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陽の下の魔術師

 


 からりと晴れた空は雲ひとつなく、澄んだ青色をしていた。

 素晴らしく良い天気である。気候も程よく、時々吹き渡る風も清々しい。周囲は色鮮やかな花々が可憐に咲き誇り、緑は爽やかに陽の光を浴びて、甘い香りと心地いい葉擦れの音を運んでくる。

 最高の眺め、極上の場面だ。こうもすべてが調和し揃うことなど、これからの人生において、そう何度もないだろう。

 しかしティコは不機嫌だった。


「……どうしてここに殿下がいるんです?」


 聞いていなかった。ようやく起き上がれるようになり、グレンに外に出てみないかと誘われて二つ返事で了承したのは、二人でゆっくり話ができるものだと思ったからだ。

 ヴィラ城内の庭園にお茶の支度がしてあると言われ、用意された淡い色合いのワンピースまで着て、そわそわしながら足を運んでみれば、すでにそこにはランベルトが先に来ており、茶を飲みながら寛いでいたという次第。

 そりゃ、機嫌だって悪くなる。

 仕方なく三人でテーブルを囲んだものの、ティコの仏頂面は直らない。じろりとグレンを見ると、取り分けた菓子を皿に載せて、黙ってこちらに押しやってきた。詫びのつもりらしい。


「どうしてって、気を利かせてこういう場をわざわざ設けてあげたんだけど? 君も僕に直接礼を言いたいだろうと思って」


 若干殺伐とした雰囲気を気にも留めず、ランベルトは平然として言った。「はあ?」と思わずティコの口から低い声が出る。


「礼って何ですか」

「事態が丸く収まったのは僕のおかげだろう?」

「殿下が一体何をしましたっけ」

「ん? 何を言ってるのかな。何もかもが結局、僕が最初に思い描いたとおりになったじゃないか。宮廷に巣食っていた害悪がひとつ消え、グレンは長年の望みが叶い、眠れる魔術師は遅まきながらようやく目覚めた。どれも、僕が動かなければ歯車は上手く廻らなかっただろう?」

「腹立つう……」


 ランベルト自身はほとんど何もしていないのに、その言い方だとすべてが彼の手の平の上で転がされていたかのようだ。

 結果だけ見れば否定できないのが、なおさら忌々しい。


「ティコがぐうぐう呑気に寝ていた間に、後片付けをしたのも僕だ。君、あの後、まる二日間も目を覚まさなかったんだよ。グレンは朝から晩まで君の傍にべったりくっついて離れないし、不便で参った。食べないし眠らないし一言も喋らないし、グレンのほうがよっぽど死にそうな顔を……」


 だらだらと続く愚痴を遮るように、グレンが大きな咳払いをする。表情はいつもとあまり変わらないが、耳が少し赤かった。

 話題を変えるためか、グレンはティコのほうを向いて、現在の状況を説明した。


「一時期大騒ぎだった宮廷内も、最近になってようやく落ち着いたところだ。宮廷人というのは、新しい話題があればすぐそちらに飛びついていくからな。そのうちヴェロニカという女がいたことすら、忘れていくだろう」


 忽然と姿を消したヴェロニカを巡って、少し前までは、様々な噂や憶測が飛び交っていたらしい。だが、礼拝堂地下室の異様な実態が明らかになると、人々はその名を出すのも憚るようになったという。

 今ではもう、彼女の記録も肖像画もすべて焼却処分された。愛人に入れ込んでいた国王は気落ちして、寝込んでしまったそうだ。

 ランベルトは相変わらず屈託のないニコニコ顔で、「そのまま死ねばいいのにねー」と明るく言っていたが。


「それで、マルティンの居場所は判ったのか?」


 グレンに訊ねられ、ティコは首を横に振った。

 あの後、かけられていた術を外してマルティンの手稿を読んだが、そこに師匠の行方を示すような手がかりはひとつもなかったのだ。


 ──そこにあったのは、本当の意味での、「マルティン・セルシウスの日記」だった。


 若かった頃の彼が抱いた懊悩と焦燥。なぜ自分だけが「化け物じみた」魔力と生命エネルギーを持って生まれてしまったのかと、彼は煩悶し続けていた。

 そして、自分という存在が争乱の種になることも危惧していた。

 すでに周囲では、マルティンの存在を疎ましく思っている者もいる。国王であり盟友でもあるカミル三世は庇ってくれるが、このまま自分がヴィラ城に残っていればそのうち災いが起きることは間違いない。

 いっそ死んでしまったほうがいいのか。ならばどうしてこの世に生を受けたのか。どうして自分はこのような力を持っているのか。

 どうしてどうしてと思い悩む姿が、手稿には生々しく記されていた。


 ──持ってしまったこの力を、一体どう使えばいいのか。


 ティコと同じことを考えていた、かつてのマルティン。いや、もしかすると彼は今でも自分自身にその問いを発し続けているのかもしれない。

 この手稿を城に置いていったのは、自分と同じ魔術師に見つけて欲しいと願っていたからなのだろうか。


「ヤナは一向に師匠のところに帰る気配がないし……」


 使い魔の黒猫は、あれから何を話しかけても問いかけても、にゃあとしか鳴いてくれない。あの時ヴェロニカにとどめの一撃を放った、絶大な魔力も感じられない。

 以前と変わらず、黒塔の窓辺でくるんと丸まってのんびり眠っている。


「ラデクも……」


 ティコは目を伏せて、ため息をついた。グレンが眉を下げ、「そうだな」と同情の相槌を打つ。


「ラデクは気の毒だったな。ティコもしばらくは寂しいだろうと思うが……」

「寂しいっていうか」


 はあー、と息をついた時、ティコのワンピースの胸元からぴょんと何かが飛び出した。

 テーブルの上に姿を現したそれを見て、グレンがぎょっとして大声を上げる。


「おま……ラデク?! 生きて……え……いや、でも、大きさが」


 どっしりと重量感のある手の平サイズだった緑のカエルは、今では二本の指先に乗るくらいの、ちんまりとした小型カエルになってしまっている。

 新生ラデクは、吸盤のついた小さな四本指を開いて踏ん張り、ぷうっと喉元を膨らませ、ケロケロと軽やかに鳴いた。

 ああー、鳴き声までこんなに可愛らしくなっちゃって……


「死んだんじゃなかったのか?!」

「使い魔がそんなに簡単に死ぬわけないじゃない。でも、これじゃ当分の間、仕事を頼むのは無理みたいね」


 また元どおりの大きさになって使い魔として働けるまで、しばらく時間がかかりそうだ。

 元気になったらすぐにでもマルティンを捜しに行こうと思っていたのだが、ヤナとラデクがこの調子なので、まずはどこに取っ掛かりを見つけたものか、見当もつかない。

 グレンには無謀だと反対され、どうしてもというなら一緒についていくと強硬に言われてしまった。

 さすがに目的地も定まらない旅路に、彼を巻き込む気にはなれない。


「それなら、このままヴィラ城にいればいい。ここなら国中から情報が集まってくるからね、君にとっても都合がいいだろう?」


 ランベルトに提案され、ティコは口を曲げた。


「あの黒塔で?」


 ティコは現在もそこで寝起きしているが、外からの錠はもうかけられていない。


「嫌かい? ヴェロニカの騒動があって、君の存在なんてすっかり忘れられているから、誰も気にしないと思うけど。ああ、だったらグレンと同じところに住むのでもいいよ」


 ガチャンガチャンとふたつの場所でカップが皿にぶつかる音がした。

 ひとつはティコ、ひとつはグレンだ。


「こ……これからどうするかは、まだ決めかねてます。結論を出すまであの場所を提供してくれたら助かりますけど」

「構わないよ。君に魔術師として働いてもらいたい、という僕の希望は変わらないから」

「殿下の手駒になるのは気が進みません」

「なんで? もしかして君、僕のこと好きじゃないの?」


 なぜそこで驚いたような顔をするのか、ティコのほうがさっぱり判らない。


「蛇蝎のごとく嫌っていますが、それがなにか」

「ええー、ひどいなあ。僕はグレンよりもずっと地位も身分もお金もあって、気品があって頭も良くて顔もいいのに。どこが気に入らないんだろう」


 そういうところすべてが嫌いだ。


「大体、そんなことを言われたら、僕の妻だって可哀想じゃないか」


 ティコは今までで最大の衝撃を受け、座っていた椅子からずり落ちかけた。


「……は?! 殿下、結婚してるんですか?!」

「そうだよ。知らなかった?」

「知りませんよ! ええっ、この腹黒なろくでなしに、奥さんが?!」

「ティコ、さすがに無礼だぞ。それに殿下は『ろくでなし』なんじゃなくて、正真正銘の『人でなし』なんだ」

「ははは、二人とも、不敬という言葉を知ってるかい? そもそも何をそう驚くことがあるのかな。僕はこの国の第三王子なんだから、配偶者なんていうのは小さい頃から否応なしに決められて当然だろう」

「殿下は何歳なんですか」

「今さらその質問?」

「ぜんぜん興味がありませんでした」

「二十三だよ。君も年上に対して敬意を払うということを、そろそろ覚えたほうがいい」


 グレンよりもひとつ下か。それでもう妻がいるのが普通なのか。ティコはどうも世間に疎い。

 ちらっとグレンに目をやると、彼は慌てて手と首を横に振った。


「グレンは殿下の奥さんを知ってるの?」

「一応……でも、あまり公の場に出てこない方でね。俺は表立って殿下の近くに侍ることが少ないから、まともに見たことはほとんどない。別に興味なかったし」


 この二人の主従関係はどうなっているのだ。


「僕の近くにいれば、いつか会わせてあげられるよ。どうする?」


 興味がないと言えば嘘になるが、いくらなんでもそんな理由でこの先のことは決められない。

 ティコが言葉を濁すと、ランベルトはやれやれというように息を吐いて、肩を竦めた。


「まあ、確かに僕の腹は黒いほうだと思うよ。父親だろうが兄弟だろうが、邪魔なら蹴落とす気満々だ。……だけどそれは、この国や民のことを考えていないというのと同義ではない」


 ティコは目を瞬いてランベルトを見た。


「こちらに伸びてくる無数の手が見えるのに、前方を塞いでいるやつらが邪魔で、その手を取ることができない。それって苛々するだろう? しかもそいつらは自分たちのお喋りや遊びに夢中で、そこに何があるのか気づいてもいない。だったらそういう連中を排除して、自分が前に出るしかないじゃないか。そのために手段は選ばない、という話だよ。だけどそのやり方が気に入らないというのなら、いつでも実力行使で止めればいい。他の人間にはできなくても、変わった力を持つ君ならできるかもしれないよね」


 ランベルトがそんな風に考えていたとは思ってもいなくて、ティコは驚いた。

 手駒というのは、もしも自分が行き過ぎたり道を踏み外したりした時に、それを止める役割を担う者、という意味もあったのか。


「自分と同じ腹の黒いやつや、首を縦にしか振らない人形を傍に置いて、一体何が楽しいのさ」


 そしてその考えは、ティコにも理解できる。自分が持つ力の大きさを自覚している者は、常にそのことに対して警戒していなければならないのだ。

 慢心しないように。欲に溺れてしまわないように。怒りで我を忘れることのないように。

 また理不尽な出来事が降りかかった時、ティコがその力を誤った方向で使いそうになっても、傍に誰かがいてくれれば、正しい道に引き戻してくれるかもしれない。ランベルトが言っているのも、そういうことだ。


 ……もしもランベルト王子が本当に、この国を変えられるのなら。


 ティコも少しだけ、そこに自分の夢も乗せてもらいたいと思う。

 もうヴェロニカのような人間が現れない国。そしてティコの母や、グレンの姉や、町の子どもたちのような、弱い立場の人々の、悲しい犠牲が出ない国だ。

 魔術師として、自分の力をそうやって使えたらいい。


「師匠の無事を確認してから、の話ですけど」


 ティコは真面目な顔をして答えた。


「──前向きに、考えてみます」


 それを聞いて、ランベルトがにっこりした。

 グレンも穏やかに目を細め、小さく頷く。


「そうだな。俺もそろそろ前を向いて、これから何ができるか、『未来』というやつを考えてみるかな……君と一緒に」


 囁くような最後の一言は、耳に届く前に風に乗って消えていった。

 どこもかしこも前途多難な道のりではあるけれど、ティコはようやく一歩を踏み出す。

 外の世界は厳しいこともあるが、きっと楽しいこともあるはずだ。

 空は美しく澄み渡り、明るい陽射しが三人を優しく包み込んでいた。





完結しました。ありがとうございました!


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― 新着の感想 ―
[良い点] 「異世界恋愛」ジャンルとしては異色のサスペンスの色合いの中で、主人公の心の揺らぎを読者も一緒に感じることができたこと(作者様の作品らしい作品だなぁと思っています)。 [気になる点] 少女誘…
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