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騙し合い



 グレンは変わらずティコのいる黒塔の部屋に足繫く通ってくる。

 毎日のように何かを持ってくるのも同じだが、他の若い娘のように綺麗なものや高価なものではティコの興味を引くことはできないということは気づいたらしく、もっぱら手土産として持参するのは食べ物ばかりになった。

 人間のほうは気に入らないが、焼き菓子や果物には罪がないので、遠慮なく食べることにしている。さすがに国の中枢だけあって、今までティコが見たことも聞いたこともない、珍しくて美味しいものばかりだ。

 その日は、つるんと滑らかな白く瑞々しい果実だった。グレンによると、外国のものだという。

 口に入れると、甘くてとろりと舌触りがよかった。


「味はどうかな」


 思わず頬が緩んでしまったティコを眺め、グレンが好青年そのものの顔で訊ねてくる。


「とっても美味しいです。いつも気を遣ってくれてありがとう、グレンさん」


 澄ました顔で返すティコに、グレンは微笑んだ。


「いや、君が言っていたように、こんなところにずっと閉じ込められていたら、気分が塞いでしまうだろうからね。欲しいものがあればすぐに用意させるよ」


 茶番である。交わす会話は枯れ葉よりも薄くて軽い。

 もっと狡猾さや図々しさが言葉と態度に滲めばまだ可愛げがあるのに、彼は最初から何も変わらず一定の距離を取り続けているものだから、余計に腹が立つ。


「変わりはないかい?」


 いつものように向かい合ってソファに座り、来るたびに出す定例の質問をしながら、グレンの視線が室内を一巡した。

 もちろん、壁にも床にもインクの染みなど一滴も残っておらず、インク壺もペンもカップも以前と寸分変わらぬ形を保っている。


「はい、何も」

「それはよかった」


 よくよく注意深く見てみれば、こちらを気遣うことを言いながら、あちこちに向けるグレンの目が「観察者」としての冷徹さを帯びていることが判る。

 ただ、魔術というものの存在を信じていない彼が、この部屋の中から一体何を探ろうとしているのかはよく判らなかった。

 果物の次の一切れをティコが口に入れるのを見てから、グレンが立ち上がる。窓台で寛いでいる黒猫に「やあ、ヤナ」と挨拶をすると、チリンという鈴の音ともににゃあと返事があった。


 そういえばこれも腹立たしいことのひとつだが、普段は非常にプライドの高い黒猫が、なぜかグレンには甘い。


 ヤナは正式名「黒真珠」という、偉大なる魔術師マルティンの有能な使い魔だ。

 その立ち居振る舞いは貴婦人のごとく優美で淑やか、主人には忠実だがそれ以外の人間には見向きもしないという誇り高さを備えている。今現在、仮の主としてヤナを使役しているティコだって、はじめのうちはちっとも相手にされなかった。

 そのヤナが、グレンにはちゃんと返事をするし、あまつさえ頭を撫でることも許している。


 なぜだ。ティコは撫でさせてもらえるようになるまで、ものすごく時間がかかったのに。そういえばグレンは二十四歳だと聞いた。猫は猫でもやっぱり女性だから、若くて顔のいい男には弱いのだろうか。ずるい。


 ティコが心の狭いことを考えてギリギリ歯噛みしている間に、グレンは場所を移動して今度は机の上のラデクにも声をかけたが、そちらは目を閉じて無視されていた。いい気味だ。れっきとした主人のティコにさえ、ラデクは滅多に返事なんてしてくれない。

 反応をもらうことは諦めて、グレンがそこに置いてある本を手に取りパラパラとめくった。何度確認したところで、ティコ以外にとっては薬草について書かれた普通の本だが、彼は意外とそういうものが嫌いではないらしく、よく興味深そうに読み耽っている。


「……そうだ、ティコ」


 本に目線を落としながら、グレンが思い出したように口を開いた。


「魔術師マルティンについて、君はどう考えているんだい?」


 さらりと問われて、飲み込んでいたものが喉の途中に引っかかり、咽そうになった。

 ごほっ、と一度咳き込んでから、目を瞬く。


「え……え?」

「マルティン・セルシウス。君がこの件に巻き込まれることになった、そもそもの原因の人物さ。君は彼をお話の中でしか知らないと言うけど、それ以上のことはほとんど興味を示さないな、と思って。これだけの本を読むくらいなんだから知識欲と探求心はあるはずなのに、今に至るまで、一度として俺に訊ねてくることもなかったね? こんなに迷惑をかけられているんだし、普通、もっといろいろ突っ込んで知りたくなるものじゃないかな。もしかして、それについてはわざわざ聞くまでもない、ということなんだろうか」


 パラリパラリとページをめくる手の動きに変化はない。立ったまま本に目をやっているグレンは、こちらに背中を見せているので表情も見えない。口調も声も普段の淡々としたものだ。


 ひやりとした。


 これまで彼のほうからマルティンの話題を振られたことがなかったから、正直、油断していた。

 後ろを向いていても、グレンは間違いなくティコの様子を窺っている。


「……そのとおりです。今さら聞いたってしょうがないですよ。だって、昔この国の王様を助けたという『魔術師マルティン』のおとぎ話くらいは、いくら田舎者のわたしだって知っていますから」


 ティコは戸惑ったような声を出して、首を傾げた。

 緊迫感が漏れないように、ゆっくりと息を吐く。無意識に、右手が近くにある丸テーブルに触れた。


「おとぎ話か。うん、そう思っている人は多いだろうね」


 グレンがようやくパタンと本を閉じて、こちらを振り返った。

 そこにあるのは内心がまったく読めない、いつもの飄々とした表情だ。


「だけど、『マルティン・セルシウスという人物』は、ちゃんと実在していたんだよ」


 知っている。


「まあ、そうなんですか。にわかには信じがたいんですけど」


 驚いたように目を丸くしてみせると、グレンはいかにも、「そうだろうとも」という態度で頷いた。人のことは言えないが、苛つく。


「ではこの国には、本物の魔術師がいたと?」

「いや、そこまではね。なにしろずいぶん前の話だし、当時のことを知る証人はもう皆死んでいる。マルティンという名の人間が本当にいたのだとしても、残っている数々の逸話はあとから都合よく脚色されたものなんじゃないか、と俺は考えているんだ。実物はどこにでもいる地味で冴えない普通の男だったかもしれないね。意外と本人が大言壮語ばかりのろくでなしで、嘘が発覚する前に逃げただけ、ということもあり得る」


 グレンは笑みながら、絶妙にティコの神経を逆撫ですることを言った。

 カチンときているのを悟られないように、なんでもない顔を保つので必死だ。ティコは心から自分の師匠を尊敬しているので、彼に対する暴言にはなかなか冷静でいられない。


「そう、ですか……」


 プルプルしそうな手を強く握る。

 いっそ窓から突き落としてやろうかと剣呑なことを考え始めたティコに、「そうだ」とグレンが晴れやかに提案した。


「一緒に、マルティンのことを調べてみないか」

「──は?」


 一瞬、怒るのも忘れてぽかんとした。


「ヴィラ宮廷の歴史を記した書、というものがあるんだ。宮殿内に保管されていて、わりと自由に閲覧できる。年代ごとに分けられているから、百年前のものを見てみればマルティンという名も載っているかもしれない。すべてが正確に書かれてあるわけではないし、どこまでが事実かという疑問は残るが、多少は面白い記述が見つかる可能性はある」

「え……あ、はあ、それじゃ頑張って」


 今ひとつ話についていけず茫然としながらそう言ったら、つかつかと近づいてきたグレンがティコの顔を覗き込んだ。


「何言ってる、君も来るんだよ。一緒にと言っただろう?」

「はあ?」

「宮殿にあると言ったじゃないか。この塔を出て少し歩けばすぐそこだ」

「ちょ、ちょっと待ってください。塔を出てって、そんなことしていいんですか? だって『国王に逆らうことになるからここから出してはあげられない』って、以前言ってましたよね?」

「ヴィラ城から出してはあげられない、という意味だ。塔から敷地内をちょっと移動するくらいは別に問題ないんじゃないかな」

「ものすごく都合のいい拡大解釈のような気がするんですけど」

「どちらにしろ、俺と君が黙っていれば判らない」


 グレンはそう言って、軽く片目を瞑った。


「そうだ、念のためフード付きのマントを羽織って顔を隠していこう。こういうのもスリルがあって悪くないな」


 すっかり楽しんでいる様子のグレンに、ティコは呆れた。

 たぶんこれも、ランベルトに命じられた懐柔作戦の一環なのだろう。

 気を許した素振りで締め付けを緩め、「君は特別」という雰囲気を演出し、共犯のように装って連帯感を作り上げるわけだ。

 対象が自分でなければ、悪くない手だと思う。

 癪に障ったので、こちらも遠慮なく乗っからせてもらうことにした。


「言っておきますけど、どうなっても知りませんよ」

「だったら俺も言っておくけど、城内にはそこら中に警備の兵が立っているし、敷地の周りは高い城壁が囲んでいる。外へ逃げることなんてできないよ。──それこそ、魔術でも使わない限りはね」


 忠告のつもりで言ったら、グレンに平然と返された。

 ああー、腹が立つ……!





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