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胸騒ぎ



「あの娘を城下町に連れていくって?」


 グレンの言葉を聞いて、ランベルトはきょとんと目を瞬いた。


「ちょっと意味が判らないな。現在の彼女は一応『虜囚』という扱いで、あの黒塔から気軽に外出できる立場じゃないはずなんだけど」

「ですから殿下に頼んでいるんじゃないですか。さすがに城の敷地内から出すのは俺の一存だけでできることじゃないので、根回しをお願いします」


 グレンの言い方と態度は、「依頼」というよりは「要求」に近かった。


「おまえが忠誠心なんてものをカケラも持っていないのはよく知っているけど、主人に対してはもう少し控えめに『お伺い』するものだよ」


 にこやかな顔をしたランベルトは、凍てつくような空気を発しながらそう言うと、少し目を眇めて、掛けていたソファにゆったりと背中を預けた。


「──で、どうしてまた?」


 グレンは扉の前でまっすぐ立ったまま、表情も変えずに告げた。


「若干、精神的に不安定になっているようなので、気分転換が必要かと」

「あの娘は思っていたほど純朴でも愚直でもなかった、おまけに何かを隠しているのは間違いないようだ、と最初の報告を撤回してきたのはついこの間のことだったよね。現在のその状態が演技ではないと言い切れるかい? 一度は見事に騙されたおまえが」


 からかうように言われて、グレンは苦々しい気分で口を曲げた。それについては自分でも、不面目だと思ってはいるのだ。


「あの外見と『田舎の娘』という先入観を、まんまと利用されました。でも一旦化けの皮が剥がれた以上、再び同情を引くような真似をするほど頭が悪いとは思えません」


 あれは結構ふてぶてしいところのある娘で、簡単にこちらの思惑に乗るような生易しい人物ではない。グレンがそのように意識を切り替えた以上、あちらもこれまでとは対応を変えてくるはずだ。

 だから今日の彼女が見せた「弱さ」は、演技ではないと思っている。

 あの時、青い顔をしたティコは、全身でグレンを拒絶していた。まるで近寄ったものすべてを弾き返すような目は、おそろしいほどに頑なで、痛々しいくらい何かに怯えていた。


 頬の涙の跡は拭っても、両目が赤く腫れていることに気づいていなかったのは、おそらく今まで誰からもそれを指摘されない孤独な境遇に置かれていたからだ。


 語られた生い立ちはどこからどこまでが本当なのか定かではないが、猫とカエルを「友達」と言い切るあの娘が森の中の小さな家でどんな日々を送ってきたのか──その一端を垣間見た気がする。

 人を欺くくらい強かでありながら、危ういまでに脆い部分もある。不均衡、とはじめにグレンが抱いた印象は間違いではなかった。


「それで一度外に出して息抜きさせてやろうって? グレンにしてはやる気だね、珍しい」

「俺は殿下の『命令』には、いつでも忠実に従っているはずですが」

「機械のように淡々とね。でも今回は、おまえ自身が楽しんでいるように見えるよ」

「ご冗談を」


 グレンは鼻白む表情になった。

 自分はいつもと同じように、ランベルトから下された命令を遂行すべく行動しているだけだ。

 そこに己の気持ちや感情など、差し挟む余地はない。


「このまま外には出さず憔悴しきったところで優しくして依存させる、という手も有効だと思うけど」

「ティコは他人に対する警戒心がかなり強いようです。今の状態で黒塔に閉じ込め続けていては、こちらに依存する前に潰れる可能性のほうが高い。それは殿下にとっても歓迎できる事態ではないのでは?」

「ふうん……」


 ランベルトは意味ありげににやりとしてから、「判った、手配しよう」と許可を出した。


「ところで先日の件だけど」


 ころっと切り替わった話に、グレンが少しだけ身を乗り出す。


「何か判りましたか」


 あの日、「文化と芸術の間」で起きた不可解な出来事。

 そもそもティコを塔から連れ出してあそこに向かった目的は、マルティン・セルシウスの手稿の筆跡を確認し、それを直に見せて彼女の反応を見ることにあった。手稿の存在をランベルトから聞いて、グレンが考えた策だ。

 それが蓋を開けてみればあの有様である。まさか肝心の手稿が消えているとは思っていなかったし、その後であんな騒ぎが起こるとも予想していなかった。グレンは未だにあの事件の顛末がほとんど掴めていない。

 しかも、ティコの手当てを終えて再び出向いた時にはすでに、話を聞いたテオドルという名の警備兵はそこから姿を消していた。まったくわけが判らない。

 ランベルトはグレンを見て、美しい顔に冷然とした微笑を刻んだ。


「……後手に廻ったね、グレン」

「は?」

「僕が調べさせたら、先日何か騒ぎが起こったのは確かだが、どこかの粗忽者が並べてあった本を引き抜こうとして何冊か床に落としてしまったらしい、という話ですっかり片が付いていたよ」

「そんな馬鹿な」


 グレンは唖然とした。

 あの音とあの惨状で、何をどうすれば「本を床に落としただけ」ということになるのだ。

 大体、それではティコの酷い怪我の説明がつかない。


「じゃあ、マルティン・セルシウスの手稿は」

「なかった」

「だったら」

「違う、『そんな本ははじめから存在しなかった』という意味だ。あの書棚にある蔵書はすべて目録に記載してあるが、改めて目を通したら、マルティンの手稿はそこに載っていなかった」


 こともなげに言われて、グレンはますます困惑した。


「いや……でも、俺にあの本のことを教えてくれたのは殿下でしたよね?」

「うん。確かに以前まではあったはずなんだけどね。でも証拠として残っているものが何ひとつないのではしょうがない。そしておまえと話したというテオドルという警備兵も、一向に見つからない。他の兵に聞いても、そんな名前のやつは知らないという答えが返ってくるだけだ。なんらかの事故があったとおまえは言うが、その被害者が表に出ることはないわけだし、騒ぎは起きず、紛失した品物もなく、口を滑らせた兵もいないとなれば、結論はひとつしかない。──あの日あの場では、『何事もなかった』んだ」

「…………」


 さすがに言葉に詰まる。自分には理解しがたい何かが底のほうで起きている気がして、足元がむずむずした。

 手稿の消失を含めたあの一件を隠匿しようとする動きがある、ということか。……誰が、何のために?


「この世は理屈や論理だけで成り立っているわけではない、と僕は言っただろう? グレン、あの娘にはやっぱり何かがあると思わないかい?」


 うきうきした愉悦を隠さないランベルトに問われたが、グレンは「またその話か」というように小さく息を吐き出した。


「俺が疑っているのは、あくまで、ティコがマルティンの身内ではないか、ということです。彼女がもしも本当に魔術師の弟子だったら、わざわざ俺が殿下に頭を下げて許可を取るまでもなく、もうとっくにあの塔からも城からも逃げ出していますよ」

「おまえ、いつ僕に頭を下げたっけ? ま、それはともかく、あの娘にはあの娘の、『逃げないでいる理由』があると僕は踏んでいるんだ。そうでなけりゃ、せっかくの手駒候補をそう簡単に城外に出すことを許しはしないさ」

「逃げないでいる理由……って、なんですか」

「それを調べるのがおまえの役目なんだよ、グレン」


 にべもなく言い切られて、グレンは口を噤む。

 そして、ふと思いついた。


「そういえば、ティコが魔術師マルティンの弟子だという情報は、そもそも誰が持ってきたものなのか、殿下はご存じなんですか」

「さてね……僕もそこまでは。おまえも知ってのとおり、国王は興味を惹かれれば後先考えずすぐに手を出さずにはいられないところがあるからね。誰であろうと、王の耳に吹き込んでその気にさせるのは易しいことだったろうさ」


 そして国王の周りには、そういう廷臣が後を絶たない。歓心を買うことが目的の者もいれば、政治以外のことに熱中していてもらいたいと考えている者もいる。

 誰から聞いたかなんて王自身も忘れているかもしれないし、特定するのは至難の業だろう。

 しかしどちらにしろ、嫌な感じがする。

 この件の背後には、何かもっと入り組んだものが隠されているのではないか。


「ところでグレン、僕が言ったことをちゃんと覚えてるかい?」

「なんです?」

「あの娘がおまえに恋をさせるよう仕向けろ、と言ったはずだけど。そっちは順調なのかな」

「ああ……」


 グレンは今になって思い出したように声を上げた。


「『それが命令なら』、なるべく努力はしますがあまり期待しないでください、と言いませんでしたっけ?」


 そういえば途中で切ったかな、ととぼけつつ、主から氷の礫を投げつけられる前に、グレンは部屋を出た。





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