東西南北に繋がる話ならば、誰しも気になるものではないだろうか。
少年はそれを聞くと、知らないと首を横に降った。
「南の狂乱士が無慈悲に笑う〜。」
不意に口ずさまれたらそのフレーズに、その場にいたみんなが声の方を向く。それは少年たちの声ではなく、もっと根の座った声色だった。
低く落ち着いた声は、近くに立っていた女だった。薄いエメラルドグリーンの色をした長髪が、北風によって靡いている。
少女というには落ち着いていて、どこかお姉さんといった雰囲気がある。何が起こったとしても、持ち合わせた裁量で対処できるといったような、そんな余裕の笑みにも見えた。
「へぇ!そんな続きがあったんだ!」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
少年たちは、緑髪の女に感謝を示すと、すぐにそのフレーズごと復唱し始めた。
「やぁ、ニック。」
「エレーナ。その歌やっぱり街で?」
「あぁ、うんそんなとこだよ。」
「へぇ、今はああいうのが流行ってるのかな。田舎者には情報通がないから、時代遅れだよねぇ。。」
緑髪の女はこの村の司書をしているエレーナだった。村の端にある小さな図書館で、いつも難しそうな書籍を読んでいる。
「おとぎ話にしては、ちょっと怖いフレーズだな。」
僕がそういい、硬い笑みを浮かべると彼女は言った。
「実話だよ。」
「え?」
「世界はこの村の周りにあるものだけで出来てるんじゃないんだ。本当はもっと。。」
声色を変えて彼女は言った。もっと。。何かを言いかけると苦しげに俯いた。彼女の見たことの無い一面を目の当たりにして、その場の時が止まったように感じた。
話を聞いていた少年たちのひとりが、怯えた表情を浮かべる。
「なーんて。冗談!そんなことばっかり歌ってると、本当に魔女がきちゃうぞ〜」
エレーナは先程とはまるで違う明るい声でそう話すと、両手を前に出して、子供たちを脅かすポーズをとった。
「きゃーーーー!」
「はん、魔女なんているわけないだろ。」
少年たちはまた楽しそうに走り出す。
「なぁ、さっきの話って」
「なんだ?信じたりでもしたのか?意外と可愛いところがあるんだな。」
「まさか。」
だが、彼女の顔色はいつもと違ったのだ。そしてエレーヌが冗談を言うような人柄ではないこともまた。
「あ、そういえばニック。アンナが呼んでたわよ。」
呼んでいた?きっと何かの間違いだろう。
「明日から強制労働、破ったら森に捨てる。って。」
「あはは、まったくアンナはユーモアなんだから」
これでもかと言わんばかりに苦笑いを浮かべ、僕はふたたび村の奥に入っていった。
村はそれから先も、平凡な日々が続いていく。
‘あの’事件が起こるまでは。