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光の行方



 ティコの魔力に押され、ヴェロニカは両手を床につけたままじりっと後ずさった。

 引き攣った表情を再びこちらに向け、非難するように怒鳴る。


「マルティンの弟子、あんただってこれまで人間たちに苦渋を飲まされてきたはずよ、そうでしょう?! 人とは違う力があるからって、責められ、苛められ、疎外されて! あたしは小さい頃からこの力のために何度も嫌な目に遭ってきたわ! どれだけの人間があたしを好きなように虐げ、嬲ってきたと思う?! 親でさえ、あたしを気味悪がっていた! 自分にはできないことができるからって、人は怖れ、妬み、蔑み、笑い、利用する! その力を使ってやり返すことの、何が悪いのよ! 理不尽に理不尽を返し、奪われたものを奪うことの、何が罪なの?!」


 ティコはぎゅっと強く目を瞑った。手が使えたら、耳も塞ぎたいくらいだ。

 ヴェロニカの言葉のひとつひとつが、尖った矢となって胸を突き刺してくる。

 押す力が少しでも弱まれば、抵抗しているあちらの力が勢いを盛り返してしまうのに。そうしたら、形勢はすぐさま逆転する。

 ヴェロニカは、まるでもう一人のティコだった。母を失った後、マルティンという導き手に出会わなければ、こうなっていただろう自分自身。

 進む道が少し違っていたら、ティコもきっと今頃、彼女と同じことを叫んでいたはずだ。


 理不尽に理不尽を返し、奪われたものを奪うことの、何が悪い?!


 二人の違いは、ただ運が良かったか悪かったかの差に過ぎない。

 ……いや、ティコの中にも「ヴェロニカ」は存在しているのかもしれない。

 全身を引き絞られるような苦痛が襲う。肺が捩れるようで、呼吸も上手くできない。魔力にはまだ余剰があっても、生命エネルギーのほうが底をつきそうだ。

 床についた両手が揺れていた。そして気持ちもぐらぐらと揺れている。

 だめ、だめだ。ヴェロニカの言葉に動揺してはだめ。もっと集中しなければいけないのに。

 一瞬、ふうっと意識がなくなりかけた。目の前が暗くなる。

 床につけていた手が浮き上がろうとした、その時だ。

 後ろから、がしっと誰かに力強く身体を支えられた。床から離れつつあった手が、別の大きな手によって上から包まれ、そのまま元の位置に戻される。

 背中が温かい。


「ティコ、しっかりしろ!」


 グレンの叱咤する声が耳元で聞こえた。

 まだ回復していないのだろう。さっきから無茶の連続なのだから当然だ。息が荒く、ティコの手に重ねられた彼の手もまた震えていた。



「あんなやつの言葉を耳に入れなくていい。君は君だ、ティコ。君はあの女とは違う。いいか、どんなものであれ、備わった力をどう使うのか、善となるか悪となるかは、それを持つ人間によって決まるんだ。君はその力を使って人を助けることを選んだ。嫌悪が憎悪には変換されない、自分が受けた不幸を他人に与えようとはしない、それがティコだ。俺はちゃんと知ってる!」



 グレンの言葉は、マルティンが言ったこととよく似ていた。


 ──どんな人間も清濁を併せ持っていて、どちらが表に出るかは、その者の心の強さ弱さによって決まる。おまえもそうだし、私もそうだ。私は弱いが、おまえはもっと強くなれる。


 そうなのかな、師匠。わたしは強くなれるかな?

 ヴェロニカに──こうなるかもしれなかった自分、あるいはこうなるかもしれない自分に、打ち勝つことができるかな?

 一人では無理でも、二人なら。


「馬鹿馬鹿しい、綺麗事よ! あんたもまた、薄汚い人間じゃないの! あたしたちのように特別な力を持った魔術師は、あんたら人間とは違う! 何をしても許される、特別な存在なのよ!」

「うるせえ引っ込んでろ、性悪女!」


 ヴェロニカの叫びに、間髪入れずグレンが吼える。彼は意外と、気性の荒い面があるらしい。

 朦朧となりながら、ティコは小さく笑った。

 こうやって少しずつ、グレンは新しい顔を見せてくれる。そのたび、自分はもっと彼の別の顔を知りたくなるのだ。

 ティコはやっぱり、ヴェロニカのような生き方はしたくない。つらく苦しくても、恨み憎しみの念に引きずられたくはない。怖くても困難でも、目を閉じたままではいたくない。

 森を出て、人の中で暮らし、その上でこの力をどう使えばいいのかを考えたい。

 魔術師もまた人だ。


 ティコは眉を上げ、唇の両端をきつく引き締めた。動揺が去り、強い意志だけが残る。


 体内を巡る魔力を手の平の一点に絞って放出した。

 汗で滲んだ視界の中、魔法円はその大半が上書きされていた。もはやその輝きは室内を明るく照らすまでになっている。

 あともう少し。ティコの命が尽きる前にやり遂げなければ。


「う……」


 噛みしめた歯の間から苦しげな声が漏れる。頭が割れるように痛い。

 もう一方の魔力を押さえ込み上書きが終わるのが先か、ティコの生命エネルギーが完全に失われ人生が終わるのが先か。いや駄目だ。自分が倒れたら、誰がヴェロニカを止められる?

 もう二度と、グレンも他の誰かも、この力で傷つけることは許さない。


 その瞬間、ちりん、と鈴の音が聞こえた。


 幻聴だと思った。その音は、今ここで聞こえるはずのないものだ。鈴を首につけた黒猫は、まだ黒塔の窓台で丸くなって寝ているはず。

 黒く長い尻尾がすぐ前を横切る。ティコは唖然として目と口を開けた。どうしてその姿がここにあるのか判らない。

 召喚もしていないのに、使い魔が勝手にやって来るなんて。


「黒真珠……ヤナ?」


 呟くようなその声に、黒猫は、にゃあ、と美しい鳴き声を上げて返事をした。

 空中からいきなり出現した使い魔は、くるんと一回転してティコの傍らに綺麗に着地した。

 止める間もなく、優雅な仕種で前脚を差し出して、魔法円の上にぺたりと置く。

 その途端、眩しい光芒が弾けた。金色の光の線が一条伸びて、まっすぐヴェロニカへと向かい、その肉体を射し貫く。

 ヴェロニカが大音量の悲鳴を上げ、自分の顔を両手で覆った。


「熱い! 痛い! あたしの顔……顔が!」


 反発していたもうひとつの魔力が途切れ、術者がティコのみとなった魔法円は、一気に上書きを完成させた。

 ティコの魔力がヴェロニカの魔力を呑み込み、凄まじいほど大きく膨らんだ力を蓄え、術が発動する。



「魔術師ティコ・メイヤーの名において命ずる! 今まで奪い取った人たちの生命エネルギーを、すべて空に還しなさい!」



 魔法円が刹那、激しく光り輝いた。

 それが収まると、今度は分散したいくつもの白い光の塊が、ひとつずつゆっくりと浮き上がった。

 無数の輝きが天井を抜け、さらに高みへと昇っていく。


 ……無慈悲に奪われた命がこれで救われるとは思わないが、せめて安らかに眠りに就けるよう、祈るしかない。


 幸いこの上は礼拝堂だ。きっと神様が手助けしてくれるだろう。

 グレンは無言で、光の行き先を見届けるようにじっと見つめている。

 ティコも最後まで見送ってあげたかったが、その前に限界が来た。

 力の抜けた身体ががくっと前のめりに倒れ、貪るように空気を吸い込む。どっと噴き出した汗が全身を濡らし、目も開けられない。


「ああ、ああ、ああ!」


 ヴェロニカの悲痛な叫びが耳を打った。

 曖昧になってきた意識下で、なんとか薄目を開けると、ヴェロニカは自分の顔に両手を当てて髪を振り乱し、泣き喚いていた。

 その顔はもう、以前の彼女のものとはかけ離れたものになっている。

 ぴんと張っていた瑞々しい肌が水分を失って皺だらけになり、締まった肉は下に垂れ、斑点のような染みがあちこちに浮き出た姿は、どう見ても老婆のものだ。


「なんで、どうして?! あたしの顔が、身体が! どうなってるの、なんとかしてよ、あたしの若さが! 美しさが! 助けて、助けてよ、ご主人様あっ!」


 本当に存在しているのかどうかも判らない「ご主人様」は、ヴェロニカに救いの手を差し伸べてはくれなかった。

 そうしている間にも老化は進み、彼女の絶望はどん底まで深まっていく。


「どうして、どうしてよ! なんであたしがこんな目に、なんで……ああああんたのせいでええっ!」


 ヴェロニカは怒りと憎しみに満ちた形相でティコを睨みつけた。

 絶叫しながら血走った目でこちらに手を伸ばしてきたが、ティコはもうそれを避ける力が残っていなかった。床に倒れたまま、ただ見ていることしかできない。

 グレンが全身で庇うようにティコの上に覆い被さった。

 が、凶暴な指は彼の首にかかる寸前で、その動きが停止した。

 皺だらけの指先が、柔らかい土くれに変化したかのように、ボロッと崩れ落ちる。

 目を大きく見開いたヴェロニカの肉体が、端から崩れ始めていた。消し炭のように脆くなり、ボロボロと剥落するように欠けていく。

 腕が、胴が、足が、そして頭が。

 それらは崩れるそばから、黒い塵となって空中に散失していった。

 断末魔の叫びとともに、ヴェロニカの存在は跡形もなく消滅した。


 最後には、何も残らない。


 ティコは目を逸らすことなくそれを見届けた。

 なんて虚しい生の終わりだろう。それが今まで他人の生命エネルギーに頼ってきた反動なのか、強引な魔術の行使がこういう形で彼女にしっぺ返しをしたのか、ティコには判らなかった。

 ……あるいはこれが、「神の罰」というものか。


「ティコ、ティコ、大丈夫か!」


 グレンがティコを抱いて懸命に名を呼んでいるが、それに返事をすることもできなかった。もう手も足も動かない。

 だったらせめて、口が動くうちに言っておかないと。


「グレン……」

「ティコ、しっかりしろ。すぐに医者を呼ぶから」


 医者は役に立たないと思うが、グレンが眉を下げて懇願するような顔をしているので、口には出さないでおいた。

 まあいいや、グレンの気が済むようにすればいい。でもとりあえず今はゆっくり寝たいので、あの王子を部屋から追い出して欲しい。

 そんなことを思いながら、ティコは彼に笑いかけた。


「あのねグレン……わたしたちもそろそろ、『未来』に目を向けることにしようか」


 たくさん迷って悩むだろうし、大変なこともいろいろあるのだろうけど、でもまあ、それも悪くはない。頑張って「この先」のことを考えよう、お互いに。


 ──よくやったね、ティコ。


 景色がぼんやりと霞んでいく中、どこかで鈴の音とともに、師匠の優しい声が聞こえたような気がした。

 ふわりと頭を撫でるような感触は、グレンの手なのか、一陣の風なのか、それとも。


 ──おまえのような弟子を持てたことは、私の長い人生の中で最大の喜びであり、誇りだよ。


 それを聞き終わる前に、ティコは再び意識を手離した。

 今は少し眠ろう。次にまた目覚めるために。





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