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「──で、現在のところ首尾はどうだい、グレン?」


 その夜遅く、ランベルト第三王子に呼び出されて彼の私室まで赴いたグレンは、早速投げかけられたその質問に対して、軽く肩を竦めるに留めた。


「今のところ、報告するようなことは大してありませんね。ティコ・メイヤーなる人物は、現状に不満や不安も抱いても、なんら行動を起こすこともできずにいる、本人が認めるとおり非力で愚直な田舎の娘です。部屋の中にあるものも一通り調べましたが、今のところ魔術に関するようなものは、何ひとつとして発見できませんでした」


 淡々と話すグレンの顔からは、昼間ティコに向けていた人当たりの良い穏やかな笑みは綺麗に剥ぎ取られている。

 冷ややかな空気をまとった無表情で立つその男を見て、ランベルトは面白そうに唇を上げた。


「大分おまえに絆されてきたかな?」

「それはなんとも言えません。怯えているのかまだ警戒心が解けないのか、あの娘の周囲には目には見えない壁があるようで」


 グレンは、今も黒塔の部屋の中にいるはずのティコの顔を思い浮かべた。

 頭の上のほうで括られてもなお腰まで届く、この国では珍しい漆黒に近い黒髪と、さらに珍しい印象的な紫の瞳。

 一人で生きてきたというだけあってしっかりした性格のようだが、完全に大人になりきっているわけでもない。小柄でか細く、いかにも頼りなさげな外見と言動をしているのに、たまに目の奥に強い意志と知性が覗くのが、妙に不均衡だ。


「純朴な田舎娘、というだけでもない、か?」

「少なくとも頭は廻るようですね。『魔術なんてものは無知からくる錯覚や思い込みに過ぎない』と言っていましたよ」


 ランベルトは楽しそうに声を上げて笑った。


「おまえと同じことを言うなあ! 二人、気が合いそうでなによりだ。いいかグレン、その調子で、あの娘との距離を縮めて完全に心を開かせろ。そして慎重に事の真偽を見極めるんだ。あのティコという娘は、本当にマルティンの弟子なのか」

「はあ……」


 グレンは気乗りがしないように顔をしかめ、曖昧に返事をした。

 まだ十代の娘を騙すようなことをするのが嫌だ、というわけではなく、根本的なところが半信半疑だからである。いや本音を言うと、ほとんどの部分は疑で占められているくらいだ。

 目で見えるものしか信用しないという主義のグレンは、魔術というものの存在をまったく信じていない。

 ティコの前で見せている自分の姿は欺瞞で塗り固めたものだが、「魔術なんて便利なものがあれば誰も苦労しない」と言い放った彼女の意見に賛同している、というところだけは嘘ではなかった。


 魔術とか、魔女とか、魔法使いとか。


 そんなものを無邪気に信じていいのは、せいぜい子どもの頃までだ。大人の場合は、ただ自分の願望や欲や利己主義を満たしたいがための夢想に過ぎない。

 錬金術師を名乗る連中が真鍮を金に変えたことなど一度としてないように、魔術師というのも想像の中で作られただけの存在だろう。

 人はそうやって、ありもしないものに救いを求めたがる。


 ──現実というのはいつだって冷淡で、非情で、残酷すぎるから。


 その内心を表に出したつもりはなかったが、ランベルトには伝わったらしく、にやりと笑われた。

 人間らしい心というものをあまり持ち合わせていないこの王子は、なぜか他人の考えはおそろしいくらいよく見通せる。


「おまえは本当につまらないな。この世は理屈や論理だけで成り立っているほど単純ではないよ。どれだけ用意周到に準備をしたって、『運』なんてものに人生が左右されることもある。どうしても解明できない謎、というものもある。それはおまえ自身がいちばんよく判っていると思うけど」


 グレンの目の端がかすかにぴりりと引き攣ったのを見て、ランベルトはさらに楽しそうにくくっと喉の奥で笑った。


「調べても調べても理由が判らないこと、書物では決して知り得ないこと、もしかしたら人知を超えるかもしれない何か──魔術というものがその条件に当てはまるとしたら、それを知ることによって、グレンの長年の望みも叶うかもしれない。そうは思わないかい?」

「…………」


 グレンはそれには答えなかった。無言のまま、目を逸らす。


「そして本当に魔術というものがあるのなら、僕の望みの実現にも近づく。僕はねグレン、一刻も早くあの無能な国王を玉座から引きずり落としたいんだよ。そのために使えるものは何でも使う。あのティコという娘がもしも『本物』で、ただその力を眠らせているだけなのだとしたら──」


 ランベルトは足を動かしてグレンに身を寄せ、声音を抑えた。

 酷薄な微笑を浮かべ、人差し指でグレンの胸を軽く突く。


「なんとしても目覚めさせ、こちらの手の内に入れて、僕が王になるための手伝いをしてもらう。グレンはあの娘の監視兼懐柔役だ。決して逃げ出さないように見張って、自在に操れるくらいがっちり心を掴め。ああそうだ、恋愛感情は最も強固な鎖になるからね、この際おまえに惚れさせてもいい。あの娘に恋をさせろ、グレン」


 グレンは少しの間黙っていたが、やがて小さな息をつき、黒塔の階段の時と同じように頭を下げた。


「……それが命令でしたら」


 その時、窓の外から、夜闇に紛れて真っ黒な猫がじっとこの光景を眺めていたことを、二人は知らない。



          ***



 ──あの娘に恋をさせろ、グレン。

 ──それが命令でしたら。


「ああ~、腹が立つうっ!!」


 黒猫の口から出てくる二人分の声に、ティコは思わず大声で叫んで机の上にあったインク壺を引っ掴み、壁に投げつけた。

 壺は見事に割れて壁と床に黒々とした染みを作ったが、ティコの気はそれだけでは収まらない。


「何が! 惚れさせてもいい、よ! 誰があんな男に! バーカ!」


 子どものような罵声を上げて、ペンを投げ、カップを投げ、紙の束を投げる。

 ペンは半分に折れ、カップは砕け、紙は床一面に散らばった。

 ティコは肩で大きく息をしながら、目の前の黒猫を労った。


「ご苦労様、『黒真珠』。さすが師匠(せんせい)の使い魔は優秀ね。盗聴だけでなく、本人たちの声で再生するなんてすごいことができるんだから」


 これならどれだけ距離が離れていても、すぐ傍で聞き耳を立てているのと変わらない。あの二人の声を間近で聞くと腹立ちも倍増なのだが、それはそれである。

 黒猫ヤナの喉を撫でると、彼女は気持ちよさげに目を細めて、にゃあ、と鳴いた。その近くにいるラデクは目を開けてはいるものの、相変わらずぼーっとしている。


「まったくあの二人の腹黒さときたら……これだから人間は嫌い。本当に誰も信用できない」


 憮然としてぶつぶつ文句を言うティコの顔つきには、グレンの前で見せていた弱々しさなど欠片もない。


「ふん、ここに来てからひと月もの間、何もしないでただじっとしていたわけじゃないんだから。この国の第三王子が喰えない人物だってことは調査済みよ。なにが同情して、心配している、だか。白々しい台詞にムカムカを押さえつけているのも楽じゃなかったわ。わたしは可哀想な被害者、と自分に暗示をかけていないと顔に出そうになる」


 要するに上辺だけを取り繕っていたのはお互い様なのだが、そんな事実ははるか高い場所に作った棚の上に置いて、ティコはグレンとランベルトを罵り続けた。

 後ろ足で耳を掻いてチリチリと鈴を鳴らすヤナも、眠そうな顔のままぼーっとしているラデクも、同調はしてくれないが気にしない。

 狭い室内にさんざん悪態を響かせてから、ティコはようやく口を動かすのをやめて、大きく深呼吸した。


「はあー……ちょっとスッキリした」


 気分を切り替え、改めて机の上に目を向ける。

 そこで開かれているのは、グレンも見ていた分厚い天文学の本だ。

 あとで汚れた壁と床を綺麗にして、破損したペンとカップも元どおりにしておかなくちゃ、と頭の片隅で考えながら、ティコは本のページに指を置いた。



「──隠れたるもの、姿を現せ。我、魔術師マルティンの弟子、ティコ・メイヤー」



 星と月について書かれているそのページは、ティコが指を滑らせていくに従い、中身が変化していった。

 なぞられた文字が勝手に動いて形と配列を変え、まったく別の文章へと改変される。

 新しい文字の中には、はっきりと「魔術」という語句が入っていた。

 魔術はたゆまぬ努力と日々の研究・実践から成り立つものだ。マルティンが術をかけてくれた本が無事で、本当によかったと思う。

 ……まさかこんなことになるとは予想もしていなかった。


「師匠……」


 次々に構成されていく文章を目で追いながら、ティコは自分の師のことを考えた。

 離れて暮らす弟子のことを心配して、ちょくちょく連絡をくれていたマルティンが、ふっつりと音信不通になってしまったのは半年前のこと。

 いつものように師の伝言を持ってきた黒猫は、どんなに促しても、それっきり自分の主のもとに帰らなかった。師匠の身に何かあったのではと居ても立ってもいられない思いでいたところに起こったのが、今回の一件だ。

 自分とマルティンの師弟関係を知る者は誰もいない。仮に誰かに知られたとしても、ティコは住んでいた家の周囲に目くらましの魔術をかけていたから、正確な位置は容易に特定できないはずだった。

 数年もの間それで何事もなくやってこられていたのに、マルティンの連絡が途絶えたすぐ後で、突然ティコの存在と居場所が露見し、こんな場所まで連れてこられた。

 これを偶然だと思うほどティコは能天気ではない。

 マルティンの身に何があったのか。今、どこにいるのか。

 ──手がかりは必ずこのヴィラ城にある。


「それを掴むまでは、何があってもここに居座ってやる」


 忌々しいが、今のところはあのランベルト王子の「保護下」に収まっているしかない。大人しく殺されてやるつもりはないし、上層部に利用されるのも真っ平だ。

 何も判らないこの状態では、無力な娘を装っているのが最善だろう。

 逃げるだけなら、いつでもできる。


「でも絶対あんな男に恋はしないけどね!」


 ティコは憤然として大きな声で怒鳴った。





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