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魔術師エリク



 人の間を抜けながらしばらく歩いて、大きな丸テーブルの周りに多くの人々が興味深げな顔で集まっている場所に着いた。

 彼らはランベルトに気づくとさっと場所を空け、全員で礼を取った。

 テーブルを挟んで向かいに立つ二十代後半くらいの男性が、驚いたように目を瞠り、慌てて同じく礼を取る。

 ランベルトは鷹揚に手を振り、にっこりと人懐っこい笑みを作った。


「面倒なことはいいんだ。君が噂の魔術師なんだろう? よかったら僕にも見せてもらえないかと思ってね」

「ええ、ええ、無論ですとも。私が編み出した魔術を、ぜひ殿下にもご覧いただきとうございます!」


 ティコはランベルトの後ろから、その男性を観察した。

 誰かからの借り物なのか、派手な盛装が一目で判るほど身体に合っていない。この場所に出入りできるのだから貴族ではあるのだろうが、あまり身分は高くないようだ。

「私が編み出した魔術」と声も高らかに言うところを見るに、彼には自分が魔術師だということを隠すつもりがさらさらないらしい。

 いやどちらかというと、ひけらかすように喧伝している印象さえあって、なんともいえない違和感を覚える。


「後ほど、国王陛下にもお見せすることになっているのです。まずはこちらをご覧ください。私、魔術師エリクが長年にわたる研究の末、苦労と困難の末に作り出した魔法円を!」


 声を張り上げて男性が丸めた羊皮紙を取り出し、大げさすぎるくらいの動きでテーブルの上に広げた。

 取り囲んでいる観衆が、一斉に感嘆の声を上げて、それに見入る。

 ティコもそれを見た。


 見た瞬間、いっぺんに興味を失った。


 描かれた魔法円は、出鱈目もいいところだったのである。配列はめちゃくちゃだし、そもそもまったく術式としての意味をなしていない。

 それっぽい記号や文字が非常に緻密かつ複雑に描き込まれており、見た目としては美しく仕上がっているから、絵画として飾る分にはいいかもね、という代物だ。

 ランベルトはちらっとティコを見て唇の端を上げたが、何も言うことはなく再びテーブルに置かれた魔法円のまがい物に目をやった。


「いかがでしょう、殿下」

「うん、すごいね」


 何がどうすごいのか具体的なことを一切言っていないのに、エリクという自称魔術師は感激したように頭を垂れた。

 彼はこれを本当にちゃんとした魔法円だと信じているのだろうか。何を根拠に? と逆に不思議になってくる。


「それでは、こちらが私の魔術でございます!」


 そう言いながら、取り出した一枚の紙幣を魔法円の上にかざし、エリクは妙に甲高い奇声を発した。


「天と地を司りし神よ、今ここに未知の力を使いしことを許したまえ! 我の手は神の御手となり、求める者に富をもたらし繁栄を与え、永遠の安寧を約束せん! 魔術師エリクの名の許に!」


 長々とした詠唱をしながら、彼の手がゆらゆらと紙幣を揺らす。何が起こるのかと、観衆の目はそちらに釘付けだ。

 声が唐突にぴたっと止まり、周囲が固唾を呑んで見守る中、ふいに空中から数枚の紙幣が出現し、宙をひらひら舞って魔法円の上へと静かに着地した。

 おお、とどよめきが広がった。


 その一連の出来事を、ティコは「ええ……」と引いた目で眺めていた。


 エリクが延々と芝居がかった台詞を諳んじて紙幣を揺らし、観衆の視線をそこに集中させていた時、もう片手がさりげなく後ろ襟のあたりに伸びたのを、ティコはしっかりと目撃していたからだ。

 たとえあの魔法円が正しいものだったとしても、魔力を注がねば術は発動しないのに、彼はそこに触れてもいない。

 要するに、何もかもがインチキだ。

 興奮してはしゃぐ人々の中から抜け出して、ランベルトが微笑みながら「どうだった?」とティコに訊ねた。


「あれは魔術ではなく、奇術です」


 エリクが器用なのは認めるが、しかしあれが「魔術」であるわけがない。

 自分自身が本気で魔術だと信じているのならともかく、彼は最初から周囲の目を欺くことを意図してやっている。

 ティコのすっぱりした評価に、ランベルトはくくっと笑った。


「あんな単純な手口で、言うに事欠いて『神の手』とは恐れ入るよね」


 醒めた言い方からして、この王子の意見もティコとそう変わりないようだ。

 いかにも性根が曲がっていそうだから、見え透いた誘導には素直に引っかからないだろう。


「判っていて、放っておくんですか?」


 エリクはこれから国王の前でも同じことをするという。そこで誰かに指摘されれば、王を騙ったと罪になりはしないか。

 そう思いながら問うと、ランベルトは手で埃を払いのけるような動作をした。


「問題ないよ。余興のひとつと言っただろう? たとえ誰かが欺瞞に気づいたとしても、わざわざそれを口にするようなことはしない。なぜなら他にもそういう輩は宮廷内にたくさんいるからさ。占星術師は水晶玉の中にありもしない影を見つけ、錬金術師は水銀で細工をして卑金属を貴金属に変えたと主張する。あいつらは、王を喜ばせて多額の褒賞金を引き出すことしか考えていないんだ。……見てごらん、ティコ」


 顎で示された方向に目を向けると、エリクの元には人が群れをなして集まっていた。

 口々に彼の功績を称え、繋がりを得ようと躍起になっている。

 おもねるような顔で面会の予定を取りつけたがる貴族たちを相手に、エリクは満面の笑みで頷いた。


「国王に気に入られれば、彼の名は一気に上がる。その前に後ろ盾になっておけば連中のほうにも利益が廻ってくる。これから多くの貴族があの男に金をつぎ込むよ。投資した分は、あの『魔術』とやらで倍にして返してもらえばいい、とでも考えているんじゃないの」

「ああ、それで……」


 ティコは納得した。上から降らせるのなら花でも水でもよかったのに、わざわざ紙幣を使ってみせたのは、観衆たちの欲を煽るためでもあったわけだ。

 あざとく強欲なのは、どちらもそう変わりない。

 そういえばグレンも以前、金目当ての詐欺師のような輩まで宮廷内に入り込むこともままある、と言っていたっけ。


「今後、あの男が金を集めるだけ集めて逃げたとしても、騙された人間が愚かだったというだけ。でも、くだらないよね。愛人の色香に溺れて廷臣の傀儡と化した国王も、暇人だらけの集まりであるこの宮廷も。誰一人として、国のことなんて考えていやしない。どいつもこいつも興味があるのは自分のことだけなんだから。……君にも一度、その目で見てもらいたかったんだ。じゃあね」


 ランベルトはそう言い置いて、浮かれている人々のほうを一瞥もせず、その場を立ち去った。

 一人取り残されたティコは、エリクのほうに顔を戻した。

 押し寄せる貴族たちを捌くためか、彼は帳面に一人一人名を記してもらっていた。

 この舞踏会が終われば、順番に面会し、どこからどれだけ金を搾り取るかの算段をつけるのだろう。帳面に増えていく名の一覧に、彼はひどく満足げだ。


 ──一方では本物の魔力が迫害され、かたや一方では、見せかけだけの空虚な魔術が崇拝される。


 それは結局、それだけ魔力や魔術というものが人々にとって未知なものだから、というところに帰着するのではないか。

 知らないからこそ、必要以上に恐れ、崇めようとするのだ。

 彼らの無知が闇雲な畏怖や恐怖を引き出すのなら、自分の力と存在を隠してばかりの魔術師のほうにも問題があるのかもしれない。

 このような詐欺が横行してもそれを正す者がいなければ、人々の誤解と無理解ばかりが積み重なり、魔術に対する人々の認識は事実から乖離していくだけだというのに。


 そこまで考えて、ティコは深いため息をついた。


 とはいえ、現在の自分が彼を糾弾することなどできるはずがない。

 それをすれば、では「本物の魔術」とはどういうものなのか、を証明しなければならなくなる。

 仕方なくまた元の場所に戻るためのろのろと足を動かし始めたティコの横を、二人の男性が声をひそめて会話をしながら通り過ぎて行った。


「……よろしいのですか。あのような身分の低い者に、多額の資金援助を約束して」

「なに、構わんさ。陛下があれを気に入れば、話の持っていき方次第で、どんどん金を出してくれるだろうからな。我々はいかにして、より大きく陛下の興味を引くかを考えねばならん。最近、これといった楽しみもなく退屈しておられたようだから、しばらくはあの男の『魔術』にのめり込むだろう」

「いわば国王の新しい遊び道具というわけですな。いやはや、陛下がご自分の趣味と愛人に、湯水のように金を使うため、この国の財政は悪化していく一方だとか」

「そんなもの、また税率を上げてやれば済むことだよ。そのために平民というものはいるのだから。それよりあの愛人は力を持ちすぎた。そろそろ別の女をあてがって、宮廷の勢力図を書き換えなければ……」


 二人はひそひそと話しつつ去っていったが、ティコはその場にぴたりと立ち止まった。

 なるほど、ランベルト王子が言っていたのはこういうことかと納得する。

 宮廷貴族の中で、この国のことを真面目に考えている者は、果たしてどれくらいいるのだろう。誰もが自分のことばかりに目を向けて、民の生活にはまったく無関心だ。

 ただでさえ苦しい日々を送っている人間にとって、税率を引き上げるということが何を意味するか。それを少しも考えず、「そんなもの」の一言で切り捨てる。

 城下町での一件と同じだ。


 弱者はどこからも救いの手を差し伸べられず、声を上げても聞き入れられず、押し潰されてもただ我慢するしかない。

 そしてその弱者が、自分よりもさらに弱い者に、溜め込んだ自らの不安と憤懣をぶつけることになる。


 その負の連鎖は、一体どこで断ち切ればいい?


「…………」


 ティコは後方に目を向けた。

 エリクは観衆たちに、自分の「魔術」の素晴らしさを熱心に説いている。

 彼は弁舌も巧みだった。宮廷人たちを誑し込んだその手腕で、これからアーモス王の心を掴むのだろう。


 ……この美しい世界の足元で、どれほど陰惨な悲劇が繰り返されているかも気づかずに。


 しばらくして、ようやくエリクの元から人の波が引いていった。

 それを見届けると、ティコはくるっと身体の向きを変え、彼のほうへと近づいた。

 ぎっしりと書き込まれた名前を見ながら上機嫌だったエリクは、寄ってきた娘を見て、ん? という顔をした。


「なんだい?」

「いえ、わたしも先程の『魔術』を拝見して、感銘を受けたものですから。よろしかったら少しお話を伺えたらと思いまして」


 ティコの申し出に、エリクはあっはっはと声を上げて笑った。


「困ったなあ。僕はこのとおり、先約がぎっしりでね。ひと月ほどは相手してあげられそうにないんだ。……まあ、夜のほうなら、なんとか予定を空けられないでもないがね」


 下心満載の目つきで、頭からつま先までを不躾にじろじろと眺め廻された。

 頑張って気持ち悪さに耐え、ティコはなんとか笑みを浮かべた。


「では、時間が空きましたら、連絡をいただけますか? この帳面に名を書いても?」

「ああ、いいとも」


 でれっとやに下がった顔で帳面を開き、ペンを渡される。

 ティコは薄いレースの長手袋をした手でそれを受け取り、適当にでっち上げた名前をさらさらと記した後、小さな円を描いてその中に記号と文字を書き入れた。

 エリクは不思議そうに首を傾げた。


「なんだい、これ」

「今、若い女性の間で流行っているおまじないです。またお会いできることを願って」


 そう言うと、エリクはまた笑った。今度は「鼻で笑った」というほうが正しい。


「まったく女の子というのは他愛ないことが好きだね。しかもこんな子どものイタズラ書きのようなもので! 僕の素晴らしい魔法円を見たかい? 本物とはああいうものだよ。おまじないなんてものには、何の効力もない」

「そうかもしれません」


 あなたの魔法円と同様にね、と心の中で付け加えて、最後にぐっと人差し指で円の中心を押す。

 それからすぐに、ティコはその場からそそくさと離れた。

 少し進んでから見返ると、エリクは浮かれきった顔つきで、丸めた羊皮紙と帳面を大事そうに抱え込んでいた。





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